第7話 アップルパイを作りたいのです。

 ある日のことでした。


「アップルパイを作ってみたいのですが」


 私がそう言うと、チルチルとアナスターシャはきょとんとした顔をしました。

 場所はリビングです。疑似暖炉の前で、みんなが各々の趣味に興じていました。


 チルチルは、とあるゲーマーの人間さんと対戦するために骨董品のレースゲームを練習していました。

 今日び、滅びゆく人間さんたちは仮想現実システムで架空の電子的日常を送るのが主流だというのに、わざわざアナログゲームをプレイするマニアックな人間さんと友達になったから、チルチルはこうしてピコピコしているのです。


 アナスターシャはというと、編み物をしていました。私とチルチルと、あとほかの部屋に住んでいる子たちにお手製のマフラーを配るつもりなのです。

 私たちは気温の変化に敏感です。博士がわざわざ気温に依存する感度センサーを人間さんたちと同じ基準で残したのです。

 だからアナスターシャは、こうして寒い時期になると新しく防寒具を編んでくれるのです。


「アップルパイ?」

「どうしてまた?」


 チルチルとアナスターシャが、同時にそう聞いてきました。

 私は説明します。


「私が配達している人間さんが、日に日に元気がなくなっているのです。その人間さんは林檎が好きな方なので、代表的な林檎料理であるアップルパイをぜひ食べてもらいたいのです」

「ああ、例の町はずれの家のおばあさんね。仲が良いのね、ルルイエちゃん」

「その人間さんに頼まれたの?」

「そういうわけではありません。でも、それがためになるような気がするのです」


 有期的な生き物である人間さんたちの例に洩れず、シキドさんにもいずれ、お迎えのときが来ます。

 シキドさんの声は、徐々に覇気がなくなっていっています。たぶん、お迎えはそう遠い話ではありません。

 私は、つらい現実を直視して、それでもできることをしてあげることが大切だと思うのです。

 ちなみに、私がこの提案をしたのは、以前アナスターシャがたい焼きを作ったときのことを思い出したからです。


「それは……あまり、おすすめしないかもしれないわ」


 アナスターシャが複雑な表情で言います。

 自分が以前失敗したことを気にしているのでしょうか。


「大丈夫です。私は、アナスターシャのようなミスはおかしません」

「い、言ってくれるじゃないの、ルルイエちゃん……」


 ぐぬぬ、と珍しくアナスターシャが口元を歪めます。


「でも、問題があるわ。あれから調べたでしょう? どうしてわたしが失敗してしまったのか」

「はい。それは、私たちの味覚センサーが人間さんたちと異なるという例の話ですよね?」


 アナスターシャのたい焼きは、ひとつの謎を私たちに残しました。

 というのも、アナスターシャはきちんと味見をしていたからです。

 アナスターシャは、ちゃんと自分が美味だと感じたものを渡したのに、人間さんにとっては最悪の味だったわけです。

 これは、ちょっとしたミステリーです。


 私たちはがんばって原因を調べました。

 その結果わかったことは、私たちウエイトレスの舌が持つ味覚センサー……つまり、人間さんでいう味蕾の部分の受容感覚がまるで異なるということでした。


 人間さんたちは、生存に必要なエネルギーを経口摂取します。

 味覚というのは、人間さんたち有機生命体が高度に成長する過程で複雑化した機能だと言われています。

 つまり毒ならばマズく、栄養価の高いものならおいしく感じるような指向性を持って進化してきたわけです。


 博士は、私たちを可能な限り人間さんたちに近い形で機能設計してくださいました。

 なので私たちが経口的にエネルギーを摂取する際には、人間さんたちと同様においしいとかマズいとか感じるようにできています。

 あくまで機能的には、私たちはパントリーの屋根から送信される電子エネルギーを分解して動くこともできますが、それは博士が推奨しませんでした。

 なので、私たちも食事はしています。メインとなるのは燃料シャーベットです。時間をかけて大切に作っているので、とてもおいしいです。


 問題は、私たちウエイトレスにとって、それがよいエネルギーかどうかの基準が人間さんとは異なるということでしょう。


 つまり……


「私たちがおいしく感じるものは、人間さんたちにとってはマズく……」

「逆に、私たちがマズく感じるものは人間さんたちにとっておいしい可能性がある」

「まったく、困ったジレンマよね! 完全に一致していたら楽だったのに」


 そういうことです。

 これは長らく私たちも気づかなかった事実です。

 博士はご自身で食べるものは直々に調味していましたし、人間さんたちが食べるランチボックスには、私たちは手をつけたことがなかったので。


「さて、どうしたものかしらね」

「ルルイエ、アップルパイってどんな見た目だったっけ?」


 場所は替わって地下工場です。

 ふたりは私のアップルパイ作りに協力してくれるそうで、いっしょに来ています。

 ゴウンゴウンと機械が唸っていました。半透明をした青い液体がパイプを通っているのがみえます。あれは栄養剤でしょうか。

 

「アップルパイとは、平たい籠のような形状をしたものです。編み目模様が特徴的なお菓子ですね」


 私は博士が愛用していた旧式のパッドモニターでアップルパイを映し出します。

 なかなか可愛い感じのデザインだと私は思うのですが、どうでしょうか。これもインテリアにしていいかもしれません。

 ちなみにアップルパイのことは、たい焼きと違って、みんな初めから存在を知っていました。

 昔の人間さんたちの作った娯楽映像なんかにたまに出てくるのです。きっとたい焼きよりも有名なお菓子だったのでしょう。


「アナスターシャ。あなたはたい焼きを作成するとき、どのようにして作ったのですか?」

「大変だけど単純な方法よ。人間さんたちが普段食べているご飯が成型される前の塊をがんばってこねていたの」


 アナスターシャが、完全無菌の工場全体を見渡して言います。

 とても広い食品工場です。私の背丈ではとてもじゃないですが全体を見通すことはできません。

 すぐ傍のベルトコンベアでは、私たちが普段届けているランチボックスに入れる品目が運ばれていきます。ゴール地点できれいにランチボックスに収まるのでしょう。


「まあ、説明するよりも実際に見てもらったほうが早いわね」


 アナスターシャが手前の機械のスイッチを押しました。

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