第三章 押してだめなら引けばいいのよ⑤


 公爵家のお茶はそれはそれは美味おいしくて、お茶と共に出されたおも素晴らしい手のんだせんさいさと美味しさだった。

 さすが公爵家。お金持ちってすごい。お茶とおちゃのレベルがいちいち高い。

 しかしそのおそらく最高級のお茶を、ゆうな仕草以外は全てが残念な状態の男が飲んでいるのを見て、私は今までの苦労は何だったのだろうとちょっと遠い目になっていた。

 ボサボサ頭でよれよれシャツの男、それが今の公爵だった。

 しばらく会わないうちに、ボサボサの髪がその美しい顔を隠し始めていた。これ、このまま放っておくと、またあの初めて出会った時のような見かけになるのだろうな……。

 おそらくこれが本来の彼ということなのだろう。

 どんなにえを良くしても、中身はこういう人なのだと、私は理解した。

別に私は見栄えを気にするたちでもないし、こうして眺めているとこの状態も、今や非常に彼らしい気もしてきているから別にいやというわけではない。

 ただ、これまでの「アーデン公爵モテモテからの素敵な出会い作戦」が完全なる徒労だったことに、少々むなしさを感じているだけだ。

 私、なにやっていたんだろう……。

 かぐわしいお茶をいただきながら、私は遠い目のまま思った。

 うん、お茶が美味しいね……ふふ……。


「ところで今日は、突然どうしたんですか?」


 今までは私が「人前ではちゃんとした格好を」なんて言っていたせいか、私の前でもいつもパリッとした格好をくずさなかった公爵だったが、どうやらもうていさいつくろうのは諦めたらしく、目の前の公爵は実に晴れ晴れとした雰囲気をかもし出しながら言った。


「ああ……そうですね……そう、用事がね……ありましたね……」


 一瞬何だったっけ? などと思いはしたが、幸いなんとか思い出すことが出来た。

 いやあ、でも、ちょっと事情が変わったようなそうでないような?


「突然いらっしゃったくらいですから、急用だったのでしょう?」


 そう言って微笑む公爵の目が、えとした光を放っている。

 格好はどうでも顔だけ見たら本当に美しい人なのだが、まさかそれが「魔術師であるがゆえの美しさ」だとは今まで全く考えたことがなかったな……。


「あー、急用だと……思ったのですが、どうやらこの状況ではまた事情が変わったのかもしれません」

「それは私が魔術師だとわかったから?」

「まあ、関係あるかと……」

「それでもあなたが我が家までけつけてくださるくらいの事情というものに興味があり

ますね。何がありました?」


 ボサボサの髪とよれよれシャツの姿でそう聞く公爵はそれでもパリッとしていた時と同じ、先ほどまでのじゃなそれとは違う、とてもしんなまなざしになっていた。


「あの、今噂のマルガリータ嬢が本当に王女で、降嫁するならあなたが最有力候補だと聞きまして」

「そうなんですか?」

「そうなんですよ。知りませんでしたか?」

「全く。私はあれからずっとあの部屋に籠もりきりだったものですから」

「ああ……」


 その公爵ののほほんとした返答に、この人みたいにあまりにぞくに興味がないと、気がついたらいつのまにか嫁が替わっていてびっくりなんてこともありそうだな、とぼんやり思った私だった。


「でも、私はあなたと結婚するのですから無理な話ですね」


 まるで当然とでも言うようにそんなことを言う公爵。なぜか危機感は無いらしい。


「でもそのマルガリータ嬢が王女として認められたら、その時は王女の降嫁先として、あなたが一番適当なのは明らかだと思うのですが」

「王がそれをお認めになるとは思えません。それにもし王があのお嬢さんを王女と認めたあかつきには、おそらく彼女は北のルトリア王国の王太子との政略結婚という運びになるのではないでしょうか」

