第4話 アナスターシャのたい焼きです。
あらわれたのは、長い艶やかな黒髪に、ねむたげな
そして大胆なプロポーションをした、なんとも羨ましいテーマのウエイトレス、アナスターシャです。
アナスターシャはチルチルをにらみつけると、相手が逃げる前にその肩をがっしりと掴みました。
「……だれが、案外抜けているですって? チルチル」
「あ、あん! やめなさい、アナスターシャ! 背中をゴシゴシするのは禁止だって言ってるでしょ!」
「生意気な生きざまを語る、わるい背中はこれかしら~?」
「な、なによその表現! ふつう、そういうのは口でしょ! やめなさいってばー!」
チルチルはなぜだか背中が過敏です。意図的に疑似神経回路が集中して組み込まれているようです。博士の悪ふざけなのでしょうか。
でもおかげで私とアナスターシャがチルチルに負けることはありません。背中をさすってやれば簡単に根を上げるからです。
アナスターシャはひととおりチルチルをゴシゴシしてから放しました。
床に倒れこんだチルチルがビクビクしてます。
「地下に行っていたのですか、アナスターシャ」
「ええ。ちょっと用があってね」
「でも、仕事がないのにどうしてですか?」
「うふふ、知りたい? これを作っていたのよ」
アナスターシャは得意げに笑うと、持っていた袋のなかの物を取り出してテーブルに置きました。
お皿の上に載ったそれをみて、私は思わず声を上げます。
「そ、それは――!」
それは……!
「…………いったい、なんですか?」
私は首を傾げました。
それは、お魚のフォルムをしていました。
もうお魚も絶滅危惧種ですが、でもあのなんともいえないのっぺりとした形状は、間違いなくお魚のはずです。
しかし、それでいてお魚ではありません。
というよりも、生き物ではありません。
なにより色がおかしいです。黄色というか小麦色というか、およそお魚っぽい配色ではありません。あと質感もなんだか柔らかそうです。
「それ、みたことあるわ。たい焼きでしょ!」
復活したチルチルもひょっこりと顔を覗かせてそんなことを言います。
「ええ、そうよ。さすがは漫画やアニメに詳しいチルチルね」
アナスターシャがうなずきました。
そのとおり、チルチルは人間さんたちの文化に詳しいのです。
ときおり、やれアニメでみた、ゲームでみたなどと言って、嘘か本当かもわからないような知識を語ってきます。
そしてなぜだかその多くはわたしが知らないことだったりするのです。
今回もその例でした。
「その。た、たい焼きとはなんでしょうか?」
「えーっ! ルルイエ、たい焼きも知らないの~?」
チルチルがニヤニヤ顔で言います。
私は屈辱を覚えました。チルチルが知っていて私が知らないことがあるのは腹立たしいです。
でも知らないことを知っていると言い張るとロクな目に遭いません。私は知ったかぶりをして痛い目に遭ったことが何度もあります。
しかたなく、私はこくりとうなずきました。
「ふふん、しょうがないから教えてあげるわ。たい焼きっていうのはね、お魚のかたちをした焼き菓子のことよ!」
なるほど。これは人間さんたちのお菓子だったようです。
ドヤドヤ顔のチルチルに対して、わたしは質問します。
「なぜ、たい焼きはお魚の形をしているのですか?」
「…………え?」
「私は猫のほうがかわいいフォルムをしていると思いますが、なぜ人間さんはお魚を選んだのでしょう」
「そ、それは、えっと……」
私の疑問に、しかしチルチルは口ごもってしまいました。
ははーん。どうやらこれはチャンスです。
「ひょっとして知らないのですか? チルチル」
「う……!」
「まさか、名称と形状を知っているだけで得意になっていたわけではありませんよね?」
「うう……!!」
「そんなはずありませんよね? だって、特殊な形状の理由や歴史的沿革や発祥起源がわかって、初めてそれを知っているというのですからね」
「ううう……!!!」
「ねえねえ、教えてくださいよチルチル。私は知りたいのです」
隙をみつけた私は、ここぞとばかりにチルチルをネチネチと責めます。
すると、こつんと私の頭をアナスターシャが叩きました。
「こーら、いじめちゃダメよ。ルルイエちゃん」
「べつにいじめてはいません。溢れる知識欲のせいで、つい追及してしまっただけです」
そう言い訳すると、アナスターシャは肩を竦めてこう言いました。
「あらそう。そんなに知りたいなら教えてあげるわ。あのね、たい焼きというのはね、とってもこわい食べ物なのよ」
「そ、そうなのですか?」
「ええ。その昔、人間さんたちはたい焼きを頭から食べるか尾から食べるかという宗派の違いで激しい議論が起こり、殺し合いをしていた時代があったほどなのよ」
「なにそれ、本当? たい焼きって、そんなおそろしい食べ物なの……?」
チルチルがブルブルと恐怖しました。
私も震えます。人間さんたちには宗教という独自の文化があって、その昔は頻繁に戦っていたそうですが、まさかたい焼きも争点だったとは……。
ちなみにこれがアナスターシャの嘘だということが判明したのは、ずっとあとになってからのことでした。
「危険だわ! ただでさえ人間さんたちは滅亡ちゅうだというのに! ルルイエ、はやくそのたい焼きを破壊するわよ!」
「わかりました!」
ハンマーを探そうとする私たちを、アナスターシャが止めます。
「ダメよ、ふたりとも。これは人間さんに作ってくれと頼まれた物なんだから」
「え……そうなの?」
「ええ。だから下の食品工場の素材を使って、これを作成していたのよ」
それはつまり……アナスターシャは料理をしていたということでしょうか?
