第12話 博士にプレゼントです。

 夕刻になると、真っ赤に燃える太陽が西の地平線に沈んでいきます。

 陽光はクデンの町を包み、白い灰を赤く照らしていました。

 人間さんが滅亡の最中にあっても、惑星の動きは変わりません。

 太陽は東から昇り、暗くなったあとには、日ごとに満ちたり欠けたりする変わり身な月が夜空に浮かびます。


 クデンの町を出て、パントリーに向かわずに、東へ進みます。

 この世界に広がるウイルスは、人間さんのみならず、あらゆる有機的な生命体に被害を与えました。

 だから、道端にきれいな花はあまり咲いていません。草木も生い茂っていません。そのかわりに火山灰がこんもりと積もっています。

 あたかも雪を踏み抜くようにして、私たちは丘のうえのピクニックに向かいます。


 前を歩くチルチルは、丘の下のどろどろとした粘土のような大地に目をやっていました。

 かつて噴火した火山のマグマのせいで、すっかり爛れてしまった地面です。

 土が再起して草木を芽吹かせるようになるまで、まだまだ長い年月が必要になるそうです。

 私のうしろを歩くアナスターシャは、遠くからクデンの町を眺めています。

 今日、またひとり人口の減ったクデンの町は、しかし傍目から見るとなにも変わりません。

 静かに、ただ、衰退していくばかりです。


 私はアップルパイを丁重に運びながら、ときおり、空に浮く星々を見上げました。

 今も書いたように、ウイルスが発生しても、惑星の動きは変わりません。

 ですが、人間さんたちの設備が出す光化学スモッグが減って、観測自体はしやすくなったようです。

 昔、このあたりではこんなにもたくさんの星を見ることはできなかったそうです。


 ひときわ輝く一等星を見るとき、私は博士のことを思い出します。

 これは言ったらきっと笑われるので、だれにも言っていません。

 とくにチルチルは、子どもっぽいと言ってからかってくることでしょう。

 それでも私は、どうしてもあの星のなかに、博士がいるような気がしてしまうのです。


「ここはいつ来ても変わらないわねー」


 クデンの丘に着くと、チルチルは崖の向こうの見晴らしのいい世界を仰ぎました。

 

「そうそう変わるものが置いてあるわけじゃないもの」


 風が強くて、アナスターシャは耳まで覆う帽子を押さえました。


「ま、ま、まだ暖かい季節は先ですね」


 ちょっとだけ肌寒くて、私は肘を抱えました。

 うかつです。すこし薄着すぎました。

 あ、まずいです。くしゃみが出そうです。


「くしゅんっ」


 うー、と私は唸りました。

 気温センサーが寒さを感じたとき、くしゃみがアトランダムに出る仕様になっています。

 博士がこだわって搭載した無駄な機能です。

 

「もー、手のかかる妹ね」

「ほら、これ被っておきなさい。ルルイエちゃん」


 チルチルが手袋を、アナスターシャが帽子をくれました。

 ことわる間もなく装着されたので、私は甘んじて受け入れます。

 あたたかいです。


「ありがとうございます、ふたりとも」

「それよりほら、はやく博士に挨拶するわよ」

「ルルイエちゃん、プレゼントを置いて」


 私たちは、墓石の前に立ちました。

 クデンの丘にたったひとつ立つ、博士のお墓です。

 博士の名前と享年、そして座右の銘が彫られた墓石には、火山灰が積もっています。


「博士。これは、私たちが作ったアップルパイです。きょう、本来これを食べてもらうはずの人間さんがそちらに行きました。なので、よければ分けて食べてください」


 私はランチボックスから自信作を取り出して、墓石の前に置きました。

 するとチルチルが大声で主張しました。

 

