第二章 新しい婚約者①


「はあ!?」


 私は思わず手に持っていたパンを取り落とした。今まさに食べようと手に取っていた焼きたてふわふわのパンが、真っ白なテーブルクロスの上をぽてぽてと転がっていった。


(なに……? この父は、またなにを言い出したの……?)


 とうとう父の頭のネジがどうかしてしまって、何かまぼろしでも見たのだろうか?

 私の頭の中をとうの勢いで思考がめぐった。

 私は昨日こんやくを「された」女である。

 つまり言いたくはないが、もともとロビンにかげで散々悪く言われていた私が、とうとう

婚約を一方的に破棄されてさらに印象を悪くしたばかりなのである。

 昨日のあの婚約破棄宣言の後は、おそらくロビンが晴れ晴れとした顔でマリリンを連れてどこぞのお茶会やパーティーにでもしては、ひたすらたくさんの人たちにマリリンを新しい正式な婚約者としてしょうかいしたことだろう。

 つまり昨日の夜あたりからは、きっともうすっかり私の社交界での評判は地に落ちている。はず。

 貴族のぼっちゃんたちには単なるはやりに乗っかってする軽い気持ちでの婚約破棄かもしれないが、家と家が合意した正式な婚約を「一方的に破棄される」というのは、破棄された女性にとっては大ダメージだ。そのためたいていの場合女性側はほとぼりが冷めるまでのしばらくの間、社交界から遠ざかることが多い。もちろん私もそのつもりだった。

 そしてそのままこの社交界から自然しょうめつする予定だったのに。

 これで私もやっと、堂々と一生独身でいられるとあんしていたのだけれど?

 あんなはくしゃく家のプライド激高な男の世話になんてならないで、自分の意志で自由に生きられると思っていたのだけれど!?

 たしか私は「心ない男のうわで捨てられてしまい、その結果こんのがした可哀想かわいそうなごれいじょう」という地位を手に入れたのではなかったか。

 なのに、なぜ?

 なぜこのタイミングでそんなことを言い出したのかこの父は。

 しかし心底理解できないという顔をして混乱する私の表情を見た父が、コホンと一つせきばらいをしたあとに説明を始めた。


「実は昨夜おそく、なんとあのアーデンこうしゃく家からティナとのえんだんの申し込みがあったのだよ。ああなんとめいなことだ! あのアンサーホリックのむすが婚約を破棄してくれたのは幸いだった。しかも条件も悪くない。さあ、これからいそがしくなるぞ!」

 

 って、およそ現実の話とは思えないのだけど?

 しかし父の頭の中では、すでに私のはなよめ姿がかんでいそうな浮かれぶりである。

 必死に私は考えた。


「ちょっと待ってください、お父様。あのアーデン公爵家にけっこんてきれいの方なんていらっしゃいました? たしか公爵様はおくさまがいらっしゃったはず……。あっ、もしややもめのどこかのぼうけいのお年寄りですか? うーん、たしかにそれなら形だけお年寄りにとついで夫がくなったら未亡人として暮らす方がより自由かもしれない……? なるほどさすがお父様、それなら私もなっとくすると――」

「ティナ! なにを言う! そんな年寄りに私の大事なむすめを嫁がせるわけがないではないか。それに適齢期の男ならいるだろう、今の公爵が! 先代は去年亡くなって、今は独身の息子がいでいるのだよ。なんと今回はその公爵ご自身からの縁談の申し込みだ! お前は公爵じんになるのだよ!」

「はあ!? そんな馬鹿な」


 かくして、日当たりの良いさわやかな朝食の間のほのぼのとしたテーブルを囲み、これでもかと目をいて見つめ合う親子が出現したのだった。

 いやだってさすがに独身の公爵様ともなれば、公爵夫人の地位をねらってうじゃうじゃと若くて評判も上々な美しい貴族令嬢たちが群がるものでは? こんな、とうとう評判が見事に地に落ちたばかりの私に結婚を申し込む理由なんてじんもないのだが?

