第3話 チルチルがゲームをしています。
私はクデンの町の西側を歩き続けました。
石だたみの古風な町並みに火山灰が降り注いでいます。
灰を集めて取り除くお掃除ロボットが一生懸命に働いています。
「ご苦労さまです」
すれ違うときにお辞儀をしましたが、彼らは反応しませんでした。
彼らは自律型の思考を持つようにプログラムされていないので当然です。
ウエイトレスのなかには、彼らのようなロボットを下等な存在としてバカにする子もいますが、私はそういう話を耳にすると気分が悪くなります。
私は、自分が自律型の思考プロトコルを有しているからといって、自分が偉いとは思いません。偉いとしたら、それは私たちを作った博士です。
壊れた塀の向こうに、クデンの丘がみえました。
あれが火山で土が死ぬ前はりんごの木がたくさんあったという丘です。
シキドさんは七十代のおばあさんです。ウイルスが発生するずっと前から、このクデンの町を見て育ってきた人です。
ひょっとしたら、幼いころはりんごの木に登ったりして遊んでいたのかもしれません。
私はそういう話をもっと聞きたいと思いますが、シキドさんはあまり話してくれません。
人間さんにはいろいろなタイプの人がいます。
私がパントリーの食事を届ける人間さんだけでいっても、同じことを話す人はひとりもいません。
たとえば、
「食事よりも、ただ君との会話の時間が待ち遠しいよ。さて前の続きを話そうか。あれはぼくが二十八の頃だったな。あの当時、ぼくは妻と出会ったばかりで」
自分の生い立ちをすべて私に聞かせてくれるクラマさん。
「飯だけ置いてとっとと失せろ、このニンゲンモドキが!」
ロボット全般がとっても嫌いなココノキのおじいさん。
「……俺の話なんかどうでもいいからさ。君や、君の友達の話を聞かせてよ」
自分の話をするよりも、私やチルチルやアナスターシャの話を聞くことを好む、名前も年齢も不詳の男性。
「ハァハァ。ルルイエたん、そこの搬出口に手を伸ばしてくれるかい? ああルルイエたんハァハァ大丈夫だよ、何もしないからハァハァァ」
私の超軟質樹脂製の肌に異常なこだわりと興奮を見せるタナカさん。
シキドさんは、日によって話が変わる気分屋さんです。
去年、息子さんを亡くしたあとは三ヵ月ほど何も話さなくなってしまって心配でしたが、徐々に口数が戻ってきています。
とくに、きょうはけっこう話してくれました。
どうやらシキドさんはりんごがお好きのようです。話すときのトーンでわかりました。
シキドさんは厳しい人ではありません。私が悲しくなることを言ってきたときは、次のときに謝ってくれることも多いです。
だからきっと、私が過度に落ち込む必要はないのです。
クデンの町を抜けると、舗装された一本の坂道に出ます。
がんばって登ると、いずれみょうちきりんな形をしたお屋敷が見えてきます。
どんよりとした灰色の空の下にある、その大きな屋敷が私たちの家、パントリーです。
これで今週の分の仕事は終わりです。ああ、疲れました。
まずはお風呂に入って頭に積もった火山灰でも流すことにしましょう。
そしてそれが終わったら、りんごについて調べてみるつもりです。
*
「チルチル、アナスターシャがどこにいるか知りませんか」
お風呂から上がったあと、私はリビングで遊んでいるチルチルにたずねました。
赤いミディアムヘアと吊り目が特徴的なチルチルが、テレビゲームから目を離さずに答えます。
「どこって、自分の部屋じゃないの?」
「みてみましたが、いませんでした」
「だったら仕事に出ているとか」
「冷蔵庫のシフト表を見ました。今日はアナスターシャはおやすみのはずです」
「なら知らないわ。それより、ちょっとあとにしてもらえる? いま集中してるから」
「困ります。緊急の用なんです」
私は格闘ゲームなどという野蛮な遊びをしているチルチルの肩をグラグラと揺らします。
「ねえねえチルチル、いっしょに探してください」
「あーっ、やめて、揺らさないで! 負けちゃうでしょ!」
「お願いします。かわいい妹がこう言ってるのですから聞いてください」
「あ! ほら、コンボミスった! カウンター取られたじゃない! って、あーもう!」
画面に大きくLOSEと表示されます。
チルチルの見た目を模したオリジナルアバターの女性格闘家が、屈強な半裸の男性に負かされて洪水のような涙を流していました。泣きすぎです。
「ルルイエのばか! あんたのせいで負けちゃったじゃない!」
ぎらりと八重歯を光らせて、チルチルがプリプリ怒ります。
でもこわくありません。
チルチルはゲームではよく他人を殴ったり手から出るビームで吹き飛ばしたりしていますが、リアルではけして手を上げないタイプであることを私は知っています。
「それはそれは、どうもごめんなさい」
「せっかく人間さんと対戦してたのに! たっぷり修行したからきょうは絶対に負けないって豪語しちゃったのよ!」
