第二章 新しい婚約者⑦

 もちろん、自室に帰ってから私は届けられた贈り物の山を前に途方に暮れ、そしてこの計画の失敗を認めた。

 完全な失敗である。かんなきまでの敗北である。ああ、敵はなんて手強いのだろう。

 せめて……せめて宝石店はやめておくべきだったよ……。

 ただしそのたった一日の、なのに合わせたら大きなお家がいっけんくらいは軽く買えてしまいそうな金額の買いものっぷりは、もうあっという間に噂好きなご婦人たちの噂になって、突然美麗に変身した公爵の驚くべき気前の良さにますます令嬢たちからアーデン公爵への視線は熱くなったようだった。

 そして私はそんな憧れの的となったアーデン公爵の、全く釣り合っていない地味でへいぼんな婚約者として、ますます他の令嬢方から不思議に思われている。

 ええそうですね、私も本当に不思議です。

 しかしそんな私でも、最近は主に政治的に重要な貴族たちのパーティーに出席する公爵様にどうはんすることが多くなってきた。

 どうやらアーデン公爵という人は、政治には興味があるようだ。まあ公爵様ともなれば、貴族院の一員としてのお仕事もあるのだろう。

 婚活には興味がなくても、仕事には真面目なタイプなのだ、きっと。

 そして今日もとあるパーティーに出席した私は、この前公爵と訪れた宝石店で買ってもらってしまった見事なサファイアのネックレスとイヤリングを身につけていた。

 それはあの時公爵様が、珍しく自らの意思で選んでくれたものの一つで。

 公爵様が選ぶだけあって非常に高価な、価値の高い一品。

 もちろんあの時届いたものを全部頂くなんてできないので、ほぼ全てを返品してしまったのだけれど、このセットやいくつかのアクセサリーだけは公爵様が私のために選んでくれたものだと思うとなんだか悪い気がして、返品しそびれてしまったのだ。

 だからそれなら身につけてお礼を言うべきだろうと、思って。

 このアクセサリーを身につけた私を見た時の公爵様は、それは嬉しそうに目を細めて、極上の微笑みで言った。


「ああ、やはりよくお似合いです。とても美しい」


 いやもちろん美しいのはこのサファイアのセットだとはわかっているのだけれど、それでもその宝石が似合っていると言われてなんだかちょっと照れてしまった私だった。

 ただそのサファイアのセットを身につけてパーティーに出てみれば、その石の大きさと輝きに「あれが……」とヒソヒソ言われるくらいには豪華な一品。

 私がアーデン公爵になぜかとてもできあいされている、という根も葉もない噂が囁かれ始めたのはこのころからだろう。

 でも甘い言葉や愛の告白なんて、全く記憶にありませんが?

 ただ今日もアーデン公爵はりちに私を迎えに来て、目的であるどこぞの紳士とのおそらく政治的な何かの会話をした後は、基本ずっとべったりと私と一緒にいる。

 仕事以外の知り合いを増やそうとか、最新の噂や話題を取り込もうとか、ちょっと賭け事しちゃおうかな、なんていう紳士の好きそうなことをする気は一切ないらしく、おそらくは私がパーティーにきて「もうそろそろ帰りましょうか」と言うのを静かに横で微笑みつつずっと待っている。

 これはもはや、忠実に主人につき従うワンコ以外の何物でもないのではないか。

 でも忠実なのはいいけれど、これでは他の令嬢たちがつけいる隙がなくなってしまうのよ。それは困る。主に私が。

 だから公爵様に隙を作らせるために、「私、あっちでお料理をいただいてますね」と離れようとしても、なぜか必ず「ああ、いいですね。では私も何かいただきましょう。何があるかな」とにこにことついてきてしまうのは、なぜ。

 端から見ればパートナーの意を汲んで優しくエスコートする公爵、しかしその実態はひたすら私に置いて行かれまいとくっついている忠犬。

 かつての婚約者ロビンだったら「そんなにパーティーで食べるなんてはしたない」とお説教した後にさっさと離れてくれたのに、このアーデン公爵は、今も一緒になって料理をにこにこ食べている。

 そしてさらに最近は彼も私にだけは打ち解けたらしく、私が、


「そのサーモン、美味しいんですか?」


 と、皿に山盛りにサーモンを盛っては食べている公爵に話しかけると、


「はい。美味しいです。この王都ではなかなか美味しいサーモンは手に入らないのですが、ここの主はさすが船をたくさん所有しているだけありますね」


 と、にこにこ答えるようになっていた。ああその笑顔がなんて眩しい。

 出会った最初の頃だったら緊張した顔で「はい」「いいえ」くらいしか言わなかった人が、随分饒舌になったものだと私は思わず遠い目をしてしまった。

 傍目にはクールなちょうぜつ美形の公爵がうっすらと微笑んで間近から見つめ返すという、普通の令嬢だったら卒倒しそうな場面のはずなのに、うっかり最近よく一緒にいるせいですっかり見慣れてしまった私の目には、公爵の最新流行で決めた高級な装いの後ろに無邪気に振られる尻尾が見える。

