第三章 押してだめなら引けばいいのよ③


 あの後は件のマルガリータという令嬢を、あっという間に貴族たちが取り囲んでいた。

 魔力のない王女がもう一人誕生するのだとしたら、今のうちから少しでも取り入っておこうとでも思うのだろうか。

 様々な思惑でその令嬢と縁をつなごうと沢山の人が頑張っていた。

 そしてそんな貴族たちの中で、オルセン男爵はこの上もなく鼻高々のようだった。

 しかし私はに落ちない。仮にも王家の血を引く娘であれば。

 その子が魔女だと判定されたのなら、どうしてあの学院に送られなかったのか。

 母が魔女だったのならば、その生家を通じてごくに、かつすみやかにおそらくはその母の母校でもあるあの学院に収容される案件である。

 なのに、なぜせいに放置されていたのか?

 そう考えたとき、思い出したことが一つあった。


 「紋章入りのブローチ」と聞いたときに浮かんだ、あの学院でのとある出来事。

 かつて私はあの学院で、まさしく「紋章が入っているブローチ」を頼まれて「隠した」ことがあったのだ。

 当時は私もまだまだ子どもであまり気にしていなかったのだが、今思うとあれは王家の紋章だったような気がする。

 そして彼女は……マリーは、確かに「母の形見」と言っていた……。

 もちろん紋章が入ったものをされることはある。たいていは人々の前で王から直々に贈られて、その後はその家の中で家宝のようなあつかいになって大切に保管されることになるだろう。しかし個人の持ち物としてそういうものを持っていたということは、個人的に王家の人間から贈られたとみるべきで。

 あの時の私はまだ子どもだった上に「外の世界」にもうとくて、よく考えもせずにただ単にそれがお母様の形見なら大事なものよね、と快くその紋章を見えないように「隠す」魔法をかけてあげたのだ。

 ついでにマリーと相談して宝石の見かけの色とデザインも変えた。

 その結果、その高価そうではなやかなブローチは地味なデザインのありきたりな模造品のように見えるようになった。他人から見たらたいしてりょくのない、子どもが持っていても違和感のない安っぽいブローチ。

 でもマリーから見たら、それはゆいいつの大切な母からの贈りもの

 マリーはとても喜んでくれて、その美しい黄金の髪と黄金の瞳をキラキラと輝かせながらお礼を言ってくれたものだった。

 彼女も高い魔力を持つ魔女の例に漏れず、とても美しい子だったっけ……。

 彼女はたしか、帰るべき先がないとのことでまだあの学院にいるはずだ。

 ……あのマリーの方が、本物っぽくない?

 ねんれいもたしか今十六歳くらいになっているはず。

 魔力を赤ん坊の時に認められて親の顔を覚える前からあの学院で育つ子は少なくはなかったが、たいていそういう子でも身元はちゃんとわかっていた。どこの家の子で誰が親か。

 でもマリーはたしか、捨て子だったはず。あの母の形見というブローチと共に学院の前に捨てられていたと私は聞いていた。つまり、身元がわからない。

 しかしその形見には王家の紋章が入っている……?

 そんな物を持っている子だったらさがす親族や関係者がいてもおかしくはないのに、そういえばマリーを捜しに来たという人は、私の知る限り一度も現れていなかった。


「…………」


 一度疑いを持つとなかなか頭から離れないものだ。

 そんな風にもやもやと私が考え込んでいたら、しばらくして、なんとそのマルガリータ嬢をオルセン男爵が結婚させようとしているという話が私の耳に入ってきた。

 あれだけ「王の娘」説を熱心にあおっていたオルセン男爵が、次は何を考えてそんなことを言い出したのだろう?

