2-5:

ハヤシ:『そういえば今日更新の高校生HSSOランキングではじめて三十万位台を切ったね。新しいグッズ販売があるかもしれないな』


ユー:『やった』


ハヤシ:『うん? 今日はユーだけかい?』


ユー:『そう』


ハヤシ:『そうか。まあ古参と威張るくせして競技自体には興味ないようだから、案外どうでもいいのかもしれないな』


 ファンサイト「インビジブルズ」から目をあげたトオルは、痛む頬をさすりながらベンチに体重を預けた。

 グラウンドでは、生徒教師一同部活動に精を出している。チーム長尾と呼ばれる城西大附属の第一倶楽部が、項垂れるトオルとは対照的なまでに溌剌とランニングへ励んでいた。


『いやぁ、こんな落とし穴があるとは』


 寝そべってスカートを覗くアークが、言った。


「次は先に言ってよね」

『オレ様も知らねぇんだから仕方ねぇだろうが』


 二人が言い争っているのは、アークの持つ力――憑依能力についてであった。

 異世界の勇者をその身に宿し、隔絶した力を得る。これを、トオルは何の確信もなく永続な力と捉えていた。

 それも当然だ。

 基本、現代人はMMAに使用する能力を、科学的に検証のなされた技術と見做す傾向があったからだ。

 SUPER NATURAL POWER――通称SNP能力とは、外界に漂うEV粒子を体内に貯蔵・変換し、思念としてデバイスIHRに送りこんだあと現実世界へと作用させる代物だ。概念超能力SPKを除けば、念動力、身体強化など、物理的な能力が多い。占星術や陰陽術といった伝統ある方法もないではないが、胡散臭いと思う人間が大半だった。

 つまりトオルからすれば、魔法やその勇者など理解の埒外だ。自然、万能の御技と捉えるのも致し方ないだろう。

 そして、アーク自身が事象および解説に門外漢を気取ると、当然真相はわからないまま闇に葬られた。


「一時間で約三分。正確には二分と四十三秒、か」


 それが検証の結果判明した憑依時間だ。ただし、解除と発動を切り替え、持続時間をプールすることはできる。どこぞのウルトラ○ンよりは使い勝手が良かった。

 なお、そんなことを露ほども解さぬクラスメイトたちは、何の抵抗もできずに打ち倒されたトオルをまるで偽物のように扱い、柴田に至っては不正だと公言して憚らなかった。


「あ、その、わたしでは力不足ですから……」

「そんなことないって、ほらさ」


 放課後の喧騒に身を浸しながら、思考の海へ潜ってゆく。一方、時間制限などどこ吹く風と、アークは気楽な態度を崩そうとしない。

 いや、事実他人事なのだ。引き起こす事故も何も、すべてトオルが引き受ける。しょせん、幽玄を漂うようなものなのだろう。実体さえないのだ。必死になれと叫ぶほうが馬鹿を見る。

 飽きもせず食い込み調査しているアークに、ふと閃いた。


「ねえアーク。この力さ、 勇者降臨 グランディオーソ・アドベントって呼んでもいい?」

『…………好きにしろよ。

 それよりおい、今からどうすんだ?』

「うーんと、バイト探しかな。前のはクビになっちゃったし」


 トオルが言っているのは、先日までアルバイトをしていた中華料理店のことだ。先日の騒動でシフトを増やそうと嘆願した結果、国民証を剥奪された事実を突き止められ、晴れてお役御免を賜っていた。

 月々手取り五万――事務所の給料――プラス賞金では、家族五人など到底養っていけるわけがない。彼が学校に通えないのは、日がな額に汗かいて働かないと困窮する未来が待っているからだった。