 なついた、といえばそうなのかもしれない。

 公爵が、素直に純粋にこちらをしんらいして心を許してくれているように思えて、また私の良心がちくりと痛んだ。

 私はこんな純粋な人を騙している。

 こんなにいい人の期待を裏切ろうとしている。

 でも、魔女を忌むべきものとして排除する貴族たちの、その中でも頂点に立つ公爵家の当主を相手に、私は自身を魔女だと告白する勇気はいまだなかった。

 貴族というものは、おしなべて魔女を嫌悪している。

 私は今までの人生で、嫌になるほどそのことを実感していた。

 現に去年、魔女だとさいなきっかけでバレてしまったバルマスしゃく夫人は、その血を引く子どももろともそっこく子爵家から縁を切られて追放されてしまった。

 かろうじて跡継ぎの長男だけは残されたらしいが、いつかその長男が適齢期になっても、おそらく結婚相手が見つかる可能性は低い。

 それだけ「魔女の血」というものは嫌悪されるのだ。

 がい者ともいえるバルマス子爵も、今では社交界に出てこなくなった。もし出てきたとしても、他の貴族からのこうさげすみの目からは逃れられないからだろう。

 そんな不幸な事件が今でも起きているという事実に、私はもううんざりしていた。

 魔力があるというだけで、犯罪をおかしているわけでもないのに非難され追放される。

 バルマス子爵夫人を魔女だと看破して告発したオルセン男爵はとても得意気だったが、その姿は私には嫌悪しかなかった。

 私はそんなことをする人たちの仲間として、その人たちの社会の中で生きていきたいとは思わない。どんなにお金があっても、どんなに高貴な身分だとしても。

 明日は我が身。いつ非難とともに追放されるかびくびくしながら生きるなんて。

 魔女だと告げたとたんに、このごげんな公爵もたちまち嫌悪に満ちた目を私に向けるかもしれない。そう考えるたびに、私はそれはとても辛いと思っている自分を自覚していた。

 当初予想だにしていなかったことだけれど、私はこのアーデン公爵という人に、最近ではとても親しみを感じ始めている。

 なにしろとても話しやすい人なのだ。だからついつい私もあれこれと話をするのだが。

 たとえ仕事をしたいと語っても、結婚は出来るだけ遅らせたいと言ってもお好きなようにと言ってくれるし、私が失神しそうなくらい散財させても自分がしたくて払っているのだから全く問題ないと笑っている。

 けっして批判的なことを言わない。女性なら、貴族令嬢ならこうあるべきとも言わない。

 ただ私の話を穏やかにふむふむ聞いて、おうえんするよとご機嫌に幻の尻尾を振っている。

 そんな人だったから。

 何ていい人なんだろう。なんて楽な人だろう。なんて一緒にいて楽しいのだろう。

 そんな、なんでもうんうんと聞いてくれる彼が唯一うんと言わないのは、「婚約破棄」だけだった。

 ……どうして?

 もともと仕事にはへんけんの無い人なのかもしれない。事実お金に困って商売に手を出しているという噂のある貴族なんて何人もいるから、最近は多少価値観が変わってきているかもしれないとは思う。