 かのアーデン公爵家といえば財産は山ほど、領地は広大、王のえんせきでもある今をときめく大名家。その当主なんて。


(…………どんな顔だったっけ? はて?)

 

 私はそこまで考えてから、首をかしげたのだった。

 もちろん私も一応は貴族のはしくれ、貴族の方々のお名前はだいたいあくしている。

 社交界だってあの元婚約者のロビンのお供でしぶしぶ出ていたから、大体の人の顔も把握しているはずである。それなりのパーティーにも何度も行ったから、その中には当の公爵様がおいでになることもあったはずなのだが……。

 残念ながら、私には全くおくがないのだった。

 いや、名前を知っているということは、きっと同じ会場にいたこともあるはず。しんや令嬢やその母親たちが、きっと話題にしていたはず。


(だが、顔……? んんんん……?)


 しかしそうなると、それこそなぞだった。どうして顔の記憶もない人から結婚が申し込まれるのか。


「昨日婚約破棄の知らせを受けた時にはどうなることかと思ったものだが、これで一安心だな。いつの間になんと大きな魚をげたものだ。さすがは我が娘」


 すっかりじょうげんで朝食に手をつけ始めた父に、私はおそる恐る言った。


「……お父様、それ、新手のではありませんか?」

「エレンティナ! なんと失礼な! ちゃんと公爵家のもんしょうふうされた正式な手紙だったし、その手紙だってちゃんと公爵家の正式な使いが持って来たのだよ! ちがいなどあるはずがない!」

「でも、そうとしか思えません。私には全く会話した記憶さえありませんもの」

「ではお前のそのれんな容姿が気に入ったのかもしれないよ。大人しそうな娘が好みなのかもしれん」

「まさか」


 そんなはずはないでしょう。今の私、お父様ゆずりのへいへいぼんぼん地味のごんのような容姿ではありませんか。親馬鹿にもほどがある。

 私は思わずあきれて半眼になって天をあおいだ。


「とにかく、喜んでお受けすると返事は出しておいたから。こういうのは時機を逃してはいかん。先方の気が変わる前に早く固めてしまわなければ!」

「だからお父様! それ絶対にだまされてますって! 早まってはいけません! ちゃんとかくにんして!」


 ちゃんとそう言ったはずだった。

 しかしそんな娘の言葉なんてまるで聞こえていなかったらしい父はその後もうぜんと話を進め、結果、やっと私が数々の努力の末にあのロビンとえんを切ることに成功したというのに、なぜかまたちがう男との婚約が成立してしまったのだった。

 なぜ…………。

 もちろんこの父たる伯爵の行動は、この貴族社会では非常に常識的、そしてまっとうな反応ではある。それはそうなのだが、残念なのは、私が全く貴族令嬢としてはまっとうではないということだ。

 外ではねこかぶりの地味な伯爵令嬢、しかしその実態は、感覚が平民となんら変わらないただのむすめ、しかもじょ

 それなのに、そんなたいそうなおうちに嫁ぐなんてとんでもない!

 もしも私が魔女とバレたあかつきには、一体どんなさんじょうになるのだろう?

 もういかりのあまり、私ごとこちらの一族が全員ほうむられてもおかしくない気がするぞ。

 なにしろアーデン公爵家、魔女追放を厳命している王様の縁戚かつ側近だよ?

 なのになぜ父はこうもなおに私が秘密を守りきれると思えるのか。

 ほんと私の心の負担も考えてほしい。

 しかし今回、父は「公爵家」というこうにすっかり目がくらんでいるようだった。

 たしかにつうに考えれば、この縁談を断るような貴族の家なんてないだろう。

 でも父には私が普通ではないことをもう少しちゃんとにんしきしてほしいと心から思う。

 一見魔女には見えないかもしれないが、だからといって忘れていいことではないのだ。

 私は! いやです!! 