『まぁた仕事かよ』

「アークだって僕が飢えたら困るでしょ」

『その前に退屈で死ぬぜ。

 なあおい、せめて手軽にパコれる女はいねえのか?』

「ぶっ!?」


 トオルは勢いよく咳き込むと、目をパチクリさせて絶句した。


『っち、この反応。お前童貞かよ』

「あ、当たり前でしょっ。高校生なんだし」

『そうかぁ? ホーフェンならお前ぐらいの歳で女を侍らしてたが』

「一緒にしないでよ。というか誰さ?」

『いけすかねえ野郎』


 アークは目庇を上げると、ペッっと唾を吐き捨てた。


『まぁいい。なら今から引っ掛けろ』

「無茶言わないでよ」

『ランクは、そうだな。あの女ぐらいか』

「聞いてないし」


 トオルは渋々顎で示された先を追った。

 学内に設置されたサイネージは、麗しい甲冑少女たちがなにやら口汚く罵り合うのを映していた。


「あ、今流行りのドラマちゅうしんぐらだ」

『ちゅうしん……んだって?』

忠唇蔵ちゅうしんぐら。たしか四十七人の赤穂女浪士が、婚約破棄された藩主浅野のためにどろっどろの復讐劇を繰り広げる昼ドラ、だったかな?」

『何がおもしれぇんだ、それ』

「二次元専門だから、僕。えーと、この子はたしか|アイドルのなんとかリノさんだよ」

『まぁ背景は何でもいいが、ツラは最低このレベルだな。しっかしいいケツしてやがる。ああ、揉みしだきてぇぜ』


 アークは両手を胸の前に持ってくると、指をワキワキと卑猥に動かした。


「こんな美人さん簡単に見つからないって」

『ならコイツでいいじゃねえか』

「いやいやいや、それは無理だから」

『はぁ? なんで』

「いやだってアイド……アークの世界で言うとお姫様みたいなものだよ?」

『ならヤり放題じゃねえか』

「は? ……あぁ勇者だから」


 トオルはポンと掌を拳で叩くと、卑猥に腰を振るアークの素性を今更ながら若干理解した。

 世界が違いすぎて、もう嫉妬どころではない。勇者とは、箪笥の中身だけでなく王国の秘宝すら自由にできるようだ。正直、トオルに流れる燃えたぎる血厨二ごころが高ぶって仕方なかった。


『あのションベン臭えガキは願い下げだしなぁ』

「一応釘を刺しておくけど、ひかりは家族だからね」

『っち、折角の張り子じゃねえ生棒が持ち腐れだぜ。なぁおい、お前はオレ様と契約したんだ。ならついでに楽しませる義務ってのがあるんじゃねえか?』

「横暴すぎるよ。というかそもそもアークの願いって何なのか聞いてないし……」


 そこでトオルは、一つの疑念に行き当たった。

 アークは今、なんと言ったのだろうか。張り子じゃない生棒? 普通、男がそんな言い方するだろうか。いや、無論不愚者であれば可能性はあるが、その物言いは性に対して貪欲だ。不能を嘆くようには見えない。

 そうして元々の先入観から逃れると、アークの纏う胸部鎧が、僅かに曲面を描きながら流れていることに気がついた。


「え、え、え……ええっとごめん。

 アークってもしかして、女なの!?」

『はぁ?』


 吃音症患者のトオルを、アークは呆れた様子でみやった。


『当たり前だろ。何言ってんだ』


 未だ疑いの眼差しを向けるトオルにため息一つ吐くと、胸の装甲を外そうとしてから首を振り、パチンと指を鳴らした。


『脱ぐのはダリィな。仕方ねぇ、全部消すか』


 そしてアークは、纏う装甲すべてを粒子へと変えた。

 鉄兜の下から現れたのは、それはもう、誰もが感嘆のため息を吐くであろう美しい貌であった。

 闇に溶かされたような紫紺の髪は、肩甲骨あたりで切り揃えられている。

 長い睫毛の中にある瞳は、水面に石でも落としたような波紋が広がり、妖しい青緑色をしていた。

 内面の豪胆さを表すように唇は横に大きく開き、尖った犬歯がにゅっと突き出ている。

 健康的な蜂蜜色の肌が、彼女の野生を強く印象づけていた。


『どうよ。ま、お子ちゃまには目に毒でちゅかねー』


 堂々と腰に手を当て、全身を惜しげもなく晒している。

 たわわに実った乳房、濃い陰毛で覆われた秘部を隠そうともしない。脚を大開にしているせいで、安産型の臀部から不浄の穴まですべてが丸見えであった。


 しかし、トオルはその肉体に、一ミリたりとも異性を感じなかった。

 いの一番に目を奪われたのは、首から肩にかけて盛り上がる僧帽筋だ。加え、隆起した三角筋と上腕筋。腹直筋は鍛え上げられ、笞刑を受けたかのような痕が走っている。さらには、おびただしい刀疵に目を奪われた。括れとは天と地ほども違う腹斜筋がいっそ見事だった。


