第三章 押してだめなら引けばいいのよ④


 そんなことをぼんやりと考えているうちに、馬車は公爵邸に着いたようだった。

 さきれもなく突撃をすることにちょっと緊張しながら馬車を降りてみると、そこにはきょだいそうれいな建物がそびえ立っていた。

 え? これ、個人のお家なの……?

 田舎いなかていたくならまだしも王都の、つまりは人口の多い都市部でこの大きさ……?


「すごいですね……これで、本当にいっけんなんですか?」


 付き添いのエマが、口をあんぐりと開けて言う。

 私も完全に同感だった。なにしろしきはしが見えないよ?

 私はちょっとどうようしながらも、だからといっていまさらづいて帰ることも出来ず、ドキドキしながらげんたっぷりのりんを鳴らしたのだった。

 しばらくして、執事らしい老紳士がドアを開けた。


「突然の訪問をお許しください。わたくしエレンティナ・トラスフォートと申します。今、アーデン公爵はご在宅でいらっしゃるかしら?」


 とりあえずはせいいっぱいしゅくじょらしい微笑みを浮かべつつ自己紹介をする。本当の淑女ならばこんなに突然紳士のお家を訪ねたりはしない、というのは今は考えてはいけない。

 しかしてこのおそらくは公爵家の老執事、さすがのプロで全く驚きを顔に出さず、うやうやしくおをして言ったのだった。


「……トラスフォート伯爵令嬢ですね、ようこそいらっしゃいました。ただいま主人を呼んで参りますのでどうぞお入りくださいませ」


 そうして通されたのは、やはり壮麗というほかはない、大名家アーデン公爵家のこうがこれでもかとまれた応接室だった。

 ……これに比べたら我が伯爵家なんて、あばら屋かもしれないわね……。

 私は一人になったとたんに、ついキョロキョロしてしまったのだった。

 そして思った。うん、この館の女主人なんて、無理。

 こんな目が飛び出そうなくらい高価な品々がゴロゴロしている館をあくして管理するだなんて、とてもじゃないが荷が重すぎて私には出来る気がしない。

 わが伯爵家だってそれなりにしつらえられてはいるけれど、いやはやこんな気の遠くなるようなあつ的な個人宅なんて、存在することも知らなかったよ。レベルが違った。


 これはよっぽど高貴な女性、たとえば王女様くらいの人でないとこんな所で当たり前な顔をして暮らせないのでは。

 この、実は平民とあまり変わらない育ち方をしてしまった伯爵家の娘なんて全くお呼びではなかった。そうさとってちょっと悲しくなった私。

 そして一瞬、降嫁してここの女主人となった王女がこの部屋に庭でんだ花を生け、そ

れを眺めるアーデン公爵がその美しい妻と花の香りに思わず微笑む、そんな光景が私の頭の中に浮かんでしまい動揺する。

 思い返せばあの公爵が、私の前で私以外の女性に微笑みかけたところを今まで見たことがない。だからきっと自分で想像したそんな公爵の姿に、ちょっとだけ驚いたのだろう。

 でもあの基本的には人に興味の無さそうな男でも、さすがに自分の家の中で自分の奥さんにだったら微笑みかけるよね。

 最初は慣れなくても、何年も一緒に過ごしていたら、さすがにあの男も慣れる。

 そうしたらきっと今の私に懐いたように、いやそれ以上に自分の奥さんに懐いて、まっすぐに愛するに違いない。

 美しい王女と麗しい公爵が寄り添う姿。

 その時浮かんだ絵になるその想像上の二人のうちの一人が、あのシトリンの瞳の「王女かもしれない令嬢」ではなく、かつて学院で知り合った美しいマリーの姿だったことに私はふと気がついた。

 そうよね。だって、あの子が王女ではおかしいもの。

 王家の、隠したとはいえれっきとした「王女」が、いくら生母が亡なくなったからといってそのまま放置され、王家の把握していない人間の手にわたったままとは思えない。

 そんなことを考えていたら、とびらが開いて先ほどの執事が入って来た。

 すっと上品にお辞儀をして言う。


「お嬢様、大変申し訳ございません。主人は今、手が離せないようでして。もしお嬢様がよろしければ主人の所までご案内させていただきます」

「あら、わかったわ」


 あの引きこもりの男は、一体何をしているのだろう?

