第二章 新しい婚約者②


「あの……大丈夫ですか? 私にはあなたが彼に腕を引っ張られていたように見えたのですが。痛めてはいませんか?」


 そんな声と共に、私に手を差し伸べる紳士が。


「まあ、ありがとうございます」


 私はその手に助けられて、できる限り早く立ち上がった。

 なんて親切な人だろう。その手は大きくて温かく、そして力強かった。

 そうよ、これが紳士ってものよ。ロビンも見習ってほしい。

 なんとか立ち上がってから軽くドレスのほこりはらって、シワがついていないかとかよごれがついていないかをチェックする。どうやらはたには大丈夫そうで良かった。

 しかしその間も、おそらくは私に傷つけられたプライドを立て直すべく、ロビンはグチグチと私を非難していた。

 そしてあろうことか、私を助けてくれた紳士にまで文句を言いだすしまつ。


「僕は彼女がふらついたから支えようとしただけだ。だいたい彼女は僕の婚約者だったときから落ち着きがなくて、いつも僕がフォローしなければならなかったんですよ。今回だってそうだ。なのにみょうな言いがかりはやめていただきたい」


 ごていねいに「僕の婚約者だった」という部分を強調して言うのはやめて欲しい。

 私としてはそんなてんは一刻も早く忘れてしまいたいのに、どうしていちいち思い出させようとしてくるんだこの男。

 それにしても私に手を貸してくれた親切な人はロビンにけんごしにそう言われ、すっかりとばっちりである。ただ紳士として女性に優しくするという正しい行いをしただけなのに。

 それでも私はその背の高い紳士が、ロビンにひるむことなく私を守るようにとなりに立っていてくれるのがありがたかった。


「あの……」


 私は言いたいことがたくさんあった。

 もちろん彼が私を引き倒したんですよ。

 もう婚約はとっくに解消したのだから彼と私は全く関係ないんですよ。

 だから助けてくれて本当に嬉しかったんです。ありがとう。

 しかしそのどれも言えない内に、隣に立つ男はロビンにぜんと言ったのだった。


「では、これからは私が彼女のフォローをしますので、君はもういいですよ。彼女は、今は私の婚約者ですので」

「はい?」

「はあ?」


 思わず私とロビンから、同時にけな声がれた。

 でもこの人、初めて見る人……とまで考えて、改めて考えてみたら私は自分の婚約者の顔を知らないのだった。と、いうことは。

 ま さ か ……?

 私は思わず、隣で私を守るように立ちまっすぐにロビンの方を向いている男を見上げた。

 だが。うん、くろかみで……男の人。以上。

 おどろいたことに、その人を間近でじっくり見てもそれ以上の情報が全く読み取れなかった。

 なにしろその髪は後ろになでつけられ……ていたはずだとは思うが今はすっかりボサボサで、さらに後頭部には大きなぐせがぴょこんと自己主張するように立っている。

 目元も長いまえがみがボサボサとかぶさっていてよく見えない。

 髪以外ではゆいいつがっしりとして男らしいあごのラインが、かろうじてたのもしいといえば頼もしい……のかもしれない、そのしょうひげさえ無ければ……。

 なんだこの人……?

 どれだけ身なりを整えるのをサボるとここまでになるのだろう?

 貴族って、常にきんが身だしなみのお世話をしてれいにするものじゃあないの?

 なぜこの人の近侍は仕事をしないのだろう?

 着ているものも、だけ見れば上等な衣服のようなのに。

 ちょっと色と模様がちぐはぐとはいえ……。

 うん、色と太さが違うとはいえ、チェックのベストとストライプのスラックスは組み合わせない方がいいと思うのよね。目がちょっとチカチカするわ。

 …………。


(近侍! 仕事しろ!)


 しかもこの人、私がこんなにあからさまに見上げているというのに、そしてそれを察しているだろうに、今も私を完全無視してロビンの方しか見ていない。

 ちょっと、この私の驚きとどうようは無視ですか?

 普通の紳士ならばこういう場面では、たとえば私の方を見てほほんだりするものじゃあないの? なのに私は丸無視ですか!?