 世界のボディービルダーが裸足で逃げ出すような、異常なまでに鍛え抜かれた肉体だ。

 そう、それはもう見事なまでに――バッキバキだった。


「ねえアーク」

『はぁん、さては勃起したか』

「それってさ、筋肉?」


 金属のように黒光りする大胸筋を指差す。もはや雌ゴリラの胸板だ。

 トオルの眼差しは、雄大な自然を前にした子供のように純粋だった。


『おまえ……』


 夜叉のように低くアークがつぶやいた。長いまつ毛の上瞼が瞬き、その下の瞳が、薄ら寒いほどの昏さをもって沈んでいくのが見えた。


「あ、あの、だから……!」


 校舎の二階から、少女の絹を裂いたような甲高い声が響いた。

 アークの唇が三日月のように歪む。トオルはぞわりと背筋を震わせた。


『なあおい、ちょっと身体貸せよ』


 有無を言わせずアークが憑依すると、パルクールの要領でひょいと庇に飛び移った。

 開いていた二階の窓枠に脚をかけ、廊下を覗き込む。夕日の差す校舎は影が落ち、どこか侘しい雰囲気が漂っていた。

 まだ微かに男女の話し声がする。一年E組、トオルの所属する教室からだった。


 問いかけどもアークは耳を貸さず、唇を三日月に歪めて怪しく笑っている。

 その意味は、さっぱりわからない。大方、この先で行われているのは男女間の惚れた腫れただろう。良家の子息子女が通う有名進学校で大層な揉め事が起こるはずもない。

 なんなら勇者アークのことだ。いらぬ正義ありがためいわくを為そうとしているのかと邪推できた。


「感謝しろよ、童貞」


 アークは激しく舌舐めずりして教室に飛びこんだ。

 カーテンの揺れる教室の隅で男女が話し込んでいる。鞄を胸の前で抱える女子に、男子側が執拗に詰め寄っているようだ。よく見ると、女子の眦には涙がうっすら浮かんでいた。


『あら、ホントにやばそう』


 聞こえるはずのないトオルの呟きに、両者はそろって振り向いた。女子はあからさまにホッとした顔、男子は邪魔者を見るような険しい眼をした。

 アークが無遠慮に割って入ると、男が激しく詰め寄ってきた。


「なんだぁ、陰キャのくせにしゃしゃり出てくんじゃ――」


 唾を飛ばして怒鳴った男子は、啖呵を最後まで切ることなく、白目をぐるんと剥いて昏倒した。

 素知らぬ顔で暴行勇者が裏拳を振り抜いている。

 崩れ落ちた男を足蹴にすると、アークは女に近寄った。


「あ、あの、ありがとうござ――透くんっ!?」


 恐怖から解放されたのか、子鹿のように脚を震わせていた少女は小さい手で口元を覆った。

 いつもは凛々しく清楚な鳶色の眼が、長いまつ毛を瞬かせ、大きく見開かれている。


『あ、古賀さんだ』


 耳を傾けたか定かでないアークは、魔王のような邪悪極まりない顔で右手を伸ばした。


 その少女――古賀陽菜のブレザーに包まれた左胸へ。


 ふにゅん、と間抜けた音が脳裏で再生された。

 途端、トオル側に主導権が戻ってくる。大映しとなったのは、機能停止した少女と、膨らみに指を沈み込ませる自分だった。

 掌全体で、フランネル繊維と心地良い温もりを感じる。

 安堵に満ちていた表情がギュルン、ギュルンと急転した。


「き、キャァァァぁぁぁぁあ!」


 二月七日午後四時二十三分。

 夏目透十六歳、無職。

 刑法一七七条、強制性交等罪の容疑で現行犯逮捕された。



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