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 首都第十三エリア――旧板橋区と北区、埼玉の一部を合併した地区は、近在においては高校、大学などが群雄割拠する学校関係者の戦国地だ。

 その一等地に、第二三都立城西大附属高校は聳え立つ。有名私大顔負けの学舎や整えられた西洋ゴシック様式的な装飾、左右対称かつ幾何学的に敷かれた街路と花壇が、芸術的なまでに配置されていた。

 在校生は各学年三百人の計一二〇〇人。AからFまで存在する各四〇名の普通クラスと、各三〇名の工学専攻クラスが二つあり、トオルが所属するのは一年E組だ。

 長大な部室棟、数えるのも億劫な競技用体育館を横切って、トオルは重い足取りで事務課へと向かっていた。


『はー、こいつがお前の通う学校ってやつか』


 と、すれ違う女子生徒の顔を覗き込みながら、アークが言った。


「もう、見えないからって変なことしないでよ」

『変なことぉ?』


 兜で見えないが、ニタニタと笑っているような気がする。もう知らんと、さっさと用事に取り掛かった。

 会館の自動ドアをくぐり、玄関右側に並ぶ黒い端末へ学生証をかざした。起動音が鳴り、画面上に学内専用ポータルが表示される。右上の画面には、高校生HSSOランキングが表示されていた。


『すうじってやつが並んでんぞ。なんだこれ』

「ああ、えーと。なんて説明すればいいかな。

 まあ簡単に言うと、全国で何番目に強いかってことだよ」


 高校生HSSO――MMA of High School Student Organizetion――ランキングとは、齢十五~十八の選手が、大会結果に応じて獲得するポイントのことだ。

 グレードⅠが全国大会。

 グレードⅡが地方大会およびそれに準ずるオープン戦。

 グレードⅢが県大会およびそれに準ずるオープン戦。

 グレードⅣが地区および公認大会、といった具合だ。


 例をあげるなら、トオルが先月出場したグレードⅣの公認大会で予選突破すると四〇ポイント獲得できる。これを一年間積み重ねることが、高校生競技者の大目的だ。

 なお、選手は原則協会登録され協会からはランキング順にシード権や大会出場権、政府・学校からは助成金や奨学金が支給されるようになっていた。

 ランクの低い大会で順当にポイントを獲得するもよし、一発逆転を目指してランクの高い大会に出場するもよし、という戦略的な要素でもある。


『ほー、で、お前の順位は?』

「さ、三十万ぐらい、かな……」

『おいおい、冗談だよな』


 戦慄したようにアークは喉を震わせた。

 高校生の協会登録者総数が百万超えたぐらいなので、城附が近隣屈指の強豪校ということを除けば、上位三十パーセントは悪くない数字だ。

 だが、「最強」であるらしい勇者のアークには――それが事実か定かではないが――、甚だ受け入れ難い順位であるらしかった。


『ハァ、ありえねえぜ。世界で三十万位だぁ? このオレ様が憑いてて情けねぇ』

「あ、あははは」


 日本の高校生で三十万位だから、世界ランキングで言ったら遥か海溝の彼方まで沈む。そして現実問題、事務所のサポートで大会に出まくっているトオルが、順位相応の実力があるのか怪しいことも黙っていた。

 戦績を端末に入力し、学生証を更新する。校内順位三八七位、クラス内十位が現在地だ。獲得したポイントは少なかったので順位に変動は少ない。


 端末を閉じ、朝の寒風を切りながら校舎へと向かった。

 そこまで順位にこだわっているわけではないが、高ければ高いほど優遇措置が受けられるので、なるべく高水準をキープしたいと考えている。先日の日本AMPランキングのポイントが換算できればと、益体もないことを考えていた。

 おはよ、と声を交わす生徒間を縫ってこそこそと息をひそめる。進行方向からクラスメイトたちが歩いてきて、慌てて曲がれ右をした。


「あ、久しぶりだね、夏目くん」

「え? 古賀さん、知り合いなんですか?」

「ひっどーい。ナッツーは同じクラスっしょ」


 雨避けのある長い廊下で、一年E組の男女グループ六人にバッタリと出会してしまう。

 彼らはクラス内でも目立つほうで、俗な表現ならば一軍というやつだ。

 彼らの反応は、物珍しいオモチャかまったくの無反応に二分された。気怠そうに頭の後ろで手を組む者もいる。

 トオルは貼り付けた笑みを浮かべ、その場をやり過ごす。うっと怯む自分がいた。


「なおみ、それに古賀さんも、もう行こうぜ。そんな奴どうでもよくね?」

「あ、待ってよ。じゃあね、ナッツー」


 何事もなかったかのように彼らは友人同士歓談を再開した。ほっと胸を撫で下ろし、トオルは端を歩き始めた。


『なんだナッツーって?』

「あ、えーとあはは、なんでも、ないよ」

『ふん、ま、いいけどよ。

 おいあれ、この前のやつの……』


 トオルは、校舎一階の掲示板前で立ち止まった。モニターには、朝おなじみのキャスターがよく通る声で原稿を読み上げている。

 そして、元MMA競技経験者のキャスターにバトンが渡されると、セットの奥から凛々しい男が姿を見せた。


『――それでは始まりました。トーク・ザ・ブシドーのお時間です。今日のゲストには先日の英霊杯で準優勝されたMMA界きっての色男。その甘いマスクに惑わされるご婦人が後を立たない、剣聖朝来野武臣選手のご登場です』


