第三章 押してだめなら引けばいいのよ②


 そうしてパーティーの当日、久しぶりに完璧な紳士としてのちでにこにことじょうげんで現れたアーデン公爵だった。

 相変わらずすきのない、ほどよく流行も取り入れた服装と綺麗にセットされた髪、そして一点のくもりもないれいな顔面で、とても嬉しそうなふんまとって立っている。


「……お嬢様、ほんとなんてもったいない……」


 そんなエマのつぶやきが、小さく後ろから聞こえてきたぞ。

 だがたしかに久しぶりに見るとりょくはんない。まぶしくて直視できないとはこのことか。

 そんな公爵様は、私の顔を見たとたんにぱあっと満面のみになって言ったのだった。


「久しぶりですね、エレンティナ。体調は戻りましたか? とても心配しておりました」


 そう嬉しげに私の顔を見つめるそのまなざしは意外なことに、なんら前と変わりなくて。嬉しげながおやさしい声、そして全力でられる見えないしっまで。

 でもそれは私が彼と会わない間、ずっとまた見たいと実は思っていたものだった。

 そう、久しぶりに改めて彼の顔を見て、私は気づいたのだ。

 私はこの人と、ずっと一緒にいたかった。私に向けられる公爵の、この嬉しそうなまなざしや声を、本当はずっとひとめしていたかった。そんな気持ちに。


「……まあ、ありがとうございます。どうもたちの悪い風邪だったみたいで……。でもオルセン男爵令嬢からぜひにとご招待いただいたので、頑張って治しましたの」


 それでもおしばは続けるのだけれど。

 だって、私の気持ちがどうであろうと、私が魔女である事実は変わらないのだから。

 でもそんな私に公爵は、ぱあっとますます嬉しそうな顔になって、


「それは良かった。オルセン男爵令嬢に感謝しないと。では行きましょうか」


 そう言って私にうでを差し出した。

 そう、とても優しい人。

 でも、だからこそ、私はこの人をこれ以上いとしいと思わないようにしなければ。

 なにしろ今私は、この人を公爵夫人という地位を手に入れるためなら多少のわなや策略をもいとわないような人たちに、委ねようとしているのだから。

 彼は最近知り合った人たちの中に、少しでも気に入った人はいたのかしら。

 その人は優しくて思いやりがある方かしら?

 そんなことを思いつつ、私はオルセン男爵のパーティーにおもむいたのだった。

 しかし本来は、新興の男爵家のパーティーに公爵のような高位貴族は出席しないもの。

 だから今回アーデン公爵が来たということが、どうやらますます「あの噂は本当だったのだ」と人々に信じさせることになってしまったことを、私は周りの人々の様子で察した。

 いやでもこれは私のパートナーとして来てくれたのであって、そして私は知ってのとおりロビンとマリリンという、ある意味縁の深い二人から招待され……。

 あああ貴族社会めんどうくさい。

 でも今日だけははくしゃくだって侯爵だってみんな来ているじゃないか。

 私はどうしても魔女の噂を確認したかったのよ……。

 だけれど周りの視線にびくびくしている私の横で、当の公爵は相変わらず我関せずといった態度でのんびりと私にっていた。そして近づいてくる令嬢たちに囲まれそうに

なるとあわてて私をつれてすのも相変わらずだ。

 いやむしろ心なしか逃げ方が上達しているような?

 考えてみたら、爵位の高くないおうちの令嬢たちがアーデン公爵と直接知り合える機会はあまり多くはない。

 だから、もうここぞとばかりにいろいろと公爵に話しかけようとしているのがわかるのだが、この公爵ときたら。

 相も変わらず他の令嬢たちには塩対応で婚約者をできあいする演技にぼっとうしているのだった。

 それはもうはくしんの演技で、令嬢たちにはさりげなく背を向けて私だけをうっとりと見つめ続け、そして決して私の側から離れない。


「エレンティナ、体調は大丈夫? どこかで少し休もうか? それとも何か飲む?」


 とか言いながら、私のこしから手を離さない男。それがアーデン公爵。

 ちょうぜつ美麗なその姿の後ろで、ぶんぶんぱたぱたと振られる幻の尻尾は出っぱなしだ。

 私がすっかりいしんぼうなのもバレているので、


「そういえばあちらに君の好きなケーキがあったよ」


 とか、


「ああ食べるのはいいけれど、今日はお酒はひかえめにしたほうがいいね。いが回ってはいけない。アルコールのないものをたのもうか?」

 などなど、がりの私をこれでもかと甘やかす。おかげで今まで頑張って作り上げた「公爵との不仲説」が一瞬にしてびそうな気がしていた。


「あの、私のことはお気になさらず……」


 私は若干遠い目だ。

 一人で立っていればさんぜんと輝くそのぼうでドレスの山に囲まれてきゃあきゃあ言われるだろうに、しばらく会っていなかったにもかかわらずなにこのデジャヴ。

 うん。ぜんぜん、変わっていなかった……。

 おかしいな、最近彼は沢山の令嬢たちと知り合ったのではなかったのか。

 その内の誰とも全く進展はなかったということなのか?

