第二章 新しい婚約者③

「えーっと……」


 しょうがないので、私が先に口火を切った。

 だってこんなじょうきょうでは、たとえ正式に紹介されていなくてももう会話しないわけにはいかないだろう。じゃあこれで、なんて言ってあっさり立ち去れるような空気ではなくなっているのだから。


「……」


 しかしそれでも男は動かなかった。

 なぜだかはわからないが、なんとなくきんちょうしているふんだけはうっすらと感じる。

 いやでも、せめてこっちを向いてくれないと話しにくいのですが……。

「あの……先ほどはありがとうございました。手を貸していただいて……。あの時は一人で立ち上がるのが大変だったものですから……」

 そう、まずはお礼。なにしろこの人があの時タイミングよく助けてくれたお陰で、私はなんとかていさいを保つことができたようなものなのだ。

 あとはどうも口数が少なそうな人だと察したので、それがいいだろうという計算もある。

 なぜなら、その返しは簡単だからだ。

 貴族社会に生きる紳士であれば、「いえ、当然のことをしたまでです」もしくは、「おはありませんでしたか?」ここら辺がとうな返しだろう。

 そう、それはじょうとう。こう言われたら、こう返す、そんな会話のお約束。


 だからそのまま返答を待つ私。だが。

 隣の男はたっぷりと時間をかけた後、ぎぎぎ……と音が聞こえてきそうなくらいぎこちない動きで顔だけを私の方に向けて、かろうじて聞こえる小声で言った。


「……いえ……当然のことを、したまで、です」


 なんとかしぼり出したというぜいで、み噛みで常套句だけを返してまた黙り込む。


(うーん…………照れ屋さん……?)


 私は考えられる限り最大限好意的にかいしゃくをしてみた。

 しかし髪のせいで目がよく見えないので、実のところはわからない。

 ウィットに富んだ話題で会話をリードするのは男性側……なんていう貴族社会のあんもくのルールはどこへやら、どうやらこの人相手では全く通用しないということを早くも私は学びつつあった。

 なんなのこの人、今まで会ったことのないタイプだわ。

 ただ助かるのはけん感だとかげんだとか怒りだとか、そういう悪い感情は感じられないことだ。

 感じるのは……うーん、緊張感……?

 仕方が無いので間を持たせるためにさらにしゃべる私。


「あー、でも本当に助かりましたわ。あのままあのロビンに好き勝手言われていたら私、頭にきてけんしていたかもしれませんから」


 面倒くさいのでもう正直に言う。そもそもこの男に気に入られる必要は全くないのだ。

 もし素を出して驚かれても呆れられても、それは婚約破棄が近くなるだけでばんばんざいなだけだ。

 するとそれを聞いた相手は、くすっと笑ったように見えた。うすくちびるはしがちょっとだけ、ピクリと上がったようだ。

 私は、まだほぼなにも会話をしていないけれど、この人は悪い人ではなさそうだなとなんとなく思った。

 少なくともかつてのロビンのように、こうしてペラペラと男性に話しかけるのを「はしたない」とか「レディなのに」なんて言う気はないようだ。

 そして。


「……お怪我が、なくて……よかったです」


 緊張気味に、小さな声でぼそぼそと言葉が返ってきた。ある意味また常套句だけれど。

 私はそれでもその言葉で、この目の前の男がもう会話を切り上げて去ろうとしているようではないと判断する。ならば真っ先にすることは。


「あの……いまさらこんなことをお聞きするのはおかしいかもしれないのですが、先ほどマリリンが言っていたことは本当ですか? その、あなたがアーデン公爵だと……」


 たしかにこの人は、ロビンに最初に「私の婚約者」と私のことを言っていた。今そう言えるのはアーデン公爵ただ一人。ということは疑うのは失礼なのかもしれないが、でも万が一にも間違えていたら大問題だから。

 確認、大事。ならば聞かねばならないだろう。そして、


「はい」


 答えはあっさりと得られたのだった。


「あ、そうですか……」


 ちょっとひょうけした。

 そうか、この人が、アーデン公爵……。今まで散々穴の開くほど眺めたあの「喜ばしい」という殴り書きを送って来た、本人か……。

 しかし、じゃあ、どうしよう?

