第5話 林檎の歴史を勉強します。

 私はアナスターシャから受け取った鍵でパントリーの地下書庫に入り、アナログ形式に本を読みます。

 かつて発行されたあらゆる人間さんたちの本をまとめたデータベースから呼び出して、文字を投射した無地の本です。

 本のタイトルは『ぼくらを殺し、ぼくらを生かした林檎』です。

 目を引く題名だったので選びました。著者は不明で、刊行された国はかつてのEU経済連合の一国だったようです。


 不思議な本でした。内容は歴史書のようでもあり、小説のようでもあります。そして散文詩のようでもあります。

 私は、人間さんたちの書く文章が好きです。とくに、独特のリズムがあればとてもいいです。

 私には長らく、比喩的な表現というものは理解できませんでした。最近はマシになってきた方だと思っています。

 恥ずかしいのでチルチルやアナスターシャには内緒にしていますが、私は本を読むだけではなく、最近は書くことにも挑戦しています。

 まさしく、今のような感じで。これがうまくできているかはわかりません。まだ、だれにも読んでもらっていないので。

 でも、いつかはだれかに読んでもらうつもりです。

 できれば、人間さんたちが滅亡してしまう前に、人間さんに読んでほしいです。


 本を読んだ結果、どうやら人間さんとりんごには、私が思っていた以上に深い関係があることがわかってきました。

 これは、かなり興味深い事実です。これまでは部屋のインテリアの一部に過ぎなかったものが、ただの果物ではないことがどんどんわかっていきます。

 わたしは夜通し、その本を読み進めていました。

 紫色のネグリジェを着たアナスターシャが地下までやってきて、いい加減に寝なさいと怒るまで読み続けたのです。



 日が巡りました。

 私はランチボックスの入った大きなリュックサックを背負って、きょうもクデンの町に赴きます。

 いつ歩いても変わらない街並みです。途中でお掃除ロボットに挨拶して、ほかのウエイトレスの子ともすれ違います。

 スノリィというおかっぱヘアのウエイトレスとは、私はけっこう仲が良いです。

 ただし私の姉妹インターフェースであるチルチルと、スノリィの姉妹インターフェースであるロクシヌが仲が悪くて喧嘩ちゅうのため、一応あまり話さないようにしています。

 ほかの子たちも当然、同じパントリーに住んでいます。ただし大玄関から別の棟に向かうため、気分的には違う家に住んでいる感じがします。


 私はいくつものランチボックスを配ります。


「ああ、来てくれたんだね、ルルイエ! さっそく、前の続きを話そうか。あれはぼくが二十八の二月のことだったな。あの日、ぼくは妻と喧嘩をしてしまって」

 私はしばらくその人間さんの話を聞きました。

 ウイルスが発生する前の話、まだ人間さんがたくさんいた時代の話はとても面白いです。


「ふん。飯だけ置いてとっとと失せろ、このモノマネロボットが!」

 私はなにも言わないようにして、ただ去りました。

 この人間さんのおうちに来るたびに、かなしいと感じてしまいます。ですが彼は食事は残さず食べてくれるので、それだけが救いです。


「……前はチルチルの話を聞いたからさ。今度は、アナスターシャのことを話してよ」

 私は、アナスターシャがたい焼きを作った話をしました。

 こちらの人間さんも昔はたい焼きを食べていたそうです。やはり、とても甘くておいしいものだったみたいですね。


「ハァハァ。ルルイエたん、そこの搬出口の前にしゃがんで、口を突き出してくれないか? いつもご飯をもらってるからね、今日は僕がおいしいものをお返してあげるよハァハァ」