 誰か素敵な人とこいに落ちて、今までの婚約者をうとましく思うはずではなかったのか。

 私のやってきたことは全て徒労だったのか!?

 すっかりこんわくする私。

 でもどこぞの侯爵令嬢と何度もデートしていたのよね?

 そのご令嬢はどこですか。もう彼は私のものなのよと、どうして公爵をうばいに来ないのか。まだ婚約者でいる私をにらみつけたりする人はどこ? なぜぜんぜん見当たらないの?

 そう困惑して、つい、


「そういえば公爵様は、最近は何人かのご令嬢とお出かけしたりしていたとか。その中に、どなたか気に入った令嬢などいらっしゃいました?」


 たとえば三回会ったというブローレスト侯爵令嬢とかなんちゃら男爵令嬢とか?

 と、とうとうこう心にも負けて聞いてみたところ。


「……?」


 なぜか困惑した表情で見つめ返されたのだった。

 せっかくの美しい顔のけんにシワが寄り、でもそのしぶさでますます色気が増したとはこれいかに。今、近くで誰かご令嬢が転びそうになってたよ?

 って、いやそうではなくて、あれ?


「えーと、そんな噂を聞きましたもので。いろんなご令嬢とお散歩したり、お芝居を

りされたのでしょう? お友達がたくさん出来て良かったですね」


 もちろん私はにっこりと微笑みつつもさらに切り込んだ。しかし。


「……それは初耳です。そんなおくは全くありませんが」

「はい?」

「だいたいよく知らない誰かと散歩したり芝居を観たりなんて、したいとも思いません。もちろん相手があなたなら別ですが」

「え? でもお散歩に行ったりしませんでした? たとえばブローレスト侯爵令嬢とかと」

「いいえ? それにブローレスト……? ああ、あの法案に反対している……へえ、お嬢さんがいたんですね」

「え? 令嬢をご存じない……? でも私、お散歩したって聞いたんですが」

「全く覚えがないですね。そもそもあなたとなら散歩も楽しいでしょうが、だん私は特に散歩がしゅというわけでもありませんから。他の誰かと散歩に行く意味がありません」

「ええ? じゃあ他のご令嬢とも」

「なぜ私が行かなければならないのです?」

「あれ?」


 とても不思議そうにそう言うアーデン公爵が、噓を言っているようには見えないのが反対に不思議だった。

 では、私が聞いてきた数々のうきは? 次から次へと出てきた令嬢たちはどこに行った?


「もうあなたという相手がいるのに、他の女性と出かけたりなんて仕事でもないかぎりしませんよ。そもそもめんどくさい」

「めんどくさい」

「今日は久しぶりに家を出ました。さすがにあなたからのお誘いなら喜んで出ます。でもそんなことでもなければ、基本家からは出たくありません」

「久しぶり……?」

「はい。前に家を出たのはいつだったかな。ああ、君とパーティーに行ったときか。君を家へ送って帰ってからは、基本家から出ていません。今は議会の召集もありませんし」

「ええ……でも私、そんな噂を確かに聞いたのですが」


 しかも次から次へとたくさん聞いたのですが!?


「? ああ、そういえばお誘いはいろいろ来ていたようですが、めんどくさいので全部しつと秘書に断らせました」

「えええ……そんな……じゃあまさか誰とも会っていない……?」


 じゃあ、私の今までの努力は!?

 とはさすがに言えなかったが。


「なぜ会う必要があるのです? 目的もなく誰かと会うほど私はひまではありませんし、時間のです」


 心から不思議そうにそう言われたら、もうどう返していいものやら。

 じゃあ私の聞いたあの数々の噂は……?