 私があまりに動揺していたので、先に立ち直ったのはロビンだった。


「ええと……誰……? ひとちがいではありませんか? 彼女は、そこのエレンティナ・トラスフォート伯爵令嬢は、つい先日まで僕と婚約していたんですよ? それに彼女は僕と婚約しているときにも他の男性から人気があるように見えませんでした。まあ、結局は僕も真実の愛を見つけてしまったので彼女との婚約は破棄したのですがね」

 ふっ。

 って、だからなにをいちいち格好つけているのか。

 私は我ながらよくこんな男に長い間我慢していたものだと、過去の自分をめてやりた

くなった。うん私、よく我慢した。えらい。

 しかし私がそんな感じで唖然として口がきけないうちに、それでも目の前では話がどんどん進む。


「もちろんそれは知っていますよ。しかし新聞公告はまだ出ていないのであなたはご存じなかったようですが、実は私たちは先日正式に結婚の約束をしました。もし疑うなら彼女のお父上に確認していただいてもかまいません」


 非常に事務的に告げられる言葉。

 この隣の人は、冗談を言っているようには見えなかった。

 そのためさすがにロビンもちょっと疑うことにしたようだ。


「はあ……? そんな馬鹿な。しかしエレンティナ、本当なのか? いくらなんでもつい最近まで僕と婚約しておきながら、それが反故ほごになったとたんにもう他の男となんて……そんな都合の良い話があるものか。それともまさか心当たりがあるとでもいうのか?」

 ロビンが非常に疑わしそうに私を見た。

 でも私には心当たりが、あった。たしかにあった。大いにあった。あるからこそ、この場にいるのだが。

 しかし、その相手がこの隣に立つ男なのかは全くもってわからなかった。

 誰にも言っていない、そしてこの男が言うようにまだ新聞公告も出ていない、つまり正式発表もまだの私自身さえも実感のないこの婚約を知る者は非常に少ない。今はまだ、当人と私の両親くらいなものだろう。

 なのに婚約についてげんきゅうするということは、当人という可能性はある。

 だけれどこの人は、もしかしたら、単に困っている私を助けるためにとっさにでまかせを言ってくれただけの可能性もあるよね?

 つまりはそんな事実なんて知らなかった赤の他人の可能性もないわけではない。

 私は一瞬迷い、でも考えてみれば。それならそれで、ちゃんと調子を合わせないといけないかも?

 そこまで結論してから、やっと私はこくこくとうなずいたのだった。

 そんな私を見て、ロビンがきょうがくの表情をした。


「なっ……! なんて君はつつしみがないんだ! そんな軽々しく相手を替えるなんて……ああそうか。きっと君は僕に振られてぼうになってしまって、そのせいでこんなあやしげな男でもいいからとにかく結婚できればいいと思ってしまったんだね、可哀想に。でもそんなせんたくをして将来君がこうかいしないといいけれど」


 そして、なぜか同情的な目で私を見始めたロビン。


「……」


 私は呆れて言い返す気も起こらなかった。

 何を言っているんだ? 自暴自棄? ロビンのせいで? どうやったらそんな思考になるんだ?

 しかしロビンは、私のその「はあ?」という表情は読み取れなかったらしい。

 同情たっぷりの態度のまま、私の隣の男にも言った。


「では君、君がどこの誰かは知らないが、エレンティナはこの前までこのゆいしょあるアンサーホリック伯爵家の僕と結婚すると思っていたんだよ。この常に流行のさいせんたんをいく立派なちの僕の隣にしょうがい立つつもりだったんだ。なのに次の相手がそのセンスの君では、きっと彼女も悲しいだろう。君が仮にもこんなに地味とはいえ、れっきとした伯爵令嬢と結婚するつもりならば、せめて髪やひげを整えて、そのセンスのかけらもない服をどうにかしたまえ。君もやっとつかまえた婚約者にきらわれたくはないだろう?」


 そうして自分の着ている服をまんげに、見せつけるように胸を張ったのだった。

 

「服……?」


 対してまどう私のかたわらの男。どうやら彼には少々服装がおかしい自覚はなかったらしい。



「そう! さすがに僕ほどとはいかなくても、せめて最低限のコーディネートくらいはしてくれたまえ。服に失礼だろう。流行を取り入れるのも紳士のたしなみだよ。ちなみに今一番流行っているのはボヤージュの店だ。少々他よりは高いかもしれないが、それだけの価値はある。なにしろ彼のセンスはちょう一流だからね。彼に任せたらきっと君でもらしい紳士に見える服を仕立ててくれるから、せめてこういう場のために一着は仕立てたまえ。ちなみに僕は三着持っていて、今もさらに二着注文して……ああ! しかし彼は客を選ぶんだった。よしこれも縁だ、よろしければ僕が紹介してあげようか?」