 思わずそんな興味がいて、二つ返事でいそいそ執事について行くことにした私だった。

 長い長いごうろうをひたすら歩き、たくさんの扉の前を過ぎ、もうここで執事が消えてしまったら、絶対に最初の応接室には戻れないだろうと私が確信してさらに随分たった頃、執事がとある巨大なドアをノックして言ったのだった。


「ご主人様、お客様をお連れしました」


 ガチャ。


 ん? 執事、結構強気だな? 主人の返事を待たないとは。

 と思ったのだが、次の瞬間には目の前に広がる光景に目を奪われて、そんなことはあっさりと頭から吹き飛んでしまった。

 その部屋は一面、ほうじんくされていた。

 広い広い、しかしうすぐらい部屋の中に無数の青白く光る魔法陣たち。

 ふと、昔似たような光景を見た記憶が突然私の脳裏によみがえった。

 そう、それはまだ子どもの頃、たくさんの魔女とごくごく少数の魔術師たちのつどう学院で。

 みんながその瞳をがねいろに輝かせないための術を、魔法を発動させない術を完璧に身につけて一日でも早く親元に帰りたいと願っていたというのに、その中でただ一人、そんな努力を全くせずにひたすら魔法陣をえがいていた変人の姿。

 このお兄さんは両親のもとに早く帰りたくはないのかしらと、私はいつも不思議に思いながら眺めていたものだった。

 けれどもその人は、その美しい黄金の瞳をさらにキラキラとさせて、いつも生き生きと学院の庭の砂地に魔法陣を描いては教師に消されていたのだ。

 魔法陣を見るのは、その時以来だ。

 そんなことを私がぼんやりと思い出していたら、その部屋の中心にうずくまっていたらしい人が慌てて立ち上がってさけんだ。


「セバス! この部屋には誰も……エレンティナ!?」


 その声の主は、アーデン公爵だった。

 しかし今𠮟しっせきされたはずの執事セバスは、しれっとした態度で答えたのだった。


「ノックしましたがお返事がありませんでしたので、お取り込み中と判断してお嬢様をお連れしました」

「そんなはずはないだろう。ノックがあったらちゃんと聞こえるように、ノック音をぞうふくさせる魔法陣をこの前ここに……おっと」


 ……いや何をいまさら、うっかりまずいことを言ってしまったとでも言うように口を押さえているのかしら?

 その台詞せりふよりももっとまずい光景がすでに私の視界いっぱいに展開されているというのに、何をいまさらしらを切ろうとしているのか?


「……その魔法陣、こわれているようですわね?」


 私はオロオロと目を泳がせている美貌の公爵様を前に、ピキピキと青筋をたてつつ言ったのだった。


「それではご主人様、お嬢様、ごゆっくり。後ほどお茶をお持ちいたします」


 そう言って、しれっと執事は部屋を出て行った。

 なんとなく、あの執事はこのじょうきょうをわざと作ったのではないかと思った私だった。


 確信犯、そんな言葉がのうをよぎる。


「あの……エレンティナ、これには訳があって……」

「ほう? どのような?」

「えーと……えーと、あー…………魔法陣はとても便利で素晴らしい技術なんだ……」


 そして観念したかのように、がっくりとかたを落として公爵は言ったのだった。

 そうなんでしょうね、そう言いつつも私は理解した。

 この人、「魔術師」だ。

 なぜか今も瞳は黄金ではないが、その正体は魔術師なのだ。

 天下のアーデン公爵様が。

 王族とも縁戚である血筋の人が。

 それは、この国最大のスキャンダルになるのではなかろうか……。

 魔女をてっていてきに追放している親玉である王のこんな近くに「魔術師」がいるとは、まさか貴族の誰一人ひとりとして想像もしていないだろう。

 よく隠してこられたものだ。

 あ、だから引きこもっていた……のではないな。

 私は部屋中にちつじょに描かれた魔法陣の山を見て、そう確信した。

 この人、好きでこの部屋に引きこもっているんだな?