 しかし悲しいかな、そんな私のさけびは両親には届かなかった。

 ならば他にどうやって将来の結婚をけるべきか。

 おそらく今回の最大の問題は、相手が格上も格上の公爵家、しかも当主ということだ。

 私からの婚約破棄は無理。ロビンとの婚約だって破棄させてはもらえなかったし、そもそも今回は立場的にも下であるお父様の方からは言い出せない。

 じゃああちらから破棄してもらうように本人にじかだんぱん? でも相手がどんな人かもわからないのに、それ、言ってもだいじょうなのかな?

 そもそもこちらは相手の顔も思い出せないというのに、どうして向こうは私をにんしているのか。

 どこかであいさつでもしたんだろうか?

 でも私は印象に残るような容姿ではないはずだし、ドレスもいっぱん的な令嬢が着るようなものしか着ていない。しかも似合わない色をあえて選んで大人しくしていた。

 一体そんな私のどこに気をひくような要素があったというのだろう。

 しかし現実的には貴族同士の婚約なんて、おたがいの家の当主同士が婚約同意書にサインをしたら決定である。当家側は私の父。そして向こうは公爵家当主、つまりは本人。

 本人! 正気か!?

 しかし結果的にはあっという間に同意書に両家のサインが入り、その上「たいへん喜ばしく思っている」という意味のお手紙までが届いて……。

 正気か……?

 どうやら本当に私は顔もさだかではない男の婚約者となってしまったようだった。

 って、いやいやいや。


「なんで喜ばしいのか全然わかりません。少なくとも私はうれしくなんてありません!」


 私は自室でアーデン公爵からのお手紙、いやなぐきを読むや思わず叫んだ。

 エマがびっくりした顔でこちらを見ているが、もはやそんなことは知ったこっちゃない。

 それほど私はふんがいしていた。


「でもおじょうさま、公爵夫人なんてすごいじゃないですか~。私、絶対についていきますよ!」

「やめて! こんな権力と地位がとてつもないお家なんてこわすぎる! しかもこんな手紙を一通送ってきただけで、ご自分の婚約者になったはずの私に一度も会いにも来ないような人なのよ!?」

「あー……きっとお忙しいんですよ~」

「ご自分の結婚よりも大事な用事が、そんなにあるもの!?」


 私に来たのは一通の手紙だけ。おそおおくもアーデン公爵家のもん入りの上質な紙につづられた、たった一言。

 なにこの義務的な手紙。まるで渋々だれかに書かされたような、喜んでいるフリをさせられているのではと思えるくらいには簡素かつ殴り書きのようなひっせき

 しかしこの一通の手紙で、ようやく私もこの話は詐欺ではなかったようだと理解した。

 この貴族社会で、アーデン公爵家の紋章をぞうするような度胸のある人なんていない。

 自殺願望でも無い限り。

 ということは、相手の真意はわからないけれど、本当にアーデン公爵と形だけは婚約が成立したということだ。当の公爵の意向で。

 公爵家に魔女がおよめり。って、いやいやいや。


「……お父様は本気で言っているのかしら。これ、まずいどころじゃないでしょうに」


 一体なんで喜んでいられるの?

 なのにエマまで、


「でも向こうから言って来たっていうことは、きっとお嬢様をどこかでめたんですよ~。そしてお嬢様をおつらいきょうぐうから救うべく、きっとお嬢様の不幸を聞いてすぐに結婚を申し込んだんです!てきな話じゃないですか~」

 とかうっとりした顔で言い出したぞ。

 いやいやだからみんな、なんでそうじゃに喜べるんだ。

 あ、わかった、みんな人ごとだと思っているんだね!?