「わざとじゃないんですよ」
「それは無理があるわよ!」
「うーん、まったくアイムソーリーです」
「あんた謝る気ないでしょ!」
そのとおり、謝る気はありません。
先日、チルチルが私の燃料アイスクリームを盗み食いしたのでその仕返しのつもりでした。
当人はバレていないつもりのようですが、スパイが教えてくれたのです。
でもまあ、これでプラマイゼロです。加算減算は私たちの基本思考ですから、ゼロサムになったらあとはさっぱり水に流します。
「で、アナスターシャになんの用なのよ? ルルイエ」
ゲームをスリープモードにしてチルチルが言います。
「地下書庫に行きたいのですが、あそこの鍵はアナスターシャが持っていたので」
「地下書庫に急ぎの用って、いったいなによ?」
「じつはわけあってりんごに興味を持ったので、りんごにまつわる本でも読もうかと」
「それのどこが緊急なのよ!」
「緊急というのはただのうそです。でもはやく知りたいのは事実です」
いちど知りたいと思うとウズウズして止みません。それがわたしの個性プログラムなのです。
突然ですが、私の趣味は読書です。
それも情報媒体からインストールするのではなく、アナログ手法で情報を採ることを好みます。
つまり、古き良き方法である、本をめくるという行為で読書をするのです。
私たちはみな、それぞれアナログ的な趣味趣向を所有しています。
これは博士がそうなるように設計したのではなく、どうやら我々に組み込まれた人間性保持のシーケンスプログラムが不本意に影響しているようです。
ちなみに、博士はこの事実から逆説的に、人間さんと一部のデジタル製品の非親和性が証明できそうだと言って、長い論文を残そうとしていました。
チルチルが腕を組んで言います。
「にしたって、なんでいきなりりんごなわけ?」
「それは今日、人間さんにりんごの話を聞いたからです」
私はリビングの机にある、かちこちのりんごを手に取ります。よくできたレプリカなので、本で見るりんごと大差ありません。
他にもレモンやバナナの模型があります。どれも可愛いデザインです。
あらためてみると果物というのはどれも不思議なフォルムをしているものですね。
「知っていますか? チルチル。昔はりんごさえ毎日食べていればお医者さんがいらなかったそうですよ」
「ふーん。そうなの」
チルチルはあまり興味がないようでした。
「ま、今となっては健康でも不健康でも、お医者にかかろうって人間さんはいないけどね。そもそも、たぶんもうお医者ってこの世にいないし」
「……チルチル、シキドさんと同じようなことを言いますね」
「シキドさんっていうのは、ルルイエの担当区画の人間さん?」
「そうです。去年息子夫婦を亡くして、おひとりになったおばあさんです」
シキドさんの顔はみたことがありません。
私がシキドさんについて思い出せるのは、あのしゃがれた声だけです。
「……そっか。また、人間さんが減っちゃうのかしら」
チルチルがそう、つぶやくように言いました。
急にひとりになった人間さんは、遠くないうちに亡くなってしまうことが統計的に多いためです。
すこしだけ重たい雰囲気がリビングを包みます。
私たちの仕事は、人間さんたちに食事を届けることです。
博士に言いつけられてからずっと継続してきた仕事だからわかりますが、毎年、着実に食事を届ける家は減っています。
確定的な事実として、いずれ人間さんたちはいなくなります。
そうしたら、私たちはどうするべきなのでしょうか?
仕事がなくなってしまいます。
いえ、厳密にはひとつ残されているのですが、でも、大きな仕事はなくなります。
「……って、暗い雰囲気はダメよ、ルルイエ!」
「そ、そうですね。元気を出さないと」
「とにかくアナスターシャを探しましょう」
チルチルがすっくと立ちあがりました。
「仕事でもない。自室でもない。となると、ほかの子たちのロッジにでも遊びに行ってるのかしら?」
「それもどうでしょう。前にチルチルが生意気なことを言ってからというもの、ほかのグループとはちょっと折り合いが悪いじゃないですか」
「あれはあたしは悪くないわ! あの子たちがお掃除ロボットのことを差別的に言うのが悪いのよ!」
「チルチルが悪くないのはわかっていますよ」
チルチルは熱意のあるロボ権派です。すべての無機生命体には基本的ロボ権が保証されるべきだと考えているのです。
私はそこまで活動的になれませんが、お掃除ロボットを悪く言うのは賛同できないので、今回の件は全面的に擁護しています。
「外に行くわよ、ルルイエ。アナスターシャってお姉さんぶってるわりに案外抜けているから、きっと散歩していて迷子にでもなったのよ!」
チルチルがぐっとガッツポーズを取りました。
同時に、そのすぐ後ろの扉が開きました。
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