第8話 アップルパイを……味見するのです。
アナスターシャがスイッチを押すと、食料の生産ラインが一瞬だけ止まりました。
かと思えば、上のダクトからぼとりと、拳大サイズの粘土のようなものが落ちてきました。
チルチルが怪訝な顔になりました。
「うわぁ。なにこれ」
「これはね、成型される前の人間さんたちの食べ物……通称、ゴハンモドキよ」
そう、アナスターシャが解説しました。
私も存在は知っていましたが……ゴハンモドキというのですか? これ。
それともアナスターシャが勝手に名付けたのですかね。
「チルチル、ちょっと手に取ってごらんなさい」
「へぇぇ、見た目どおりやわらかいのねー」
チルチルがグニグニしています。
私も触れてみました。たしかにグニグニです。
今の時代、パントリーが人間さんたちに作っている食事は旧来のものとは性質が異なります。
それはいうならば、「一見、人間さんたちのご飯っぽくて」「食べていれば生きるのに必要な栄養が保証される」「不自然な製法の経口摂取物」なのです。
これも当たり前のことだと思います。だって、牛さんや豚さんがいないのにハンバーグが作れる道理はありませんから。
でも大豆をうまく加工すれば、一見ハンバーグのようにみえるものは成形できて、調味料をうまく配合すれば、ハンバーグのような味つけをすることは可能です。
パントリーの工場では、いくつかの人間さん用の食料が、特殊な化合物によって管理栽培されています。
それらは高度な遺伝子組み換え技術によって栄養素と組成が変異します。
もともと、人間さんたちはウイルスが発生する前から食糧難だったので、そういった技術の雛形はできていたそうです。どうやら、博士はそれを改良したのだとか。
そうした基礎食料をいちどどろどろに溶かして、そこから固めたものがこのゴハンモドキです。
登録レシピは週単位でサイクルしていて、ダクトのなかでオーダーに従って成型されて出てきます。
今のラインでは、どうやら麺状に成型されていたようですね。
今週、人間さんたちの献立にはスパゲッティが含まれているに違いありません。
「アナスターシャは、このゴハンモドキをうまくこねて、たい焼きのかたちにしたのですか?」
「そういうことよ。でも、アップルパイはきっと大変ね。たい焼きよりも複雑な形状をしているもの」
「ねえ、でもそれって変じゃない?」
チルチルが異を唱えました。
「どうしてわざわざ手作業なのよ。デザインはわかっているんだから、この工場の子たちに設計図をスキャンして内部で成型してもらえばラクじゃない」
なるほど、と私は思います。
たしかにチルチルの言うことには一理あるかもしれません。
そうすれば私たちと人間さんたちの味覚の差異問題も解決する気がします。
簡単なリプログラミングの必要は生じるかもしれませんが、大雑把な触感と調味も同時に設定できるはずだからです。
ですが、
「それではダメよ、チルチル。それではきっと、料理をしたことにならないのよ」
アナスターシャは首を振りました。
「どうしてよ?」
「その昔、博士が言っていたのよ。料理には真心がなによりも大切だって。だから大変な工程を自分たちで処理することが、きっと大事なの」
「そうなの? でも、それってなんだか非効率的に思えるわ」
チルチルは納得がいかない様子です。
私はアナスターシャの意見がわかるような気がします。
人間さんたちの本を読んでいると、料理という行為はよく出てきます。大抵、努力して作られているものです。
ここの工場ラインの子たちに任せきりにしてしまうのは、なんだか違うように思えます。
「私は……作ってみたいです。自分の手で」
「がんばってみる? ルルイエちゃん」
私はこくりとうなずき、袖を捲りました。
「うふふ。なら、わたしも手伝ってあげるわね。いっしょに人間さんを喜ばせる料理をしましょう」
「ええ。よろしくお願いします、アナスターシャ。ふたりでがんばりましょう」
「な、なにナチュラルにあたしをハブってるのよ!」
「あら? だってチルチル、こんなの非効率的だって言っていたから」
「あ、あたしもやってあげるわよ! そりゃ、非効率的だとは思うけど……でも、これが人間さんのためになるんでしょ?」
もはやわざわざ説明する意味もない気がしますが、チルチルはこういう子なのです。
そういうわけで、われわれの料理タイムがはじまりました。
わたしたちはまず、エプロンと三角頭巾を付けました。これは雰囲気づくりのためです。
どこに隠し持っていたのかわかりませんが、アナスターシャがいつかこういうときのためにと用意していたそうです。
やはりアナスターシャは侮れませんね。
それからつぎに、私たちは設計図を用意しました。
アップルパイの構造を三次元的に理解・分解して、焼いた林檎のパーツ、パイのパーツ、クリームのパーツに分けます。