「聞いて、博士! あたしがいちばんがんばってこねたのよ!」

「でも、博士。チルチルがいちばん失敗もしていたんですよ」

「ちょっと、余計なことを言わないでよ! それにトライアンドエラーは万事の基本なんだから!」

「聞いてください、博士。チルチルの担当は、いちばん楽なりんごの部分でした。私はもっとも難しいパイの部分をがんばったので、私の方が上なのです」

「ルルイエ、あんたってば最後は音を上げてたじゃない! あたしが励まさなかったらやめてたでしょ! 全部あたしのおかげなんだからね!」

「というふうに、チルチルがなんでも自分の功績にしたがる問題児であることに変わりありません」

「む、む、むかつく~……! あんた、そんな生意気言うなら手袋返しなさいよ!」

「返しません。あたたかいので」

「ちょっとふたりとも、博士のお墓の前で喧嘩しないの! 崖から突き落とすわよ」


 アナスターシャに一喝されて、私とチルチルは黙りました。

 崖から落とされたのではたまりません。

 それくらいでは私たちのインターフェースはびくともしないのですが、だからこそ本当にそうされる恐れがあります。


 気を取り直して、私たちは黙祷しました。

 もともと、ひとりで食べるには大きすぎたアップルパイです。

 日持ちするにしても、だれかと分けたほうがいいに違いありません。

 とはいえ、博士は甘いものが大好きで、かつ食いしん坊さんでしたから、もし気に入ったら、ひとりでぜんぶ食べてしまうかもしれませんが。





「以前、地球の裏側に住んでいるとある思想家が、人類の滅亡を嘆くコラムを投下してね。結局こうなるのであれば、有史以来私たちがやってきたことはまったくの無意味だったのではないかと。それを読んで、私はじつにばかげた主張だと思ったな」


 いつか、博士はそう言っていました。

 だれかがたずねました。


「どうしてそう思うのですか?」

「簡単さ。もともと、長期的にみれば人類の滅亡など確定していることだからだよ。太陽は膨張し続けている。数十億年もしたら地球は飲み込まれてなくなるし、それからしばらく待てば太陽系ごと消滅する。銀河レベルの脱出でもしない限り、人間は確実に死滅するわけだ。そもそもはじめからゲームオーバーの確定しているシナリオで、どうしてそれが少しはやまった程度のことを嘆く必要がある?」


 博士は手早くパッドモニターに太陽の熱核運動による膨張の様子をみせてくれました。

 みんな、食い入るようにしてモニターに視線をやりました。

 なるほど。地球は滅びます。

 いつか遠い未来、確実に。


「でも、博士。もしそうなら、みんなどうして生きているの?」


 チルチルが手を挙げて質問します。

 私たちはみな、パントリーのリビングで等間隔に座っていました。


「その質問には、そっくりそのまま返そうか、チルチルくん。きみはどうして生きているのかな?」

「……え、っと。それは」

「いいよ、素直な気持ちで答えてごらん?」

「あたしは……その、みんなと遊ぶのが楽しいから生きてる。じゃ、ダメ?」


 チルチルがいささか恥ずかしそうに答えました。

 笑い声が上がります。私もくすくす笑いました。

 でも本当は、私も同じ答えを思い浮かべていたのは内緒です。

 博士は笑いませんでした。ただにっこり微笑んで、


「ううん、ダメじゃない。私もだよ」


 とだけ言いました。


「この人類の滅亡のなかにあっても、私は毎日が楽しい。そりゃあ、多少の不満はあるけどね。それでも、私は君たちに囲まれて生きている。私が作ったはずなのに、私とは違う考えと感性を持ち、たまハッとすることを教えてくれる、愉快なきみたちとね」


 場が静まり返りました。

 博士は微笑みながら続けます。


「有期的か無期的か。それが私たち人間と、きみたちの違いだ。人類の新しい形であるきみたちは、無期的に生きることができる。宇宙が滅びるそのときまではね」


 有機か無機か、それよりも本質的な違いがあるのだというのが、かねてよりの博士の主張でした。


「これからも続く長い長い悠久の暇を、きみたちにはぜひとも楽しく過ごしてほしいものだね」


 そう結論した博士の得意げな表情が、私には昨日のことのように思い出せます。

 私は、アップルパイを切り分けます。

 コンポートされたりんご風のゴハンモドキの下に、カスタード風のゴハンモドキが敷いてありました。

 見た目はとてもおいしそうです。


 かつてりんごの木が生えていたという丘で、私は口にします。


「どうやら、人間さんとりんごは、かねてより深い関係性があるようです」


 気持ちよさそうに風になびいていたチルチルとアナスターシャが、こちらをみました。

 私は、書庫で勉強したりんごの歴史を語りはじめます。

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