 薄暗い中でよくよく見ると、公爵は初めて会った時のように髪の毛は洗いざらしのボサボサのままで、そしてゆかを見れば最初は着ていたらしい上等な上着が部屋の隅に放り投げられている。

 なるほど、あれを「拾って着る」のね……。

 こんなところで初めて会ったときの疑問の答えが得られるとはね。

 公爵は今、せいだいなイタズラがバレた男の子のような顔でオロオロと私の顔をうかがっていた。

 けれども私はその時はただ、あの学院の庭でかつてよく話していた、砂地に魔法陣を延々と描いていたあのお兄さんときっと気が合うだろうな、とぼんやりと思っていた。

 もしかしたら魔術師に生まれた男の子には、魔法陣がとても魅力的に映るのかも?


「あの……ごめん」

「はい? 何を謝っていらっしゃるのかしら?」

「隠していたこと」

「そうですねえ、驚きました。けど」

「けど……?」

「まあ、私も『魔女』ですから、おあいこですね」


 私がそう言うと、アーデン公爵は突然ぱああっ、と顔を輝かせて言った。


「良かった! さすがエレンティナだ! あのね、ここは私の秘密の部屋でね、他の誰にも入らせないようにしているんだけれど、もちろんあなたは特別だよ。そうだ、こっちの魔法陣を見る? 今描いている最新の魔法陣なんだけど、最近思いついた理論を活用しているんだ」


 心から晴れ晴れと嬉しそうな顔になって、うきうきと語り始める公爵の姿がそこにはあった。


「公爵様……?」

「うん?」

「あの、私が魔女という情報は気にならないのですか?」

「え? だって知っていたから」

「はい?」


 けろりとそう言う公爵に、唖然とする私。

 知っていた? いつから?

 そんな気持ちが顔に出ていたらしい。


「あなたは忘れているみたいだけれどね、私たちはあのデ・ロスティ学院で出会っているから」

「はい?」

「あの学院で私が魔法陣ばかり描いて周りの人たちに変人扱いされていたとき、あなただ

けが私の魔法陣に興味を持ってくれた」

「え……? えっ? ということは、まさか、あの」


 あの、学院で毎日ひたすら魔法陣を描いていた、まさかの本人!?

 あの時の彼はまだ大人になりきれていない線の細い青年で、こんな立派な体格の大人の姿とは全く違って……。

 しかし公爵はなぜかうっとりとした顔でさらに語った。


「あれは、あなたは単なる気まぐれだったのかもしれないけれど、私にはとても嬉しいことだったんだ。あなたがいつもわいらしく話しかけて来てくれて、私はあなたがすっかり大好きになった。後からあなたが伯爵令嬢だと知って、じゃあいつか、あなたをお嫁さんにもらおうと思っていたのに」


 ああ……そういえば「今日は何を描いているの? 楽しいこと?」なんてよく聞いていたっけ……。

 あれは学院の中でも珍しい魔術師である年上の少年への、純粋な好奇心。そしてそのお兄さんがいつも楽しそうにいろいろと話をしてくれるのが嬉しかった思い出。

 あの学院では身分なんてほとんど意味がなかったから、身元なんて誰も気にしていなくて。私も彼の身元を知らないまま、彼はいつの間にか学院を卒業していなくなっていた。


「なのに、ちょっと私がで領地に帰っているあいだに他の男と婚約してしまうなんて」


 って、突然、なぜそんなにうらみがましく言われているの私?


「あれは、父が積んだ持参金目当てにアンサーホリック伯爵が申し込んできて……」

「私は待っていてって、あなたに言ったのに」

「へ?」

「私があの学院を出るとき、私はいつかあなたを迎えに行くから待っていてって、言ったじゃないか」


 そう言いながら、じとっとした視線を向けてくるのはどうしてかな?


「? ……ちょっと記憶が……なにしろ私、あの頃まだ十歳にもなっていなかったと思いますし」


 なにしろあのあたりの時期は、私は自分の大きすぎる魔力を全くせいぎょ出来ず、いつ家に帰れるのだろうと悩んでいた時期でもあった。

 そのせいか、私にはとんと記憶が無い。そんなことがあったの……?


