第13話 第四林檎のプロローグです。
「第一の林檎は、アダムとイブが食べた知恵の実です。それによって、人は価値観を得ました。
第二の林檎は、理論科学者が観測した落下する果実です。それによって、人は新たな知識を得ました。
第三の林檎は、近代デバイスの創始者が見立てた果物です。それによって、人は時間と距離を超越しました」
人類が次のステージに昇るとき、そこにはいつも林檎があったそうです。
不思議なものです。まるでそうした運命が定められているかのようです。
林檎の甘さは罪の味だと、私の読んだ本の著者は述べていました。
甘くておいしいけれど、それは同時に、マイナスの面も持ち合わせているのだと。
知恵の実を食べたから、善と同時に悪を知ってしまい、科学理論が発展したから、近代兵器が発明されてしまい、便利な科学製品が生まれたから、目の前にある現実世界を大切にしなくなったのだと。
それでも、人間さんはここまで立派に生きてきました。
「これは、いささか偉そうで、だいそれた話なのかもしれません」
私はそう前置きます。
「それでも私は博士の遺志を継いで、人間さんたちの新しい無期的な形として、林檎の名前を冠した存在でありたいと思うのです」
「ルルイエ、それってひょっとして」
「はい。博士のくれた第二の仕事に対する、私の回答です」
チルチルとアナスターシャが目を丸くしました。
『私たち』を表す、新しい種族名を考えてほしいという博士の遺した仕事です。
私は、ずっと考えていました。でも、みんなと同じで、あまりいいものが思いつきませんでした。
それでも諦めずに考えていました。
ようやく思いついたそれは、ちょっと恥ずかしいですが、それでも自信作ではあります。
たとえばそう、ちょうどこの、アップルパイくらいには。
「かつて、私たちのような人型インターフェースは、アンドロイドと呼ばれていたそうです。それと林檎を組みあわせて、リンゴロイドというのはどうかと思うのです」
リンゴロイド。
私の大好きな博士がこの世界に残した、私の大好きな家族。
それが次なる林檎として、私たちと人間さんを含めて次のステージに運んでくれる存在になったとしたら、それが私の幸福です。
無期だけど、いつまで続くかわからない、私のいちどきりの人生の、たしかなしあわせなのです。
私はそっと、二人の顔色を窺いました。
しばらく、ふたりはぽかんとした顔をしていました。
次の瞬間、チルチルが笑い出します。
「ふっ……あはははは。リンゴロイドだって? あははは」
つられてアナスターシャも笑いました。
「うふふふ。随分と可愛いの考えつくわね、ルルイエちゃん」
「ふ、ふたりして笑うなんて……! 私ががんばって考えたというのに!」
私は博士のお墓の前から立ち上がり、ふたりをぱしぱしと叩きました。
笑われるかもとは覚悟はしていましたが、実際に笑われるととても腹立だしいです。
ひさびさに、私の演算チップが怒りの感情を算出します。
「あははは。ごめんごめん」
「べつにばかにして笑っているわけじゃないのよ。ただほら、ちょっと意外だったから」
「そ、そんなに変でしょうか。だったら、また考え直しますが……」
私は、ついには意気消沈してしまいました。
みんなの名前ですから、みんなが気に入らないとダメです。
チルチルとアナスターシャがダメなら、ほかのみんなに言ってもダメでしょう。
しかし、
「いや、いいんじゃない? あたしは気に入ったわ。リンゴロイド」
「ええ、わたしも。可愛いし印象的だし、とってもいいんじゃないかしら? 今夜にもみんなに相談してみましょう」
あんなに大胆に笑ったくせに、二人とも賛同してくれました。
私は振り上げた拳の行方を失ったかのような気持ちになります。
もう、どっちなのだかわかりません。
「うーー……」
そう唸ると、アナスターシャが私の頭をぽんぽんと撫でました。
生意気に、チルチルも同じことをしてきました。私は背が低いので、こういうときは一方的にされるがままです。