「そんなはずはないでしょう。なにしろ顔も知らない人なのよ? それに公爵だなんて王族並みにプライドが高そうじゃない。私からは絶対にお近づきになりたくもないわ」


 そもそもこんなただのしょみんのようにある意味のびのび育ってしまった私。

 今の「伯爵令嬢」を演じるのだってかたってしょうがないのに、ましてや「公爵夫人」だなんて、もはや悪夢ではないか。いききも出来なそう。

 ということで、私は早々に結論を出した。


「よし! このお話は、残念ながらなかったことにしましょう。今回もあちらから断ってもらって結構。それがそうほうにとって一番おん便びんかつ幸せな決着よね!」

「お嬢様!?」

「だって私は魔女なのよ? そんなことがもし公爵にバレたら、秘密を知っているあなただってきっといっしょに追放されちゃうのよ、いいの? しかも、もしその公爵が乱暴者だったら、最悪怒りのあまり殺されちゃうかも。そんな危険なんておかしたくないのよ私!」

「お嬢様、そこはがんってくださいよ~。大丈夫ですよ、お嬢様なら! 今までも大丈夫だったではないですか!」

「人ごとだと思って! いっしゅんの油断でバレるかもしれないのに、それを一生頑張るなんて難易度高すぎ! そんなけなんてできるわけがないでしょう!」


 もしかしたらあのロビンなら、最悪の場合はどうにかお金でだまらせることが出来たかもしれない。でも今回の相手は大金持ちな上に権力もあっとうてきにあちらが上なのだ。つけいるすきが無いではないか。きっと問答無用で断罪される!


「あとはどうやってあちらから婚約破棄を言わせるかよね……」

「お嬢様……本当にいいんですか? 二度目ですよ?」

「もちろんいいに決まってるじゃない。もうこうなったら何度でも婚約破棄されてやる!」


 一度も二度も、そう変わらない。それに自分の評判だって、それほど大事ではない。

 なにしろ私はもうすぐ社交界から消える予定なのだから。

 なのにまた婚約なんて、しかも相手が公爵なんて、ほんとじょうだんじゃない。

 が、問題は、そんな話をするにもこの簡素な手紙しか送って来ない顔も知らない相手では、どう切り出していいのかもわからないことだった。

 たとえばすぐ逆ギレしたり暴力を振るう人だったら。もしかしたら私が知らないだけで、この公爵様にはまともに結婚を申し込んでも普通の令嬢に断られるような難がある可能性もある。

 とにかく手紙一つで自分の結婚を決めるような人なのだ。そしてその相手を口説くどころか、会いに来ることさえもしないような人なのだ。得体が知れなくて怖い。

 しばらく考え込んだ後に、私は言った。


「とりあえずはまずていさつをするべきね」

「はい? またとつぜんなにを言い出したんです?」

「だって相手を知らなければ作戦も立てられないじゃない。だからこのアーデン公爵という人を観察して、なんでこんな婚約をしようと思ったのかをさぐるのよ。そして公爵に、こんな女と結婚なんてとんでもないと思わせなければ!」

「えええ……公爵様相手にそっちの方が危険なんじゃないですか?」

「は? 魔女だとバレることに比べれば、何だってはるかに安全でしょう。それにちゃんとしんちょうにやるから大丈夫。ただパーティーに行って、相手を観察して、情報を集める。そうしたらきっと何かが見えてくるに違いないわ。そして対策して一気に婚約破棄よ。うん、いいわね! それで行きましょう!」


 かくして、私は公爵が絶対に来そうなパーティーに顔を出すことを決めたのだった。

 つまりは、格式の高いパーティー。

 公爵様が出席するようなパーティーなんて、最高に肩が凝る世界だけど。

 でもよく知らない相手に結婚を申し込むような人を、このまま放っておくわけにもいかないのである。どんなにめんどうくさい社交の場であろうとも、一時のまんで私に結婚を申し込んでくるようなすいきょうな公爵様を見られるのなら安いものだ。

と自分をして、さっそく私はとあるこうしゃく様が開いたパーティーにおもむいたのだった。このパーティーの主は今、政治的に重要な立場の人のはずなので、だいたいの貴族は顔だけでも出しておこうと考えるはずだというのが私の読みである。 

