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 高等教育が普遍化して二百年近いが、細々した違いはあれど基幹は同じだ。

 黒板代わりの電子掲示板がデンと構え、櫛比するのは端末付きの木製机。歴史担当教諭である初老の男性がバーコード禿なのも、カツカツ叩きながら唾を飛ばすのも、今も昔も変化がない。

 宙空を漂っていた異世界人アークが、もう見飽きた光景だとむっすりロッカーに腰かけた。


「それでは前回に続き現代史。今日は幕府再興の過程について話していきたいと思います」


 一限目、教室に戻ると授業がはじまった。バーコード教諭は慣れた動きで講壇に両手をついた。


「変革の発端は今から一世紀近く前。天焔からちょうど十年後の話です」


 天焔とはつまり、大災害が起こったときであり、SNP能力の基が誕生した日だ。それから十年。世間の感心が、軍事利用から競技へと移行しはじめた時期だった。

 当時、日本は国民の立場が完全に平等であり、お飾りとして皇族は居るものの、民主主義かつ自由主義を標榜していた。

 二大国の大戦には、名目ばかりの参加であったことも関係していたのだろう。汚職や不正はままあれども、大難に遭うことなく、一国家単位としては平和を築こうとしていた。


 しかし、それは日本の話だ。諸外国は、急速に変革を遂げていたのであった。


「そしてここから、総合魔法格闘技MMA黎明期が幕を開けます。

 有名なのは西欧諸国連合の騎士制度復権ですね。一九六一年に英国、仏国など先進国が口火を切ると、それに倣うよう各国は時代に逆行していきました。

 New Washington Repubulic――通称NWRは独立開拓時代のミニッツメンを再結成し、隣国の大亜細亜圏は五虎将軍を復興させています。

 蛇足ですが、能力適正が文化や血筋に大きく関連することが後に明らかになったことから、非常に意義ある決断だったと言われています」


 日本ならば刀、西欧諸国連合ならばロングソードにランス、NWRは銃と、民族や歴史によって得意分野が異なるのは有名な話だ。

 拳銃型デバイスを使ったとき、あまりに産廃だったことをトオルも思い出した。

 あくまでも全体の傾向であり、個人的な資質には例外もあると補足した教諭は、ファサっとバーコードを撫でつけた。


『あのほっそい駄剣は人類共通じゃねえのな』


 今朝方見たアニメを引き合いに出して、アークが言う。


「……アークって刀をそんな風に見てたの?」

『ばーか。得物ってのはデカくてなんぼなんだよ』

「そうかなぁ?」

「誰です。高校生にもなって私語などと恥ずかしくないんですか」


 教諭の叱責に、トオルは教科書の影に隠れた。


「ふう、話を戻します。終戦の時期であった当時の日本は、元々総合魔法格闘技MMAに対して否定的であったと言われています。

 そのような背景から、国連理事国を決める国際戦において大きな後れを取ることになりました」


 ブラウン管テレビのような古臭い映像が流れる。大いなる期待を背負って旅立った日本選手団の、それはもう憐れに思えるような惨敗の記録であった。


「これはいかんと手を挙げたのが、古武術・剣術を継ぐ旧武家の方たちでした。

 綿々と受け継がれてきた技を取り込み、結果選手能力は飛躍的な向上を見せることになります。こうして我が国も無事総合魔法格闘技MMAの興隆を迎えるかと思いきや、歴史はそうなりませんでした。

