独身主義の令嬢は、公爵様の溺愛から逃れたい

吉高 花/ビーズログ文庫

第一章 念願の婚約破棄


「エレンティナ・トラスフォートはくしゃくれいじょう、僕は真実の愛に目覚めてしまった。だから君とのこんやくする。もちろんいまごろは君の家にも知らせが行っているとは思うが、それでも直接僕から君に伝えるのが僕の、君への最後の義務だと思ったんだ」


 と、私にさも「僕は君のためにつらい役割をあえて選んだ、なぜならこれが君への僕のやさしさだから!」とでも言いそうな表情でうっとりとおっしゃったのは、たった今まで私の婚約者であったアンサーホリック伯爵家の次男ロビンだった。

 そしてそんな気まずい場面にさりげなくいて、うっとりとロビンを見つめているのは、最近ロビンがごしゅうしんのお相手マリリン。今日もわいらしくリボンをあしらったそうしょく多めのフリフリとしたしょうが、くっきりとした可愛らしいお顔にとてもよく似合っている。

 私は一呼吸置いた後、ゆっくりと言った。


「まあ、わかりましたわ。ああいいえ、私のことはどうかご心配なさらないで。真実の愛で結ばれたてきな方を見つけたのですもの、どうぞ幸せになってくださいね、ロビン」


 そしてにっこりとほほむと、しずしずとアンサーホリックていを後にしたのだった。


(ああ……これまで長かった……。でも、やっと婚約破棄させたわ!)


 ばんざい


「……おじょうさま、お喜びはわかりますが、館にお帰りになるまでは悲しそうにしておく方がよろしいのでは……お喜びはわかりますが」


 馬車に乗り込むやいなや満面のみで派手に万歳をした私に、っていたじょのエマがしょうしながら言った。


「あらつい私としたことが……。そうね、だれかに見られてショックで頭がおかしくなったなんて思われたらいやだものね。でも聞いてエマ! 私、とうとうやったの! 婚約破棄されたのよ! さすがロビン、流行ははずさない男!」


 そう、なぜか今、この国の貴族の青年たちの間では「婚約破棄」が大はやりなのだった。

 自由れんあい、なんてらしい。僕は親に押しつけられた意に染まぬ相手より、真実の愛で結ばれた女性とけっこんするんだ! とまあ、貴族社会でぬくぬくと育ったぼっちゃんたちが、最近とつぜんぞくぞくと反旗をひるがえしている。

 僕の選んだ人は最高だ! だから結婚する!

 わあい、なんて幸せな世界でしょう。しかしその風潮のおかげで、私はやっとあの頭が空っぽでっぱりなロビンとえんを切ることが出来たのだ。

 いやあ、大変だった。なにしろロビンはその大好きな高級アクセサリーや高級なしん服を買うためのおさいを父親のアンサーホリック伯爵ににぎられていたせいで、その父親の決めた結婚相手がたとえどんなに好みとは正反対だろうとも、なかなか今まで思い切った行動には出なかったのだ。

 だけれどこれで、私は晴れて自由の身よ!

 私は思わずふっふっふ、と笑みをらしてしまってからあわてて引っ込めた。

 いけないいけない、家に帰るまでは、一応は傷心の令嬢をよそおわなければ。今この馬車からうれしげな笑い声なんて聞こえてはいけない。

 しかしこれでやっとロビンも、今まで散々陰で自分の婚約者が地味でどこにでもまいぼつしてしまうほどなんへんてつもなく、色気もあいきょうもないつまらない女だと文句を言っていたその口を閉じてくれるだろう。

 ええ、もちろんその通りですよ。嫌というほど知っていますとも。

 なにしろわざとそうしているんだから。

 誰がロビンなんぞに本当の姿を見せるものですか。

 けれども常にちょう一流品に囲まれていたい、流行のさいせんたんを常に走っていたいプライドがおそろしく高い男、それがロビンである。親が決めた婚約者が、よりによってこんなに地味で流行にも全く理解がないなんて、きっとそれはそれはそれは嫌だったにちがいない。

 今までロビンがとうとうまん話や流行の解説を聞かせても興味なさそうに生返事しかしなかった私は、彼からしたら信じられないくらいにどんかんでつまらない女だったはずだ。

 だからそんな時に流行をたくさん取り入れたごうなドレスの可愛らしいご令嬢が甘々な態度ですり寄ってきたら、グラつくのもわからないでもない。

 まあロビン、顔だけはいいしね。

 新興のだんしゃく家のとおえんだというそのマリリンは、元平民ではあったのだが今ではその男爵家の養女となり、正式に社交界デビューをしたとたんにロビンに夢中になった。

 アンサーホリック伯爵家は、我がトラスフォート伯爵家と同じくらいには歴史のある伯爵家である。顔良し、いえがら良し、そしてスマートでおしゃで社交性もあるロビンは、マリリンにとってはまるで物語の王子様のように見えたのかもしれない。

