君のことが好きだって言えたこと

 今鷹を残して俺達二人は下校していた。


 あれだけ激しくやり合うことになるとは夢にも思わなかった。二人で戦って勝ったような感じがして、とにかく興奮していた。だから、気づいたら電車から降りて、普段はお別れする道までやってきても、なんとなく離れるのが惜しい気がしたんだ。


「なあ、ちょっとだけ寄り道しないか」

「うん! どこに行く?」


 楓夏は元気よく頷いてくれた。俺は一緒にいたかっただけで、プランは何もない。


「んー。カフェかマックか、その辺にしようか」

「カラオケとかの方がいいかな、私」

「ま、マジか」

「あはは! いいよ、君は苦手だろ」


 流石は陽キャ最前線にいた女。俺とは根本的に寄り道のスケールが違う。とはいえもうすぐ夕暮れだし、どうしたもんかと適当に時間を潰しているうちに、町で一番大きな公園に着いた。


 ここはちょっとした小山の上にあるせいか、見晴らしがとてもいい。俺は白い手すりに両腕を預けながら、高校の屋上よりもずっと遠くまで広がっている景色を眺めた。小さな山や川に、景観を壊さない程度にビルが立ち並んでいる。まあそれだけ田舎ってことなんだけど。


 楓夏は隣にいて、見惚れるほど澄んだ瞳をのどかな街並みに向けている。俺は喉が渇いたので、一旦その場から離れて缶ジュースを二本買った。二人で乾杯しながらぐいっと飲む。なんだかんだ今日は蒸し暑かったし、ジュースはずっと飲んでなかったみたいに体に染み渡る。


「ねえ……私達。付き合ってるとか、いっちゃったね」

「ぶっ!? な、なんだよいきなり」


 唐突に彼女がド直球の話題を切り込んでくるので、俺は盛大に吹き出してしまう。


「うわー! きったない。何をそんなに動揺しちゃってるの」

「べ、別に動揺してなんか……」


 この後の言葉が続かない自分が嫌だ。動揺してないはずがない。だってそれは、俺が中学三年間ずっと憧れていたことそのものだったんだから。


 不思議でしょうがなかった。夢だったことが目の前にあることが。そして、もしかしたらそれはもう、届くところにあるのかもしれない。意識するほどに心臓が飛び跳ねる気がした。


「嘘ばっかり! でも、私もあんな嘘ついちゃったの初めてだった。すっごい緊張したー」

「俺も超緊張した。でも、なんかスカッとした」

「うん。すっごい気持ち良さそうだったよ、周にガツンと言ってたところ」

「いや。そっちじゃないかな」

「え? じゃあ何」


 ほんの思いつきだった。こんなにハードな戦いを終えて、もう一つだけ。あと一回だけ勇気を振り絞ってみるのもいいかもしれない。


 心の奥から湧き上がってくる衝動は、怒りとは全く違う蓄積された感情だ。


 しかし、これは危険過ぎる賭けでもあった。もしかしたら今回限りで、彼女と一緒に下校することはなくなるかもしれない。もしかしたらこの二ヶ月間のように、笑いかけてくれることもなくなるかもしれない。


 いろいろなかもしれないに心を縛られて、届きそうな夢を諦めてどうする。俺はここで覚悟を決める。夕日に染まった楓夏の茶色い瞳の中、いつもよりちょっとだけマシな顔になっている男がいた。


「君のことが好きだって言えたこと。あれが俺にとって、一番言いたいことだったんだ」


 人生でここまで頭がショートしかけたことがあっただろうか。きっと今、このタイミングで言えなかったら、俺はやっぱり臆病な自分に負け続けてしまう。そんな気がした。だから今だ。今しかない。


「翔……それって、もしかして……」


 言葉が詰まりそうになる。しかし、ここで弱い心に押し負けるわけにはいかない。絶対に。


「俺、実はずっと前から知ってたんだよ。楓夏と俺、同じ中学じゃん。だから、たまに今鷹と一緒にいるの見たことあったし、なんとなく気になってた。いや、気になってたなんてもんじゃないな。正直に言えば、」


 手すりから体を離し、俺は正面から木闇楓夏と向き合う。彼女も同じように、真っ直ぐにこちらを見ていた。その小さな顔には先ほどまでの微笑はない。どこか不安そうな、ありとあらゆる感情が入り混じった無表情。そんな風に映った。


 言える。いいや、言え。いつまでも何かを言い訳にして、一か八かの土壇場を避けるな。


「ずっと君のことが好きだった。そして今現在、過去最高に好きだ。……大好きだ!」


 感情が爆発してしまい、つい大声を出してしまった。楓夏は大きく目を見開いて、小さな手でぎゅっと胸のあたりを掴んでいる。


「俺と……俺と付き合ってくれないか!」


 本当はもう少し小さい声で伝えるべきだったのだろう。しかし、極度の緊張で力んでしまった俺の声は公園に響き渡るくらいにネジが外れてしまったようだ。


 周りには多少は人がいたし、普段なら恥ずかしくて堪らないところだった。だけど気にする余裕はなかった。俺にとって、きっとこれは初めての冒険だ。こんなに好きになる人なんて、この先の人生にいないかもしれない。いや、間違いなく、木闇楓夏を超えて好きになる人なんていない。


 彼女は驚きを隠せなかったが、しばらくしてから夕焼けに染まっていても分かるくらい頬が赤くなった。茶色い瞳がキラキラと輝きだしたけれど、少しずつ笑顔になっていく。悲しそうな空気は微塵も感じられない。


「君も、好きだったんだな」

「……ぇ」


 薄桃色の唇から溢れた一言。今度は俺が驚く番だった。


「私も、君のことが好き」

「楓夏……」


 この一言を初めてプレゼントされた時、俺の人生が急に輝いた気がした。大好きな人に好きだと言われるだけで、こんなに世界が変わるものなのか。俺は知らなかった。そして、知ることができたことに幸福を感じずにはいられない。


 神様、わたくしめをこの高校に入れてくれたのは、この為だったのですか?


