2-1:

 外は見渡す限りの死地であった。

 雨霰と降る砲弾が鼓膜を叩き、立ち昇る黒煙は風に煽られてごうごうと唸りをあげている。大地は血潮と肉片で満ち、上から軍靴が容赦なく踏み越えてゆく。強い死臭がそこかしこに立ち込め、兵士や村人、そして半裸のままこと切れた女たちの骸が転がっていた。

 仲間の掃討ヘリが対戦車擲弾RPGに穿たれ、旋回しながら歩兵の頭上に落ちる。鉄片が、さながらみぞれのように降り注いだ。旧市民病院であり、現在廃兵院となった二階で狙撃銃の引き金を絞った金髪の大男は、頬から流れる血を蛇のように長い舌ですくった。


『グゥレイト。まずワンキル』


 スコープの先に咲いた紅い華を見て、男はふふんと唇を歪める。即座に銃を担ぐと、新たなる狙撃ポイントへと走り出そうとした。


「待ちなよ、WOODY」


 移動しようとする狙撃手の男を止めたのは、突撃銃AKー48を担ぐ女だった。

 彼女は物言わぬ骸たちから目を逸らし、痛ましそうな表情を浮かべた。


『なんだい相棒?』

「やりすぎだ」

『そうかな』


 WOODYと呼ばれた男は笑うだけ。苦言を呈する相棒に耳を傾けない。


「君はなんとも思わないの? 人を、撃ったんだよ」

『まあ、そうだね。だけど、撃たなければこっちがやられていただろう?』

話し合いピースへの道は残されていた」

『……』


 女は沈黙する相棒の肩を両手で掴んだ。


「僕は、撃つ。覚悟を決めたんだ。守りたい世界があるから」

『……そうなんだ』

「それで裁きとがを受けるなら構わない。それこそ、三界の覇王、天魔として生を受けた僕の宿命さだめだから」

『……』

「でも、君にはまだミライがある。穢れてしまった僕と違って、まだ」


 女が血の滲んだ両手で顔を覆う。腕を組んで遠い目をした相棒は、球状の物体からピンを引き抜いた。


「そう、僕は世界を手に入れる。この腐った世の中を変えるために。そして僕は、新世界の神になるんだ!」

『……あ、悪い。手榴弾グレミスった』

「アチョぉぉぉおおおおお!」


 ばっちゅーんと愉快な音がして、リスポーン待機画面へと移される。キルカメラには、爆発物を転がす相棒が映っていた。

 ゲーミングチェアに腰かけていたトオルは、相棒の裏切りに、皇帝カエサルのような叫びをあげた。


「ちょ、ちょちょちょ。何やってんの!」

『これでも頑張ったほうだと思うよ? アレキシサイミアを自称する私を翻意させるなんて、キミはまさにモーツァルト、いやシューベルトだな」


 画面上の共通状況図は、トオルの所属する東軍が圧倒的に押されている。ゲーミングマウスを操作し、新たなる戦場へと旅立っていった。

 時刻は月曜の朝七時。

 城西大附属高校にほど近い首都十三区、旧名板橋・北区駅前のネットカフェにて、トオルは痛む筋肉痛の身体を押しながら、二次元ゲーミングルームで電子上の国境線争いに精を出していた。

 サブモニターには欠席中の講義ビデオが映されている。バーコード教員の熱弁虚しく、彼の集中は一人称視点シューティングゲームにのみ注がれていた。


『まったく。今日はおバカパトスが全開だね。慶事でもあったかい?』

「なんか変な副音声が……馬鹿って言った?」

『まさか。キミは違いのわかる男だよ』


 ヘッドホンの向こうで、中性的な声がしれっと言う。

 WOODYとは、トオルが講義ビデオを流し見ているとき、よく一緒に遊ぶオンラインフレンドだった。出会いは思い出せない。完全なる社会不適合者であり、いついかなるときにメッセージを送ろうと、ものの数分で合流する猛者であった。

 半年近い付き合いだが、思考はクノッソス迷宮以上に難解だ。スラングや下ネタに忌避感がないので、若い男だろうと想像するのが限界だった。


「でも普通、妻を爆殺する?」

『それはサ終してしまったじゃないか。そもそもキミはネカマだろうに』

「いやぁー、まあそうなんだけどさぁ。あ、右右。あとその武器ちょうだい」

『却下、だ。自分でなんとかしたまえ』


 甲板の上に立った操作キャラが、クリックに合わせて銃砲を鳴らす。激化する戦列に加わっていると、ふと相棒は言った。


『そういえば三界の覇王ってなんだい?

 他化自在天――またの名を天魔は欲界の天主でこそあれど、色界、無色界は担当じゃないよ』

「げっ……」


 また始まった、とトオルは顔を顰めた。彼は気分が乗ったとき、ふと前世の経験(笑)が顔を出し、奇々怪界とした言霊を紡ぎ出す癖があった。

 そこに意味はない。しかしこのネット上の相棒は、魂の宿る台詞をいちいち現実の論理や知識に当て嵌め、訂正しようとする傾向があった。


『もしかしてまた適当に厨二ったいったのかい?』


 同時、操作キャラの頭がぱーんと撃たれる。悲しいため息が耳を打った。


『まったく。だからいつも言っているだろう。君の病気しゅみには興味ないけれど、設定考証はちゃんとやる。はい、復唱』

「……設定考証はちゃんとやります」

『よろしい。まあ火炎瓶投げながらの“闇の炎に抱かれてしねぇ”よりはかなりマシだけどね』

「なんで?」

『反応が遅れるだろう? 手榴弾グレでいいのに』

「さいですか……」

『おいトオル。オレ様の画面が急に止まったんだが』


 突然、防音仕切り壁の向こうから、アークが顔だけ透過させて言った。

 突如現れた白銀の兜にトオルは腰が抜けるほど絶叫した。


『んん? 非常食ゴキブリでも走ったかな』

「あ、いや、なんでもないんだけど」


 今とんでもない字にルビを振った気がしたが、とりあえず席を立って隣のブースの配信映像連続再生許可をクリックした。

 幽霊であるアークは夜中眠れないため、暇があればテレビをつけるようせがんでくる。数日にして、ディープな知識が血肉となりつつあるようだった。


『おっ、始まった。ご苦労ご苦労』

「はぁ……」


 自らのブースに戻ってきたトオルは、手摺りに肘をついてがっくりと肩を落とした。


『お疲れかい? 人間は注意資源さえ有限だからね、管理は徹底したほうがいい』

「日がなゲーム三昧の君が言う?」

『私はいいのさ。才能をくれてやってるぶん、金と怠惰は貪らせてもらうぐらい当然の権利だろう』


 最近さらに神がかりつつある相棒の立ち回りは、トオルが不在の間も戦場の死神として彷徨っていることを示すのだろう。

 気を取り直して再び銃火器を持とうとしたとき、時計の針が指す位置に気づいた。


「やっば……!」

『ああ、そういえばもうこんな時間か。遅れるよ、不良学生くん』

「へ、今なんて?」


 当たり前だが、ネット上の知り合いに個人情報を明かさないだけのリテラシーはトオルにもある。

 が、ときおり電子の魔女やら電脳細胞と自称する相棒ならば、クラッキングやらで探ることもできるのではと勘繰っていた。


『今日のポイントはラスト五分だ。私が教師なら試験にはそこを出す』

「あ……」


 しかし、それは空が落ちるのを憂うようなものだった。

 単純な音漏れだ。

 相棒は乾いた笑い声をあげると、ニタニタ声を波打たせた。


『勉強はまじめにやりなよ。相棒』



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