 そういえばこの男は、流行の服の話や自慢話となると突然熱く語り出す男だった。

 今のロビンは、かがやいていた。


「……」


 対して隣の男はそんなロビンにされてなにも反論は出来ないようだ。

 そして私としても、たしかにその服のセンスはさすがにないだろうと思っていたので弁護のしようもないのだった。

 そんな黙り込む私たち二人の様子を見て、ますますじょうぜつになるロビン。


「エレンティナ、君がこんな選択をしなければならなかったなんて僕は残念だよ。しかしもう婚約してしまったのならしかたがない。これからは君がこの男を支えなきゃね。でも紳士として服も満足に着こなせないなんて、もしかしてこの男は平民なのかな? なら平民を貴族のパーティーに連れてきてはだめだ。人にはその立場に相応ふさわしい場所というものがあるんだから。自分の男に少しでもはくをつけようとする君の気持ちはわからないでもないが、だからといって大切な身分の壁はえてはならないんだよ。ここは政治的に重要なパーティーというだけでなく、僕たち貴族の、しかも侯爵家のパーティーなのだからね」


 非常に同情的に、やれやれしょうがないから教えてあげるよといった感じのロビンの言葉である。相変わらず貴族という身分が大好きなロビンらしい言い方だ。

 と、その時。


「あっ! ロビンさまあ、ここにいらしたんですねえ~?」


 甘ったるい声がして、ロビンの婚約者であるマリリンがやってきたのだった。

 今日も可愛らしい豪華なドレスを着て、そのくりくりしたあおい目をキラキラさせている。


「ああ、僕のマリリン、今日もなんて可愛いんだ」


 彼女を見たとたんに表情をとろけさせるロビン。


「うふふ、ロビン様、それもう今日はこれで五回目ですよう? ところでここで何を……あっ、エレンティナ様……」


 私を見て驚くマリリンじょう。さすがにロビンの元婚約者を前にして、少々気まずいようだ。

 しかしそんなことはお構いなしなロビンは、


「何度言っても言い足りないよ、僕の可愛いマリリン。さあ、あちらに行って飲み物でも飲もう。もう僕はここには用はないから」


 と、うっとりとマリリンを見つめていた。

 しかし当のマリリンはというと、私の方を見た後に、その隣の人物に気がついてはっとした表情になった。


「えっ? あ、あの……あの、もしや、あなた様はアーデン公爵様ではありませんか……? まあ! 初めまして! あっ私から声をかけるなんてはしたないとお思いですよね! でも私、ぜひお友達になりたくて……! 私、マリリン・オルセンと申しますう! 今日はパーティーにいらしたということは、が明けられたのですよね。ではぜひこれからは私とも仲良くしていただけたら嬉しいですう~」


 と、なぜかロビンには見向きもしないで、くねくねしながら私の隣の男をうっとりと見上げたのだった。

 ん……? ということは……やはりこの男が……?


「は? 公爵?」


 ロビンがとんきょうな声を出した。

 でもマリリンはきょとんとした顔でさらに私の隣の男に語りかける。


「え? アーデン公爵様ですよね? 先ほどしゅしょうと親しげにお話しされていらっしゃるのを見て、スランベリー公爵夫人がそう言っていたのですけれど。前公爵様が亡くなられて、ずっと喪に服していらしたって。なんてお可哀相……。私でよければお慰めして差し上げたいくらいです。でも、ごめいわくですよねえ……?」


 そしてマリリンはじっとうわづかいで私の隣の男を見つめたのだった。

 するとそれを見たロビンが、


「ああマリリン、君はなんて優しいんだ。でも彼は大丈夫だよ。僕がボヤージュの店を教えてあげたからね。きっと彼はこれから忙しくなるだろう。彼の相手はミスターボヤージュに任せればいいよ。さあ、僕たちはもう行こうか」


 と言いながら、マリリンに手を差し伸べた。

 でもマリリンはその手を無視してもう一歩、私の隣の男の方にして言った。


「まあ! それは素晴らしい提案ですわ。でもボヤージュの店にはお一人で行かれるのですか? それより誰か、女性からの助言もあった方がもっと素敵な服が仕立てられると思いますわ。もしよろしければ私、お力になります!」


 マリリン嬢はこの場を去りたい様子のロビンとは違って、さっきからずっと私の隣で黙って棒立ちしている男と、どうにか次の約束を取り付けたいようだった。全身からけなな様子がにじみ出ている。

 こんなマリリンの様子を、私はよく知っていた。

 社交界で、沢山の令嬢やその母親たちが有力な独身貴族相手に繰り広げているありふれた光景である。そしてかつては彼女がロビンに対してとっていた態度でもあった。

 この彼女がここまで必死になるということは……。

 私は一人素知らぬ顔をしながら、心の中で驚愕していた。


(これが……この男が、おそらく私の婚約者……!)