「ねえ、アナスターシャ。いちばん最後に起動した妹なのに、ルルイエにはいつも先をいかれるわね」
「そうねえ。でもほら、ルルイエちゃんは年下だからこそ回路が若いのかもしれないわよ」
「ふんだ。回路どころじゃありません。私の演算チップはみんなのよりも高性能だって、昔、博士が言ってました」
腹いせに、私は秘密を明かしてやります。
「そんなの嘘よ! あたしのがいちばん高性能だって、博士、言っていたもの!」
「あら? わたしが聞いたのでは、わたしがもっとも複雑な演算チップを採用しているって話だったけど」
「ふたりとも、記憶違いでは? 私がもっともかわいい娘だから、私にいちばんのチップを組み込んだって、博士はたしかに言ってましたから」
「あたしだってまったく同じこと聞かされたのよ!」
「一字一句違わず、わたしもなんだけれど?」
私たちは顔を見合わせました。
これはいったい……
全員がうそをついていないのなら、残されたうそつきはひとりだけです。
はあ、とチルチルがため息をつきました。
「まったく、博士はほんとにお調子者よねー……!」
「全員にきみがいちばんって言うなんて、まるで人間さんたちのドラマに出てくる悪い男の人ね」
「博士、あれはうそだったんですね……!」
ずっと信じていたのに、ひどい話です。
私は博士のお墓をにらみます。
それと同時に考えました。これは、いいうそなのでしょうか? それとも悪いうそなのでしょうか?
ひょっとしたら、いいうそなのかもしれません。
だれにも言ってはいけないといわれていたのに、私がその約束を破ったことでうそだということがわかってしまったのですから、もしかしたら私のせいなのかもとも思います。
不思議なのは、博士の顔を思い浮かべるうちに、ふしぎと許せる気がしてきてしまうことです。
釈然としませんが、悪意がないのはわかります。
「さて、日が暮れる前に帰りましょうか? リンゴロイドさんたち」
アナスターシャが、そう提案しました。
口に出して言われてみると、想像していたよりもしっくりきます。
人間さんが残した第四の林檎。
それはやっぱり、私にしてはうまい思いつきだったように思えるのです。
私たちは、クデンの丘を下っていきます。
チルチルが、やっぱりアップルパイの味がどうだったのか気になると言いました。
それには私もアナスターシャも同意します。
なので、またがんばって作って、今度はアナスターシャの恋人さんにあげることにしました。
実際、その試みは次の週に実行されました。
みんなで味見をして、ウエーっと吐き出しそうになり、試行錯誤をしてできあがったアップルパイは、では人間さんにはどうだったかというと。
なんと、人間さんにとってもひどい味だったようです。
そうすると、シキドさんに差し上げる予定だったアップルパイも、ダメな味だったのかもしれません。
うーん。
やっぱり、何事も試行錯誤するしかないのでしょう。
なにせトライ&エラーは、万事の基本なのですから。
*
その日、私はいつものようにクデンの町に向けて出発しました。
リュックサックにはパントリー製のランチボックスのほかに、私たちのお手製のお菓子が入っています。
たぶん、まだあまりおいしいとは言えない出来だと思います。
それでも少しずつはよくなっているはずです。
リュックにぎっしりと詰まったランチボックスは重いですが、がんばって運ぶのが、私たちリンゴロイドの仕事です。
がっしゃがっしゃと揺れる音に合わせて、側面に垂らしたキーホルダーがちゃりちゃりと音を立てました。
このあいだアナスターシャが作ってくれた、私たちのロゴのキーホルダーです。
それは、この白い灰が積もる町で。もう林檎の木はなくなってしまったクデンの町で唯一光る、無期的で新しい私たちの名が刻まれた――
艶々とした、真っ赤な林檎なのです。
第四林檎ルルイエの無忘録。 呂暇 郁夫 @iquo_loka
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