第二章 新しい婚約者⑤


 そして本日。

 くだんの政界の大物侯爵が「アーデン公爵の婚約を祝う」という名目で開いたパーティーに、私たちは二人で出席したのだった。

 私たちは今まで、何かと忙しいという理由で他のパーティーには出ていなかったので、前回私たちが初めて会った時以来のパーティーへの出席である。

 もちろん、わざとそうしたのだ。効果的な宣伝には少々のサプライズも必要じゃない?

 そして満を持して、そんな言葉がぴったりの本日。

 私の狙いは見事に、素晴らしい成功をおさめたのだった。

 まさしく今、パーティーに出席している全女性の熱い視線が、この私の隣に立つそれはそれは美麗でりりしいアーデン公爵に注がれていた。

 たくさんの令嬢やその母親たちのお口がぽかんと開いているのを見るのは、とても気分の良いものだ。

 私は満面の笑みを浮かべながら心の中で叫んでいた。

(見て! これがアーデン公爵よ! 素敵でしょう?だからみんな、はりきって私からりゃくだつしてちょうだい!)

 今日のアーデン公爵は、すっきりとセットしたさらさらの黒髪に切れ長かつすずしげなグレイの瞳、すっと通った鼻筋に薄い唇。もうどこから見ても、美麗。至上の美である。

 しかも無表情でもびっくりするほど美しいのに、これでちょっと微笑みでもしたら、とたんにどんな女性も心をうばわれるだろう色気がダダ漏れにあふれ出すという仕様です。

 そんな美しい公爵が最先端かつぜいを尽くした服をお洒落に着こなした姿はもはや芸術品といっても過言ではない。

 私だって最初はちょっとびっくりしたくらいだ。

 魔女の集うあのデ・ロスティ学院の、美しくもきらきらしい魔女たちを見慣れた私でさえ目を見張る美貌、それは破格。普通の人にはあまりにもげきが強いに違いない。

 驚きでまるでたましいが抜けてしまったかのような周りの人々の反応を見て、私はとてもらしかった。 なにしろ今日のアーデン公爵の出で立ちは、全て私が作り上げたのだから!

 アーデン公爵はこれほどまでに素材としては最高だったというのに、今まであまりにも身なりにとんちゃくなせいで全てを台無しにしていた。

 だから、私がみがいた。それはもう全力で、こんしんの力で磨き上げたのだ。

 ありがとうロビン、私にお洒落や流行の講義を延々としてくれて!

 ほとんど聞き流していたとはいえ、一応はなんとなく聞いていた私、偉かった!

 ああ、頑張ったかいがあったわ。

 今日この場で、これほど素敵に見える紳士が他にいるだろうか。否! 完璧よ!!

 人はこうも変わるのか。

 寝癖をとり髪を整え、ひげを剃る。そしてうっすらと微笑むだけで、最初に見た人とは別人としか思えないほど魅力的な紳士になった。もはや詐欺では。

 なぜこの顔を今まであのうっとうしい前髪で隠していたのか。ほんともったいない。

 しかし何度も公爵と会っている内に、私は少しずつわかってきた。今まで近侍が仕事をしなかったのではない。公爵がさせなかったのだと。

 公爵は、全く見た目を気にする人ではなかった。

 一度聞いたことがあった。


「なぜ、髪を伸ばしていたのですか?」


 しかし答えは、うすうす思っていた私の予想通りで。


「別に伸ばしていたわけでは……気がついたら伸びていただけで……」


 つまりは、ずうっと放っておいたからあんな状態だったと。そして、


「今日の服装は落ち着いていて素敵ですね」


 と言った時には公爵は、


「あなたが、全て近侍に任せろというから……」


 と、少々不本意そうに答えたものだ。


「あら、普通の貴族は近侍に身の回りの世話をさせるものではないのですか?」

「彼に任せると、あれこれといちいち選んだり綺麗に結んだりして時間がかかります。自分で適当に着やすい服を拾って着る方が……ずっと楽で早い」

「……公爵様ともあろう方が、服を拾って着るのはいかがなものかと思いますよ……」

「別に服なら何でもいいと思うのですが……。でも、あなたがこの方が良いとおっしゃるのなら、これからは近侍に任せることにします……」


 と、なんだか渋々ながら受け入れたということは、本当に今まではあれでいいと思っていたらしい。

 しかし一体なぜ、公爵様が着るような高級な服が床に落ちているのか。どうしてそれに疑問も不満もかなかったのか。本当に、なぜ。

 しかしそんな会話ばかりでもある程度繰り返していると、人となりが見えてくるのがおもしろい。そして私が何を言ってもたいていは嬉しそうに私の希望を何でも聞いてくれるので、なんだか嬉しくなった私はますます張り切った。