 もちろんそんなロビンに近づくマリリンを、私は見て見ぬフリをした。

 だって、今は婚約破棄が大はやりなのだもの。なんてうってつけな素晴らしい人材なの。

 二人はもうこの世にはおたがいしかいないかのように、よくうっとりと見つめ合っていた

ものだ。ねつれつに愛し合う二人。ああなんて美しい光景でしょうか。


「でもマリリンはもう少しねらう相手の財政じょうきょうをちゃんと調べるべきだったと思うの」


 私は思わずエマに言っていた。

 今は愛するロビンと付き合えて幸せかもしれないけれど。


「まあこいもうもくといいますし、平民出身の方ですから貴族はみなさんお金持ちに見えるのかもしれませんねえ。私もお嬢様からお聞きするまで、ロビン様がとてもお金持ちな方に見えましたもの」

「そしてロビンも、そもそも私との婚約がなされた理由が私の多額の持参金が必要だったから、ということをマリリンには絶対に言わないんでしょうね」


 そう、今もあのロビンのだんきらびやかな服装を始めとしたこのはなやかな生活は、彼の父であるアンサーホリック伯爵の財産を着々と、ようしゃなく減らしていた。

 そのうち彼の父はぶち切れるだろう。すでにもうその兆候が感じられる。それに伯爵位をぐ予定の彼の兄はさらにロビンの散財を苦々しく思っている。だからあの兄が伯爵位を継いだら、きっと弟にこれ以上財産をつぶされないように厳しい態度に出るはずだ。

 そのため今後、彼は持参金の多い妻をむかれるか返す当ての無い借金をするしか今の生活をできない。だからこその私との婚約だったというのに。

 なのに恋に目がくらんでマリリンを選んだロビンは、いつまで今の生活を続けられるのかしら。

 私は自分の館に帰るとまっすぐに父のしょさいに向かい、事のだいを報告した。

 すると私の父であり、このゆいしょある伯爵家の歴史ある書斎に座るトラスフォート伯爵はそうな顔になって言った。


「ああティナ、パパの可愛いむすめ! なんて可哀相かわいそうに! でもまたこのパパがすぐにもっと良い相手を選んであげるからね。そうだ、持参金をもっと増やそう。そうしたら、きっとたくさんの男が君のりょくに気がつくに違いないよ!」


 ちなみにこの父は、本気でそう思っている。

 たしかにこの貴族社会、持参金のない娘には誰も見向きもしないというのが悲しい現実だった。そして私のように少々後ろめたい事情があれば、その金額はさらにふくがることが多い。なんてがらい世界なのだろう。

 だけども私は言った。


「まあ、ありがとうございます、お父様。でももういいのです。お父様もおわかりでしょう? むしろあんな男に我が家のお金を使われなくてよかった。それに、前から私はお金で買われるのではなく、仕事に生きたいと申し上げていたではありませんか。今回のこともきっと神様が私に、お前は一生仕事にじゅんずる運命だと教えてくださっているのですわ」


 そしてことさらにしみじみとした風を装って父にうったえかける。

 しかし伯爵である父は、今まさに「みずから」売れ残ろうとしている娘を見つめて、そのもじゃもじゃしたまゆをハの字にして言うのだ。


「しかしティナ、君はしょうしんしょうめいの貴族なのだから、仕事がしたいならそれなりの貴族にとついでからボランティアをすればいいんだよ。何も自ら苦労することはない。私は可愛い娘に後ろ指をさされるような人生を歩ませたくはないんだ」


 それはもう、きるほど聞かされた言葉だった。が。


「しかし今は貴族でも愛のある結婚をするのがはやりらしいではありませんか。でも私にそんな方はいらっしゃいませんし、そして将来現れるとも思えません。第一、私が『じょ』だという事実にえられる方なんているとは思えませんわ。ですからお父様、その私の持参金は私にくださいな。私はそれで自立して、一人で立派に生きていきますから!」


 そして私は、またいつものように頭をかかえ始めた父を置いてその場を辞したのだった。

 だってしょうがないじゃない。私は『魔女』なのだから。


『魔女』


 それは、この国ではきらわれる存在だった。はるか何百年も前から教え伝えられる「じゃあくな魔女」の話を、この国で知らないものはいない。


『――かつて、邪悪な魔女がいた。何百年ものはるか昔、その魔女は類いまれなるぼうとその黄金のひとみによって、たくさんの人々をりょうした。

 その美貌と黄金の瞳にせられた多くの人々が彼女の前にひれし、彼女の歓心を得るためだけに喜んで殺し合った。

 その中には当時の王もいて、王はとうとう全てを殺しくした後に、その血れた手で魔女の黄金の瞳に忠誠をちかい自分の全てをささげたのだった。

 それをうれい、長い長い戦いの末にその邪悪な魔女とおろかな王を殺した新しい王は、高らかに宣言した。

 魔女は人をまどわす忌むべき者である。見つけ次第、殺さなければならない!』


 ――創世記「王の誕生」より――


「魔女」は今でも実は少数とはいえこうして一定数生まれてくるというのに、過去のその邪悪な一人の魔女のせいで常に忌み嫌われ、今では殺すことはしなくても、それでも見つかり次第追放される存在だった。

