第三章 押してだめなら引けばいいのよ③
あの後は件のマルガリータという令嬢を、あっという間に貴族たちが取り囲んでいた。
魔力のない王女がもう一人誕生するのだとしたら、今のうちから少しでも取り入っておこうとでも思うのだろうか。
様々な思惑でその令嬢と縁をつなごうと沢山の人が頑張っていた。
そしてそんな貴族たちの中で、オルセン男爵はこの上もなく鼻高々のようだった。
しかし私は
その子が魔女だと判定されたのなら、どうしてあの学院に送られなかったのか。
母が魔女だったのならば、その生家を通じて
なのに、なぜ
そう考えたとき、思い出したことが一つあった。
「紋章入りのブローチ」と聞いたときに浮かんだ、あの学院でのとある出来事。
かつて私はあの学院で、まさしく「紋章が入っているブローチ」を頼まれて「隠した」ことがあったのだ。
当時は私もまだまだ子どもであまり気にしていなかったのだが、今思うとあれは王家の紋章だったような気がする。
そして彼女は……マリーは、確かに「母の形見」と言っていた……。
もちろん紋章が入ったものを
あの時の私はまだ子どもだった上に「外の世界」にも
ついでにマリーと相談して宝石の見かけの色とデザインも変えた。
その結果、その高価そうで
でもマリーから見たら、それは
マリーはとても喜んでくれて、その美しい黄金の髪と黄金の瞳をキラキラと輝かせながらお礼を言ってくれたものだった。
彼女も高い魔力を持つ魔女の例に漏れず、とても美しい子だったっけ……。
彼女はたしか、帰るべき先がないとのことでまだあの学院にいるはずだ。
……あのマリーの方が、本物っぽくない?
魔力を赤ん坊の時に認められて親の顔を覚える前からあの学院で育つ子は少なくはなかったが、たいていそういう子でも身元はちゃんとわかっていた。どこの家の子で誰が親か。
でもマリーはたしか、捨て子だったはず。あの母の形見というブローチと共に学院の前に捨てられていたと私は聞いていた。つまり、身元がわからない。
しかしその形見には王家の紋章が入っている……?
そんな物を持っている子だったら
「…………」
一度疑いを持つとなかなか頭から離れないものだ。
そんな風にもやもやと私が考え込んでいたら、しばらくして、なんとそのマルガリータ嬢をオルセン男爵が結婚させようとしているという話が私の耳に入ってきた。
あれだけ「王の娘」説を熱心に
私は両親との夕食の席で母からその話を聞いて、とても驚いた。そしてなんと父もその話を聞いていたらしいことにさらに驚いた。
「そんな話も出ているらしいね。一部の貴族が、オルセン男爵としてはどこかの高貴な家に
私の父はあまり政治や家同士の
私の母も普段は大人しい女性なのだが、最近は私が公爵と婚約したことで、あちこちのお茶会に引っ張りだこになっている。今回もそこでこの話を仕入れたようだ。そんな母は、
「男爵家が保護した平民のお嬢さんが誰と結婚しようが、当人同士が良いなら本来興味はないのですけれどね。ただその相手にアーデン公爵を
と顔を曇らせていた。
「最初に養女にしたマリリン嬢が伯爵家の次男と婚約してしまったから、次こそはという話は聞くね。アーデン公爵はもううちのエレンティナと婚約しているというのに、失礼な話だ」
父も不満げだ。
「本当にそうですよ。でも王家が万が一その方を王女だと
「もしも王家から通達があったら、我が家は
すでに両親は半分諦めているようだ。
さすがに王から婚約を解消せよと言われたら、私たちにイエス以外の返事はない。
もしもそうなったら。
私は、自由になる。それは当初の目的であり目標だったもので。
それならば、いいんじゃない? もしあの令嬢が王女だったのなら。
このままアーデン公爵はその身分に
それはおそらく、誰も困らないハッピーエンド。
あの令嬢が王女という身分で
あのシトリンの瞳のお嬢さんがアーデン公爵と寄り添うところを想像したら、なぜか心の奥のどこかがつきりと痛んだけれど。
でもそれはきっと、一時のこと。
