お前のような奴に、俺は絶対になりたくない

 それから二ヶ月が経った。


 俺と木闇は……いや、俺と楓夏は一緒にいることが当たり前になっていった。いつからだったか分からないけど、名前で呼び合うという、ちょっとした陽キャっぽい感じになった。嘘だろって思われるかもしれないが、これはマジな話だ。


 お互いクラスの中に友人がいなかったということもあり、隣同士だったことで自然と仲良くなっていったのだけど、俺にしてみれば奇跡みたいな二ヶ月ちょっとだと言える。


 短い期間ではあったけれどいろいろなことがあった。俺の部活に楓夏が顔を出してくれたり、彼女に友人ができて一緒に遊んでみたり。まあなんだかんだ言って充実していたんじゃないかな。


 そういえばだけど、授業も頼もしい楓夏先生に教えてもらえるので、余裕を持って毎日を過ごせるようになった。本当に感謝しかない。


 というわけで少しだけ緊張感が抜けてきた金曜日の放課後。俺たちはただ、いつも通りに一緒に下校するつもりだった。だけど、俺がちょっとした理由で職員室に呼ばれてしまい、彼女を待たせることになってしまうという失態を犯した。


 俺の失態は今に始まったことではないけれど、最近ちょっと多いなと反省しつつ、急いで戻っていた時のことだ。教室の中からどこかで聞いたような男の声がした。


 誰だったっけ? 同じクラスの男子かなと思いつつ扉に手をかけた瞬間、妙な既視感に指先が止まる。教室の中ではもう一人、聴き慣れた声がしていた。間違いなく楓夏だったけど、もう一人は。


「だからさぁ、もう一回やり直そうぜ。俺達」


 話を途中からしか聞いていないが、やり直そうという言葉自体、何か大事な話なのだろう。すぐにピンと来た反面、信じられない気持ちになる。あの今鷹が俺達のクラスにやってきて、楓夏と喋っているようだ。


「……どうしてだ。君が一度私を振ったんじゃないか」


 そうだ。一年前、確かに今鷹は楓夏を振った。一体何様なのかと問い詰めたくなるほど酷い言い方をして。そうやって自分から振った男が、なぜ復縁を迫っているんだ。


「あれから気づいたんだよ。俺にとって一番大事なのは、お前だって」

「な、なぜだ」


 明らかに楓夏の声には戸惑いが感じられた。確かに疑問だ。でも、もっと様子が変なのは自分自身であることに、少々遅れて気がついた。俺はかつてないほど動揺している。


「……付き合いたい、そういうことでいいのか」

「ああ、そうだ。な? お前だって付き合いたいだろ。この一年間の埋め合わせはきっちりする」

「埋め合わせはしなくていい」

「ん?」

「私は付き合わない」

「……は?」


 彼女は明確に断っている。当然だ。どうしてあそこまで失礼な物言いをしておきながら、他の女子とは明らかに下だと馬鹿にしておきながら、今になって付き合うなんて言えるのか。


「おいおい! なんだよ楓夏。もうちょっと素直になれって」

「べ、別に私は嘘などついていない」

「いいから、ちょっと外行こうせ」

「ちょっと! 離せ」


 やっぱり俺はおかしい。どうして一年前と全く同じことをしているんだろう。別にもう盗み聞きなんてしなくていい。


 俺にとって楓夏はもう知らない人じゃないんだ。それに、彼女にまたやってきた災難を黙って見過ごすことは到底できない。


 一年前とは異なり、俺は落ち着きを持って扉を開いた。


「お待たせー。……って、あれ?」


 わざとらしい演技をあえてしてみる。あの時みたいに、興奮して向かっていったりしたらきっと失敗する。だから、ちょっと冷静を装うための小細工をしてみた。


「どうしたんだよ楓夏。ん? お前、今鷹じゃん」

「あ? お前大河かよ。……つうかよ、馴れ馴れしく楓夏を名前で呼ぶんじゃねえよ」


 楓夏は俺がやってきた時、もう既に泣きそうな顔になっていた。ああ、また悲しそうな顔になっている。その事実に胸が痛くなる。


「翔……」

「名前で呼んだって別にいいだろ。ところで今鷹、何しにきたんだよ」

「ああん? 俺は楓夏に用事があってきたんだよ。いいから、お前は引っ込んでろよ。楓夏、一緒に帰ろうぜ」


 強引に奴の手が、彼女の細い腕を掴もうとした。しかし、その腕を接近した俺が払った。


「な、何すんだてめ!」

「強引すぎるだろ。っていうか、楓夏は俺と一緒に帰るんだけど」

「はあ!? 嘘ついてんじゃねーよこのクソ生意気なインキャ野郎が」

「……嘘じゃない」


 楓夏の少し掠れた声がした。これまで、ずっと強情な態度を押し通してきた今鷹の顔が引きつる。


「は? 何言ってんだ。え?」

「私は翔と帰る。君とは帰らない」


 彼女は俯きながらそう言い、俺の隣に立った。何が起こっているのか本気で分からないとばかりに、前にいるイケメンは気が抜けた残念フェイスになっていた。


「うっそだろおい。おいおいおい! なあまさか、まさかだよなぁ。この一年で心変わりしちゃったってわけか。楓夏お前……いくらなんでもコロコロ変わりすぎだろ!」


 その後、奴は訳の分からない持論を語り続け、いかに自分が一途であったか。いかに楓夏の大切さに気がついたか。いかに他の女を諦めてここにやって来たのかを語り始めた。


 だが、それらは全て逆効果だ。だって、一年前には女として見れないとか、異性として好きだと思ったことは一度もないと奴は言った。それが今では百八十度変わっているじゃないか。こいつはイケメンかもしれないが、その内面には醜い自己愛の化身が住んでいる。そんな気がした。