「そうなんですか?」

「おそらく。実は今、内々にルトリアより政略結婚の打診がされているのです。そのためもしも王が溺愛しているマルセラ王女の他に結婚出来るとしごろの王女がいたら、きっと王は喜んでその王女を差し出すでしょう」

 

 ルトリアという国は我が国のりんごくで、魔術が認められている国だった。そのため魔術があるという理由だけで我が国はルトリアをじゃあくな国とおそれ、きょぜつし、できるだけ関わろうとはしない。

 しかし怒らせるわけにもいかないのだ。なにしろもしも戦争にでもなってしまったら、我が国はルトリアの魔術こうげきに対して完全に無力なのだから。

 だから本当に政略結婚の打診があったのならば、王がどんなに嫌だと思っても、きっと受け入れるしかないだろう。


「では王は彼女を王女と認めるでしょうか」

「それはわかりません。オルセン男爵の差し出した証拠次第でしょうか。偽物の王女をルトリアに送って問題になるわけにもいかないので、しんにはおそらく時間がかかるでしょう。特に証拠がブローチ一つでは。なにしろ我が国は……魔法で判別することが出来ない」

「魔女や魔術師だったら、しんを判別する魔法が使えるかもしれないのに?」

「その通りです」

「……では、たとえばそのマルガリータ嬢が偽物で、実は他の場所に本物の王女がいたとしたらどうなりますか」

「本物?」


 その瞬間、アーデン公爵が突然するどい視線を返してきたことに私は驚いた。

 今までとは違う、強い、射るような視線。それは、きっと仕事の顔。


「マルガリータ王女は生まれた時に『魔女』だと思われたんですよね? ならば生まれた時に『魔女』の黄金の瞳だったと思われます。それも、赤ん坊の頃にわかるくらいにはっきりと」

「そう聞いていますね」

「でもあのオルセン男爵のマルガリータ嬢の瞳は『魔女』のそれとは違います。おそらく彼女には魔力が本当にありません。だって基の色があのシトリンの色の瞳の魔女だったなら、そこから黄金のしきさいを取り除くためには相当な訓練が必要なはずではありませんか。それなのに彼女はあの学院にも通わないで、自力で瞳の色を隠せるようになったのですか? まだ赤ん坊か幼児の時に? それはちょっと考えづらいですよね」


 そんなことが出来るのなら、そもそもあの学院は誕生していないだろう。

 魔女たちの瞳に宿る黄金の色の煌めきは、基が黒のようない瞳の色ならまだしやすいのだが、うすい色の瞳だと黄金の色が見えやすいのでより完璧に隠さないといけない。

 ましてや基が黄色味のある色となると、うっかり少しでも濃く見えたり煌めいたりしたら魔女認定されかねないので、さらに訓練が長引くのが普通なのだ。

 それを、自力で? あり得ない。


「そうですね。私もあのお嬢さんが魔女だとは思えませんでした」


 考えてみたら彼も魔術師なので、私と同じように確信していたのだろう。


「そうですよね。私も、子どもの頃はどうして黒い瞳じゃないのだろうと悩んだくらいには大変でした。あの色だったらまだ帰れていなかったかも……。あ、でもそれを言ったら公爵様も薄いグレイですから、私よりももっと大変だったのではないですか? なのに素晴らしい制御ですね。私、全然気づきませんでした」


 ふと私が感心してそう言うと。


「あなたは……本当に何も覚えていないんだね……」


 なぜだか公爵様が、がっくりと肩を落としたのだった。


「はて?」


 なぜそこで悲しげな顔を?

 私が思わず首ををひねっていると、公爵がため息をつきながら言った。


「これは私があの学院を『卒業』するときに、あなたの魔法で隠してもらったんだよ」

「んんん?」


 あの学院でということは、私がまだ子どもだったとき……?