 そうですね、古賀さん。理由を説明できますか?」


 教諭が指名したのは、トオルの斜め前に座る女子生徒だった。

 彼女は背筋をピンと伸ばして立ち上がり、鈴の音の鳴るような綺麗な声で答えた。


「はい。その頃象徴君主制を敷いていましたが、権力を握れなかった孝治天皇がMMA選手を囲い込み、政府を操ろうとしたことが原因だと言われています」

「そこまでで結構ですよ。さすが古賀さんは予習も十分なようですね」


 好々爺エロジジイのように相好を崩すと、教諭は着席していいと手で指示する。

 周囲の羨望を浴びた彼女は、スカートを手で抑えながら着席した。


『さっきも思ったが、いい女じゃねぇか』


 下卑た中年親父のような態度でアークがじろじろと彼女のまわりを闊歩する。

 そんなことを知らない教諭は、黒板に表示させた図を拳で叩いた。


「彼女が答えてくれたとおり、孝治天皇は先代にさえ“皇家の恥“や”一朝の恥辱“と称された暗愚の王です。

 通例、公に皇家を批判することは不敬罪に当たりますが、遊興に明け暮れ、世の春を謳歌していた孝治天皇に関しては例外とされています」

「センセー、質問でーす」

「む、なんでしょう?」

「じゃあなんで、昔の選手はそんな悪い人に従ったんですかー?」


 間延びした調子で聞いたクラスメイトに、教諭は手入れされた髭を強く撫でた。


「ふむ。これは私見でしかありませんが、選手の多くは苦しい時期に援助を受けており、恩義からか諌めることができなかったのではないでしょうか」


 ぼへーと頷いた彼は、わかりましたと小さく呟いた。


「さて、少し脱線しましたね。この暗黒時代に待ったをかけたのが、当時選手団の旗手を努めていた足利慶四郎さまでした」


 バーコード教諭は、興が乗ってきたのか饒舌になって熱弁をはじめた。


「足利慶四郎さまは仲間とともに、見事孝治天皇を権力の地位から退かせました。

 そして、二度とこのようなことが起きないよう、三権の上に立つ最高機関『幕府』を設立されたのです」


 幕府の目的は、次の三つに分けられる。

 まず一つは、権力者の専横を許さない抑止力機関としての役割だ。足利慶四郎が立ち上がった経緯もあって、政府の監視・監督という職務に力を注いでいる。

 次は、MMAという個人的資質・能力が最重要視されるようになった現代において、その暴走を防ぐ役割だ。雲林院博士の開発した浮遊機構フロートシステムなど、火力や機動力において一個大隊クラスの戦闘規模を有するMMA競技者は、得難い戦力であると同時に超危険人物へと変貌する可能性を秘めている。その監督が、自衛隊や警察などでは務まるわけもなかった。


 つまりは、既存の政治機構のトップに大統領府のようなものができたと考えればいい。

 最後の一つ、幕府の掲げた制度――「身分制度」を除けば。


「では出席番号二五番の……夏目くん」

「は、はいっ!」


 教師に指名を食らって、トオルは立ち上がった。


「幕府は総合魔法格闘技MMAの安定的強化のため、たった一度だけ法案を通しています。その名称は、さすがに言えますよね?」

「あ、え、ええっと」


 慌てて教科書のページを捲るも、教諭はあからさまにため息をついた。


「もう結構です。皆さんはご存知のとおり”国民皆職域階級法“と呼び、全国民を対象に職業別の税制度を作り上げました」


 職業階級は以下の三つだ。

 生産者――第一、二次産業を担う者たちを指し、高度教育や居住地に制限を受けるものの、比較的低税率でよいメリットがある。

 政商者――第三次産業に携わるものを指し、所得税や住民税に大きな課税が掛かるものの、大学教育までの無償化や一等地への優先的誘致が行われる。

 競技者――MMA競技従事者を指し、国際戦などへの招集に拒否権がない代わり、免税やその他行政サービスが十全に受けられる。


 元となった幕藩時代の身分制度と異なり、煩雑な行政手続きと収入・身元証明こそ必要なものの、階級間の移動も不可能ではないのがシステムの肝だ。

 学校に通う見習い競技者たちは、日々立身出世を求めて腕を磨き、道半ばで倒れた者は土台となって見習いやプロを支援する。

 そして、見事勝ち得た者たちは、特権にふさわしいだけの結果が求められる。

 この循環こそが、幕府の掲げた職業身分制度による、安定的かつ恒久的なMMA強化の方策だ。


 そして、それを管理するのが国民証――ナンバーカードと呼ばれる身分証の存在だった。


『はー、なるほどね。オレ様の世界で言う、騎士、商人、農民ってな感じか。

 で、お前はどれになんだ?』


 未だ座れと言われないトオルは立ったまま黙っている。

 昔プロ志望だったバーコード教諭は、どこか侮蔑の籠った一瞥をくれた。


「夏目くんはプロ志望のようですが、一般教養がなければプロどころか非ナンバーズに……おっと、これは差別用語でしたね。

 そういずれ、”社会のクズ”になってしまうかもしれませんよ」


 ははは、と教室に笑いが満ちる。トオルもへこへこ腰を曲げながら、同調するよう貼り付けた笑みを浮かべていた。

 教諭が満足そうに頷くと同時に、授業終了を知らせる電子音が鳴り響いた。


「では以上で終わります。復習を必ずしておくように」


 教諭が立ち去ると、トオルは崩れ落ちるように椅子へ座り込んだ。


『なんだあのハゲ』

「……あー、あの先生、選手には厳しいところがあるから」


 男子の、という修飾語は彼の名誉を思って付けなかった。

 トオルは鞄から体操着入れを取り出した。城西大附属では、教養系の講義をスポーツ科と一般科で分けない仕組みとなっている。

 所属するスポーツ科の時間割は、昼休みまで基礎訓練となっている。ウェイトトレーニングから持久走、果ては組手まで行うハードな授業のひとつだ。


『やっと退屈が凌げるぜ。ってお前、どうしたその汗――』

「よぉナッツー。久しぶりじゃねえか」


 ポケットに手を突っ込んだ男が肩に腕を回してきた。

 染めた金髪をワックスで固め、耳にはピアスをしている。後ろから小柄で太っちょな男子生徒が、雑談に興じる同級生を押し退けてきた。


「再会を祝ってよぉ、アレやろうぜ、アレ」

「ひひ、流石でさぁ右近の兄貴」

「嫌とは言わねえよなぁ、ナッツー?」


 はぁーとヤニ混じりの息を吐き出すと、にやにやと右近はいやらしく笑う。

 反対側を固めるように、権左がポンポンと肩を叩いてきた。


「あ、その今日はちょっと怪我で」

「心配すんなでごんす。今日はスペシャルランチで勘弁しといてやるでごすよ」

「オレはスーパーデラックスだけどなぁ、ハハハハハっ!」


 授業中に行われる組手で負けたほうが昼飯を奢る。右近、権左が絡んでくるときの常套句だ。

 トオルは相手を不快にさせないよう笑顔を浮かべながら、遠回しに何度も断ろうとした。


『ちょうどいいじゃねえか』


 自信満々にアークが腕を組んだ。


『昼は肉だな』


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