「もういいよ今鷹。お前、俺がいうのも何だけど、痛い奴だよ」

「ああ!? 何を言ってやがるんだよ。お前は黙ってろ! 楓夏、いいから来——」

「お前が黙れよ」


 俺は咄嗟に彼女の前に立った。邪魔で堪らない男を押しのけようとするが、意地で踏ん張る。奴は一年前のように、馬鹿にしたような表情を浮かべることもできない。憎らしい顔から余裕が消えていた。


「どけよこのカス。俺はこいつの幼馴染だぞ」

「や、やめろ! もう」


 悲鳴に近い楓夏の声。俺は呆れたように首を横に振る。


「お前が一人で帰ればいいんだよ。そうすりゃ解決だ。そしてもう彼女に近づくな」

「ふざっけんな! 何で大河! お前に俺が指図されなきゃいけないんだ! 俺はこいつが好きになったんだよ。だから仲直りしようとしてんだ。てめえみたいな外野はなぁ」

「外野じゃねえよ! いつも一緒に帰ってるわ!」

「は……はぁ!?」


 驚きに後ずさる今鷹。ようやく圧がなくなってきて一息つく俺。


「嘘だろ。そんなはずねえ」

「いや、実際そうなんだけど」

「ほ、本当なのかよ! なあ楓夏」

「本当だ。私は今、翔と一緒に帰ってる」


 楓夏の一言は奴に強い衝撃を与えた。往生際が悪い男かもしれないけど、ここまで言えば引き下がるだろう。そんな風に思っている浅はかな男を横目に、自体は少しずつ予想外の方向へと転がっていく。


「じゃあ何、お前らってその……付き合ってるの、か?」


 その時だった。ずっと怖がっていた楓夏が前に出て、その意外に大きな胸を張ってこう言ったんだ。


「そ、そうだ! 私は今、翔と付き合っている! こ……こ……恋人——かもしれないっ!!」


 その爽やかでよく響く声は、もしかしたら地平の彼方まで届いたのかもしれない……。


 いや、いやいやいや! ちょっと、ちょっと待った。待った! どうしたんだ楓夏さん!?


 やばい。極度のプレッシャーをかけられる展開が続いて、とうとうおかしくなってしまったのか。しかし急展開はここで終わらない。なぜか彼女は俺のブレザーの裾をぎゅっと掴み、


「そうだよね。翔」


 なんて破壊的な呟きをした。俺の心の中に押し留めていたマグマが急に活性化し、いきなりの噴火が迫っている。


「う、嘘だ! 大河お前! お前が」


 突然掴み掛かられたが、今までのような運動部の恐ろしい力強さではなく、どこか押し返せそうな弱々しさがあった。俺は思いきって両手で奴を突き放す。


 もうこれ以上、楓夏を傷つけたくない。彼女が作り上げた嘘を、俺も活かそうじゃないか。


「ああ! もう隠さない。俺たちはな……とっくに付き合っていたんだよ!」

「あ、あああ! な、何を」

「お前がしているのは横恋慕ってやつだろ。さあ楓夏、行こう」

「あ、うん」


 よし、これでようやく上手くいった——と思ったらまたも掴みかかってくる元イケメン。既に顔が崩れているというか、死にかけの野獣みたいになってる。


「お前なんかに負けるわけねえよ俺が! 底辺のお前如きに!」


 ここで押し負けてしまったら、また振り出しだ。なんの勝負をしているのか、自分でも分からなくなったが引けない。


「思いあがるなよ! 誰もお前が凄い奴だなんて、本当は思ってないんだよ!」

「……は?」

「お前は勉強だって部活だってそこそこできるかもしれないが、だから偉いなんてことは絶対にない。むしろ、そうやって見下してばかりいるお前こそ、哀れな野郎だって今は思う」

「なんだとこら! 調子に乗ってんじゃねえぞ底辺が。本当は俺みたいになりてえとか思ってんだろ。去年散々痛めつけてやったのを忘れたか」

「周! やめろ」

「黙ってろ楓夏!」


 あろうことか、今鷹は止めに入った楓夏を突き飛ばした。この時、俺の忍耐もまた限界に達した。すぐに楓夏を支え、奴の前に立つ。


「ふざけるな今鷹。俺は一度だって、お前みたいな奴になりたいなんて考えたこともない。底辺だとか抜かしてるお前のような奴に、俺は絶対になりたくない。とっとと消えろ」

「ぐ……この、クズ野郎が!」


 叫びと共に、視界がぐるりと回った。楓夏が悲鳴を上る。頬の痛みでようやく気づいた。

 ああ、なんだ俺。殴られたのか。


「何をしているんだ!」


 しかし、この一発が決定打になった。教室にやってきた教師が止めに入り、俺たちの二度目の戦いは終わった。


「どけよクソが! ぶっ殺してやる! 畜生がぁああ!」


 教師にはがいじめにされても、奴は必死に俺を殴ろうとしていた。完全に現行犯、言い逃れなんて一切できない。


 今度は誰にも庇われることがなかった今鷹は、一年前の俺と同じように停学になった。これは後で聞いた話だけど、どうやら奴は最初こそ学校で大きな人望を集めていたが、時が経つにつれて人が離れていったんだとか。


 他の女子に付き合ってもらえなくなったので、最終的に楓夏のところに戻って来たというのなら、こんなに失礼な話はない。大きく評価が落ちた奴は、もう俺たちに関わってくることもなくなった。その後成績不振となり、高校にもいられなくなってしまったらしい。


 栄光に彩られていた人生だって、結局どうなるかは分からない。一年前の因縁は、これでようやく解決を迎えた。

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