第9話 アップルパイが完成しました!

 グウィーーン、という機械音が室内に反響していました。

 今まさにオーブンレンジのなかで、ゴハンモドキを成型したアップルパイが熱されているのです。

 私とチルチルは膝を抱えて並んで座り、アップルパイの焼き上がりをただただ待っていました。


 場所は、地下工場から戻ってリビングです。

 丸一日かかった料理が終わり、成型が完成したアップルパイを大事にここまで運んできたのでした。


「あなたたち、まだオーブンをみてたの? そんなことしてないでお風呂でも入ってきたらいいのに」


 暖炉の前のお気に入りの椅子に腰かけて、アナスターシャがそう言います。

 アナスターシャはシャワーを浴びてきたらしく、髪を上にまとめてタオルでくるんでいました。

 寝巻の胸元から覗く谷間にはまだ水滴が浮いています。


「いやです、こうして観察しています」

「そんなにじっと眺めていたって焼き目がつくのがはやくなったりはしないのよ」


 それでも私たちはオーブンの前から離れませんでした。

 表面には少しずつ焦げ目ができているように見えます。

 成型と着色は設計通りに済みました。それでも、出来栄えは実際の焼き上がり具合を見なければわかりません。

 味は……おそらく大丈夫だとは思いますが、おそらくとしか言いようがありませんね。


「この美しい造形のアップルパイは、もはやゲイジツ作品だわ……」

「ええ、私もそう思います」

「これは……あたしたちの手で作り上げた作品よ! すばらしいわ!」


 チルチルがブルブルと身体を震わせます。 


「感動よ! あたしはゲイジツというのは人間さんにしかできないと思っていたけど、その気になればあたしたちにもできるのよ!」


 嬉しい誤算として、チルチルは料理に強い満足と達成感を覚えたようです。

 意外でした。

 普段、パントリーの掃除なんかは面倒くさがる子なので料理も文句をぶーたれるかと思っていましたが、最後の方は気持ちが折れそうな私を励ましてすらくれました。


 ところで、気分がいいのであえて触れませんが、チルチルは芸術という単語をうまく発音できないようですね。

 よく舌足らずと言われる私でも発音できるのに。

 これは今度なにかでマウントを取られたときのために覚えておきましょう。


「……どうでもいいけど、わたしの技巧を凝らした編み物が芸術だと思われていなくて、ゴハンモドキをこねるだけの料理は芸術だと思われているのが地味にショックだわ」


 アナスターシャはいかんともしがたい表情を浮かべて、途中で置いておいていた編み物に戻りました。


 ――芸術。

 それは難しい領域です。

 チルチルはたまにオリジナルの歌を歌っていますが、あれも芸術に含まれるのではないでしょうか?

