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『で、結局三日要るのな』


 城西大附属高校名物、第一体育館の火霰を遠景に、トオルは久方ぶりに登校していた。

 城附の校内には、基本、五つの体育館があり、MMAの実戦に近い形でトレーニングできるのは講演等にもちいられる第二を除いた四つだけだ。

 中でも、入ってすぐの第一体育館――通称コロッセオは、ちょっとした競技場並みの分析室と、あらゆる角度からのカメラがあり、放課後は各倶楽部で取り合いになるほどの設備が完備されていた。


「本日は年に一度の城附オープン。再来週の総体予選に向けたポイントレースのラストスパートでもあります。

 しかし、だからといって授業がなくなるわけではありません。皆さん、心して聞くように」


 トオルは観覧席の最前列。出番を心待ちにする生徒の手で前へ前へと追いやられていた。

 持ち込んだボード片手に歴史教諭バーコードが教鞭を叩きつけている。伝播する熱にやられたのか、一言一言力がこもっていた。


「けれどその前に、まずは総体予選のおさらいと、基本事項の確認からやっていきます。では夏目くん、総体予選の内容を説明してもらえますか」


 この時期、各高校は大会に向けて集中的に競技へ取り組んでいる。短縮授業、授業延期は当たり前、体育教師は指導に余念がなく、総体予選のシード権獲得のため、方々へ生徒を派遣することも珍しくない。今日の城附オープンは、我が校の類稀な設備を利用して開催された、グレードⅣのオープン戦だ。

 この歴史教諭バーコードは、引率の合間合間に臨時の青空教室を開催するという、効率的なのか、貧乏性なのか、はたまた嫌がらせなのかよくわからない性質をもっていた。城附冬の風物詩である。


「あ、はい。えーと、二月末に行われる総体予選は、数ある高校生大会の中で最もグレードの高い個人大会です。

 通常、地区大会、県大会、地方大会、全国大会と順を追って規模が大きくなりますが、総体は県大会、全国大会しかなく、獲得ポイントに大きく影響します」


 定型的な解答をすると、鼻息荒い歴史教諭は、総体予選の歴史や代々の優勝者について補足した。

 総体は一年の総決算であり、獲得ポイントは実質グレードⅠ以上である。ドラフトや大学入試もポイントに左右されるので、トオル以外の生徒は話も聞かず、準備に余念がなかった。


「まあいいでしょう。では次に県内のライバルについてです。まずは、概念系SPKに特化した新条高校からおさらいしましょうか」


 前述したように、SUPER NATURAL POWER――通称SNP能力とは、外界に漂うEV粒子を体内に貯蔵・変換したものを思念としてデバイスIHRに送りこみ、現実世界へと作用させる代物だ。

 根本的なメカニズムこそ解明されていないものの、経験則からなる事象の相関関係は大枠として体系化されており、次の三つに分類される。


 具象超能力(PK:PsychoKinesis)と呼ばれ、思念によって物体に作用する力。なお、銃型デバイスを利用した思念の直接放射はここに分類される。

 知覚超能力(ESP:Extra-Sensory Perception)と呼ばれ、五感を強化したり、論理的類推を用いずに情報を取得する力。脳の機能だけでなく、命令指数QQ増大なども分類される。

 概念超能力(SPK:Super PsychoKinesis)と呼ばれ、特殊超能力や系統外異能力とも呼ばれる。先天的資質が大きく関係し、トレーニングで後天的に身につけることはほぼ不可能とされる。


 たとえば、トオルがいつも使用している身体強化は、筋繊維や骨密度の強化、もしくは地面の反発係数の操作であり、分類としては具象超能力PKとなる。

 朝来野アキラが五本の刃を飛翔させていたのは、知覚超能力と具象超能力の合わせ技であり、かなり難度の高い技であるといえた。


『ほぉー、あのファ○ネルはそういうカラクリだったのね』

「……こっちの世界に毒されすぎじゃない?」


 トオルが見ているかぎり、アークの使う身体強化魔法とやらも根を同じくするよう見えるのだが、理論・体系化され、普遍的に扱える技術として昇華されたSNP能力という概念にどうやらピンと来ていない様子だ。

 試合では、衝撃波や念動力を多用した具象系PKが乱舞しているが、一方で、大浜オープンのときのように炎や闇といった概念系SPKはほとんど使われていない。先天的資質を必要とする概念系は、全競技者の一割程度しか実用的な効力を発揮しないと言われており、高校生ではあまりお目にかかれないものだった。

 なお、トオルは家庭の事情から能力開発が不十分で、具象系もロクに扱えなかったりする。


「ですが、本当の強敵は彼らでは有りません。シード権を持った、HSSO高校生ポイントランキングの上位者です」


 歴史教諭は、これが本題だと眼力を強める。観衆がトオル一人でもお構いなしだった。


「あの高校生最強、朝来野選手も出場します。我が校のエース長尾さんでも苦戦は必至でしょう。

 ですから、今日のような大会でポイントを稼ぎ、早い段階で強敵と当たらないようするのが重要な戦略になってきます」


 と、表面的な内容を聞き流していると順番がやってきた。

 緊張感が増してくる。肌がヒリヒリと痛んだ。

 見慣れた体育館はいたる所に張り紙がなされ、どこか別世界のようだった。観覧席にはタオルを被って悔し涙を流す選手も見かける。

 指示にしたがって一階に回ると、入り口で給水係をしている少女と出くわした。


「ひ、久しぶりだね、夏目くん」


 古賀遥菜だ。彼女は、ぱっと華やかな笑みを引っ込めて、どこか気まずそうに立ちすくんだ。

 城附オープンでは、一般科の生徒を大会スタッフとして配置している。先輩たちが受付に立ち、同じクラスの男子は試合進行に奔走していた。

 真横を忙しなく関係者たちが通りぬけてゆく。緊迫する試合会場で、二人をつつむ空気はどこか異様だった。


「そ、その、風邪だったんだよね。元気になって、よかった、ね」

「ああ、うん。その、ありがとう」


 ひたすら歯切れの悪い遥菜に、トオルも居心地が悪くなってゆく。何を話せばいいかわからない。いや、そもそもまず、元通りになるとさえ思っていなかったのだ。

 なにせ、非ナンバーズであることが発覚したばかりか、危険な外区にまで連れ出し、親族に散々な迷惑をかけたのだ。性格からして態々吹聴して回ったりはしないだろうが、そっと距離を取られることは覚悟していた。それがまさか、いきなり声を掛けてくるとは。