 そして今アーデン公爵は、私が一番良いと思う紳士の髪型をして、私が選んだ、実は彼の行きつけだったらしいロビンおすすめのボヤージュの店で仕立てた最新の、かつ贅を尽くした服を完璧に着こなし、そして私が教えたとおりにたくさんの令嬢たちとそつの無い会話を早々に終わらせ――

 ん? 終わらせ……?

 先ほど、まさにアーデン公爵の婚約者だと発表された私ではあったが、それから少しった今は私の予想通り、ぜんやる気を出した令嬢たちによってあっという間に公爵の側からはじばされていた。そして、


「公爵様、ご婚約おめでとうございます~。ところでトラスフォート伯爵令嬢とのなれそめをお聞きしても?」

「私からもお祝いを……まあ公爵様、そのベストは今最新流行のガストン織りなのですね! とっても素敵ですわ! うふふ、私たち、しゅが合いますわね!」


 そんな感じで令嬢方がさっとうする様子と、恐らくは初めての経験に少しだけ引きつった笑顔で、それでも頑張って対応しようとしている公爵様を、私はまさにもく通りと満足げに眺めていたのだ。

 左手にはごそうを載せた皿。右手にはフォーク。今日婚約を発表したこの地味令嬢をダンスに誘うような紳士もいないから、もう誰にもじゃされることはない。もし私に腕がもう一本あったら、その手でシャンパンを持って一人かんぱいをしていたかもしれない。

 婚約破棄の流行、ばんざい

 今や誰も彼もが彼にお祝いを言うという名目のもと、彼の気を引きに行っている。

 身分も申し分ない最高に美しく装った令嬢たちから見たら、評判に一度傷がついている私なんて敵ではないのだ。

 あの美しい公爵様に、婚約者を捨ててまで選ばれ愛されるなんてどれだけ素晴らしい経験だろう……!

 これだけ人気者になったのだから、公爵様にはあの中から公爵様が心から愛せる素敵な令嬢を見つけてほしい。あのぼくとつとした人のよい彼に優しく出来る、思いやりのある女性で出来たら子ども好きな……。

 そんなしゅうとめじみたことまで考えつつ眺めていたというのに。

 私はふと、当の公爵がこちらを見ていることに気がついた。


(ん? 私を見ている? なぜ?)


 私の予定ではいまごろは私なんてすっかり忘れて鼻の下を伸ばしているはずではなかったか。

 あれほど「他の令嬢にもあい良く、にこやかに会話すべし」と「お願い」したのに。

 あれほど私が会話の練習相手になったというのに。

 そう。私はどうも女性慣れしていない様子のアーデン公爵に、この二週間、女性との会話の基本をとくとくと教え語っていた。そして私とも練習もねてたくさん会話をして、最近は慣れてきたのかちゃんと会話が続くようになってきていた。特に最近は会話中も緊張した顔ではなくて、ちょっと微笑みが出たりして楽しそうにしていたじゃないか。

 だから今日も、そこそこ令嬢たちとも会話できるはずだと安心していたのだが。

 なぜ、そんなすがるような視線を必死に私に送ってくる?

 私が困惑しながら見ていると、アーデン公爵は周りを固めている令嬢たちから何を言われても何かほんの一言だけ短く答え、そしてその都度ちらりと私の方を見るのだった。


(ん……? 心なしか、おびえたワンコが必死にこちらを見ているような風情が……)


 くう――ん、という、悲しげなワンコの鳴き声が聞こえてくるような気さえしてくるのはなぜかな……?

 え……?

 私に助けを……求めて、いる……?

