私が教えようか
一夜明けて、今日も俺は怠さマックスで学校に向かった。
とはいえ、とりあえず木闇とは会話自体はできたので、あの気まずくて重い空気にはならないだろう。
安心できるとぼっちでも高校生活に希望が持てるんだな。そんな風に考えていたんだけど、とある授業で雰囲気が一変した。
「ではこの数式の答えを……大河君。答えてみなさい」
「あ……え、えーと。分かりません」
俺を指名した先生は、一瞬だが戸惑いつつも他の人を指名した。まあ、今回は応用というより基本問題だったから、呆れられてしまったのかもしれない。
「君は、数学があまり得意ではないのか?」
そんな時、突然隣にいたショートカット女子が小声で質問してきた。ふと彼女の目を見ると、なにか真剣な眼差しが怖いくらいに突き刺さる。
「あ、ああ。一度ブランクがあってさ。それから追いつくのに苦労してて」
実際にはモチベーションの問題なのだが、ここでやる気がないんですとか言うと、真面目な木闇は今度こそブチギレるかもしれない。しかし、彼女は「そうか」とだけ返答して、後は普通に授業を受けていた。
もしかしてただの興味本位な疑問だったのか。いろいろ悩んだが分からなかった。それからまた授業が続き、今日もあっという間に放課後がやってくる。
「お疲れ。また明日」
俺は消え入るような声で、木闇を含めたみんなに声をかけて椅子から立ち上がった。
「待ってくれ。私も行くから」
「あ、うん」
そっかー……と自然と受け入れたところで、強烈な違和感が頭を支配した。なんか知らないけど、木闇と普通に帰る流れになってない?
しかし、こういう確認をするにしてもタイミングが重要なわけで。俺はごく自然に校舎を二人で歩き、昨日と同じように並木通りを散歩するように進む。おかしい、これはどう考えても不自然極まりない事態だ。だが、木闇は何も気にしている様子がないから不思議でしょうがない。
「そういえば大河。二時間目の数学が気になったのだが」
「え? ああ、数学かー、うん」
「はっきり言って申し訳ないのだが、君はかなり授業から遅れているんじゃないか?」
「ああ……そうだけど」
否定したってすぐにバレる話だ。俺は正直に認めた。
「これからはどんどん授業内容も難しくなる。きっと凄く大変なことになるな」
「そうなんだよ。分かってはいるんだけどさ。自分で勉強しても理解できんことだらけで、まあジリ貧って感じかな」
塾に行くような金なんてないし、教えてくれる人もいない。だから独力で必死に頑張っていたが、結果がついてこないので余計に苦しかった。
「教えてくれる人はいないのか?」
「いない。だから何とか頑張ってみるよ」
「良い心がけだと思うけど、それでは苦しいだろう。私が教えようか」
「まあ、木闇さんが教えてくれるなら……え!?」
声が裏返ってしまう。一体全体、彼女はどうしてしまったんだろう。この落ちぶれ野郎の個人教師を務めてくれるなんて発想が、どうしてここで出てくるのか。謎が謎を呼び、ただの勉強の悩みがミステリーの領域まで踏み込みつつある。
「北町駅の近くに図書館があるだろう。そこでいい?」
「い、いいけど。なんで教えてくれんの?」
「ん。え、えーと。その、気分?」
どうして俺に疑問系で返ってきたのか謎だが、きっとこういうものなのだろう。俺は半ば脳死状態で彼女の後に続き、中学校以来ほとんど行ってなかった図書館に入っていく。
元々北町は県内では人口も少なく、そこまで大きな施設はない。図書館は一階建てで、コンビニよりけっこう広いかな、程度の面積しかない少々残念な施設だ。
窓ガラスの向こうには駅や商店街の街並みが見えている。とはいえどこかのカフェよりは落ち着いて勉強ができるところではあった。
「ここにしょうか。じゃあ早速今日の数式から復習しよう」
「あ、ああ」
当然ながら学生から一般の人までいるような場所なので、そもそもの狭さと相まって席の確保に苦労する。どうにか座れたのは窓際のテーブルだった。向かいに椅子はないので、窓際に木闇が、その隣に俺が座るという状態になった。
この位置関係は普段とは真逆で、なんか不思議な感じがした。それとテーブルが小さいせいか、いつもより距離が近い。彼女の肩が触れてしまうんじゃないかと思うくらい。
「君が間違えたのは、確か①の問題だったな」
「そうなんだよ。っていうか、一番最初から間違っちゃった」
「大丈夫。わかりづらいと思うけど、ここをちゃんと覚えれば応用も難しくない。まずは——」
それから数十分。木闇先生による個人授業が始まった。普段は無口だけど、教える時の説明はとても分かりやすい。俺はいつしか勉強に夢中になり、分からないところはすぐに質問したりして、どんどん理解を深めることに成功していた。
「君はやっぱり飲み込みが早いんだな。私はこの式の応用を覚えるのは苦労したんだ」
「いやいや! 全然。木闇さんの教え方が上手いからだよ。すげえって思う」
「ふふ。そんなことはないよ。数学は今日のところは大丈夫だろう。あっ、たしか化学も悩んでいたな」
「え? ちょ、ちょっと。悪いよ、そんな」
「気にしなくていい。まだ時間がある。良かったら教えよう」
ええー。どんだけ親切なんだよ。俺はもしかして、木闇は別に恨みなんて持ってないんじゃないかと考え始めていた。普通に考えて嫌いな相手にここまではしてくれない気がする。
それと、彼女から漂ってくるシャンプーか何かの香りが、もう俺には素晴らしく刺激的だった。思えばこうやって女子と一緒に勉強をすることに昔から憧れていたような気がする。
まあ、今回については一方的に教えてもらっている側なんだけど。考えるとだんだんドキドキしてきて、ちらっと隣の憧れの美少女を見やる。
「……え!?」
「ん。どうした」
不思議そうに、きょとんとした顔になっている木闇。彼女はきっと気がついていないのだろう。このアングルにいる俺だからこそ分かったのだが……。
ガラスの向こうに知っている奴がいた。商店街の通りから、まるで汚物を見るような険しさ満点で睨みをきかしてくる男。間違いなく元クラスメイトである今鷹だった。
「いや! ちょっとここの実験結果が分からなくてさ。覚えたと思ったんだけどなー」
「ん? これはさっき説明したところだぞ。もう、しょうがないな」
ちょっとだけ不機嫌な声を出しつつも、丁寧に説明し直してくれる彼女に、俺は今鷹がいることを教えるべきかどうか悩んでしまう。しかし、気づかないならそのほうがいい気がした。
今鷹は乱入してくるのかと不安だったが、ただ静かに通りから去っていった。心臓がバクバクな中、何事もなくて良かったと安心する。
その後はなんだかんだで、二人で勉強する時間が続いた。たまの休憩にしてくれる雑談が、俺の心を安心させてくれるとともに、一年前の後悔が頭痛みたいに心の中を痛めつけていた。
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