 私は、改めて噂のいい加減さにあきれたのだった。

 まさかの全部、噓……。

 たしかに公爵をお誘いしたのにあっさり断られたなんて、なかなかプライドもあって言えなかったのかもしれない。令嬢同士で誰がアーデン公爵を真に射止めるかなんて会話をしていたら、そこでを張りたい人もいたのかもしれない。


 他の令嬢をけんせいするためなのか、それとも私に公爵を諦めさせるためなのか。

 何が真実かはさっぱりわからないが、もしかしたらそういう様々な思惑が重なった結果の噂の一人歩きだったのだろうか。

 まさか見事に全部、噓とは。

 さすがに私も噂好きのご婦人方からの伝聞よりも、公爵本人の言葉を信じる。

 しかし開いた口がふさがらないとはこのことである。

 だってつまりは、私の努力は全部徒労だったということなのだ!

 ぜんとする私のかたわらで、公爵本人が何を当たり前のことをとでも言うように、きょとんとしながら私のことを見つめていた。

 じゃあなに? この人、ずうっと引きこもっていたの?

 ということは、公爵のお家の前でわざわざ馬車を故障させたどこぞの令嬢も、もしや執事が対応してさっさと送り返されたということか? たしかに考えてみれば、主人が対応しなくても執事がその場はもてなして馬車の修理を手配すればいい話ではある。

 ……つうはどんな理由であれ家に人が来たら、主人として一応は顔を出してあいさつをするものだと思っていたのだけれど。

 しかしこの公爵は、そんなことは全て「めんどくさい」の一言で終わらせたのかもしれない。うん、この様子ではやりそうだ。

 なんというかこの人は、きっとずっとお家に引きこもっていても平気なタイプの人なのだろう。そして実際に、普段から可能な限り引きこもる人なのだ。

 どうりで、かつての私も名前は知っているのに顔を知らなかったはずである。

 これはごわい……。

 私は他の令嬢と公爵が知り合うきっかけがとっくに、完全に失われていて、全く何も始まってさえもいなかったことにショックを受けた。

 もうじゃあ、どうやってこの婚約を破棄してもらえばいいの……。

 まさか、もう魔女であると告白するしかないのか……?

 そんな風にほうに暮れてしまったとき。

 ちょうどオルセン男爵が得意気な様子でだんじょうに上がったので、そろそろ本日の主役のお披露目が始まるようだった。

 私と公爵は会話を止め、会場のすみに移動して事の次第をながめることにした。

 ここで公爵が目立ってはいけない。公爵の存在がそのお嬢さんの立場のはくけに使われてはいけないのだ。私たちはぼうかん者。そういうことで。

 オルセン男爵は壇上で、ひたすら得意気に語っていた。


「――そしてそのとき、私は気づいたのです。しょみんにはめずらしい、美しいきんぱつの娘が寒さにふるえていることに!」


 どうやら下町を歩いているときに、件の令嬢を見つけたようだ。たしかに金髪やへきがんといった「美しい」とされる要素は貴族に多いけいこうがあった。

 それは我が国の貴族たちがそのような外見を好むせいで、金髪や碧眼といった要素を持つ娘などは昔から貴族の養子に迎え入れられたり直接こんいんしたりしやすいからということの裏返しでもある。

 そんな背景もあったので、見事な金髪を持つマリリンをすでに養子に迎え入れているオルセン男爵は、その娘にも注目したのだろう。


「さらにその娘の目を見て、私はおどろきました。なんとその娘の瞳は、美しい金の色ではありませんか! そのせいで可哀相かわいそうに、その娘は家族の中でもとても冷遇されていることを私は知りました」


 オルセン男爵は、おおぶりでなんて可哀相なのだと同情を全身で表現していた。

 オルセン男爵は、その娘が魔女として家族の中でぐうな目にあっていたのだと言った。

 もちろん貴族でなくても「魔女」は追放の対象である。ただ、庶民だとお金の問題もあって魔女の判定自体がそう簡単には行われず、また単純に働き手が足りなかったり密かに利用したい人間がかばったりするので、貴族社会ほど追放はてっていされていなかった。

 だからその娘も魔女だと疑われてはいたものの、追放にはいたらなかったのだろう。


「可哀相に思った私はその娘を引き取りました。それほどひどきょうぐうだったのです。私が不思議に思って話を聞いたところ、その娘はあの冷遇していた家族とは実は血がつながっていないのだと言いました。そして彼女は、なんと実の親の形見を所持していたのです」


 そこでたっぷりと時間をおいて、オルセン男爵は会場中にひしめき合う貴族たちの顔を得意気にわたした。

 そしてもういいころだと判断したのだろう、とても意味深な口調で、重大な秘密を打ち明けたのだった。


「彼女は、本当の親の形見だという、大変珍しいブローチを私に見せてくれました。するとなんとそこには……ああ本当になんという驚きでしょう! さる……ええ、もうそれはたいへんに高貴な、さる家系のもんしょうが刻まれていたのです……!」


