第10話 ふたつめの大切な仕事です。

 博士が私たちに残した二つ目の仕事とは、とてもシンプルなものでした。


 ”自分たちの種族名をつけろ”。

 ただ、それだけです。


 人間さんたちは、いつかどこかのタイミングで、自分たちを人間と名付けました。

 それと同じように、私たちは私たちで自分の所属グループ名を定めなければならないようです。

 少なくとも、博士は私たちがそうすることを望んでいました。


 正直をいうと、はじめは高をくくっていたのでした。

 ふとしたときにパッと思いつくのだろうと。

 ですが、そう単純なものではありませんでした。

 なんといっても責任重大ですから、あまり安易に名付けてもよくないように思えたからです。

 単なる語感だけではなく、しっかりとした名づけの理由も必要になってきます。

 私たちは唸ったものです。思考プロシージャが過度に働いたせいで、よもや発熱するかというほどでした。


 みんなこの仕事を後回しにしているので、月日が経つにつれて熱心さが薄れているような気がします。

 私は、それがどことなく気に入りません。

 私を膝のうえに乗せているときの、博士のあの優しげな眼差しを思い出します。


 博士は、私たちをとても好いてくれていました。

 あれが慈愛なのだとしたら、私たちもそれに応えるべきではないでしょうか?



 パントリーを出て、私はクデンの町へと降りていきます。

 たくさんのランチボックスが詰まったリュックのほかに、手提げの鞄にアップルパイを入れています。

 ウイルスが付着しないよう、厳重に外気から遮断してあります。


 私はいつものように灰の降る町の、灰の積もる建物をノックして回ります。


「パントリーのルルイエです。お元気ですか、人間さん。ランチボックスを持ってきました」


 私は、人間さんたちとお話をします。

 扉越し、私と話したがる人間さんや、まったく話したがらない人間さん。

 あるいは、私の存在を幻覚だと信じている人間さん。

 すっかり言葉をうしなってしまった人間さん。

 気が変になってしまっていて、支離滅裂なことしか言わない人間さん。

 話しかけるたびに泣き出してしまったり、逆に笑い出したりする人間さん。


 色々な人間さんたちを超えて、最後にはすっかり軽くなったリュックを背負い、シキドさんの住宅に伺います。

 シキドさんの家は、町はずれにあります。高地にあるクデンの町の、崖の傍の家です。


「こんにちは、シキドさん。ランチボックスを持ってきましたよ」


 私はノックしてそう声をかけます。

 シキドさんはお年寄りなので、眠っていることが多いです。

 夢のなかがいちばん安心するのだと、いつか言っていました。

 だからすぐに返事がないときは、私はランチボックスを搬入口に入れて立ち去るようにしています。


 ですが、今日は事情が異なりました。

 ぜひアップルパイのことを教えて差し上げたいです。


「シキドさーん?」


 私はもういちどノックをしました。

 それでも返事はありません。

 私はがっかりしました。とはいえ、おどろく反応がみたかったり、食べてもらった感想を聞きかったのにというのは、私の勝手な都合です。

 大切なのはシキドさんの平穏な日常ですから、この場はご飯を置いて去ることにしましょう。

 感想は、つぎのときに聞けばいいです。

 私は搬入口を開いてランチボックスとアップルパイを入れました。


 アップルパイの出来は、果たしてどうなのでしょうか。

 五割の自信と、五割の不安がありました。

 なんだかんだで優しい方ですから、たとえマズくても最後まで食べてくれて、うその感想を教えてくれるかもしれません。

 昔、博士はうそも方便だと教えてくれました。うそには、いいうそとわるいうそがあるのだと。

 ですが、その定義までは教えてくれませんでした。

 なので長い年月をかけて、私は自分で条件を決めました。

 私の結論は、いいうそは他者のためにつくうそで、わるいうそは自分のためだけにつくうそのことです。

 私はときおり、チルチルに対してわるい嘘をつくので反省するようにとアナスターシャに怒られます。

 私はその場では反省するのですが、しばらくすると懲りずにまたやってしまいます。私は、まだまだ未熟者なのです。


 とにかく、シキドさんがアップルパイを気に入ったかどうかは、次のランチボックスの配達のときにわかるでしょう。

 そう思って、私は灰の降るクデンの町から引き払いました。


 ですが、その答えは永久にわからずじまいだったのです。

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