林檎は砂糖煮が基本らしく、しゃくしゃくというよりもやわらかめがいいようです。
逆にパイはしっかり硬めに。そしてクリームはぐじゅぐじゅの液状です。
肝心の組み立て部分は自分たちがやりますが、それ以前の部分は工場ラインの機械に手伝ってもらいます。
それぞれのパーツに適したゴハンモドキの硬度を計算して、自然な食感を数値化したら、とりあえず準備完了です。
そして、試練ははやくもやってきました。
「……ほらほら、はやく食べなさいよー!」
「ルルイエちゃん、一気にパクッといったほうがいいわよ。きっと」
ふたりに見守られて、わたしは三種のパーツを複合したゴハンモドキに向けて口を開いています。
……いまから、これを食べねばなりません。
料理は真心こそが大切だそうですが、それはきっと大前提です。結果としておいしくなければ、きっとダメなのでしょう。
だからこそ、味見は避けて通れぬ道です。
ですが先に述べたように、私たちと人間さんとでは味覚が真逆です。
だから、私たちがおいしいと感じたら、それは人間さん的にはアウトなのです。
それは、逆もまたしかりです。
「ようは、あたしたちにとってはマズければマズいほど、人間さんたちにはおいしいってことよね」
「ええ。簡単な信頼性試験しかしていないけど、実際にその傾向が正しいみたい。不思議だわ」
「う、うぅ……!」
「がんばって、ルルイエちゃん! わたしたちが応援してるから!」
私は目を瞑り、ひと思いに口に入れます。
「ウ””ッッ!!!!!!!」
瞬間、あまり貞淑な女性型インターフェースが出すべきではない声が洩れました。
ま、マズい…………!!!
これは、あまりにもマズすぎます!!
ナマじゃないのにナマ臭いって、いったいどういうことでしょうか?
「ひず! ひずくらはい!(水! 水ください!)」
私がそう要望すると、アナスターシャが用意していた燃料水をくれました。
それをごくごくと飲むと、わずかに気分がマシになります。
ですが、口のなかの嫌な感じは取れませんでした。
「はぁ、はぁ……」
「ど、どうだった? ルルイエ」
「わざわざ聞かなくても反応でわかる気がするけどねぇ」
私は肩で息を繰り返しながら返します。
「これは……私にとって、ものすごくマズいです。つまり、このゴハンモドキの組み合わせは……」
「人間さんたちにとって、ものすごくおいしいはずってこと? やったじゃない、ルルイエ!」
「はい、やりました……。あとは、成型作業をがんばりましょう」
そうして最大の試練を乗り越えたので、そこから我々は成型作業に入りました。
工場ラインのすぐ近くにあるダクトの上を作業机代わりにして、全員でこねこねします。
今回の件を通して、ひとつ学んだことがあります。
それは、料理とは忍耐力を試すものだということです。
味見もそうですが、成型作業もまた難航を極めるものでした。
私たちは手を使うなら道具を用いてもいいというルールを敷いて、その上で旧式の3Dプリンターでゴハンモドキから型を抜いて組み立てを始めましたが、どうにもうまくいきません。
グニグニの物をうまく形作っていくというのはひじょうに大変です。
力が弱すぎると形にならず、力をこめすぎると指圧でへにゃへにゃになります。
パイ部分に至っては成型後に硬度を保つために高温空間で保存しましたが、ゴハンモドキの材質のせいもあり、ちょっと目を離した隙にどろどろに溶けてしまうアクシデントがありました。
着色も思ったよりも気を遣います。ムラがないように満遍なく塗らなければならないのですが、成型が済んだあとの作業なので、ここで失敗すると涙をのむことになります。
それでも徐々にコツを覚えて、私たちのアップルパイは徐々に完成に近づきました。
リテイクは、もう何度目だかわかりません。
さいわいなのは、成型に失敗したゴハンモドキは再利用されて、人間さんたちの食料生産ラインへと還っていくことでした。
栄養のある清潔な食用品であることに変わりはありませんし、過程がどうあれ最後に安全な食糧として人間さんたちの口に渡れば大丈夫なのです。
「なんとなく、失敗した料理を戻すのは倫理的に問題がある気はするけどねー」
チルチルは、ゴハンモドキの配管に戻される失敗物の山をみてそう言いました。
倫理というのは、チルチルの好む言葉のひとつです。それは結局、人間さんたちにもうまく定義できずじまいだった言葉だそうです。
私は、倫理の意味はそれとなく理解できているつもりです。
そのうえで、わたしは人間さんたちが料理の失敗品を口にしていることに気づかなければ問題ない気がするのです。
わたしがそう言うと、チルチルは呆れた顔を浮かべました。
「あんたって幼い顔してけっこう黒いわよね、ルルイエ……」
そうでしょうか? なんだか、あまり納得がいきません。
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