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AI小説について

 芥川賞の流れで、AI小説にスポットライトが当たっている。
 もともと界隈を観測していた身としては(受賞作が関係していてようやくかよ)と思うけど、世間とは常にしてそういうものなので、そのへんはいいとして。
 あらためて見ていてきついのは、やはりというべきか、ふんわりとした迎合だった。

 まじでつまんね〜〜〜〜〜、と思う。
 chatGPTのデータアセットとか法整備の問題とか以前に、やってることが鬼つまんね〜〜〜〜〜と思っている。おまえらの言う有用性とやらの先に何があるんだ?それ本当におもしろいと思ってるんですか?という感じ。

 娯楽小説なんて、読む方も描く方もそれをおもしろがっていれば最低限要件を満たすものだと思うけど、それを踏まえたうえで「マジでそれおもしろいと思ってやってんの?」と真顔になる。
 おもしろいと思うかどうかはもちろん人によるため、はいと言われたら閉口するほかなく、界隈の八割が肯定してきた暁には、おとなしく業界から消えるほかない。
 でも現役作家が「小説を書く際のchatGPTの利用方法!まずは本文を載せて矛盾がないか質問して〜」等といったコマテクをワザップで紹介しているような状態をおもしれ〜と思って眺めているのが書き手・読み手の主流なんだとしたら、べつに去るのも一切の悔いは残らないと思う。ストリートファイターやってるほうが6000%確実に楽しい。

 入念なチェックを重ねて、それでも出てしまうヒューマンエラーのある小説は、中身にエラーこそあれど、存在としてミスっているわけではない。エラーも含めた総体としての人間の小説に価値を見出せない人間の書いた機械的な小説は、機械的であるがゆえに、みずからその人道性の欠如を証明している。
 だからもとからつまらなかったんだね、という納得さえ抱かせてくれる。そういう意味では答え合わせ的でもあった。

 おもしろがれるかどうかという話は、おもに「中身」と「外側(メタ)」のふたつに分けられる。
 現状、AI小説の受け入れられ方はメタ寄りだ。上の例でいうなら、AI小説が本気で人間小説を模倣しようとしたとき、それっぽいエラーを随所に仕込んだ完成物をあげることは容易にできるようになるはずだ。
 その際に「うお〜これどっちがAIの書いたものかわかんね〜笑」と言って遊ぶのが、メタな楽しみ方だ。が、果たしてこんな遊びを5年後も笑顔で続けているだろうか。まずまちがいなく5日以内に飽きるはずだ。
 つまりメタ方面には道がない。
 だから勝負はいつかかならず中身になる。おもしろい小説をAIが書けるか、という話になる。

 ぼくの私見でいうと、世間一般の基準を満たすものは可能だと思う。

 しかもそれにかんしていえば、じつは倫理的な問題も解決可能だと考えている。
 それは、機械的に書かれた小説ならば、機械が代わっても問題はないだろうという倫理だ。
 いつか廃れると言われていつまでも続くなろう小説。フォーマット化されたがゆえに飽きられているが、フォーマット化されているがゆえに現代人が手放せなくなっているなろう小説群は、すぐにAIが代わりに手がけるようになるだろう。
 冷静に考えて生きた人間はそんな反応をしないだろう、という本来あるべきツッコミを無視して多産されてきたのだから、その生産が機械に取って代わられるのは、むしろ自然な淘汰の一環にさえ思える。
 学習元となる同型のサンプルがあまりにも多いのは、果たして皮肉なのか否か。

 世間一般的な文芸な楽しみ方はなろう小説がボリュームゾーンなので、容易に代われる。
 90%の人間は満足する、ほんのひと口のお楽しみ程度の小説は、比喩ではなくマジで、機械的に量産されていく。


 残された10%は、わりを食うのだろうか?
 この残りの10%とは、つまり「今ある小説まじでだいたい全部つまんね〜〜〜原神していたほうが3680倍マシだろ〜〜〜」と気づいている層のことだ。
 冷静に考えてそこらの小説を読むよりもゲームするかVtuberの配信を見ているかほうが圧倒的におもしろいことを知ってしまっている層だ。
 彼らはわりを食うのだろうか?
 もしかりに市場がAI小説に席巻されたとき、いやあいつらやってることつまんね〜〜〜〜と思っている層は困るのだろうか?

 ぼくは困らないと思っている。
 なぜならべつに現状とそんなに変わらないからだ。機械的なものを人間が書いていようと、機械的なものを機械が書いていようと、だからなんだという話だ。
 もともとつまらないなと思っていた人間たちがAIを利用したパフォーマンス◎な創作コマテクを紹介している。

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