第二章 新しい婚約者⑥


 自分で決めたこととはいえ、私はいつまでこのほうをかけ続ければいいのかしら。

 私は部屋に一人なのを確認すると、ため息を一つついてから鏡の前で自分にかけていた

魔法を久しぶりに解いてみた。

 とたんに鏡の中の私のはだや髪からはくすみが消え、年相応の健康なはだいろと先祖譲りのぎんぱつが現れる。そして瞳は黄金の光をキラキラと放ちはじめた。

 成長するごとにどんどんと派手になっていくこの容姿は、りょくを持つもののとくちょうだった。

 私の銀の髪は伝説のだいな魔女だった先祖からの遺伝。そしてことさら輝く金の瞳は、高い魔力を持つしるし。

 私のこの本当の姿を見れば、誰もが私が強力な魔女であるとわかってしまうだろう。

 だから隠さなければならなかった。

 もし魔女だと知られたら、もうこの貴族社会では生きてはいけない。もしバレた時には、様々なばつが下されるのだ。


 国外へのそく追放。

 存在のこんせきまっしょう

 抵抗する者には罰を。

 逆らう者には後悔を。

 とにかく、得体の知れないきょうは完全にはいじょされなければならない。それがこの国の、過去の経験からの信念だった。

 だから、隠した。全てを。それは人生をへいおんに生き延びるための術だ。そして私にとってそれはそれほど難しいことではなかった。

 私の魔力は、「隠す」ことが得意なのだから。

 実際に私の知っている今いる魔女やじゅつ師たちの中で、私ほど上手に「隠す」ことが出来る人は誰一人ひとりとしていなかった。

 私は魔法で意のままに違う姿に見せたり見えなくさせたり出来るのだ。

 そんな私が自分にかけたこの魔法は、肌の色はくすんで不健康そうに、銀の髪はくすんだ灰色に、金の瞳はおやゆずりのありきたりな茶色に見せる。

 その上、あえて髪型も服装もみょうにダサい感じにしているので、普段の私の印象はまさに「地味」「目立たない」「つまらない」。

 ザ・地味オブ地味。


 それこそが、この国の貴族社会で私が作り上げたエレンティナ・トラスフォートという自分の姿だった。

 目立たないように。将来姿を消しても、誰も気がつかないように。

 今ではこの地味な姿にもすっかり慣れてしまった。でも。

 ふと、あのアーデン公爵がこの本当の私の姿を見たら、どう思うのだろうかと思った。

 でもこの魔力という資質が大事な跡取りや他の子どもに遺伝するかもしれないとなれば、さすがにどんなに寛容な彼でもようにんはできないだろう。まさかそんなまわしい血を、万が一にも名家アーデン公爵家に入れるわけにはいかないのだから。

 つまり、結果は変わらない。結婚はできない。

 なんだか今ではちょっとそのことがさびしい気もするけれど。

 それでも私は彼には魔女と結婚して、後悔してほしくなかった。大事な跡継ぎや子孫が魔女になるかもしれないことをなげいてほしくもなかった。

 そして私自身、あの信じ切った目で私を見つめる公爵様に、一生こんな後ろめたい重大な隠し事をしなければならないのも嫌だった。

 婚約破棄をしてもらうにしても、出来ればこの秘密は隠したまま静かにお別れしたい。

 にくむべき恐ろしい存在としてではなく、良い友人のまま彼の記憶に残りたい。

 なので。

 まずは穏便に、素敵な女性と仲良くなってそちらにんでもらうのが一番どちらの気持ち的にもダメージが少ないと思うのだ。

 しかしあの調子では、パーティーでの出会いだけでは足りない気がする。婚約期間は最大限延ばしてもらっているとはいえ、あまりのんびりしていたらけっこんしきが来てしまう。