 会場の人々がはっと息をのんだのを、後ろで聞いていた私も感じた。

 かつて「幻の王女」が追放されたとき、それでもその王女には身分を証明するしょうの品を持たせたという話は、貴族の間ではそれほど秘密ではなかった。

 ただ、それがブローチなのかどうなのかは私は知らない。

 でももしそのブローチに本当に王家の紋章が入っていたのなら、それは王家の所有物であったということになる。なにしろ王家の紋章をぞうしたなんてことがバレたら、そっこく反逆罪で死刑なのだから。

 だからそれを持っているのは、王族本人か、王からたまわった人だけということだ。


 オルセン男爵は、この人々の反応にいたく満足したらしく、ますます意味深に続けた。


「私はその娘を引き取ったあと綺麗に洗ってやり、清潔なドレスを着せました。するとどうでしょう。その娘はとても美しく、そしてさる高貴な方と顔立ちがどことなく似ているように思えたのです。いえいえ、もちろんそれは私の主観でございます。しかし私にはどうしても、そう思えてならないのです」


 そしてオルセン男爵は、会場の入り口までもったいぶって歩いて行った。


「ですのでその判断は、みなさまにお任せしようと思います。私は彼女を養女に迎え、暖かい部屋と食事、そして安心できる生活をあたえてやるつもりです。それでは私の新しい娘、マルガリータをごしょうかいします。マルガリータ、おいで。さあ、その美しい姿をみなさまにごろうしようじゃないか!」


 そして男爵に呼ばれた令嬢が、しずしずと入ってきたのだった。

 オルセン男爵の言うとおり、令嬢らしいドレスを身にまとって登場した令嬢は、とても美しかった。きらめく金髪、ぱっちりとした、黄金……の……?

 その令嬢を見たしゅんかん、私はかんを覚えた。

 黄金の……瞳?

 いいえ、あれは、ただのシトリンの色。黄色いけれど、そこに私や他の魔女たちの瞳が持つような強い輝きは感じられなかった。

 確かに本当の魔女の瞳を見たことのない人ならば、もしかしたら誤解するかもしれないほどには黄色い瞳。でも。

 私にはわかった。あの令嬢は、魔女ではない。

 しかしそれは、私が魔女だからこそ。本物の魔女や魔術師と共に育っているからこそ見分けられることでもあった。

 現にとなりの公爵は、かすかに眉間にシワを寄せてはいるものの、いつものクールと言えばクールな無表情で彼女のことをただ見つめている。

 しかしほどなくして、その私の結論は裏付けられた。

 オルセン男爵が、コホンと一つせきばらいをしたあとに言ったのだ。


「紹介しましょう。こちらが、私が今回保護したマルガリータです。彼女はその昔『魔女』として追放されたために、この十六年という長いさいげつの間とても不幸な生活を送ってきました。しかし彼女が大変珍しい貴重な形見をそうとは知らずに持っていたおかげで、私は彼女がただの不幸な平民の女性ではないことを知ったのです」


 紹介された令嬢は、慣れない場に引き出されてとてもきんちょうしているようだった。

 しかしそんな彼女の隣で、それはそれは上機嫌で一人語り続けるオルセン男爵。


「私がこのマルガリータを見つけ出し保護することができたことは大変に幸運でした。魔女だというのは誤解だった。私はあらゆる有識者にこの娘を見せ、そしてその全ての人物から彼女が魔女ではないと保証されたことを今ここで発表いたします!」


 そうして会場中があんによるどよめきとはくしゅで満たされたのだった。それはよかった、めでたいと口にする貴族たちも多かった。もはやこの流れで、今お披露目されている若い女性が本物の王女だと確信している人も多そうだ。

 なにしろ、そういえば噂の庶子の王女の名前がたしかマルガリータだったから。

 しかし私には、他の人々とは違う疑問が浮かんでいた。

 もし彼女が本当に王女なのに魔力がないのだとしたら、なぜ彼女は十六年もの間、不遇な境遇の中に放っておかれたのだろう?

 そしてなぜあの瞳を見れば魔力のないのがいちもくりょうぜんなのに、生まれたときにすぐに魔女と判定されたのだろう。

 たしかにいっぱんの貴族ならば、魔女の黄金の瞳を見たことがない人は多いかもしれない。

 しかし仮にも王の子として生まれた赤ん坊の魔力の判定が、そんなさんなものだとは思えなかった。

 なのになぜ、誤判定されたのか。

 私は何かしゃくぜんとしないまま帰宅したのだった。


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