3-5:
カチ、カチ、カチ、カチ。
小刻みに何かがぶつかり合う音が響いている。
寝ているときも、食事をしているときも。訓練を終え、シャワーを浴びてリラックスしているときもだ。
それが、己の奥歯の音だと気付いたのはごく最近だ。
アキラは、チームメイトに苛立ちを悟られぬよう、ひっそりとシャワールームから出た。
「よぉお坊ちゃん。最近調子はどうだい」
洗面台の前で髪を乾かしていると、背の高い細身の男が肩を叩いてくる。ヘアドライヤーを置いたアキラは、
「別に変わりありません」
と、櫛で髪を梳きはじめた。
心の澱が攪拌してゆく。正面切って「お坊ちゃん」などと呼ぶ人物が、一人しか思い当たらなかったからだ。
彼は三つ上、現在都立の大学に通う同じユース所属の選手だ。名を清水健太といい、父、祖父の代から選手として名を馳せたスポーツ一家の長男であった。
爬虫類にも似たのっぺり顔にわざとらしい笑みを浮かべ、なれなれしくも隣の椅子にて脚をくんだ。
「そうつれないことを言うなよ。おれのプレイスタイルが人に好かれないことは重々承知しているがね」
アキラは内心舌打ちした。昔から「お嬢」だの腹立たしい男だったが、清水よりも早くツアー参戦が決まって以来、ことあるごとに絡んでくる。
周囲はいさかいを恐れてか、さっさと逃げ出していった。
「アンダー十八に何の御用ですか」
清水はいやらしげな笑みで応じた。
「このおれもようやくトップチーム昇格が決まってね。随分世話になったから、その挨拶だよ」
「それはおめでとうございます」
「おいおい、社交辞令はやめてくれよ。怪我人の補充要員でしかないんだ。どうせすぐに出戻りさ」
清水は肩に腕をまわしてきた。
「おれたちはクラブ期待の星だ。そう角を突っ立てず仲良くやろうぜ、お坊ちゃん」
アキラの耳元で二股の舌が音を立てる。おぞましさと苛立ちで、思わず舌打ちしていた。
そもそもこの男は、「お坊ちゃん」がどれだけアキラを苛立たせるか知って口にしているのだ。人材秘匿や育成が重要視される現代、名門出のアキラが本家の道場ではなく、ユース所属な時点で確執は疑われて然るべしだ。父との不仲は、週刊誌にも書き立てられるほど有名だった。
「そういや聞いたか。最近、裏闘技場で“最強”を呼号する馬鹿が出たらしい」
よっこいせと立ちあがった清水は、爬虫類のような感情のない笑みをうかべた。
何の関係があると視線を送っても、まるで気にした様子がない。
プレイスタイルが蛇のように執念深いと評されるだけあって、プライベートもまた粘着質だった。
「捕まりますよ」
「おいおい、チンケな遊びはとうに脚を洗ったさ。おれはあくまで、世にあまねく強者を知りたいという純粋な好奇心で言ってるんだ。お坊ちゃんも気になるだろう。この世界じゃ、最強って言葉は軽くない」
アキラは腕を組んで苛立ちをあらわにする。
喉の奥まで、失せろという言葉が出かかっていた。
「夏目何某とやらの試合映像を探してるんだって?」
悔しいことに、ピクリと反応してしまう。清水は醜く頬をゆがめた。
「まあ、そいつは面倒だよな。なにせ相手にはロクな戦績がない。せめて県大会クラスまで出てくりゃアーカイブが残ってるもんだが、地方のオープン戦じゃなかなかそうはいかねえ」
「なんの話かわかりません」
「けど、おれの門下に右近っていうカスが居てな。ちょうど、その何某とやらと同じ城附なうえ、どうもおもしろいことを言ってやがる」
武術よりも話術に長ける男、そう評価していたのをアキラは思い出した。切り出し方、情報の並べ方、腹立たしくなるほど引き込まれる。
彼の頭脳戦というより心理戦的な闘い方は、アキラも苦手とするところだった。
「なんでも一月見ない間に驚くほど強くなったとか。カスとはいえ、腐っても清水門下。地区大会の予選で消えるような雑魚に一蹴されるほど落ちぶれちゃいない。何かあるなと思ったそいつは、一つ手がかりを見つけたらしいのよ」
「……」
「そいつの兄貴は、血を見なきゃ始まらないような底なしのカスでね。紅指のビータスなんざ名乗って違法試合に出たがる禁治産者さ。とはいえ、腕はそこそこ。間違っても、外区のゴミが束になっても勝てやしない」
この世界から切って離せない、いわゆる戦闘狂というやつだ。
家紋のプレッシャー、競技への恐怖心、あるいは先天的な異常者。それが、人間としての基部を狂わせる。そういった話は枚挙にいとまがない。
いや、選手として身を粉にする連中は、大抵どこかおかしいのかもしれなかった。
「だから、どうしたんです」
「そいつをいとも簡単に屠ったのが“最強”を名乗る馬鹿さ。そのうえ、興味深いことに技がよく似てるんだとよ。その夏目何某に」
「……道場息子としてのプライドですか」
「馬鹿言えよ。気になるのさ。スーパーラッキーボーイの正体がね」
ふん、と鼻を鳴らした清水は不機嫌そうに近寄ってきた。
「師匠筋か、はたまた本人か。
仮面の下、暴きたくなるのがサガだろう?」
「……」
「礼はいい。たった一度、決闘を受けてくれりゃあな」
アキラはぎろりとした眼で男をみやった。
「ひえっ、やばいやばい。綺麗な顔してキレると炎みたいな野郎だぜ」
清水は戯けながら、ひょうきんに飛び退いてみせた。
「ポイントを賭けて、ということですか?」
「おいおい、おれはもう高校生じゃないんだぜ。ポイントなんざ意味ねえのは先刻承知のことだろ」
ただのデモンストレーション。そう言って憚らないが、恐らくスカウトか何かを引き連れてくるのだろう。
そして、手の内を完全に研究し尽くしたアキラで、己の実力を見せつけたいのだ。
わかりやすくていい。清水とてプロ候補だ。どれだけ卑怯な手を使おうとも、不正まではできない。
単純な実力勝負。
なら、話は簡単だ。
アキラはすらりと立ち上がった。
「ボクはいつでも構いませんよ」
チリ、チリと頭で爆ける音がする。けれど清水ごときで燃え上がりはしないのだ。
アキラの眼は、その先に向けられていた。
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