 私は両親との夕食の席で母からその話を聞いて、とても驚いた。そしてなんと父もその話を聞いていたらしいことにさらに驚いた。


「そんな話も出ているらしいね。一部の貴族が、オルセン男爵としてはどこかの高貴な家によめに出して格上の家との関係を強めたいのだろうと噂している。もともとあの家は金で男爵位を買ったじょうしょう志向の強い家だしね。それにあの令嬢を王女と確信したらしいいくつかの家から、すでにしんもあるという話だよ」


 私の父はあまり政治や家同士のこうそうに興味はないのだが、それでもそんな話を知っているということは、今は社交界がその話題でもちきりなのだろう。

 私の母も普段は大人しい女性なのだが、最近は私が公爵と婚約したことで、あちこちのお茶会に引っ張りだこになっている。今回もそこでこの話を仕入れたようだ。そんな母は、


「男爵家が保護した平民のお嬢さんが誰と結婚しようが、当人同士が良いなら本来興味はないのですけれどね。ただその相手にアーデン公爵をねらっているという噂があるのはちょっと気がかりね」


 と顔を曇らせていた。


「最初に養女にしたマリリン嬢が伯爵家の次男と婚約してしまったから、次こそはという話は聞くね。アーデン公爵はもううちのエレンティナと婚約しているというのに、失礼な話だ」


 父も不満げだ。


「本当にそうですよ。でも王家が万が一その方を王女だとにんていしたら、王女のこう先として一番良いお相手なのは確かですわ。もしもそうなってしまったら……」

「もしも王家から通達があったら、我が家はえんりょするしかないだろうな。残念だが……」


 すでに両親は半分諦めているようだ。

 さすがに王から婚約を解消せよと言われたら、私たちにイエス以外の返事はない。

 もしもそうなったら。

 私は、自由になる。それは当初の目的であり目標だったもので。

 それならば、いいんじゃない? もしあの令嬢が王女だったのなら。

 このままアーデン公爵はその身分に相応ふわさしい魔力のない王女を娶り、私は彼との思い出とともに学院に帰る。

 それはおそらく、誰も困らないハッピーエンド。

 あの令嬢が王女という身分でとつぐなら、公爵家の格もさらに上がり家系に魔女が生まれることもなく、そして私は自分の能力を生かした仕事ができる。なんて素晴らしい。

 あのシトリンの瞳のお嬢さんがアーデン公爵と寄り添うところを想像したら、なぜか心の奥のどこかがつきりと痛んだけれど。

 でもそれはきっと、一時のこと。

 だから、そう。私の寂しさは、隠すべき。隠すのは簡単だ。私は「隠す」のが得意なのだから……。

 と、思っていたのだ。思ってはいたのだが。

 しかし王宮が事態を重く見てそのシトリンの瞳のマルガリータ嬢を王宮へげてから、もう何日もっていた。


 ちまたでは、本物だからしんちょうになって時間がかかっているという人たちと、いや疑わしいから時間がかかっているのだという人とに分かれて議論され、おんな空気がただよっていた。

 自信満々でようようなのはどうやらオルセン男爵だけらしい。

 彼はあのお嬢さんが王女だと確信しているのだろう。

 そしてとうとうどこぞのパーティーでアーデン公爵に、しかもしゅしょうの目の前で、


「アーデン公爵のような高貴な身分のお方には、貴族の令嬢などよりも王女の方がお似合いですよ。そういえばここだけの話、実は先日のお披露目の時に、あの子が貴公を

たようでしてなあ」


 とやったらしい。

 今は私が公爵とパーティーに出るのを出来るだけ遠慮しているので、オルセン男爵はおそらくそんな私のいない時を狙ったのだろう。

 彼と会うと、最近なんだか心が苦しい。でも会いたい。でもそれはいけないこと。

 そんなかっとうに苦しくなった私は、もうどうしていいかわからなくて、最近では家に引きこもることが多くなっていた。

 だからそんなオルセン男爵の話を他から聞いても、私はその人に、その時公爵はどう答えたのかも聞けなかった。

 そんな話は笑い飛ばしてほしい。もう私がいるからと、きっぱりと断ってほしい。

 ついそんな気持ちがわき上がってしまって、もうどう反応すればいいのかもわからなくなってしまったのだ。

 でも、もしあの令嬢が本当に王女だったとしたら。


(そうしたら本当に、明らかに、こんないっかいの伯爵令嬢なんかより相応しい……)