 いやでも、最近は私と楽しく会話していたよね? 最初は「はい」と「いいえ」くらいしか言わなかったのに、最近ではそこそこ会話を打ち返せるようになっていたではないか。

 嬉しそうに「それは楽しそうですね」とか言えるようになったではないか。

 それに困った時にはもう何でも「そうですね」とか「そうなんですか」とか「そうなんですか?」とか適当に相づちを打つだけで、きっと周りのお嬢様たちは大喜びするからと言っておいたではないか……!

 なのに、なぜしょんぼりと垂れた耳が見えるような気がするのか。

 なぜ「きゅうんタスケテ」という声が聞こえるような気がするのか。

 いったい彼は、何をやっているのかしら?

 大丈夫だから、いつも通り頑張って。微笑みさえしておけば、きっと相手がどうにかしてくれるから!

 私はそんな気持ちをめて元気づけるように笑顔を送ってみたのだが、当の彼からはま

すます悲しげになった視線を返されるだけだった。

 女性に囲まれて嬉しそうな顔をするかと思っていたら、なんだか心底困っているらしいということに戸惑う私。

 男性って、女性にモテたら嬉しいものなのじゃあないの? こう、もうちょっとじりが下がるとか、鼻の下が伸びるとか、ねえ?

 公爵も困惑しているようだけれども、私も、正直なところ困惑していた。

 もっと喜ぶと思ったのに。

 なぜそうもこころもとない、縋るような視線をひたすら送ってくるのか。

 なぜそんなにおぼれて必死に助けを求めているような顔になっているのか。

 私ははて、と首をかしげつつ考えた。そしてなんとなく思い至ったことは。

 考えてみたら今のうるわしの公爵という立ち位置は、ほぼ私がここ最近とっかんで作り上げたと言ってもいいものである。

 髪を切るのもお洒落をするのも、決して公爵自身が望んでいたわけではない。

 思い返せば思い返すほど、彼は全て「私が望んだから」という理由だけでただただ従っていたにすぎなかった。

 文句を言うでもなくこうをするでもなく、むしろ嬉しそうに素直に従ってくれていたので、てっきり私は彼もそれをかんげいしているのだろうと思っていたのだけれど……。

 私はちょっと動揺しつつ、少しだけアーデン公爵とその周りを何重にも取り囲むドレスの山に近づいて、もう少しよく観察をすることにした。

 そして導き出された結論は。


(もしかして彼は……突然のこのモテ期に対応出来ていない……?)


 人はもしかしたら、突然想定外の夢のような状況になったときには、困惑してしまうものなのかもしれない。

 おそらく今までは、こんな状況になったことが無かったのだろう。ふむ。

 でももうこれからは、きっと彼はあの状況が普通になる。彼が実は美麗だということが広く知られてしまった今、もう女性たちは彼を放ってはおかないだろう。

 だから、彼はもう慣れるしかないのだ。

 そんなことを考えているうちに、またもや公爵が弱々しい視線をこちらに送って来た。

 タスケテ。モウムリ。

 そんな彼の心の声がまたもや聞こえたような気がした。

 ……しょうがない。そろそろここは手助けをするべきなのだろう。

 私はちょっと小さなため息をついて、すっかり綺麗になった皿とフォークを近くにいた使用人に渡し、様々なこうすいが混ざり合うドレスの山に向かった。


「公爵様の薄灰色の瞳、わたくし今までこれほど美しい色を見たことがありませんわ」

「公爵様の王都のお屋敷は、うちの近くなんですのよ。ぜひ今度お茶にいらしてくださいませ。どんなお茶がお好きですか?」

「父が珍しい東洋のとうを買いましたの。公爵様はご興味がおありですか? それはそれは美しいのですわ。ぜひ一度お見せしたく……」

「公爵様は~」

「公爵様~?」

「こうしゃくさまあ……!」


 どこからどう見ても見事にモテモテだ。美しく着飾った令嬢たちが、争うように彼の気を引こうとしている。

 どう見ても普通なら、夢のような状況だと思うのだが。

 なのになぜ、今もそんなに必死な視線をこちらに送ってくるのか。

 彼のこおりついた表情の中で、瞳だけがこちらを向いて不安げに震えていた。


「公爵様のクールなそのまなざしに、私、凍ってしまいそうですわ……」


 なんて台詞も聞こえて来たが、いやいやいや、あれはクールなのではなくて、どうも震え上がっているようです。


「公爵様は無口な方なのですね。そんな落ち着いた感じが大人の男性らしくて素敵!」


 って、いやいや、どうも緊張して硬直しているだけみたいです。緊張のあまり口もきけない状態のようで……。

 もはや私の目には、大きくて気のあらい犬たちに囲まれた気弱な小型犬が、逃げ場もなくただプルプルと震えて完全にしゅくして、必死に飼い主に目で助けを求めているようにしか見えなくなってきた。