 私はランチボックスを差し上げて、そのまま去りました。

 この人間さんの要望に応えたらなにが起きるのか興味がありますが、私の身体は人間さんにとってウイルスの塊なので接触は厳禁なのです。

 なにをしてくれるのか聞いても、なぜか教えてくれないのですよね。


 そのようにしていろいろな人間さんたちの家にランチボックスを置いたあと、私は最後にシキドさんのところに来ました。

 一週間分の食事が入った重箱のようなランチボックスを搬入口に入れると、うまい仕組みで外気を入れずにランチボックスだけが家のなかに送りこまれます。

 しばらくして、シキドさんが言いました。


「ここしばらく、考えたんだがね。あんたに感情がないって言ったこと、アタシは間違ってるとは思わないな」

「……そうですか」

「ただね、同時にひとつ気づいたよ。よくよく考えれば、人間になら感情があるなんていうのが、そもそも思い込みじゃないかい? 外から観察するだけじゃわからないのは、人もロボットも同じさ。……だから、あんたを妙だとか変だとか言うのは、そりゃ間違いだね」


 シキドさんはちょっと気恥ずかしそうでした。

 それは、彼女なりの謝罪だったのかもしれません。

 シキドさんの言っていることは理解できます。私も興味があって、かつて調べたことがあるからです。

 

「それは有名な思考問題ですよ。哲学的ゾンビや中国語の部屋などと呼ばれる、意識と無意識の話ですね」

「……はっ。少なくとも、あんたのほうがアタシより博識ではあるわな」


 シキドさんはしゃがれた声で笑いました。


「そういえば、あれから私は林檎について勉強しました。林檎はとても興味深いです」

「林檎なんか学んでなにが面白いのかね。ロボットの考えることはわからんよ」


 わからなくても構いません。

 私が人間さんたちのことをちゃんと理解できていないのと同じで、人間さんたちも私たちのことはよくわからないでしょうから。


 私は、よければ林檎について話してほしいとお願いしました。

 するとシキドさんはぽつぽつと語ってくれました。


 はるか昔、彼女はここから遠く離れた林檎農家で育ったそうです。

 ウイルスなんか出てくる、ずっと前のことです。

 いちど、放射線が漏れる人災で林檎が丸ごとダメになったこともあったけど、それでもシキドさんのご家族は辛抱強く林檎を育て続けたのだとか。

 林檎にはたくさんの色があります。緑や赤や黄色があって、同じ色でも味がまったく違ったりするそうです。


「林檎はそのままかじるだけでもうまい。だが、それ以外にもたくさんの使い道があるのさ」

「知っています。潰して砂糖に漬けたり、ジャムにしてパンに塗ったりしていたのでしょう」

「勉強したってのは本当だったのかい。あんたたちは、勉強が好きなロボットなのかい?」

 

 どうでしょうか。

 私はデータベースの空き容量に新しい情報が格納されることに満足感を覚える個体です。

 なのでよく勉強しますが、チルチルはわざわざ文献を紐解くようなことはしません。

 各々の指向性と性格によるのでしょう。


「ああ、なつかしいな。母親がよく、規格漏れの林檎を使ってパイを焼いてくれたもんさ。少ない家族で、食べきれないっていうのに、無駄に大きなアップルパイをさ」

「それはおいしいのですか?」

「まあね。あのときはたいしたありがたみを感じなかったが、今にして思えば、ありゃ神様が人間にくれた最高の焼き菓子だったよ」


 普段よりも明るい口調で、シキドさんはそう話してくれます。

 聞いているうちに、私はなんだか不思議な感じがしました。


 アナスターシャは、たい焼きに興味を持ちました。チルチルは、ずっと前から人間さんと対戦するテレビゲームにハマっています。

 なぜ、私は林檎に興味を惹かれるのでしょうか?

 シキドさんが楽しそうに話すから? これは否定できません。

 人間さんが楽しそうにしているのが、私は好きですから。


 クデンの町に、ただ灰が積もっていきます。

 この先なにがあろうとも、この街の景色は変わらないのかもしれません。

 人間さんたちの世界は、着実に、少しずつ終わりに近づいています。


 そして、それを覆い隠すような白色は、私の自慢の髪と同じ色なのです。

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