 画面が切り替わり、紹介VTRに彼の偉大なる軌跡が映される。

 紹介が気恥ずかしかったのだろうか。物腰柔らかい風に頭かきながら、「よろしくお願いします」とソファに腰かけた。


『朝来野選手は英霊杯で並居る強豪を押し退けて準優勝しましたが……ずばり聞きたいのは三ヶ月後に迫るワールドカップについてです。宣言通り、国際戦への復帰は目指されないということでしょうか?』

『ええ。私の出る幕はないでしょう。それに、今は後進の育成に力を注いでいますから』

『ですが、二位ですよ? まだまだその実力は健在だと日本中に見せつけたと思いますが』

『ははは、運もありましたから。国際戦は“最強”に任せておけばいいでしょう』

『最強というと、優勝した十六夜長秀選手のことでしょうか?』

『ワールドカップはチーム戦ですし、彼独自のメンバーがいますから。もちろん召集されれば国のため全力を尽くすつもりですが、それはないでしょう。なにせ、分があると思っていた概念系SPKでさえあのざまでした。

 悔しいかな、私では彼の領域には永遠辿り着けないことが示されてしまった……』


 一人の世界に入った朝来野は、俯きながらグッと右拳を握りしめた。


『最強?』

「ああうん。優勝した十六夜選手は、個人戦では負けたことがないから」


 生返事をしたアークは、いつにない真剣な態度で画面の向こうの朝来野武臣をじっと見つめていた。


『あ、あははは……で、では、番組最初のコーナー、“ミライ・カケル”のお時間です。

 朝来野選手。今大注目の若手といえば、 高校生HSSOランキング一位の息子さんですが、ツアー初参戦はほろ苦い結果になりました。どのようなお言葉をかけられましたか?』

『アキラに? はは、何もありませんよ』

『えっ! 頑張れとか、次はやれるとか、何もなしですか!?』

『そもそもアキラはユース選手ですから。過度な干渉は控えています』

『こ、これは、百獣の王は子を谷に突き落とすという厳しい教育なのでしょうか! 私たちは今、名門松平家の真髄を垣間見ているのかもしれません!』

『はは、そんな大層な話ではありませんよ。それより、私は同じく勝ち上がった夏目選手に注目したいですね。聞けばアキラと同じ高校一年生だとか。どのような選手なのでしょうか』