 そんな割り切れない気持ちでいるうちに、そのマルガリータ嬢が一向にオルセン男爵のもとに帰される気配がないことで、貴族たちの間ではどうやら彼女を王女と認める方向に動いているのではないか、もう王宮の奥で、王女としての生活を始めたのではないか、そんなおくそくがとうとう流れ始めた。

 あの令嬢は本当にマルガリータ王女だったらしい。今は王宮の奥で、正式にお披露目するために王女としての教育を受けているのだろう。

 そんなにんしきになりつつある。

 あの瞳の色が、生まれた時に誤解されてしまったのだ。追放はちがいだった。

 しかしそんな説がまことしやかに流れ始めると、それに比例するかのように、私は心の中にしまったはずの疑惑がもやもやと大きくなっていくのを止められなかった。

 私は考えてしまったのだ。アーデン公爵のこれからを。

 いや、いいのよ。誰もがあこがれるうるわしの公爵が、「実は王女だった令嬢」と結婚するとしたら、それは非常にめでたいことだ。


 不遇の王女が家族と再会し、麗しい高貴な男性と結婚する。なんて素敵なおとぎ話。

 この場合、私の気持ちは問題ではない。貴族の結婚というものは、そういうものだから。

 家の格、身分、財産、そういうもののいが一番大事なのだ。

 それに今、身分的に王女が降嫁する先として誰が見てもなっとくのいく独身男性といえば、アーデン公爵が筆頭なことには違いないのだし。

 まあ順当ですね、そうでしょうねという話である。

 だからその時がきたら私はきっと頑張って笑って、おめでとうと言うのだろう。


(……でも、その「王女」が万が一にせものだったら?)


 もし、万が一にも偽物だと後からわかってしまったら、天下の名家アーデン公爵家が噓つきの平民を娶ったことになってしまうのでは?

 そうしたら、アーデン公爵もただではすまなくなる。結婚した後のスキャンダルならば、それはアーデン公爵家のスキャンダルとなるのだから。

 王族ともたびたび婚姻するような名家アーデン公爵家が、騙されて貴族でもない女を娶ったと笑われてしまう。

 しかもそんなことになった時に、すでにあとりが生まれていたらなおまずい。

 高貴な名家アーデン公爵家の跡取りに半分しか貴族の血が入っていないというのは、他の貴族の人たちからのさげすみの対象になるかもしれない。

 なにしろ私の見てきた貴族なんて、血筋がなによりも大切な人たちなのだから。

 でも私は、アーデン公爵がどんなに真面目で優しい人なのかを知っていた。

 とてもおだやかでじゅんすいな人。特別顔がいい引きこもり。

 そんな彼が、まんまと騙されたと貴族中の笑いものになる可能性を私としてはどうしても見過ごせなくて。

 疑いつつもだまっているのは、とってもこうかいしそうな気がし始めてしまって。

 仕方がないので私は散々なやんだ挙げ句、密かにアーデン公爵に会いに行くことにしたのだった。

 考えてみれば、公爵がエスコートのために私の館のげんかん先まで来たことはあったが、反対に私が公爵ていに行ったことは今まではなかった。

 たいてい会うときは公園で散歩かお店でお買い物か、またはお店でお茶をするかパーティーに行くか。いわゆる一般的なデートしかしたことがなかったから。

 でもそれだけでも結構ひとがらってわかるものなのね。そして今思うと結構楽しかったわね。

 最初の緊張して全然話さなかった頃に比べたら、最近ではずいぶんと私には気を許してくれるようになった。なんというか、なついたというか。

 幻の耳をかせて尻尾を嬉しげにフリフリしているのが見えるような、そんなぜいでたたずむ美貌の公爵を眺めているのは、なかなか楽しかった。


 そんな公爵様が私の視線をとらえるたびに、にっこりと微笑み返してくれるのが好きだったな……。

 だからそんな彼のために、私は一度だけ忠告をしよう。

 後悔のないように、慎重に見極めてほしいと。必要なら再調査もしてほしい。そして納得のいく決断をしてほしい、と。

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