 なのに、それでもいまだに魔女はしょうめつしていない。それはなぜか。

 その理由として、今ではりょくは遺伝するという考えがいっぱんてきになっている。

 過去の不幸なその長い長い魔女の歴史を何人もの研究者がしょうさいに検証して導き出された、それはおそらく真実。

 どうも男性では単に魔力が発現しにくいだけでその血統は子孫へと続き、その子孫に女性が生まれた時、まれに魔力を持った状態で生まれてくるという仕組みらしい。

 現に、私の魔力も父親ゆずりの可能性が高いのだ。実は父方の先祖に、非常に強力な魔女がいたらしいのだから。


 しかし当然、表向きには我が家もその事実をかんぺきかくしている。それはもう、完璧に。

 なにしろもしもバレたら魔女はそくに追放され、一族もその血を恐れられてこの貴族社会ではらいえいごう後ろ指をさされてしまうことになるのだから。

 だけれど通常、魔女はその見た目ですぐにわかってしまう。

 魔力のある者は、もれなくその瞳に魔力が現れて黄金にかがやくのだ。

 だからもしも魔女の血統に生まれた赤子が金の瞳を持っていたら、親はその子が追放されないように、家の外にちがってもその情報が出ないように、すみやかに、かつひそかに対策をほどこすことになる。

 私も先祖から密かに言い伝えられた指示に従い、ただちに親とはなされ隠されて育った。

 集められた魔女や数少ないじゅつ師である男の子たちは、そのかくぜつされた「学院」の中で長いはくがいの歴史を学び、そしてどんな時にもほうを発現させないように訓練される。

 それは代々魔力を遺伝させてしまう家たちが作り上げた、あんもくのルール。

 子を、そして一族を守るためにいつの間にか密かに作られた仕組みだった。

 私の魔力は先祖返りなのかはわからないが多くの魔女たちよりずいぶん大きかったので、うまくせいぎょできるようになるまでに時間がかかってしまい、その学院を「卒業」したのは大きくなってから、つまりは今からほんの数年前だった。

 平民の子も交ざるその学院で、お互いに身分や身元を意識しないで単に同じ魔女として共同生活を長い間送ってしまったため、としごろになってやっと実家に帰ってきた時の私の意識は、おそらくはほとんど平民とあまり変わらない状態だった。

 もちろん実家にもどってからは貴族令嬢としての常識やしきたりや所作などのもう特訓を受けたので今では表向きはなんとかつくろえてはいるが、しかし中身はそうそう変われるものではなかった。

 なのに今、私に両親が望むのは貴族令嬢としての結婚、そして幸せで。

 でも結婚相手にまでそんな重大な事実を隠して、さらには自分の見かけさえもいつわって一生を過ごさなければならないのは、とても辛いと思うのだ。

 それにもしも娘が生まれたら、その娘にも魔力が宿るかもしれない。その時は、またそれを隠すためにほうもない努力をしなければならなくなる。

 そんな苦労をしてまで、結婚なんてする意味があるだろうか?

 そこまでして得る「幸せ」に、私はどうしても興味が持てなかった。

 そんな苦労をするくらいなら秘密を抱えなくてすむような、自分が自分らしくいられる場所で一人で生きていきたいと思う。一生秘密を抱えてびくびくしながら暮らすのなんてまっぴらごめんなのだ。

 やっと帰ってきた娘が、それまでおもえがいていたような従順な娘ではなかったのはとても申し訳ないとは思うけれど。


 それでも私は、自分が魔女であることに価値がある場所で生きていきたいと思っている。

 そしてそのための地道な努力が、今日やっと実を結んだのだ。

 そう、ロビンにどうにかして婚約破棄をさせるという、努力が。

 婚約を破棄された令嬢は、貴族社会ではその理由に関係なくもれなく評判が悪くなる。

 たとえそれが男側のただの気まぐれだったとしても、婚約を破棄されるなんて何か問題があったのかもしれない、そんな見方をされてしまうのが女性側。ああじんきわまりない。

 しかし、ということは、地味でつまらなくてとうとうロビンに捨てられた女、それが今の私。今まで散々ロビンが私の悪評を広めてくれたお陰で、今や社交界での私のイメージは最悪だろう。

 さあ、これで私と結婚しようという人は、もういない。

 そう確信した私は、その日それはそれは晴れ晴れとした気分でとこについて、心ゆくまで

ぐっすりねむったのだった。


 というのに。と、いうのに!

 なーぜ―――?

 次の日、めずらしく早起きして朝食の間に来た父は、私の顔を見るなり喜色満面でさけんだ。


「ティナ! 喜べ! 素晴らしいえんだんだ! なんと次はこうしゃく様だぞ!」


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