 いざ行ってみると、さすがに大物の侯爵様のしんをかけた大きなパーティーだったので、とても大規模ではなやかだった。

 沢山のぜいたくな料理が所せましと並び、その間を飲み物をせたぼんを持って歩く、お仕着せを着た大勢の使用人たち。

 美しくかざられた広い会場はすみから隅までとてもごうで、そこにつどうのはその豪華さに負けないくらいに華やかによそおった令嬢たち、ご婦人たち、そして紳士たち。

 そんな会場でいつも通り地味に装った私は早速かべにへばりついてその様子を、特に今日はだん見向きもしない政治談義に花をかす貴族男性のグループをながめることにした。

 だけれどしばらくあちこちのグループを眺めてもたいしたしゅうかくも無く。ほうに暮れた私は、次は令嬢たちが見つめる先をさがす。

 若い独身男性、特にあとりだったりすでしゃくを持っていたりする男性は、常に結婚相手を探す令嬢やその母親たちの注目の的なのだ。

 たとえ婚約していても、結婚するまではわからない。

 なにしろ今は「婚約破棄」が大はやりだからね!

 やれやれ。

 もちろん思っていた通り、私とロビンとの婚約破棄の話はすでにわたっていた。

 だから私は会う人会う人になにかしら言われる面倒くささで、その時はすでに少々ぐったりとしていた。


「元気出してね。今度はきっとあなたにももっと素敵な人が現れるわよ」


なんてやさしくなぐさめてくれる人もいれば、


「あら、もう次を探しに来たの? 伯爵家の次男でもダメなら、もう次はなりきんの平民でも狙うしかないんじゃなくて? でもそんな人は、もっとせんなパーティーに出るものよ」


 なんてほこったように嫌みを言う人も。

 そう、ここは戦場なのだ。よりよい相手をつり上げるための、人生を賭けたまさに戦いの場なのである。

 敗者をてっていてきつぶしてライバルにならないようにしたいのか、それとも親からのプレッシャーに対するただのストレス発散なのか。少なくとも私のような敗者に同情しているヒマなんてきっと無いのだろう。おおこわ。

 私はといえば今はそれどころじゃあなくてロビンのことなんてすっかり忘れていたわけだけれど、わざわざ嫌みを言われたりすると嫌な気分にはなるもので。早く世間も私とロビンのことなんて忘れてくれないかしら。

 まあしかし、私が今日ここに来た目的は、そう、ただ一通の手紙のみで自らの婚約を決めるような酔狂な男を捜して観察をすること!

 集中しろ、私。とにかく捜すのだ。これだけじゅうちんたちがそろっているからにはきっとどこかにはいるはず。いるよね?

 私はひたすら周りを見回しながら、一人で会場をそぞろ歩くことにした。

 ついでに何かの鳥のローストやら何かの煮込みやら、なんとかのパテとか、とりあえずしそうなお料理をたんのうする。うん、美味しい~。

 手に取ったお皿に料理を次から次へとひょいひょい載せつつ、のんびり歩いた。

 少なくとも今は「女性は小食のはずなのにそんなにパクつくなんてはしたない」とか「そんなに食べるなんて僕にはじをかかす気か」とか、近くで何かとうるさく言うロビンはもういないので、心置きなくお料理を堪能するのだ。

 もちろん顔も知らないどこぞの公爵の意向なんて、もっとどうでもいい。

 むしろこの私の姿を見て失望して、今日中に婚約破棄のお手紙をくれたらばんばんざいである。

 もし私の顔や姿をちゃんと認識しているのなら、だけれどね。

 それにしても公爵様はどこにいるのかしらね~。

 などとキョロキョロしながら私がバルコニーの近くに来た時だった。


「おい、エレンティナ。どうしてそんなにかざって出てきているんだ。僕に婚約を破棄されたばかりだろうが。恥を知れ。それとももう次のものあさりにきたのか? 僕に振られてさぞ傷心なのかと思ったら、なんだそんな相変わらず人前でモリモリ食べて。君にはせんさいな神経というものはないのか? はっ、君とは婚約を破棄して正解だったな!」

 

