第2話 博士との初めての会話です。
もう、ずいぶんと前のことです。
まだ私が起動したばかりのころ――というよりも、動き出したほとんど直後に――博士がこう言いました。
「われわれ人類の時代は、もう終わったんだよ」
滅亡の工程はすでに取り返しのつかないところまできていて、博士たちのような有機生命体は、もはや地上から消え去るしかないのだと。
「そうなのですか?」
「ふふん。証拠をみせてあげようか?」
歯並びのいい口元にニヤリと笑みをたたえて、博士はとある指数関数グラフをみせてくれました。
今にして思えば、名乗りすらしないで、いきなり人類が確実に滅ぶことの証明を私に見せてきたというのだから、なんとも博士らしいですね。
とにかく、私は旧式のパッドモニターに映る複雑な数式に目を落としました。
条件式がひじょうに多いです。しかもいくつかのレイヤーに分かれていますが、前提となっている仮定項目はどれも正しいと信じるほかありません。
わたしは計算が間違っていないか簡単に試算しました。
なるほど。人類は滅びます。
「こっちのすごい曲線が人類の総数を表しているわけさ」
「そんなの、みればわかりますよ」
「うひょー! さすがのインテリジェンスだ。起動直後にも関わらず、このグラフをアイモニター越しに正確に解析するとは! しかも舌足らずな幼女ときた! まさに私が理想とするモデルそのものだな!」
博士がきゅうに興奮しました。
たぶん変なひとなのだろうな、とそのときの私は考えました。
まあ実際、最後まで変なひとでしたね。
「いいかね、ルルイエくん。今からこの私が、きみが生まれてきた意味、そしてきみのこれからの仕事を説明しよう」
博士はそうして歴史の講義をはじめてくれました。
博士は様々な常識を、あえて私たちの記憶領域に組み込まなかったのです。
話を聞いて学習していく過程で心が育まれるのだ、と言っていました。
博士によると、人間さんたちの滅亡が確定してから、もう十年も経ったそうです。
直接的な原因はウイルスだったようです。
人間さんたちが対処できない、悪質なウイルスが大気ちゅうにたくさん出てきてしまったのだとか。
それは今もこの世界を包んでいます。加速度的に増えていくウイルスの数は、皮肉なことに加速度的に減っていく人間さんの数と、ちょうど反比例するかたちだとか。
だから、人間さんたちはもう家を出ることができません。
一切、外出が禁止です。もし今、家のなかで生まれる人間さんがいたら、死ぬまで家のなかです。
徹底的に外的環境をシャットアウトしたシェルターのなかでしか、もはや人間さんたちは生活できないのです。
人間さんたちはものすごい技術を持っています。
発明と開発という二本柱によって、人間さんたちは何千年もの間、他の有機生命体の追随を許していなかったのです。
それでも、ウイルスには負けてしまいました。
ウイルスに負ける直前まで、人間さんたちは、自分たちの未来の敵は高度な頭脳を持つようになった無機生命体の暴走だとか予測していたそうですが、普通に目にみえない核酸のせいだったわけでした。
人間さんたちにとって泣きっ面に蜂だったのは、それと同時期に世界各地で大災害が起きたことでしょう。
たとえばここ、クデンの町がある座標の近隣では、何千年も眠っていた活火山が噴火しました。
クデンそのものは高地なので助かりましたが、丘よりも下の座標とか、もっと遠く離れた都会は全部マグマでグツグツに煮えたぎってしまったそうです。
ほかにも世界各地で大地震と津波が併発、乱発したようです。
人間さんたちが滅亡するための要因ってたくさんあるのだな、と私は思いました。
むしろこれまで、よくぞ生き延びてきたものです。
今、クデンの町にはたくさんの火山灰が積もっています。
まだ呻いているゴッドヒルド火山が、継続的に灰を噴き出しているのです。
それはまるで雪化粧のようですが、目にみえないウイルスと同じで、この灰も人間さんたちは吸うことができません。
まったく、見事なダブルパンチです。
「それで、博士。私の仕事というのはなんでしょうか」
「うむ。きみたちウエイトレス型インターフェースの仕事は、ずばり残された人類に食事を届けることだよ」
「そうすることで、人間さんたちは助かるのですか?」
「どうだろうね。まあ、少なくとも再繁栄のためじゃない。ただの延命措置かな」
博士の家。そして私たちの家であるパントリーでは、地下の食品工場で栄養価のある食事を作っています。