 では……。

 そうして私は、今度はさりげなく公爵がより沢山の女性と自然に知り合える、そんな新

たな計画を練り始めたのだった。


「公爵様、どちらのぼうがよいでしょうか。こちら? それともこっち? ああどちらも素敵で迷ってしまいますわね~~!」

 本日、私が練りに練った末に実行に移したデートプランは、「もちろん付き合ってくだ

さるわよね? 私のゆうじゅうだんなお買い物ツアー」だった。

 今日私は既に、レースの店とぶくろの店にも寄っている。

 この後くつの店とバッグの店と宝石店にも行く予定だ。

 いつものごとく、全くもってアーデン公爵は買い物には興味が無さそうなのに、それでもお誘いの手紙を送ったらすぐに了承の返事がきた。

 そして近侍に整えられたのであろう公爵然とした麗しい彼がまた馬車で迎えに来てくれて、そのまま私の希望したお店を巡り、今も私の買い物にしんぼうづよく付き合ってくれていた。

 きっと彼はこんな経験は初めてだったのだろう。最初のうちは、私がどちらのレースが素敵か意見を聞くたびに驚いて、その後もとても困っているようだった。

 だから私はお店でひたすらなやむフリをして、ひたすらお店の品物を次から次へと物色しては彼に意見を求めつつ、ひそかに計画通りとほくそ笑んでいた。

 そう、最初のすべしは順調だったのだ。全く計画通り。なのに。

 なぜか彼はこの困った状況に対応する策をあっという間に見つけ出し、すでに最初のお店のちゅうからは、私に意見を求められては、


「どちらも素敵ですよ」


 と、今ではすでに何度目かもわからなくなった台詞をにっこり微笑みながら棒読みするようになった。

 最初はたしかに面食らって動揺していたのに、それでも紳士として身につけた今までの教養と知識から、早々にその場での最適解を自力で見つけ出してしまったようなのだ。

 そしてその瞬間からは、もうその台詞しか言わなくなった。

 つまりは「ドチラモステキデスヨ」という全ての判断をほうするじゅもんである。見事に心がこもっていないのが丸わかりの棒読みだ。きっと心からどうでもいいと思っているに違いない。こんなにデザインが違うのに!

 そしてそれでも粘る私が、


「まあ、でもどちらも素敵で決められませんわ~!」


 とか言ってぐずぐず頑張っていると、いつしか次なる呪文が公爵の口からつむがれるようになってしまった。


「ならばどちらも買いましょう」


 違う! そうじゃない!

 そんなことを望んでいるわけじゃあない!

 なのに彼は私の方を見てにっこりと微笑むのだ。

 もう終わった?

 微笑むその瞳が明らかにそう言っている。もはや私には、その様子がまたもや主人の用事が終わるのを今か今かと待つ忠犬の姿に見えてきていた。

 尻尾をぶんぶんと振って、キラキラした目でこちらを見るワンコ。

 この天下の大金持ちであるアーデン公爵には、おそらくこれくらいの出費などまったく痛くもかゆくも無いのだろう。

 こういうちょっとした面倒な時間をなんのちゅうちょもせずにさっくりとお金で解決しようとするあたり、さすが金持ちの貴族だなと感心してしまう。

 しかし私には素直にお礼を言えない事情もあるのだ。

 だって今も本当は、帽子を迷っているわけではないのだから。


「ええ~? でもそんなにあっても困りますし~、どちらかでいいのですけれどお」


 なので、私は粘った。とにかく私はまだこの店にいたい。

 あまりに早い。早いのよ! まだこの店に入って五分も経っていないではないか。

 私はまだ、ここを出るわけにはいかないの!

 こんな調子では、あっという間に今日行く予定の店に行き終わってしまう。

 だけれど今日の計画は女性がよく行くお店に一緒に行って、そこで私が散々悩むフリをしてお店のたいざい時間を出来るだけ引き延ばし、その間にぐうぜんそこをおとずれる女性客の目に公爵をれさせあわよくば会話などの交流をしてもらう、というのがメインの目的なのだ。


「まあ公爵様、ごきげんよう」


 にっこり。


「どうも」


 にっこり。

 多くは望まない。これだけでも彼には上出来だろう。

 しかし美しく若い公爵という今や最高の結婚相手となった彼に、出来るだけ沢山の女性たちと会話をしてもらうには、そんな口実とシチュエーションが今はぴったりではないか。

 それにその令嬢の「にっこり」で、公爵が恋に落ちるかもしれないし!