 今日の私は、ちょっとはなれたところからまずは当の公爵がどういう人かを観察するだけのつもりだったから。

 どんな顔かとか太っているのかとか、禿げているのかとか、どんな人といるのかとか。

 しょうぞう画も無し、一度も会わず、いきなり手紙一つで結婚の申し込みとか、そんなことをする人なんて正直に言えば普通の人ではないだろう、絶対にどこか難があるのだろうと思っていたから、とりあえずその難をきわめようと思っていたのだ。

 だからいきなりこんな会話どころか至近きょで向き合うつもりはなかったし、さらにはこんな目の前にいても全く顔も表情もわからない人だとは、さすがの私も想定外だった。


(困っているのか関心がないのか、それとも照れているのかも、なにもわからないわ……)


 私は途方に暮れた。

 貴族の紳士というものは、そつのない、ユーモアを交えたけいみょうな会話をするものではなかったのか。

 女性を前にしてひたすらだんまりとはこれいかに。

 社交界にデビューしてからこんなに口数の少ない人は初めてで、私はどうしていいかわからないのだった。

 なるほど、こんなに大人しそうな人だったら、たとえどこかで同じパーティーに来ていたとしても人にもれて私が認識していなかったのかもしれないな、と、公爵と向かい合ったまま私は思った。

 なにしろこの男、いやアーデン公爵という人は、今もじゃっかんの緊張感をただよわせながらひたすら私の前でくしているだけなのだから。

 もう私には、このまま放っておいたらこの状態が永遠に続きそうな気がしてきた。

 私が何も言わなかったら、この人はこのまま永遠に黙っているつもりなのではないか。

 じゃあ会話をする気がないのなら、もう帰る?

 ここで私が「では、ごきげんよう」とかなんとか言いながら立ち去っても、おそらくは追いかけてこないだろうし。

 一瞬そんなことを考えたけれど、私は「そういえば」と思い出す。

 そう、今日の目的である「相手を確認する」ということのそもそもの目的は、「婚約を破棄してもらう」という最終目的への準備ではなかったか。

 うん、だとしたら、ダメだ。今気まずいからといってここで逃げたら、いろいろ後悔することになる。

 なんでこんなことをしたのか聞いておけばよかったとか、せっかくだからその場で婚約を破棄して欲しいと頼めばよかったとか、そんなあれこれを自室に帰ってから身もだえして後悔する自分の姿が一瞬見えた気がした。

 ならば、うん、仕方が無い。


「えーと、あの、ではあちらで少しお話でも……?」


 ええ、令嬢が人をさそうなんてはしたないと言う人もいるかもしれないが、でも私はもうこのときには確信してしまったのだ。

 この人、このまま待っていても永遠になにも言い出さない……!

 え、公爵様よね? ということは貴族の中の貴族、王族に最も近い「かんぺきな紳士」なんじゃあないの? こう、そつなく会話をしてスマートにリードするものじゃあ……?

 という当初の戸惑いはもうとりあえずわきに置いておくことにした。それに、


「……はい」


 当の公爵様も同意したことだし。

 私はとりあえず、落ち着いて会話が出来そうに思えた近くのバルコニーに公爵を誘った。

 幸い他に人はいない。ないしょばなしをするのにはうってつけだ。

 バルコニーに出てから私はくるりと公爵の方に向き直って言った。


「では改めまして、先ほどは助けていただいてありがとうございました。エレンティナ・トラスフォートと申します。それで、ええと……初めまして、だと思うのですが……?」


 冷静に考えると婚約している相手に向かって初めましてもおかしいとは思うのだが、なにしろ私には会った記憶がないのだからしかたがない。ここでうそをついても意味はないだろう。

 それに最終的にこの婚約は白紙になるのだとしたら、つくろう理由もないのだし。

 きっとどこかで何か誤解があったに違いない。

 それに目の前の男は確かに答えた。


「……はい」


 しかし気弱そうな声でそう答えた後は会話がそこでれ、それ以上何も語らないつもりのようだ。

 しょうがないので、私はさらに切り込むことにした。


「あの、私のかんちがいでなければ、父に私との結婚を申し込んだということですが」

「……はい」

「ええと……どなたかとお間違えということは……」

「いいえ?」

「……では何か、深いご事情でもあったのですか? とにかく誰かとすぐに婚約しないといけないような何かが」

「……は? ……いいえ」

「じゃあ、なぜです? なぜ私なのでしょう?」

「…………」


 うーん、そこでだんまりかー。

 私は会話の限界を感じたのだった。

 この人、今のところ「はい」か「いいえ」しか言ってないよ。

 聞けば返事はするけれど、だからといって何か情報を得られた気もしない。

 うーん、めんどくさい。じゃあもう、本題に入っていいか。いいよね?