 しかし当の男はだんまりのまま、ただこうちょくしているのだった。


 こうていも否定もせずに、そのボサボサの髪のせいで目元の表情もわからない男は、ただ棒立ちしている。

 普通の紳士ならこういうときはにこやかに返答して会話を続けるものだと思っていた私は、隣の男の全く紳士らしからぬ態度に驚いていた。


「マリリン、人違いじゃないか? なにも答えないし、なにしろその、ふうぼうが……とてもそばづかえのいる高位貴族とは思えない。いくら君が優しいからといって、君が手を差し伸べるような相手ではないよ」

「まあロビン様。公爵様は……そう、きっとお忙しかったのです。でも、そうですわね。公爵様、たとえばそのお洋服を違うものに替えたら、きっともっと素敵になりますわ。もしよろしければ私が少々アドバイスをしても?」


 ロビンの方をチラとも見ずに、ひたとひげづらでボサボサ髪の男を見つめるマリリン嬢。

 私はただ唖然と二人、いやロビンをふくめた三人をこうに見つめるしかなかった。

 私の隣に棒立ちする男は、うっとりとした表情のまま返事を待つマリリンに対し、かなりの間があった後に、かろうじて小声で言った。


「……いえ」


 普通の社交慣れした紳士であれば、その後に「でもおづかいありがとうございます」くらいは言って微笑んだりしてほしいところ……とまたもや私は思ったが、どうも隣に棒立ちしている男からは、全くそんなことを言いそうな気配はしない。全くしない。

 彼はただ、簡潔に事実を伝えたに過ぎないのだろう。答えなければならないから答えた。

 それだけなのだ、そう私はぼんやりと思った。

 しかし私は知っていた。そんなことは、このマリリンには全く問題にはならないことを。


「まあ! でもそのチェックのベストとストライプのスラックスは少々あの……私、もっと素敵に見える組み合わせがあると思うのですわ。たとえばそのチェックのベストには、のうこんのスラックスはいかがでしょう。うふふ、私、昔から母にはファッションセンスが良いって褒められますのよ?」


 にじにじと近寄りつつにっこりとくったくの無いがおを見せるマリリン嬢。

 しかしずっと無視されているロビンは、もうこれ以上ここにはいたくないようだった。


「マリリン! そこの彼はエレンティナと婚約したんだそうだよ。だから君がお世話をする必要はないんだ。地味な人間同士、お似合いじゃないか。ねえ? 可愛くて華やかな君には僕みたいな立派な男でないと釣りわないよ。だから、さあもう行こう」

「え? 婚約……?」


 そのしゅんかん、マリリンの目が心底こんわくしたようにれた。


「そうらしいよ。新聞公告も出るらしい。本当かどうかは僕にはわからないけどね。それよりもあっちに行こう。僕は少々ワインが飲みたいな」


 マリリンが信じられないという顔で私とその隣の男を見比べていた。

 するとそんなマリリンに、ずっと棒立ちしていた男がこくり、と頷いたのだった。

 とたんに信じられないという顔をするマリリン。


「まあ、それは……驚きましたわ」

「マリリン! もう行くよ!」

「ええ? ロビン様……ちょっと待っ……あら? あらららら?」


 そうして困惑したままのマリリン嬢は、しびれを切らしたロビンに引きずられるように飲み物が並ぶテーブルの方に連れ去られていったのだった。

 遠目から見たら、きらきらしく着飾った男がピンクのフリルの山を引きずっているように見えただろう。

 まあ……たしかにお似合いよね、あの二人。

 思わずそんなことをぼんやりと思った私。

 しかしその結果取り残されたのは、このずっとほぼ棒立ちしていたボサボサ髪の男と私。

 この男、全然私の方を見ない。今もちらちらとこっちを見ているマリリンたちのいる方をぼうっと眺めているだけで、絶対に私の方を見ない。まるで心に決めたかのように全くこちらに視線をそうとはしなかった。

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