良かったら弁当でも食べないか

 俺としてはこういう生活は長くは続かないと思っていた。というか一日くらいで終わるかと思いきや、なんだかんだで毎日のように木闇とは一緒に帰るようになっていた。


 時折笑顔も見せるようになってきた彼女に、どうも戸惑ってしまう自分がいる。もしかしたら嫌われていたというのは、思い過ごしだったのかもしれない。でも、あの日の衝撃は半端ではなかったはずだし、そこだけは決して触れないように日々を過ごしてきた。


 あるの日のお昼。部活以外ではぼっちの俺は、気分転換に屋上へと行き弁当を食べることにした。実は入っちゃいけないのだが、出口の扉は鍵がかかっていない。だから俺と同じように、たまにこっそりとやってくる生徒がいる。


 しかし、こうして見るとデッカいビルだらけで、あんまり見栄え良くないかも。そんなことを考えつつ、なぜか妹が作ってくれた弁当を食べようとカバーを開くと、スマホから着信音が鳴った。


「あれ。誰だろ、こんな時に」


 ふと携帯の画面を見て、俺はドキッとしてしまう。木闇じゃないか。


 そうだった。実は連絡先まで交換してたんだった。勉強が分からなくなったら教えてくれるという親切さに甘え、憧れの存在とやり取りできるという信じ難い状況。俺の人生、本当にどうしちゃったんだろ。


『今どこにいる? 良かったら弁当でも食べないか』


 マジかよ。え……一緒に弁当を? 木闇が俺と?


 脳内が完全にパニック状態に陥ってしまうが、ここでNOを言うような……世界中の人間から非難轟々確定となる返答など流石にするはずもなく、とにかく返事は『はい』であることと、現在地は屋上でありますとお伝えした。うん、完全にテンパってしまってる。


 数分くらいして、下へ降りる階段から軽快な足音が響いてきた。扉を開いてやってきた木闇は、何だかいたずらっ子みたいな笑顔を浮かべている。


「君はけっこう大胆なんだね。入っちゃいけないって思いきり書いてあるぞ」

「ああ、あれか。俺の情熱はあんな立て看板じゃ止められない」

「へえ、不思議な情熱だね」

「あの教室から逃げたい! っていう情熱だったら誰にも負けない」

「それ情熱じゃないし」


 彼女は笑いながら俺の隣に座った。最近はもう隣にいることが普通になってしまっている。しかし、どうにも慣れない変な感覚があった。まあ、簡単に言えば憧れの人が隣にいるっていうのは、とにかく緊張しちゃうのである。


 っていうか、普通に一緒に弁当食べるようになっちゃったよ。俺の黒い弁当箱の隣には銀色の弁当箱がある。教室ではまあ席が隣だから、必然的に近くで食べることもあるけど、こういう場所だと全然感覚が違う。


「へえー。君のお弁当って……」

「お弁当って、なに?」

「なかなかその、経済的だねっ」

「いい誤魔化し方だな! そうだよ。ほとんど米しかないよ!」


 作ってくれるだけありがたいが、今日だってほとんど白米に梅干し、あとちょっとした漬物が入っていただけ。


「ちょっと食べる?」

「え?」


 そう言いながら、木闇は自身の可愛らしい弁当箱から豚肉を取り出すと、俺の弁当のご飯に入れてくれた。


「お、おおお! に、肉! 肉をくれるとは」

「オーバーだな。それならこれもあげよう」


 なんだかんだで、サラダやポテトの一部、引いては食後のデザート部分まで分けてくれた。


「いいの本当に!? うおー! ご馳走だ」

「まあ、隣の男子が倒れちゃったら迷惑だからね」

「俺はこのくらいでは倒れむぐ」

「あはは! 食べてから喋らなきゃダメだよ」


 注意しているようだが、目は笑っていた。ああ、女子と二人で屋上で弁当食べるなんて、こんな奇跡が人生で起こるものなのか。冷静に考えると、ここしばらく俺の人生はバグっている。それもかなり。


「最近どうしちゃったんだろうな。俺の人生」

「ん? 急にどうしたの」

「いや、なんか充実してきたなって思って。木闇のおかげで」

「そんなことないよ。だって大河は、ホントはもっと充実してたはずでしょ」

「いやいや! 俺は別に。それより、木闇のほうが……」


 言いかけて、俺は触れてはいけない領域に足を半歩入れたことに気がついた。それはこれまでの二人にあった、決定的な一年前の出来事に抵触する話題だ。図らずも自ら踏んでしまった地雷に、激しい後悔の念が沸く。