 同情か、はたまた義務感か。

 ことの顛末でも尋ねたいのだろうが、それも切り出せず、二人は当たり障りのない世間話で右往左往した。


「おーいハル。イチャついてないで早くしろってセンセーが」

「なおみっ」

「ってあれ、ナッツーじゃん。おひさ」

「ど、どうも」


 端末片手に駆けてきたのは、同じクラスの女子生徒だった。

 彼女は二人の顔を見合わせると、にっしっしと嫌味な笑顔を浮かべた。


「あれぇ、もしかして今日ボランティアを買って出たのって」

「ち、違うよ。今日はたまたまその、暇だったから」

「暇、ねぇ。ま、元気が出たならなんでもいいけど」

『この女はないな。まな板だ』

(アークうるさい)

「って何七面相しているの? ナッツーは早く行かないと失格になるよ」


 どうせ負けちゃうだろうけどねー、とヒラヒラ手を振られトオルはそそくさメイン会場へと足を運んだ。その背後では遥菜も静かに微笑んでいた。

 競技用のデバイスIHRを腰に差し、靴紐を確認して会場に入る。呑気にアークが言った。


『お前は全部ビビりすぎなんだよ。みんながみんな、お前のことを嫌ってるなんてこたぁねえし、そもそも気にもしちゃいねえ。まああの女には好かれちゃいねえみてえだが』

「う、うん、でも」

『はぁ、臆病だねぇ。何を食ったらそうなるんだか』


 別にビビってるわけではない。トオルは、自分の拳を握りながらそう言い返そうとした。

 そうだ。アークは他人事だから、なんとでも言える。

 けれど、当事者からすれば重大事だ。出自のこととなれば尚更である。

 生まれは謎、育ちは低俗、現在も凡庸。光を望まれ、光を浴びて生きるアークとは、天と地ほどの違いがあるのだ。


『馬鹿だねぇ』


 反対側の入り口から、体格の良い生徒が姿を見せた。三股の槍を手に持ち、黒い重装備に身を包んだ柴田は、一礼すると構えを取った。

 トオルも慌てて中段に構える。試合開始の合図と共に、バトンタッチする算段だ。しかし、アークはぷいと素知らぬ方向を向いた。


「ちょちょちょ、アークってば」

『お前がこう叫べたら、代わってやってもいいぜ』


 アークが耳元でボソボソと囁く。聞いて、トオルは顔を青ざめさせた。

 柴田が今まさに踊りかからんと、戦意を高らかにしている。地を這う鉾は、今にも血を求めるようにして飢えていた。横隔膜を下げて力をたくわえる。そうでもしなければ心臓が張り裂けそうだった。なまじ守護霊に頼りきりなせいで、真っ向から対峙する胆力が失われているのかもしれない。

 恐れを踏み殺すよう半歩出る。なんだって、アークは無茶ばかり。いきどおりにも似た感情が背中を押した。


「お前、まだ懲りずに来たのか」

「は、はい?」


 突然意味のわからないことを言われ、つんのめりそうになる。

 柴田は、至極まじめな顔でその頬に朱を走らせていた。


「俺は言ったはずだ、不正を訂正しないのであらば、二度と出場するなと」

『なんか、こいつも屈折してんなぁ』

「えーと、それ今関係あるかな……?」

「お前のような甘えた人間が、神聖なる武を穢すことは許されん。ナッツーごときが、調子にのるな」


 柴田の目は爛々と狂気が宿っている。鼻息は荒く、怒り狂った闘牛をおもわせた。


「あ、甘えてなんか」

「黙れ」


 柴田は全身を総毛立たせ、憎しみのこもった眼で睨んできた。


「負けたら、俺に誓え。退学すると」


 聞こえこそしなかっただろうが、明らかな敵意剥き出しの柴田に、観客が揃って囃し立てだした。

 味方は誰も居ない。審判だって間近に聞いただろうが黙認した。そんなにも柴田の実績が偉いか。トオルが悪いのか。

 声が大きくなればなるほど、己の中に問うた。間違っているのは誰だと。

 決まっている。自分だ。そう、いつもなら答える。

 けれど、今日だけはなぜか、違う答えが口をついた。


「僕も、ずっと言いたかったことがある」


 なんだよ、どいつもこいつも好き勝手言いやがって。

 甘えてる? 人生舐めてるのはどっちだ。

 勝たねばならないトオルと、負けても許される柴田。産まれ落ちての苦渋強いられ、報われないのはどっちか、なにも知らないくせに。

 ずっと鬱屈していた感情の歯車が、ガリガリ音を立てて駆動する。顔を上げると、とたんに視界は晴れ広がった。


「僕はナッツーじゃない、夏目トオルだ!」


 試合開始の合図の瞬間、トオルは降臨アドベントと顔を右手で覆った。

 赤い輪が瞳に浮き上がる。

 すべてを置き去りにした肉体は、颶風となって柴田に殺到した。



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