だから、そう。私の寂しさは、隠すべき。隠すのは簡単だ。私は「隠す」のが得意なのだから……。
と、思っていたのだ。思ってはいたのだが。
しかし王宮が事態を重く見てそのシトリンの瞳のマルガリータ嬢を王宮へ
自信満々で
彼はあのお嬢さんが王女だと確信しているのだろう。
そしてとうとうどこぞのパーティーでアーデン公爵に、しかも
「アーデン公爵のような高貴な身分のお方には、貴族の令嬢などよりも王女の方がお似合いですよ。そういえばここだけの話、実は先日のお披露目の時に、あの子が貴公を
たようでしてなあ」
とやったらしい。
今は私が公爵とパーティーに出るのを出来るだけ遠慮しているので、オルセン男爵はおそらくそんな私のいない時を狙ったのだろう。
彼と会うと、最近なんだか心が苦しい。でも会いたい。でもそれはいけないこと。
そんな
だからそんなオルセン男爵の話を他から聞いても、私はその人に、その時公爵はどう答えたのかも聞けなかった。
そんな話は笑い飛ばしてほしい。もう私がいるからと、きっぱりと断ってほしい。
ついそんな気持ちがわき上がってしまって、もうどう反応すればいいのかもわからなくなってしまったのだ。
でも、もしあの令嬢が本当に王女だったとしたら。
(そうしたら本当に、明らかに、こんな
そんな割り切れない気持ちでいるうちに、そのマルガリータ嬢が一向にオルセン男爵のもとに帰される気配がないことで、貴族たちの間ではどうやら彼女を王女と認める方向に動いているのではないか、もう王宮の奥で、王女としての生活を始めたのではないか、そんな
あの令嬢は本当にマルガリータ王女だったらしい。今は王宮の奥で、正式にお披露目するために王女としての教育を受けているのだろう。
そんな
あの瞳の色が、生まれた時に誤解されてしまったのだ。追放は
しかしそんな説がまことしやかに流れ始めると、それに比例するかのように、私は心の中にしまったはずの疑惑がもやもやと大きくなっていくのを止められなかった。
私は考えてしまったのだ。アーデン公爵のこれからを。
いや、いいのよ。誰もが
不遇の王女が家族と再会し、麗しい高貴な男性と結婚する。なんて素敵なおとぎ話。
この場合、私の気持ちは問題ではない。貴族の結婚というものは、そういうものだから。
家の格、身分、財産、そういうものの
それに今、身分的に王女が降嫁する先として誰が見ても
まあ順当ですね、そうでしょうねという話である。
だからその時がきたら私はきっと頑張って笑って、おめでとうと言うのだろう。
(……でも、その「王女」が万が一
もし、万が一にも偽物だと後からわかってしまったら、天下の名家アーデン公爵家が噓つきの平民を娶ったことになってしまうのでは?
そうしたら、アーデン公爵もただではすまなくなる。結婚した後のスキャンダルならば、それはアーデン公爵家のスキャンダルとなるのだから。
王族ともたびたび婚姻するような名家アーデン公爵家が、騙されて貴族でもない女を娶ったと笑われてしまう。
しかもそんなことになった時に、すでに
高貴な名家アーデン公爵家の跡取りに半分しか貴族の血が入っていないというのは、他の貴族の人たちからの
なにしろ私の見てきた貴族なんて、血筋がなによりも大切な人たちなのだから。
でも私は、アーデン公爵がどんなに真面目で優しい人なのかを知っていた。
とても
そんな彼が、まんまと騙されたと貴族中の笑いものになる可能性を私としてはどうしても見過ごせなくて。
疑いつつも
仕方がないので私は散々
考えてみれば、公爵がエスコートのために私の館の
でもそれだけでも結構
最初の緊張して全然話さなかった頃に比べたら、最近では
幻の耳を
そんな公爵様が私の視線を
だからそんな彼のために、私は一度だけ忠告をしよう。
後悔のないように、慎重に見極めてほしいと。必要なら再調査もしてほしい。そして納得のいく決断をしてほしい、と。
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