「あの、もしこれが間違いや不本意な状態でしたら、すぐにでも取り消してくださっていいのですが」

「いいえ」


 いいえ!?

 え? なぜそこで「いいえ」? なぜそこだけそくとう!?


「え? つまりは……この婚約をけいぞくされると……?」


 まさかそんな意思があるとは思えなかったので、恐る恐る聞いてみる。

 正気か? そんな気持ちと共に。

 しかし返ってきた答えは。


「はい」


 もしやこの目の前の男は、実は「はい」か「いいえ」しか言えない機械けの人形なのではなかろうかとさえ思えてきたが、それでも会話が続いているのはもはやせきでは? 

 私頑張ってる!

 思わずそんなことを遠い目をしながら考えていたら、ようやく目の前の男からも別の言葉が出てきたのだった。


「お嫌でしょうか……?」


 嫌だからこうして言っているんでしょう!?

 と、言いたかったのだけれど。

 彼がそう言ったとき、天下の大貴族である公爵様ともあろう人がこんな格下の小娘相手になんだかびくびくしているような気がして、不覚にも私はちょと同情してしまったのだった。

 きっと嫌だとは言われたくないのだろう。でも言われるかも、そんな気持ちがそのびくびくの中に感じられて、そんな気弱な人を追い込むようなことをする気にはなれなかったというかなんというか。なので、


「ああー……。いやえーと、あなたが嫌というのではなくてですね。私はただ、結婚はしなくてもいいかなーと、思っていて、ですね……はい」


 った私は、思わず言葉をにごしたのだった。

 そう、あなたが嫌なわけではないのよーだから傷つかないでー。私にも良心はあるのだ。

 それが良かったのかどうなのか、その私の言葉を聞いて公爵様は、とても不思議そうに言った。


「それは、何か理由があるのでしょうか?」


 なんと、先ほどに続いてついにイエスかノー以外の返答が出来るようになったらしい。

 首をかしげてそう聞き返した公爵の、顔に厚くかぶさっている前髪がちょっと揺れて、その奥に薄いグレイのひとみがちらっと見えた。

 ほんの一瞬の出来事。

 でもその瞳は不機嫌な感じではなく、じゅんすいに疑問に思っているのだろうとてもんだ瞳で、そして意外にも私のことをまっすぐに見つめていたのだった。

 気弱すぎて誰かを見つめたりなんて出来ない人なのかと思っていたから、私はちょっとびっくりした。


(きっとこの人は、単に真面目で不器用な人なのだろう)


 そう思った私は、ではこの人をただはなすのではなくて、ちゃんと私の事情も伝えようと思ったのだった。

 さすがに魔女の件はごくこうだが、それ以外はちゃんと説明しよう。

 正直に言っても聞いてもらえそうな、そんな気がしたから。

 一時間後。


「だから女性もやりがいのある仕事を見つけてもいいと思うんですよね! 子育てとか、家を整えるとか夫をたてるとかそういう一般的なものじゃなくて、なんていうか自分が好きで頑張りたいというものが、家の外にもあっていいと思いませんか!?」


 この一時間、私はひたすら喋り続けていた。

 もちろん最初は単に「私は仕事をしたいから結婚はしたくない。この婚約は破棄して欲しい」ということを簡潔に、かつわかりやすく伝えたつもりだったのだが。


「それが私にはお仕事なんです。私はやりたいことがあるんですよ。ただそれは貴族と結婚しておしきの中から出ない生活では出来ないことで。だったらずうっとそんな思いをかかえながら一生誰かの奥様として家の中で暮らすのは、私にはストレスにしかならないと思いません? それにあなたもお嫌でしょう? ご自分のお家に帰ってきたら、いつも不機嫌な妻が待っているなんて」