 そんな嫌みが突然後ろから聞こえて来た。

 それは、今までも散々聞いた声。ロビン。

 そういえば彼も伯爵家の人間なので今日このパーティーに来ていてもおかしくはないのだけれど、だからといってお話ししたいかと言われたらもちろん全然したくない。

 でも私も貴族のはしくれ、明らかに自分に話しかけられているのに無視することもれい上出来ないので、小さくため息をつきながらも渋々振り返って挨拶することにした。


「あらロビン、ごきげんよう。今日はいとしい婚約者と一緒ではないの?」

「は? もちろん来ているに決まっているだろう。僕たちは正式に婚約をしたんだ。だからもう彼女は我が伯爵家の一員も同然。これからはこういうパーティーにも慣れてもらわないといけないからな」


 たしかにロビンが「真実の愛」とやらで結ばれたマリリンは最近だんしゃく家の養女になった人なので、今まではこういう高位貴族ばかりのパーティーに出ることはなかったのだろう。マリリン、確実に出世しているわね。

 でも今はもう私とは関係なくない?


「まあ、そうだったのね。ではそちらに行ってあげてくださいな。私は私で勝手にのんびりしていますから」


 だからあっちに行って。そう言ったつもりなのに。


「そうもいかないだろう。君はほんの一時期とはいえ、つい最近まで僕の婚約者だったんだぞ。普通のしゅくじょなら傷心のあまり今年の社交シーズンはえんりょするところだというのに、もうそんなに着飾ってパーティーになんて出ていたら、僕がずかしい思いをするとは思わなかったのか?」


 は? 思いませんが? なんであなたにはいりょしないといけないんで?

 と思わず口から飛び出そうになったけれども、さすがに「伯爵令嬢」としてはそうそうこつには言えないので、一応えんきょくな表現をしないといけないのは、ああ貴族って面倒くさい。


「まあ、それは思い至りませんでしたわ。でももうあなたと私は関係ないのですから、私のことはどうぞ放っておいてくださいませ」

「だからそういう生意気なところがわいくないんだよ! もう少し傷ついた顔でもすれば、まだ僕も優しい気持ちになれるのに。どうせそんなでは他の男からも相手にされないぞ。もう少ししおらしくしていたらどうだ?」

「はあ? 余計なお世話でしょう。別にあなたに私の心配をしてもらう義理はもうありません」


 思わず言い返してしまった私だった。婉曲? あら何だったかしら?


「なっ……!」


 今までは一応「婚約者」という立場だったので、後々面倒くさくならないようにこういう言葉は飲み込んでいたのだけれど、さすがにもういいわよね?

 だってこの人、もう私とは無関係の人だもの!

 しかし私がはんこう的な態度を初めて見せたので、ロビンの方は面食らったようだ。わなわなとふるえて口がパクパクしている。

 よし、この隙にげよう。


「では失礼します」


 ロビンの狼狽うろたえた姿に満足した私はきびすを返してその場を立ち去ろうと――


「待てよ! ふざけるな! 一体誰に向かってっ!」


 私は突然、ぐいっとうでを後ろに引っ張られてのけぞった。


(なに……? 何が起こったの……?)


 私はそのままどさりと後ろ向きにたおれてしりもちをついた。

 ひんやりした石のゆかが冷たくて、痛い。


「え……?」


 私は急いで立ち上がろうとスカートの海の中でもがいたが、ドレスもそこそこの重量があるのでこういう時にすぐに立ち上がるのは難しい。

 なのに、そんな私のすぐ近くで手をべることもなく棒立ちしたまま、あろうことかロビンは言った。


「エレンティナ、君はもう少し落ち着いて行動するべきだね。れっきとした貴族令嬢がそんな風に転んで床にいつくばるなんて、なんてみっともないんだ。僕は残念だよ」


 胸に手を当てて、さも残念そうに顔を横に振っているロビン、って。

 いや、あなたがやったんでしょう!?

 無理に腕を引っ張って転ばせたのはあなたでしょう!?

 私はあまりのロビンのくさったこんじょうに、立ち上がるのも忘れてぜんとした。

 なに言ってんの、こいつ。


 と、その時。


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