 そして同時に、散々ぐだぐだと悩んだ挙げ句に最後は「やっぱり決められませんわ~、また今度」と何も買わずに店を出て徒労感を演出した上にさりげなく私の優柔不断をアピールして公爵には呆れてもらい、私のおさいは無事温存という完璧な作戦だったのだが。

 それがなんと今や、その計画自体が公爵のばくだいな財力とありすぎる決断力を前にふうぜんともしとなっていた。

 なぜそんなに買い物に無頓着なのか。なぜにそんなにあっさりと大金を使うのか?

 躊躇とか迷いを全く感じさせない、むしろそこに落ちているゴミを拾ってゴミ箱へ持って行くよりもマシだと言うかのような買い上げっぷりに、私は開いた口がふさがらなかった。

 そのせいでいつも女性でごった返している人気店巡りなのに、これまでの店で公爵と会話が出来た私以外の女性の数はゼロである。

 ゼロ!

 まさかこんなにお金を使わせて、私が必死に品物を迷っているフリまでして店にいようと粘った成果がゼロとは。

 とにかくこの公爵、他の女性、特に若い令嬢が話しかける隙をあたえないのだ。

 私が近くの見知らぬ女性に声をかけてまで会話に引き込もうとしても、けっしてそこに公爵は入ってこようとはしない。むしろすすっと何歩も下がって距離を空けるしまつ。


(引っ込んじゃったらだめでしょう―――!?)


 とにかく私だけを見つめ、私が手に取ったものはその場で全て買い上げて「他には?」と聞いてくる。

 その瞳は、もはや主人を喜ばせたいと健気に見上げる忠犬の瞳。まあ実際には背が高いので見下ろされてはいるのだけれど。

 しかしそんなはやわざで全て買われてしまったら、もう迷うフリをするために新たな品物を手に取ることにも躊躇してしまう。

 となると私には、他に時間を引き延ばす手立てが思いつかないのだった。

 とにかく、さすがに永遠に買わせるわけにもいかないと良心に負けて、私が「いえ、もうありません……」と白旗を上げるまでその状況はひたすら続く。

 もうこの店で三軒目だ。最初のレースのお店ならまだよかった。手袋もまだなんとか。

 しかし帽子でもこの態度となると、この後の靴やバッグや宝石店でも……?

 まさか今日行く予定の全ての店でこれをやるつもりなのか……?

 なにそれ怖い。金持ち怖い。

 世の中のお金持ちの貴族やその夫人って、こんな買い方をするものなの……?

 どうりで「明日はお買い物にお付き合いしていただきたいのですわ。超一流と噂のあんな店やこんな店に行ってみたい」なんてままむすめ的な手紙を突然送りつけて呆れさせようとしても、次の日ゆうの笑顔で迎えに来るわけだ。

 そして、たとえアーデン公爵を見つけた女性客たちが彼に話しかけようと近づいてきても、それをばやく察知してさりげなく背を向け、私の横にぴったりとくっついてくる公爵。

 なんだろう、この人、後ろに目がついているのかしら……?

 なぜそんなにびんかんに察知してまで避けるのだろう?

 とにかくさりげなく背を向け他の女性をきょぜつして、今関心があるのは私だけだと言わんばかりの態度が恐ろしくあからさまで。

 なんでそんなことをするんだ。せっかく話しかけてくれようとしているのに……。


(公爵様、こっちを見るのではなく、あっちを見て!)


 思わず心の中で叫ぶ私。

 今日の目的は買い物ではなくて、あっちなの!