「ふむ」


 公爵の不思議と話しやすい雰囲気に、いつのまにか熱弁をふるっていた私だった。

 今まで私の話をここまで熱心に、真面目に聞いてくれた人がいただろうか。

 父母は聞いてはくれても、最後は必ず「正しい貴族令嬢としての幸せな人生とは」というお説教になるので最近はほとんど話さなくなっていた。

 たいていのことは私の味方になるエマも、この件に関してだけはあえてびんぼうな暮らしをすることはないと言うし、貴族令嬢である友人たちは、みんな貴族の誰かと結婚して誰かの奥様として暮らす人生になんの疑問もいだいていないようだった。

 そしてロビンなどは、一度におわせただけでおこしてその後長々と説教になったので、私は二度とりさえも出さないようにしていた。

 だから私は、こうしてただ静かに否定をしないで聞いてくれる相手が存在したことに、つい嬉しくなってしまったのだ。


「私、いつかは不機嫌になると思うんですよね。だってずっとやりたいことを我慢しているのってつらいじゃないですか。そんな生活、どんなに食事やドレスやお家が立派でもむなしいだけでしょう? だったら少々貧しくても、やりたいことをやりたいんです。私は」


 さすがに一生かくごとをするのは嫌だとは言えなかったが。

 でもお仕事に生きたいというのも、私の正直な気持ちだったから。


「ふむ」

「……だから私との婚約は破棄していただいて、公爵様はもっと大人しくて子ども好きな、公爵夫人として相応しい方と結婚した方がいいと思うんですよ」


 そして何度目かの本題を持ち出す。


「ふむ……」


 だがしかし、私はいまだ彼から明確なしょうだくを引き出せていないのだった。なぜだ。

 こんなにうったえているというのに、この目の前の男は全く私の願いには応えようとしない。

 この一時間、私が私の人生の目的とそのための婚約破棄を訴え続ける間、この目の前の男は、ただひたすら困っているだけだった。

 困っている。

 そう、困っているのだ。この男は、単に困っている。

 一時間一緒にいて、ひたすら一方的に話を聞いてもらっている内に、少しだけこの男の心情を察することが出来るようになった私だった。

 どうやら婚約破棄は、この男にとっては困ることらしい。

 そして同時に恐ろしいことに、一時間も二人きりでいたというのに、私にわかったことはそれだけだった。

 この男に情報こうかんというがいねんはないのか?

 私がこれほどせきに、いっしょうけんめいに訴えているというのに何も返す気はないのか!?

 なにこの人……得体が知れない……。

 この「目の前の男に婚約破棄をする気はどうやら無いらしい」というかんしょくだけが、今日の私の唯一の収穫……って、それ収穫少なすぎでは。こんなに話をしているのに。

 普通はこれだけの時間会話をすれば、もう少し情報が得られるものでは?

 思わず話しやすくて私ばかりあれこれ喋り続けてしまったが、考えてみれば問題は一つも解決していなかった。ただ一方的に私だけが情報を提供して、公爵からは一向に情報も意向も漏れてこない。

 なにこれ情報格差がひどすぎる。

 そのことにふと気がついた私は驚くとともに、思った。

 だめだこれ。どんなに「お願い」してもどうどうめぐりになるだけだ。気弱そうに見えて、どれだけがんなんだこの人は!

 ということは、もうじきだ直訴。それしかない!


「えーと。ということで、まだ新聞公告も載っていないわけですし、この場でこのお話を無かったことにしていただければ、お互いに傷が浅いのではないかと思うのですよ。だから今ここで婚約を破棄すると、そう一言言っていただければ! 父には私からうま手く言っておきますので!」


 そろそろ父がもう帰ろうといつ言い出すかわからなくなってきたので、とにかく私は問題の解決を急いだ。これだけ長々と話したのだ。婚約を破棄してほしいのは、決して相手が不満だからではないのだときっと理解してくれたはず。

 ただ、私には実現したい生き方がある。だから結婚は誰ともしたくない。

 もうそこさえわかってもらえれば、いいことにしよう。わかったよね? ね?

 だから今「婚約は破棄する」と、言って! さあ!


「それは……私と結婚したら実現できないことでしょうか?」


 違う! そうじゃない!