「でもあなたはすっかり私のことを忘れているようだったし、他の男と婚約したということは、それをあなたも望んでいるのだろう、それがあなたの望みならと思って一度は諦めたんだ。でも婚約が破棄されたと聞いて、私は急いで手紙を書いた」

「それにしても早耳でしたね。破棄された当日の夜ですよ」

「うん、まあ。……うちの執事はとてもゆうしゅうなんだ」


 って、本当ににこにこと嬉しそうに言ってますけれど。

 今まで見てきた貴族らしい、りんとしつつも無口な公爵とは全く違う、おそらくは素の公爵の姿がそこにはあった。

 それはちょっと不器用で、自分の容姿や人の目には全く関心がない、おそらく魔法陣以外の現世の全てにとんちゃくな一人の趣味に生きる男の姿だった。

 衣食住に不自由のない趣味人を自由にさせると、こういうことになるのね……。


「では本当に私との婚約を望まれていたのですか。適当に都合がいいと選んだのではなく」

「もちろんそうだよ。でなければ申し込んだりしない」

「でも婚約が成立しても手紙が一通、しかも一言だけしかなかったし、会いにも来なかったじゃないですか。それでどう信じろと」

「だって、あなたは私を忘れていたじゃないか。それに他の男と婚約していたのだから、まだその男のことが好きなんじゃないかって。なのにかつに会いに行って泣かれでもしたらと思うと……」

「ああ……なるほど……」

「でもあなたがパーティーであの男に酷い扱いをされているのを見て、つい私もカッとなってしまった」

「ああ……あの時はありがとうございました」


 それで来てくれたと。では、あの時ロビンが私をたおしたりしていなかったら、私がまだロビンを好きなのだろうと、いつまでたっても近づいてこなかったのかもしれないな、と思ったのだった。

 ちょうどその時、執事のセバスがノックをしてお茶の用意が出来たと伝えに来た。

 ノックの音が、おそらくは本来の音の十倍くらいになって部屋にひびいて私はすごく驚いたのだけれど、きっとそれくらい大きな音じゃないとこの公爵は魔法陣を描くのに夢中で気がつかないのだろう、私はそう理解した。現に、


「なんだ、もうなのか? 今からエレンティナに最新の魔法陣の説明をしようと思っていたのに。エレンティナはお茶にしたい? ぜひ見せたい魔法陣がいくつかあるんだ。最近完成させたのだけれどね、今まではなかなかうま手くいかなかった魔力の流れを綺麗に整えてより効率的に術を発動させる方式を見つけたんだ。だからそれを利用して……」


 と、またとうとうと魔法陣について語り始めたのだった。

 この瞬間、私は悟った。

 これは放っておくと、ずう――――っとこの調子で話し続けるな?

 なにしろ、かつてのあの学院のお兄さんがそうだったのだから。

 そしてそれを幼い私が飽きもせず、ずっとうんうんと聞いていた記憶が今、あざやかに蘇った。

 当時もそのお兄さんの語る難しい話はあまり理解できなかったが、それでも理解できるようにかみくだいて説明してくれようとするそのお兄さんの優しさが好きだったし、なんとか理解できた内容は自分の魔力にまだ翻弄されていた私にとって、魔力とは、とか魔法とは、ということをよりよく理解する助けにもなっていた。

 私はあの時間がなかなか楽しいひとときだったのを懐かしく思い出した。

 すごく物知りでたよりになるお兄さん。

 だったな。

 目の前で、今もボサボサの髪のままそれは楽しそうに魔法陣の技術や術式について語っているあのお兄さんの成れの果てを見て私は……遠い目になった。


「公爵様、お茶が冷めます。それにそろそろお嬢様もおつかれかと」


 しばらくして執事のセバスが、コホンと咳払いをして公爵の語りをさえぎった。

 なんて公爵の行動を読んだ上でのぜつみょうなタイミングでしょうか。

 見事に公爵のとうの言葉をピタリと止めた執事のわざに私は驚いた。

 なるほど、この人はこうして普段から公爵を動かしているのね……。


「ん? エレンティナ、疲れた?」


 セバスの言葉にきょとんとしているアーデン公爵の顔に、ほんのり過去の青年だったときのおもかげが重なったような気がした。


「……そうですね、いったんきゅうけいをしましょうか」


 そうしてやっと、渋々魔法陣で埋め尽くされたその部屋を出ることに同意した公爵様なのだった。


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