 しかし悲しいかな、さすがにそんな一見おかしな台詞は言えないので、もう私はひたすらこの公爵のてっぺき感漂うガードを打ち破る勇気のある令嬢かその母親の登場を待つことしかできなかった。

 とにかく粘って、時間を……令嬢たちが話しかける時間をかせぐのよ頑張れ私……!

 思わず手に取っていた帽子をにぎりしめたとき。


「ではそれも」


 そうして私は、三つ目の帽子を手に入れたのだった。

 って、だから違う。そうじゃない……。


「公爵様……どれか一つで十分です……本当に……」

「迷っているのなら帰ってから家でゆっくり考えればいい。もしいらないものがあれば後で返せばいいのですから」


 にっこり。

 だから早く店を出たい、そう言っているのかと思えるほどのぎわの良さである。

 違うのよ……私はその後ろで健気にあなたに存在を認知してもらおうと「まあなんて素敵な帽子でしょう!」などと必要以上に大きな声を出してちらちらとこちらを見て話しかけるきっかけをうかがっている令嬢のために悩むフリをだね……。

 しかし悲しいことに、そんな健気な令嬢の存在アピールを綺麗さっぱり無視する公爵を見て、どうやら令嬢の方があきらめてしまったようだ。

 ああああ……可愛らしい方だったのに……!

 あちらをチラとも見ないのはどういうことか。せめて一目、チラと見るだけでも……。

 もしかしたら好みのお嬢さんかもしれないじゃないか!

 そして私は心かららくたんしつつ、とっとと馬車に乗せられて、次の予定にしている靴店に向かわされたのだった。

 次は、私は何足の靴を買われてしまうのだろう……?

 さすがにそんなに多くの贈り物なんて受け取れない。でも後で全て返品するとしたら、その手間と店主たちの落胆ぶりを考えると、うーん一つくらいは残しておくべきだろうか……そして後日それを身につけて公爵に会い改めてお礼を言って……。

 私は自分の計画によって予想外に発生した面倒なあれこれを考えて、思わずうんざりしたのだった。

 そして改めてこの計画の最後に宝石店を入れてしまったことを私は心から後悔した。

 宝石店は、やめるべきだった。高すぎて今から心臓が持つ気がしないよ……。

 神様、どうかこの人を止めてください……!

 しかし悲しいかな、その私の予想は全て当たったし、なんならアーデン公爵の買い上げの決断までの時間はますます短縮されていったし、そしてその場に居合わせた全ての令嬢やご婦人たちのぎもを抜きこそすれ、会話は最後まで一切成立しなかったのだった。

 わかります? お高いものばかりの宝石店で、とりあえず私が少しでも見たものはまるで安いと言わんばかりに気軽に端からお買い上げされてしまう私の気持ちが……!

 公爵は終始店主としか会話しないし、しかもその会話だって「ではそれも」「ありがとうございます公爵様」の繰り返しばかり。

 たまに私に話しかける時はといえば、たいていが、


「ああ、これはあなたに似合いそうだ。いいね、とても美しい」


 とか言って店主に包むようにりで示しながら微笑む時くらいで。

 いや私、欲しいとも言っていませんが!?

 しかも私が遠慮して、せめてお安めに済まそうと見ていたラインとは完全に別の、超高級ラインの物たちばかりなのですが!?

 店主も、私たちをお得意様用の奥の部屋に誘わないで。そして奥からもそんなに出してこなくていいから!

 周りの高貴な客たちさえもがドン引きしているのをひしひしと背中に感じながら、もう迷うしばさえもさせてもらえない完璧なスムーズさで、私は公爵に大量の宝石をお買い上げされてしまったのだった。

 なのにさらに、この公爵は私に微笑みかけて言ったものだ。


「他に気に入ったものは?」


 なんならその店のどの宝石よりも美しいかもしれないその顔でそんなことを言われてしまったら、もう私は魂が抜けたような顔をしながら「いいえ……もう何も……十分ですわ……」とつぶやく他はなかったのだ……。



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