人間さんの健康上あまりよろしくない化合物を用いて無理に成長を促している食料から、のちに安全な栄養素だけをうまく残して、生命活動の維持が可能な量のエネルギーを保証する食事を作っているのです。
私たちウエイトレスの仕事は、週に一回ランチボックスを持って町に行き、人間さんたちにご飯を差し上げることだそうです。
あとは回収もします。労力的にはちょっと大変ですが、業務的にはとても簡単なお仕事です。
私たちを作ったのも、パントリーの地下にある食品工場を作ったのも、博士です。
「しかしまあ、愚かな人類の末路などこんなものなのだろうね。地球の誕生から何億年と経っているのだ。そのうちのたった数千年ぽっち自分たちの時代を築いたはいいが、最後まで利己的思考から抜けられなかったヒト科生物のたどる末路としては妥当なところだろうさ」
パントリーのソファで、博士は古典小説を読みながらよくそんなことを言っていました。
「博士は達観するタイプなのですね」
「……いやまあ、とはいえ、こうなる前にオトコの一人でも作っておいた方がよかったと思わなくもないがね」
「それは、どういう意味ですか?」
「ふん。いくら類まれな頭脳を持つ私とて、死ぬ死なないの瀬戸際では、安易な種の保存本能に負けることもあると認めざるを得ないのさ! ああ、三十路に届かぬこの肉体がうずいて仕方がないよ!」
博士は女性です。私たちのプログラムには二十一世紀の標準的な美醜の価値基準が与えられていますが、それを踏まえて判断すると、博士は美人さんに分類できました。
そのうえ博士は大変に頭もよろしいです。人間さんにしては驚異的な演算速度を持った、ひじょうに優秀な大脳を所有しています。
つまり人類が滅亡する前の健康な時代であれば、博士は美人で頭のいい女性としてものすごくモテて、それはもうさまざまな殿方と濃厚接触できたのではないかと予想できます。
でもチルチルは「博士は鼻が低いわ。それに足が太いわね」と言っていました。
私たちのあいだでは、博士が美人かどうかよく意見が割れたものです。
ほかの部屋の子たちまで呼んでアンケートをしてみたこともあります。
ちなみに結果はこんな感じでした。
・美人だと思う …18%
・どちらかといえば美人だと思う …41%
・平均的だと思う …30%
・特に美人だとは思わない …11%
「どちらかといえば美人だと思う」派も含めると、美人派が六割近くを占めることになりました。
でも、言われてみると確かに博士のお鼻は少しだけ低いようにも見えます。もし改善されたらより美人になるでしょう。
すると私たちの議論は白熱して、いずれこんな会話に発展しました。
チルチル
「このパントリーのシェルター設備でも鼻を高くする程度の整形技術は可能じゃない? ちょっと試してみましょうよ」
私
「でもチルチル。いくら女性的なアピールを高めても、それをみせる男性がいないと意味がないのでは?」
アナスターシャ
「違うのよ、ルルイエちゃん。女が美をみせるのは、じつは最後まで鏡が相手なの。オトコは二の次なのよ」
チルチル
「それはアナスターシャがそういう性格の個体ってだけでしょ? あたしの思考プロトコルは違うわ! ナイスなスタイルもぱっちりしたお目目もぜんぶ男にみせてなんぼのもんよ!」
アナスターシャ
「あら? ならチルチルはどうして博士の美貌パラメータを上昇させようと思うの?」
チルチル
「だって、たとえばどっかの海底王国が急にサバーって出てきて、ウイルスに抗体を持ってる王子がここまでやってきて、博士に求婚するかもしれないじゃない! これはそのときのための準備よ!」
私
「…………それは、ちょっと……」
アナスターシャ
「チルチルは過度に希望的観測を信じる傾向があるわねぇ」
チルチル
「なによ、その白い目は! あたしは数多ある可能性のうちのひとつを提示しただけでしょ! なにが悪いの!」
私たちウエイトレスがそういう話し合いをするのを、博士はよくあきれた表情で眺めていたものでした。
「まったく好き勝手を言ってくれるじゃないか。うちの子たちはよぅ」
そうひとりごちて、しかし楽しそうに彼女は笑っていました。
「色気がないけどお気に入り」らしい緑のハイネックセーター。
銀縁のめがねと、ちょっとくたびれた白衣。
そしてひょっこり生えたアホ毛さん。
博士。
なつかしいものです。
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