 まあ、あれは無意識だそうなので指摘すると顔を真っ赤にして否定してくるのですが……

 私も、こうして人間さんの書くような文章を真似することが趣味です。ひょっとして、これも広い意味では芸術というのかもしれません。


 芸術といえばと、私は、壁にかかった一枚の絵に目をやります。

 そこに描かれているのは、ここ、パントリーのリビングです。

 パントリーのリビングにかけられた絵に、パントリーのリビングが描かれているのです。

 そして絵のなかのパントリーのリビングの壁にかけられたパントリーのリビングの絵のなかにも、どうやらパントリーのリビングが描かれているようです。

 つまり、これは無限ループを示唆しています。


 この絵のタイトルは「無期生命体」というそうです。

 命名は博士。描いたのも博士です。


 絵は、よく「味がある」とか表現されます。

 博士は、何色もあるクレヨンで絵を描くことを好みました。

 この絵を構成しているぼんやりとした太い線には、私はどこか味を感じます。

 私たちの味覚は人間さんとは真逆ですが、それが絵に対して感じる場合でも同じだとしたら、この絵を見た人間さんたちは、ひどい絵だと思うのでしょうか。

 それはだれにもわからないことです。きっと、実証もされないまま終わることでしょう。


 博士は自身の絵に対して、なんの感想も口にしませんでした。

 描きあげたあとで満足げに頷いて、そっとここの壁にかけました。

 もしかしたら、それが芸術なのかもしれません。


 ……そうだ。と、私は思い出します。


「……博士がくれた、私たちの第二の仕事についてですが」


 私はぽつりとつぶやきました。

 チルチルとアナスターシャが、きょとんとした顔でこちらを見ました。


「ふたりは、あれからなにか思いつきましたか?」


 チルチルは首を振りました。


「ぜんぜんよ。たまに考えてるけど、まったくいいのが思いつかないわ。アナスターシャは?」

「わたしもよ。せっかく博士が残してくれた仕事なのだから、いつも頭の片隅で考えてはいるのだけどね」

「やっぱり難しいわよねー。なんだか責任重大な感じもするし……でも、期限がないのが救いよね」


 チルチルはそう言いますが、私はそうは思いません。

 むしろ期限を設けてもらったほうが、みんながんばって取り組んだのではないかと思っています。

 まあ、そのあたりは私たちそれぞれの自由なので、焦りたいのなら私が勝手に焦ればよいのですが……


「仕える事」と書いて、仕事と読みます。

 私たちは、人間さんたちに仕えることが使命だと思っていました。

 でも、博士がくれた第二の仕事は、そうではないのです。


「……私は、じつは最近、これはどうかなというのを思いついたのです」

「えっ!」

「本当? ルルイエちゃん」


 私がそう告げると、ふたりはいちように驚いた顔を浮かべました。


「なになに? 教えて、ルルイエ! どんなのを思いついたの?」

「さっそく審議する必要があるわ。ほかのロッジの子も呼んできましょうか」


 さっそく動き出そうとする二人に、しかし私は首を振りました。


「ま、待ってください。まだ、これで正しいのかどうか、私のなかで確信が持てないのです」

「……確信もなにも、それは妥当性を審議したらいいんじゃないの? ひょっとしたらすごくいい案かもしれないじゃない」

「それでは困ります。いきなりみんなを集めて、それでびみょーな案を出してしまったら気まずいです」

「そんなことだれも気にしないわよ」

「私は気にするんですっ」


 見栄っ張りな性分なのかもしれませんが、少なくとも私という個体はそうなのです。

 きちんと自分のなかで検証してからでないと、べつの子たちに話したくありません。


「……もうちょっとだけ考えます。それで、大丈夫そうなら話します」

「いいから話してみなさいよ!」

「まあまあ、いいじゃないの、チルチル。べつにいつだって構わないじゃない。それこそ期限がないわけだし」

「それはそうだけど……でも、ぬか喜びさせられたのはムカつくわ。ルル、あんた絶対にいつか教えなさいよね!」


 そのとき、オーブンレンジがチンと音を鳴らしました。


「あっ、焼けたみたいよ!」

「まだ熱いから気をつけるのよ、チルチル」


 チルチルが飛ぶようにして向かい、オーブンの蓋を開けました。

 熱気がもわりと漏れ出てきて、薄い煙の向こう側から焼き目のついたアップルパイがあらわれました。


 これは……!


 なんだか、とてもいい出来栄えのように思えます。

 見た目だけでいえば、もう満点に近いのではないかと。

 ただの小麦色を超えて、もはや黄金色に輝いています。

 

「あらあら、想像していたよりもずっといい出来じゃない」


 アナスターシャの感想を聞いて、私はホッとします。

 私のアイモニターには、過度な愛着のせいで現実よりもよくうつっている可能性がありましたが、アナスターシャはそうした色眼鏡は持たないはずなので信用できます。


「カメラを取ってこないと! あたしたちの稀代のゲイジツ作品を外部メディアに記録する必要があるわ!」


 逆に色眼鏡が濃すぎて現実がみえていないチルチルは、どこかに走っていきました。

 カメラを取りに自室に向かったのでしょう。

 チルチルの持っているオールド・カメラは、元は博士が愛用していたアナログデバイスです。


 私たちはそれぞれ、博士の愛用品を受け継いだのです。

 ちなみに、私の場合は旧式のパッドモニターです。

 アナスターシャは、美容系の機器全般をもらっていました。


「よかったわね、ルルイエちゃん」


 アナスターシャがにっこりと笑いかけてきました。

 チルチルほどではないにせよ、無論、私も嬉しく思っています。


「アナスターシャ、協力してくれてありがとうございました」

「いいのよ。わたしたちは無期的に生き続けるのだもの。暇潰しはなんだって大歓迎よ」


 アナスターシャがアップルパイを可愛いお皿に移しました。

 無期的。

 その通り、私たちはウエイトレスは無期限に稼働し続けます。

 もちろん、なにかしらの事故や故障で存続が不可能になることは考えられますが、そうならない限りは、搭載しているナノマシンの自己修復機能によって、半永久的に稼働し続けます。


 ナノマシンとは、機械製の善玉ウイルスのようなものです。

 これは博士とはまた違う、べつの頭のいい人間さんが作った発明だそうです。

 人間さんふうにいうなら、私たちは不死ではないかもしれませんが、不老ではあるということです。 


「人間はウイルスで死に、きみたちはウイルスで生き続けるのだね。ははぁー、こいつはまさしく芸術的な対比じゃあないか」


 博士はそう言って笑っていました。

 私は、ちっとも笑えませんでした。

 どうして博士が人類の存亡問題に向かって笑っていられたのか、わたしは今でも理解できません。


 その日の夜、私とアナスターシャはアップルパイを崩さずに運べるように、ランチボックスのなかを厚紙で仕切る工作をしました。

 私は、不安を感じながら寝床に入りました。


 果たしてシキドさんは喜んでくれるのでしょうか?

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