 ……うん、どうやら練習が足りなかったらしい。

 まだまだしゅぎょうの足りない新兵を、歴戦のの中に放ってはいけなかった。

 仕方ない。今日は、ここまで。

 私はおのれの計画の弱点を素直に認め、本日の計画の中止を決断したのだった。

 とりあえずは「アーデン公爵は素敵な結婚相手」という印象を残せただけでよしとする。

 そして私は今にもそっとうしそうな気配を出し始めた公爵を救出することにしたのだった。

 私は令嬢たちのひとがきの外から公爵に声をかけた。


「公爵様、お話し中申し訳ありません。あちらに、ぜひ公爵様にご挨拶したいという紳士が」


 とかなんとか私が口実をでっちあげて呼びかけると、公爵は明らかに目に安堵の色を浮かべて私を見て言った。


「ああ……では、お嬢さん方、申し訳ない……」


 そう言いつつちらりとドレスの山の方を見たような見ないような。

 もう決して一人一人の顔にしょうてんは当てないぞとでも言うかのように薄ーく形だけ辺りを見回してからしゃくをしたようなしないようなあいまいな挨拶をしたあと、そそくさと令嬢たちの輪から抜け出すと、アーデン公爵はがっしと私のこしに腕を回してそのまま引きずる

 ようにその場を足早に逃げ出したのだった。

 ちょっと、どれだけ必死なのこの人……。


「大丈夫ですか? 公爵様」


 すっかり表情が凍っている公爵を見上げてそう聞くと。


「……お願いですから、もう私から離れないでください。私はあなたさえいてくださればもう……」

 公爵様はそうぽつりと言って、そのままそそくさと会場の中でも一番ドレスの少なそうな、つまりはしきさい的に地味そうな場所にとっしんしたのだった。


(人見知り)


 私ののうにそんな言葉が浮かんだ。

 うーん、でもこの人、紳士に対しては普通に喋れるのよね。パーティーでのいも、ボヤージュの店の男性店主とのやりとりも、見ていると普通にリラックスして会話をしているのだ。

 だから、単に女性に慣れていないだけだと思っていたのだけれど。

 それに最近は私という女性と話す機会が何度もあって、そしてだんだん私とは自然に言葉もわせるようになってきたから大丈夫だろうと思っていたのだけれど。

 まだ今までの練習では足りなかったか……。

 しかし爵位を持つ貴族として、結婚は義務である。そして結婚相手は女性に限るのだ。

 頑張れ公爵、より幸せでじゅうじつしたあなたの人生のために。そのための、よりよいお相手探しのために。

 そのためには私、これからも頑張ってお手伝いしますからね!

 何度も会っているうちにこのアーデン公爵という人に少々情も移ってきた自覚のある私は、せっかく知り合ったのだから、この人のいい公爵にはぜひとも幸せになってもらって、気持ちよく見送りたいと今では思っている。

 だから、家に帰った私は、さっそく今後の計画を再構築することにした。

 あの後アーデン公爵は、もう私を離すまいとでも決めたかのように私の側を離れなかった。勢いで回されただろう彼の腕は、最後まで私の腰から離れることはなかった。

 おかげで他の令嬢たちからの視線が痛いったら。

 この婚約破棄が大はやりの時代において、婚約したてのほやほやのカップルなんていつ別れるかわからない。ならば次は私と、そう思う令嬢がたくさんいるのはもはや普通だ。

 ましてや相手が地味の代名詞のような私である。

 私より容姿もいえがらも良い令嬢たちは、きっと納得がいかないだろう。

 私の一見地味な髪と瞳の色よりも、ずっと美しいとされる金の髪や蒼やエメラルドの瞳を持つ令嬢はたくさんいる。そんな人たちからは、今までも明らかに私の容姿を下に見ているのを感じていたのだから。


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