火の中に消えた

 2度寝をして起きた。壁掛け時計は、10時を示していた。


「朝ごはんは何がいい」

「そうね。昨日の夜はハンバーグだったし。さっぱりした物がいいわね。ご飯に焼き魚、お味噌汁とか、材料あるかしら」


 冷蔵庫にどの食材があるか、私はもう知らない。買い物について行くけど、何を買っているか気にしてないもの。私がするのは会計の時にお金を出すだけ。

 あなたは冷蔵庫を開けて動きを止める。


「朝ごはん作れそうだ」

「ならお願い。美味しいことを期待してるわ」

「任せてくれ」


 冷蔵庫から食材を取りだしてはキッチンで料理を始める。包丁とまな板がぶつかり音が「トントン」、と聞こえる。フライパンを火にかけて、魚が焼ける音が「ぱちぱち」と聞こえる。「ぱちぱち」と鳴る音は、木が焼ける音に似ている。家が焼けた時も同じ音を聞いた。


 目が覚めた時、私の上には男がいなかった。布団もはだけていなかった。服も来ていた。

 家が妙に静かだった。歪んでいる家の雰囲気が、からに異質なものに変化した気がした。

 ベットを出てドアノブに手をかけた。金物の取っ手は暑くて直に触れなかった。いつも置いてあるタオルに、水差しの水をかけた。濡れたタオルで取っ手を掴み、ドアを引いた。


 部屋の空気が、廊下に流れて。爆発した。扉が私の身体を突き飛ばした。窓のある壁に背中を強かに打った。窓ガラスが割れる音が聞こえた。

 新鮮な酸素を求めて炎が部屋の中に入ってくる。生き物のように、廊下を火が這い回っている。

 意識を失うことなく、私は壁にもたれていた。背中を打って動けなくなった訳では無く。私は動かなかった。火に見蕩みとれていた。揺らめく赤い炎。部屋の中に入り込んでくる炎。


 恐怖はなかった。家族の部屋も同じことになっているだろうと思うと、嬉しかった。やっとこの家を破壊できる、この世界を終わらせることが出来ると。

 家庭用火災報知器が、電池切れなのは知っていた。電化製品のコードは束ねられ、埃が積もっていたのも知っていた。今は寒い季節。この家は電気ストーブを使っていた。外では立派な家族でも、家の中では獣になる。だから誰も気が付かない。破滅の種が蒔かれていることに。


 いつか、いつか。この家が燃えるのを願っていた。私では壊せない。人がこの家を破壊することは出来ない。淫獣の住むこの館は人の手には余る存在だった。

 自然だけが、破壊できる場所だった。待ち続けた日がやっていた。

 黒煙が天井に溜まり、部屋を満たしていく。炎に包まれて死ぬのか、煙に巻かれて死ぬのか。死ねるなら、何でも良かった。過剰な愛を注がれ続けた短い人生。嫌という程、愛を知った。愛だけを与えられた。愛に溺れていた。

 結局私も愛を与えるしか、出来なくなっていた。愛を与え合う。呪われた家に、私も呪われた。私の中にも獣の血が流れていた。

 やっと呪縛から開放される。熱が肌を焼く。死が私を抱きしめる。


「出来だぞ」

「美味しそうね」


 オレンジの色を鮮やかにした鮭。湯気が上がる味噌汁。艶のある白米。


「いただきます」

「いただきます」


 私だけが生き残った。死が私を抱擁する前に、消防士が私を包んだ。窓から外に連れ出され、熱に焼かれた肌が冷たい空気に冷やされた。私だけが生き残った。

 中学2年の冬。あなたと出会う少し前の出来事。

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問、その関係の名は~返答、アナタが感じたこと~ 幽美 有明 @yuubiariake

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