「私は瞳の色を自力で隠すのがまだ苦手な状態なのに家の事情で『卒業』が決まってしまったんだ。だから、その最後の日にあなたに瞳の金の色を封印してもらったのだけれど、本当にあなたは何も覚えていなかったのだね……」

「え? 最後の日……?」


 私にはさっぱり記憶にないのだが。


「今では私も、自力で瞳の色を隠せるようになったからもう封印を解いてもらってもいいんだけれどね。でもこれはあなたからのプレゼントだと思っているから、とても気に入っていて無くしたくなかったんだ」


 って、うっとりされても記憶のない私にとっては、何のことを言っているのやら?


「すみません、私、全然覚えてなくて……。でも本当に……? あ、じゃあ本当なら、ちょっと解いてみてもいいですか? 私がかけたのなら私が解けるはず」

「ええ……だから私はこの魔法を大切にしたいんだよ。あなたとの思い出が消えてしまうじゃないか」

「思い出ならもう他にも出来たでしょう。公園でお散歩とかお買い物とかパーティーとか。だからそれは一度解いてみませんか?」


 だって、彼の「魔術師」たる証拠を見たい。昔のあの瞳を、もう一度見てみたかった。

 ぜんやる気になって身を乗り出す私に、アーデン公爵は渋々といった感じで言う。


「あなたがそんなに言うなら、しょうがないな……でもここでは危険だから、ちょっとこっちに来て」


 そうして私はまたあの魔法陣で埋め尽くされた部屋に連れて来られたのだった。


「ここですか?」

「そう。ここは魔法のこんせきを完全に隠せるように、何重にもいんぺいの魔法陣で魔法を重ねがけしている一角なんだ。だからここでなら魔法を使っても大丈夫」


 たしかに、うっかり魔法を使ったのがどこかにわかってしまったらその瞬間から追放者となってしまうのだから、こうして念には念を入れてあるのだろう。さすが魔術師が家長の家だった。


「では」


 そして私は、さっそく公爵に解除の魔法をかけたのだった。

 封印を解除。何も塞がない。魔法のない、まっさらな状態に。

 するとアーデン公爵のグレイの瞳から、たちまち金の光があふれ出して見事な黄金の瞳に変わったのだった。

 薄暗い部屋の小さな窓のそばで、差し込む穏やかな日の光をも巻き込んでキラキラとまばゆく光る黄金の色。

 それはまぎれもなく魔術師の色、しかもぼうだいな魔力を感じさせるような強い輝きだった。

 そしてその時、その黄金の光にまっすぐにえられて私は、かつて密かにその瞳の光と共に封印した記憶も思い出したのだった。


「…………あ―――っ!!」


 そうだった、一緒に隠してしまったんだ……!

 それはそれは美しい顔とまばゆく光る黄金の瞳をした青年が、「あなたの得意な隠す魔法で、私の瞳の金を隠してくれないか」とまだ子どもだった私に頼んできたときの記憶。

 そしてりょうしょうした私に、彼は「ありがとう」とにっこりして私のほおに――


「キ、キス……!!」

「? なに、それを今思い出したの?」


 からかうように笑った公爵の顔は、紛れもなくあの時真っ赤になった私を見て笑った、あの青年の笑顔と同じで。


「なにしてくれたんですかほんの子どもに!」

「え? 親愛のキスだろう? 頰に軽くれるだけのキスだよ? でもあなたは真っ赤になってびっくりしていて、とても可愛かったな。だからそんな思い出ごとまさか私のことを綺麗に忘れてしまっているなんて、知ったときは本当にショックだったよ」


 って、悲しそうにしているけれど。

 そうだった、あの時子どもだった私はびっくりして……そしてその瞬間に彼へのあわこいごころに気づいたのだ……!