 どきん、と心臓が跳ねる。地上波で、それも憧れていた選手の一人に名前を挙げられたのだ。

 火照る頬を揶揄うよう、アークがツンツンとつついてきた。


『オレ様のお陰だけどな』

「もぉ、わかってるって」


 トオルにだけは接触できるようになったアークを追い払う。

 画面の向こうではアナウンサーが怪訝な顔をしていた。


『ですが……デバイスに残る記録では、一人も倒した形跡はありませんでしたが』

『運も実力のうちですよ。それに、プロの大会は運だけで勝てるものではありませんから』

『そ、そうですか。あっと、ではいったんニュースを挟んでからの再開となります。お天気担当の木崎さん――』


 画面が切り替わる前にトオルたちは歩き出した。


『しっかし退屈だねぇ。お前がもうちょい丈夫なら決勝とやらにも進めたのに』


 アークは頭の後ろで腕を組みながら、言った。


「辛いのは僕なんだけど」

『ハァァ、軟弱モンに取り憑くのはちょいと早計だったかねぇ』

「そんな誰にでも憑依できるの?」

『さぁ? 今んとこお前以外にゃ見えもしねぇなぁ』

「じゃあ文句言わないでよ」

『足るを知るってやつか。くだらねぇ』


 らしい台詞だ、と思ってトオルは笑った。人類の矛であり盾である勇者としては、こんな我欲全開でいいのか謎だが。


『しっかし、さっきから騒がしいな。なんだ?』

「おーいアーク。早くしないと授業が」

『へえへえ。わかったわかった』


 くるんと空中で変態飛行したアークは、ふと思い出したように言った。


『そういや、さっきから気になってたんだが』

「どうしたの?」

『なんか、お前だけ逆行してねぇか?』


 思わず、えっと口から漏れた気がした。

 トオルは脚をピタリと止め、キョロキョロと周囲を見渡した。生徒も教師も、皆一様にどこかへ向かっている。まるで、自分だけが川の流れに逆らうような。

 そこで、久しぶりに登校したトオルはあることに気付き、担いでいた学生鞄を落とした。


「やばっ、今日は朝礼だっ!」




 § § §




「きゃ、あれってもしかして」

「嘘でしょ、本物のアキラ様なの!?」


 窓の外は木枯らしが穏やかに吹いている。降車した朝来野アキラはフロントガラスを叩き、運転手の中村に「帰りは電車を使います」と一言告げた。

 城西大付属高校と彫られた正門の前にたち、ゆっくりと校舎を見上げた。黄色い悲鳴を浴びても動じることなく、一人の女子生徒に声をかけた。


「すみません、事務はどちらでしょうか?」


 少女は声を震わせて答えると、興奮さめやらぬまま友達同士で抱き合う。アキラが一言礼を述べると、顔を真っ赤にさせてコクコクと頷いた。

 さっと歩みを進める。遠巻きに見守っていた城附生が割れた。制服の波を突っ切るアキラは、纏う白コートも相まってさながら海を渡るモーゼのようだった。

 事務会館の玄関に立ったアキラは、受付の珍しそうな顔を見て少し考え込む。今更ながら、なんと切りだしたものかと迷っていた。


(会わせてほしい、なんて言ったところで)


 アキラが城附を訪ねたのは、先日の黒くづめの正体がどうしても気になったからだ。

 というのも、Bブロック予選の出場者で該当しそうなのは夏目透だけであった。

 そもそも、出場者の中で同年代という条件をクリアできるのは、彼の他数名しかいない。彼を除けば最年少が高校三年生と少し年上で、性別も違っていた。

 なにより、夏目透は予選突破者の一人だ。黒づくめの実力は頭抜けていて敗退したとは思えない。一番可能性が高いのだが、アキラは確信を持てずにいた。


 なにせ、その夏目透という人物はあまりにも実績不足だった。元々スポンサー枠出場で、実力的にも平凡の域を出ない。チームマネジャーもありえないと首を振っていた。

 アキラとて、控え室での彼イコール黒づくめとは到底思えない。拍車をかけるのが、協会のアーカイブに残っていた中学時代の試合映像だった。


 黒づくめは豪快という印象と裏腹に、意外にも巧緻な技を用いていくる。ステップワークに力の抜き方もそうだ。要所要所でアキラの出鼻を挫いてきた。読みが抜群に鋭いだけでなく、基礎を固め尽くした動き。本当の得手は身の丈ほどもある大剣なのではないだろうか。尋常ではない技量だと、一昼夜振り返るたびにそう感じていた。

 しかし、夏目透の印象はまるで真逆だ。テクニカルな技巧派に見せかけて、接戦になると力技に頼りがちだ。また、感覚に頼りすぎるきらいがあり、基礎は疎かだ。

 あれでは、高校からは苦労するだろう。事実、夏目透はこの一年、芳しい成績を残せていない。地方予選のハイライトにも残っていない。


 数ヶ月で劇的に強くなれるわけがない。しかし、もう一人の予選突破者かもしだはやては自己顕示欲の塊だ。正体をわざわざ隠しはしない。

 あと考えられるのは、幽霊のように黒づくが消えたか。誰かの体に乗り移っていたのか。そんなオカルトじみた答えしか思い浮かばなかった。


「あんたねぇ、常識ってもんを考えな。いきなりアポも何もなく、ひょっこり訪ねてきたところではいそうですかと言うと本気で思ったのかい。有名人だからって、なんか勘違いしてるんじゃないのかい?

 いや、待ちなよ。あんたもしかして、今度の総体のためスパイにきたんじゃ……」


 窓口の向こうで肘をついた中年女性は、険しい顔つきでジロジロと訝しんできた。

 面倒だなと、心の中で嘆息する。選手保護の精神、それがアキラの前に立ち塞がっていた。

 学校や企業にとって、選手情報はトップシークレットだ。そのうえ、未成年に関しては法律上でも保護が義務付けられていた。


 マネジャーも学校訪問に意味がないと断言していた。見切り発車がすぎたのだろう。警備員を呼びそうな職員に礼をのべ、アキラはそそくさとその場を後にした。

 仕方なく聞き込みをする。けれど、返ってきた答えは「夏目って誰?」という答えばかりで、本当に実在しているのかさえ疑わなければならなかった。

 途方に暮れて、アキラは首を回す。もうすぐ始業時間で、部外者がうろうろしていると目立つだろう。縁がなかったと背を向けたときだった。


「おい、大浜オープンで予選突破した奴がウチに居るって本当か?」

「ニュースになってたやつだろ。夏目なんか居たか?」

「クソ、またライバルか。勧誘の時期にポイント稼ぎやがって」


 通りがけ、男子生徒たちの雑談が耳にはいる。やはり、自分がおかしくなったわけではないのだ。

 胸の中で高まる熱は、カチカチと火花を散らせ始めた。

 どうにかして黒づくめの正体を暴く。アキラはそう誓っていた。



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