 だけれどこの人は、おそらくはどんなに散財しても宝石やドレスなんかではなかなか破産させることが出来ないくらいに大金持ちの公爵様だ。

 しかも王家とも縁戚で、先代は政治的にも重要な地位についていたという名家。

 そんなお家の人がなぜ今まで全く接点のない、私のようなひたすら地味に生きていた令嬢をほっしているのかさっぱりわからなかった。

 今や彼は、もっと美人できらびやかで誰からもうらやましがられるような人を妻に出来る立場だというのに。

 私はいつも考え込んでしまい、そしていつも同じ結論にたどりつくのだった。

 つまりは、さっぱりわからない。

 だけれどこの目の前の公爵は今の状況に全く不満は無いようで、むしろご機嫌な様子が本当に理解不能。

 不思議だ……。

 私はそんなことを考えつつ、ご機嫌でサーモンを食べる公爵を眺めていた。

 それでも見目は素晴らしい貴公子然となったアーデン公爵なので、ちょっとでも私が公爵の側から離れるとすぐに女性に囲まれる日々。

 公爵が一人になったとたんに令嬢たちがわらわらと集まってきては、


「まあ公爵様! 今日のボタンはダイアモンドですのね! 私のイヤリングとお揃いですわ!」


 と顔を近づけたり、


「公爵様~今日のパーティーのお酒はとっても美味しいと思いません? 私、なんだかってしまったみたい……」


 としなだれかかろうとしたりする。

 なのに当の公爵といったら、そのたびに笑顔が凍って硬直するのだ。

 もう何度も一緒にパーティーに出て、何度も同じ目にっているのだからそろそろ慣れ

てもよさそうなのに、アーデン公爵が一向に慣れる様子を見せないのはなぜだ。

 最初はぎこちない笑顔を見せつつ頑張っていても、しばらくすると助けを求める視線を私に送ってくるのも相変わらずだった。そしてどんなに「頑張れ」と視線ではげましても、どんどんめられて縋るような視線になるのも変わらない。

 どうしてあの人は、いつも気弱なワンコのようになってしまうのだろう。

 何度も「自信を持って」「そつのない会話をすればそれだけで満点」「なんなら頷いているだけでもなんとかなる」と私が励ましても、全く成長する気配がない。


(……もしや成長する気がないのか? それとも女性と会話するのが嫌いなのか?)


 と、私が本気で悩み始めた頃。

 あるとき私は、とうとう彼の成長を見たのだった。彼は新しいわざを習得した。

 ろくに相手の話も聞かず、まるで急用を思い出したとでもいうように「ちょっと失礼」とだけ言って、さっさとドレスの山から抜け出して私のところにもどってくるという技を。


(ちっが――― うっ! そうじゃない!!)


 そしてそんな公爵を見た令嬢方が、相変わらず「まあなんてクール」とか言っているけど、それは「クール」なんじゃなくて単に「怖がって逃げている」んです。

 だからあんまり勢いよくとつげきしないで、ゆっくりと優しく接してあげてください……そうしたら逃げないかもしれないから……。

 最近では気がつけば、紳士と話していない時は常に私の隣を公爵がじんり、前にも増して離れるものかとまとうようになってしまった。

 しかももしそこにどこかの令嬢が話しかけようとしても、


「ああそうだエレンティナ、のどかわいていないかい? 君の好きな果実酒でも取りに行こうか?」


 などと私に話しかけつつ私の腰を抱いて場所を強制移動、とにかくその令嬢が諦めて追いかけてこなくなるまで、ひたすら私を見つめ私に話しかけてやり過ごすなんていうわざも習得してしまった。

 なんだろう、その臨機応変。なんなのその溺愛演技……。

 本当に女性たちとの交流には関心がないどころか、明らかに避けている。


 もくかつ超絶美形な人なので、ただ静かに微笑んで私の横に立つ姿はまるで後ろに花でも背負っているかのような美しい姿に人の目には映るのかもしれないが、その実態は自由に歩き回る私に必死に置いて行かれまいと付き纏うただの顔の良い忠犬である。

 これでは公爵様の「新たな出会い」そして「真実の愛」のために出たくもないパーティーに出ては頑張って会場にすわっている私の努力が台無しなのに。

 もう私は、まるでせっかく広々とした庭が目の前に広がっているのにしりみして動かない飼い犬を、必死に「思いっきり走っていいんだよ」と言って送り出そうと苦労している飼い主の気分になってきた。

 せっかく素晴らしい顔と地位を持っているのだから、お願い頑張って……!

 しかしその私の真意は、いつまでたっても全く伝わらないのだった。

 なにをしれっとくっついているのか。

 思わずちらりと公爵の方を見上げたら、それに気づいた公爵が、


「エレンティナ、どうしました? つかれたかな? それとも何か食べますか?」


 と、うっとりとした顔で私の世話を焼こうとする。

 そんなだから周りから溺愛とか言われるんでしょうが……。

 興味もないのに何しにパーティーに来ているんだろう、私。

 最近はパーティーに出ても、ただ単に周りに仲の良さを見せつけているだけになっているような気がしていた私は、さすがに作戦をへんこうするべきではないかと思い始めた。

 そう、私は現実的なのだ。

 いつまでも叶わぬ夢を見ることはない。

 幸いアーデン公爵は私の希望を聞き入れて、最大限婚約期間を延ばしてくれていた。

 しかしこのまま状況が変わらなければ、いつかは確実に父とアーデン公爵によって私は貴族夫人、しかも公爵夫人としてこの貴族社会の中心で生き続ける運命となる。

 魔法でしているこの地味外見と、「普通の人」のフリを一生続けなければならなくなるのだ。

 それは嫌だ。どうしても嫌だ。

 私は本来の姿と能力で、納得のいく人生を生きていきたいのだ。

 ということで、次なる作戦は……。

 放置しよう。そうしよう。



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