 でもそれは、もう彼が学院を「卒業」する最後の日で。

 学院を卒業したら、大抵の人はもう二度と戻ってこない。

 誰もが一度「外の世界」に行ってしまったら、学院での思い出と記憶をひた隠しにして生きる定めなのはもちろん知っていた。

 だから待っていて、なんて私に言うこの目の前の人は、もうきっとこの学院には帰ってこない。どうせ「外の世界」に行ってしまったら、この学院のことも私のことも、全てを思い出の中にふうめて新しい人生を歩み始めるのだから。

 私は出られないのに。いつ出られるかもわからないのに。そして学院を出たら、お互いに過去を隠して、場合によっては容姿さえも変えて生きるのに。

 きっと、もう会えない……。

 とっさにそう思った私は、悲しさのあまり彼の瞳の色を封印するときに、一緒に、こっそりとその時の記憶と彼へのおもいを彼の瞳の中に封印したのだった……。


「おもいだした……」


 まだ子どもだった時の淡いはつこいまで思い出したことに、私はショックを隠しきれない。

 何やってくれたんだ、昔の自分……。思わず頭をかかえてもだえる私。


「思い出した? 本当に? 嬉しいな」


 片やそれは嬉しげに私を見つめている公爵。

 この忠犬の風情で見えない尻尾をフリフリしながら私の様子を嬉しそうに見つめるアーデン公爵と、かつて魔法陣について私に熱く語っていた青年の姿が重なった。


「ミハイル……」

「ああ、本当に思い出したんだね! そう、私はサイラス・ミハイル・アーデン。学院ではミハイルで通していたから、あなたも私のことをいつもミハイルと可愛らしい声で呼んでくれていた……。私はずっと、君にいつかまたそうやって呼んでほしいと心から願っていたんだ……!」


 そうして喜びのあまりこのミハイルは、こともあろうかかんきわまってぐいと私の腰をせ、嬉しげにまるで私の思い出したばかりの記憶を再現するかのように頰にキスをしたのだった。しかも二度、三度と……!


「ななな何をするんですか! ハレンチ!」


 間近に見る美麗な顔面と、頰に感じるやわらかくもあたたかなかんしょくにパニックになる私。

 キスだけでは飽き足らず、そのまま頰ずりしてくるミハイルを押し戻そうとしてもびくともしないのはなぜ。


「ええ……? でも私たちは婚約者同士だよ? 君がそんなに怒らなければ、私は口づけだって――」

「ハレンチ!!」


 熱を帯びたようなまなざしとそのくちびるに、そしてさらに腕に力を入れてもっと強く抱き寄せようとするミハイルにますますパニックになる私だった。

 まさかあのお兄さんが……こんな……。ああこの人のフルネームを見た時に、気づくべきだった……いや無理、ミドルネームだけでそれは無理。しかし。


「もう……改めて自分の封印の魔法に驚くわ……」


 まさか気持ちまで封印出来たなんて。

 もはやこの腕からのがれることを諦めた私は、放心したようにつぶやいた。

 そんな私に気づいたのか、嬉しそうにまだがっちりと私の腰を抱いたまま私を見つめてミハイルは言う。


「あなたの封印魔法は本当に素晴らしい。私は瞳の色で全く今まで苦労をしなかった。びくともしないがんじょうさだ。おかげで安心して生活ができたよ」

「ああ……それは良かったです。あれ、でも瞳の色が変わらないと、魔法の発動は難しいのではなかったですか? たくさん魔力を使う時は、瞳の色を変えないわけには」


 すぐ近くにあるはくりょくの顔面をまだ意識しながらも、そこは気になって聞く私。

 すると、


「そうなんだよね、だから実際に私は今まで、魔力に上限をかけられた状態だったといえる。でもだからこそ、魔法陣でその魔力を増幅したり少ない魔力で効果的に魔法を発動させられる魔法陣を開発したりして結果的に技術の向上にはとても役に立ったと思うよ。いざというときには、いつでもあなたに魔法を解いてもらえることはわかっていたし。おかげでたとえばこの魔法陣とかは今までの最小のサイズで最大の効果と――」


 そしてまた、魔法陣について滔々と語り始めた公爵だった。私の腰を抱きながら。

 まるでこの状態が、彼にとってはとても自然だと思っているかのように。

 私は半ば放心しながら、この封印を解いた黄金の瞳が薄暗い部屋の中でキラキラと楽しげに光っているのを、ただ見つめるしかないのだった……。



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