「私は、別に……」


 その先が続かないことは、幸か不幸か。しかし、彼女の奇妙な優しさがなぜこうも続くのか。その意図はどうしてなのか、俺は猛烈に知りたかった。だから、とうとう超えまいと必死に注意していたラインを超えた。


「え、えっとさ! 木闇はその、俺のこと……憎んでないのか?」

「……え?」


 この時、彼女は目を丸くして固まった。まるで予想していなかったことがありありと伝わる、あどけなさすら感じる表情。俺は心臓が跳ね上がるほどだったが、なんとか言葉を繋げる。


「俺は一年ちょっと前。その……木闇と今鷹のアレを見た。見ただけで終わらせれば、後は胸の中にしまいこんでいればと思ったけど、俺は教室に入っちまった。もし俺が乱入さえしなければ、きっと」

「きっと、なんだ?」


 言葉が詰まる。自分でも何を語っているのかが分からなくなり、戸惑いつつも必死に頭を働かせた。木闇はすでに弁当を食べる手が止まり、こちらがなにか言うのをずっと待っている。


「君が一人でいるところを、よく見るようになった。あのことで、本当に辛い気持ちになったんじゃないか? 側から見ただけで、君が変わったことが俺にだって分かるんだ。きっと死ぬほど辛かったんじゃないかって思ってた。俺のことがなかったら——今鷹のことだけだったら。もしかしたらそこまで傷つくことはなかったんじゃないか。君は、たった一度の告白を滅茶苦茶にした俺を恨んでいると思っていたし、それは当然のことで、」

「違うよ、大河」


 静かに、彼女は俺の言葉の続きを否定する。わかりきった結論に対して、彼女にしては珍しく続きを遮った。


「私は、君のことを恨んでなんかいない。それに、振られたのは私が、私が、相手にされなかっただけ。私はずっと大事に思っていた思い出だったけど、今鷹にはきっと他のみんなと変わらなくて、頑張っても異性とは見てもらえなくて、それで、それだけ……で」


 声が掠れていくのが分かった。俺は彼女の独白をただ黙って聞いていた。自分の心に棘が刺さっていくような不思議な感覚。あの告白を目撃した日と同じようで違う、奇妙な痛みをぐっと堪える。


「私がダメになるのは良かった。でも、君が……君が苦しそうにしているのを見て、本当に辛かった。関係なかったのに私のために本気で怒って、暴れて……一方的に怒られちゃって。ずっと、ずっと謝りたかった」

「あ、謝る? なんで!?」


 俺は彼女と正面から向かい合っていた。瞳からは大粒の涙が溢れ、瞳孔の中に情けない顔をした男がいる。


「だって、私のせいで君が。ずっとクラスで一人ぼっちになった。私を助けなかったら、きっと、きっと楽しく……いられ……て……」


 この散々な状況の中で、俺はただ彼女の話を聞いていた。でも同時に、木闇という女の子が、大河という平凡な男を勘違いしていることに気がついていた。だから、神妙な顔になりつつも、少しだけ気を楽にする言葉を思いついたんだ。


「木闇は、俺のことを誤解してるよ」

「……ご、かい?」

「うん。まず、多分だけどあのことがあってもなくても、きっと俺はぼっちだったと思うんだよね。ほら、俺ってコミュ力ないじゃん? だから、何も気に病む必要はないよ」

「で、でも!」

「今鷹のことは、もうどうでもいいんだ。だって全部、終わったから。俺は別に、ノーダメージだよ。気づけば終わってる。どっちにしたって一度はゲームオーバーになったんだから、高校二年でやり直しができたと思ってる。それに」


 ちょっと強めに深呼吸をする。ヤバい、超緊張してきた。でも言わなくちゃ。


「最近じゃ木闇と一緒だから、凄く楽しいし救われてる。むしろ俺は、今の毎日が好きだよ。全部、木闇のおかげだ」

「ち、違うよ! 私はそんな」


 雨っていつの間にか止んでることが多いけど、女の子の涙もいつかは止まる。もう一度隣に座って、俺は彼女が落ち着くまで待つことにした。


 どれだけ時間が経っていたのかな。ようやく彼女の心の雨は止んだ。


「大河は私のこと、うざいって思わないの?」

「ん? 思うわけないじゃん。むしろ最高だよ。百回くらいありがとうって言いたいよ! それと、これからもよろしく」

「……うん。分かった。それと、急がないとね。もうお昼終わっちゃうね」

「え。——うわ! やっべー! 早く戻ろうぜ」


 俺たちは焦って駆け足になりながら、教室へと戻っていった。でも、二人ともなぜか顔は笑っていたし、なんか安心してる自分がいる。お互いの誤解が解けたその日から、俺たちの生活はもっと楽しくなっていった。

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