 私がしいのはそれじゃあない。

 少しだけ首をかしげたはずみで彼の前髪が揺れ、その奥にはまた私をまっすぐに見つめる瞳が一瞬見えた気がした。

 でも私は、今はその視線にほだされるわけにはいかないのだ。


「もちろんそうでしょう。なにしろ公爵夫人ともなれば、いつもパーティーなどの社交で忙しいでしょう? それにあとぎを産んで、立派に育てるのもお仕事のようなものではあ

りませんか。に任せるとしても全てお任せすることは出来ませんし」

「でも私も仕事以外で社交はほとんどしませんし。なのであなたも好きにしていいですよ」

「正気ですか公爵様。でもあなたがそうおっしゃっても、周りが許さないでしょう」

「幸い私も今は公爵なので、何をしてもあまり煩くは言われません。だから私も嫌なことは極力やりません。もちろんあなたにも、そんなことをさせようとは思っていません」

「……でも私は働くと言っているのですよ。さすがにそれは貴族として後ろ指をさされるこうでは。奥様がそんなことをしていたら、あなたも非難されるんですよ?」

「後ろ指なら別にささせておけばよいのでは? 私は気にしませんから、あなたも気にしなくていいですよ」


 たしかに公爵様ともなれば、正面きって苦言をていするのは王族くらいなものなのかもしれないが。

 いいのか、それ。いやダメだろう。

 それに公爵が気にしなくても、やはり周りが気にするだろうに。

 なにしろ貴族が仕事をするというだけでもスキャンダルなのに、その仕事だって魔女として働くという、この上なく後ろめたいものなのだ。そもそも夫の公爵にも言えない仕事なんて、出来るわけがない。

 さすがにそれは言えなかったが。

 だから他になんとか断るための穏便な理由を私は探した。


「えーと、でもお仕事にもえいきょうが出るのでは」

「そんな人間は相手にしなければいいのです。問題ありません」

「もっと政治的に有利になるご令嬢と結婚したほうが」

「我が家にその必要はありません」

「公爵家には王族とか公爵家とか、せめて侯爵家あたりのご令嬢のほうが相応しいのでは?」

「相応しいかどうかは私が判断することです。伯爵家でもなんら問題はありません」


 うーん、全く動じないよ。

 しかし貴族なんて、みんな父やロビンのようにプライドが高くて体裁だとか格式だとか上下関係だとか、とにかくしきたりに煩い人ばかりかと思っていたのに。

 最高位の公爵様となると、ずいぶんいろいろ自由なんだな……。

 いやしかしだからといって。

 はいそうですかとは言えない事情が私にはある。


『魔女』


 それはこの国の一番のタブー。さすがに私もそれだけはバレずにひっそりと社交界を去りたかった。


「あー、でも私が申し訳ないので――」

「私が良いと言っているのに?」


 ……なんだろう、この押しの強さ。というか、頑固? 石頭? そのボサボサの頭の中身は全部石なのか?


「……では公爵様は、この婚約を解消する気はないと?」

「はい。あなたさえ良ければ」


 いやなんで今ここでその貴族的常套句。

 だからさっきからやんわりと嫌だと言っているではないか。こういうときだけそういう貴族的な空気を読まないごり押しはいかがなものか。えがずるい。


「……しかしどうして私なんですか。一体何のメリットが? ま さ か初対面の私を好きだからとかおっしゃいませんよね?」


 私は思わず聞いた。

 なにしろこんなにしぶっている相手を説得するよりも、もっと公爵夫人という地位に対して条件も顔も教養も、そして何よりやる気が素晴らしい相手が、今日のパーティーだけでも山ほどいるに違いないのに。

 なぜこうもねばる? 一体私の何が目的なんだろう?

 目的があるなら言ってほしい。言ってくれなければ解決も出来ないのだから。

 そう思って聞いたのだが。


「っ……!」


 なんと、目の前の男が、固まった。

 この一時間で多少は慣れたのか、一応は相づちだの返事だのを自然に返してくれるよう

になってきていた相手が、突然カチコチに固まって絶句していた。

 めずらしい。この反応は初めてだ。

 ――これは、もしや私には言いづらい事情があるのかもしれない。

 その事情にはさっぱり想像がつかないが、しかしどうやらこの人はこの婚約に乗り気で、そして破棄するつもりがないようだ。

 それだけは、ようくわかった。

 これは……ごわい……。

 そして結局、その後もさっぱり何の進展もないまま、とうとう公爵様は彼を捜しに来た紳士に見つかり連れ去られて行ってしまった。

 そういえば連れ去られる彼がふと私を振り返ったとき、なんとなく彼が名残なごりしそうにしているような気がして少しだけ不思議だった。

 彼はもっと話をしたかったのだろうか? 婚約破棄の話を?



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