 心の中で死ぬほど神様に感謝しているうちに、目前にいた楓夏の顔が、景色がよく分からなくなった。どんどんぼやけている。この涙は留めておくことはできない。きっと彼女も同じだったろう。その後、二人は一緒に馬鹿になった。


「翔……翔!」

「楓夏、楓夏! 楓夏ぁああー!」

「翔ーーー!」


 至近距離、俺たちはまるで体当たりでもするかのような勢いで抱きついた。喜びが爆発しすぎて、もうよく分からない。でも分からなくていい。きっと今しか感じられない感情を、頭が理解できないでいるのだ。


「私も好きだった。きっと、同じクラスになる前から」

「う……ぐぐ! 俺はもう四年越しだ! 楓夏、好きだ! 大好きだ!」

「私も! 好き、大好き」


 その後、どうやって家に帰ったのかは覚えてない。でも両親と妹が既に家にいて、俺が終始ニヤニヤしているのを本気で心配していたことだけは覚えてる。


 ◇


 ちょっとだけ時が流れて、一学期の終業式がやってきた。

 俺たちは式が終わるとすぐに帰ることになり、いつもどおり隣には楓夏がいる。


 しかし、またあいにくの雨。っていうか今年の梅雨、ホントに長いんだよ。


 でも、普段なら愚痴りたくなるような天気でも今は気にならない。いつも通りに校門を出て、下校ルートを歩き、電車に乗って北町駅に辿り着く。彼女の水色の傘に入っている俺は、むしろ梅雨に感謝していた。


「ね! ちょっと寄り道していかないか?」


 最近いつも見せてくれるようになった微笑みを浮かべながら、楓夏が手を引いてくる。


「うん! 何処に行こうか」


 俺も二つ返事でOKをした。なんていうか、このまま今日はお別れなんてしたくなかったのだ。


「服屋さんかな。君に選んでほしい」

「俺センスに自信ないからなー。どんな服にすんの?」

「服っていうか水着」

「へー、水……水着ぃ!? 俺に選べと!?」


 な、なんですとっ!? 飛び上がりそうになる姿を見て、彼女は大笑いする。


「あはは! 冗談だよ。でも、水着も買おうかなって思うんだよね。今年、海に行こうよ」

「マジかよー。まあ、やってみるか」

「お祭りも行きたいな」

「そっか。あったなそんなイベントが」

「夏休みに退屈させたら許さないぞっ」

「ま、任せろ! 大丈夫だ……多分」


 全く自信はない。正直俺は退屈しないだろうけど、楓夏は大丈夫だろうか。でも、こういうのは気持ちから入るのが大事なんだ。こうなったらどんな行事でもこなしてやる。そう考えていた時、ふと雨が止んでいたことに気づいた。


「本当にー。じゃあ翔。ちょっとドキドキさせてよ」

「え? それってどういう……」


 だが、この質問をする必要はなかった。人通りの少ない道路で、木陰に身を寄せた彼女が何を望んでいるのか。


 それはもう考えるまでもなく、俺と同じだったに違いないのだ。ずっと憧れ続けた小さな肩に優しく触れながら、夢のような感触が唇を包むまで、そう時間はかからなかった。


「……ん……」


 吐息が漏れたような彼女の声に、むしろ俺のほうがドキドキしたかもしれない。


 一体何秒だっただろう。ただ唇が触れるというだけで、まるで心の奥まで溶かされているような気がする。


 キスをした後、少しだけ見つめあってから、俺たちはまた手を繋いで歩きだした。楓夏はその後イタズラっぽい笑顔を浮かべたけれど、なんかぎこちない感じだった。頬と耳が桜色に染まっていて、いつもよりさらに可憐に映る。


 数ヶ月前までいつも不機嫌そうな顔をしていた彼女は、今ではどんな花よりも明るい空気を纏い、はつらつとした笑顔を絶やさない。


「じゃあ……買いに行くか。水着」

「あー。ムード台無しじゃん。翔のバカ」

「しょ、しょうがないだろ! っておい、待てよ」


 笑いながら逃げる彼女を追いかけた。最近の俺たちは、ある時はちょっと大人みたいで、ある時はマジで子供っぽくなる。その振れ幅がなんとなく心地良い。


 いつの間にか空は晴れ渡り、爽やかな風が頬を撫でてきたことに気がつく。長かった梅雨が終わり、ようやく俺と彼女の夏が始まった。

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幼馴染イケメンに告白して振られた憧れの女子が泣いてたから、怒り狂って暴れた一年後。彼女が同じクラスで隣の席になった上にいつもかまわれてる コータ @asadakota

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