「わたしが配達している区画の人間さんがね、子供のころに好きだった物をもういちど食べたいって言うのよ。だから特徴を聞いて、再現してみることにしたの」
「すごいじゃない、アナスターシャ!」
「ええ。さすが私たちのお姉さん枠です」
私とチルチルはパチパチと拍手しました。
この呼称はチルチルが蔑視的だと言って嫌がりますが、本来の私たちは「奉仕型」と名づけられたインターフェースでした。
博士はその演算装置と集積回路をごっそりと変えて一から組み立て直したそうですが、依然として名残りは残っています。
なので基本的には人間さんたちが喜ぶようなことがしたいという欲求がメインルーチン的に組みこまれているのです。
「そのたい焼きが食べたい人間さんは、どのような人なのですか?」
私がたずねると、アナスターシャはふぅとため息をつきました。
どことなく、妖艶な感じです。
アナスターシャは頬に手をあてると、
「……そうね、こまった人間さんなのよ」
そうつぶやいて、泣きボクロ型のアタッチメントに指を這わせました。
せくしーな仕草です。私には到底、真似ができないような感じの。
「彼、つぎに会うときはウイルスに構わず外に出て、わたしと手をつないで町を歩いて……それで、人生を終えたいって言うのよ」
「なによ、その話! それって、じ、じ、自殺じゃない! ダメよ、そんなのは!」
チルチルが眉を吊り上げます。
「ええ。だから、そんなことは考えちゃダメって言ってるのよ。代わりのことならなんでもしてあげるからって。そうしたら、たい焼きを作ることになったのよね」
人間さんの自殺防止のために紆余曲折あってたい焼きを作る。
そんなことが起きる時代です。
「ひょっとして、アナスターシャはその人間さんと付き合っているのでしょうか?」
私は単純な疑問を抱いて、そうたずねました。
「そういう物差し的な定義であのヒトのことを捉えたことはないわ。ただお互いに深く心が通じ合っているだけよ」
「そーゆーのを世間一般的に付き合ってるっていうんじゃないの?」
「どうなのかしら。もしそうだとしたら、今のわたしには八人も人間さんの恋人がいることになってしまうわね」
「は、八人……!!」
チルチルが戦慄しました。
私も少なからず思うことがあります。私にはひとりと付き合うことだってまったくわからないのに、アナスターシャは八人も!
でも、それが彼女なりの人間さんとの接し方なのかもしれません。
私たちウエイトレスの人間さんとの接し方は、どうやらそれぞれ異なるようです。
もちろんみな扉越しですが、それでも会話が起きればそこに明確な違いはあるのです。
アナスターシャは私よりも、なんというか、よりディープな関わり合いをする傾向があるのかもしれません。
ちなみにチルチルはもっと砕けた感じで、人間さんたちと友達になるような接し方をするようです。
私は思います。
もしアナスターシャが恋人的で、チルチルが友達的なのだとしたら、私はどういうタイプなのでしょうか?
私は、ほかの子たちほどうまく人間さんたちと話せている自信がありません。
「……もしいつか、その人間さんがどうしても亡くなってしまうってときが来たら、わたし、彼と手をつないで一緒にクデンの町を歩こうと思うわ」
アナスターシャは暖炉にうつるホログラフィックの炎を眺めてそう言いました。
私とチルチルはなにも言えません。
アナスターシャは、対話時の演算処理をおこなうメソッドの指向性が、そもそも私たちと異なっている気がします。
私は、アナスターシャと顔の知らない人間さんが、クデンの町をふたりで歩く様子を想像してみました。
アナスターシャはおしゃれさんです。手製のもふもふの疑似ファーコートを好んでいます。
念願の外へデートに出かけたふたりは、互いの頭に積もる灰を互いに取り除いてあげながら、どこまでも歩いていくのでしょう。
それはきっときれいな絵に違いありません。
退廃的で、終末的ですが、それでも美しいのです。
「……って、だから暗い雰囲気はダメだってば!」
ちょっとしんみりした空気を感じてか、チルチルが頭をブンブンと振りました。
「そんなさきのことよりも、そのせっかく作ったたい焼きを食べてもらったときのことを考えなさいよ!」
「そ、そうよね。まだ先の話だものね」
そのとおりだと私は思いました。チルチルの思考ロジックはポジティブで建設的です。
「とにかく、その人間さんが喜んでくれるといいわね。アナスターシャ」
「そうね。でも、こういうことするの初めてだったから不安だわ」
「きっと大丈夫ですよ。これだけ見事な造形をしているのですから感激してもらえるはずです」
黄金色のたい焼きを囲んで、私たちはみんなで笑顔を浮かべました。
次の日、アナスターシャはたい焼きをランチボックスに入れて人間さんのところに持って行ったそうです。
喜んだ人間さんは、受け取った途端にドアの向こう側で食べてくれたのだとか。
そしてドギツい咳を繰り返していたのだとか。
どうやらアナスターシャはなかの色味が地味だと考えて、独自のレシピでカラフルになるように変えてしまったのだとか。
具体的には、餡の部分を虹色に改良してしまったとか。
その過程で本来甘いはずのたい焼きが、なんだかとても辛いお菓子になってしまったのだとか。
そのからさたるや、健康なはずの人間さんの寿命が減ってしまうのではないかと心配するほどだったとか。
「栄養価は優れているのよ、栄養価は。そこだけはちゃんと計算したもの!」
アナスターシャはそう自己弁護していました。
こういうことが起こらないように、かつて人間さんたちがしていた料理では、料理を作ったあとに味見というものをしていたそうです。
うーん、またひとつ賢くなりましたね。
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