5-3:
「それにしても、ちょうどよかったよ。別件で呼び出されていてね。フケる訳にもいかなくて、大分退屈していたんだ」
そう飄々と口にした奇妙な先輩は、まるで軟体動物のように気怠く這い出ると、対照的に凛々しすぎるその高い鼻梁に眼鏡をのせ直す。
そして、トオルの腰に佩くデバイスを見ると、要件を言うまでもなく隣の機材車に案内した。
「ああ、珈琲はどうだい? オイル缶だと風情はないけど」
「……いえ、大丈夫です」
「それは残念」
そう言って肩を竦めた彼女は、ぎょっとする柴田をおいて汚い缶に口をつけた。
(この人が、あの雲林院先輩)
すらりとした体躯に日本人離れした目立ち。ダウナーな雰囲気を醸しながらも、どこか他者を圧倒する存在感がある。使用中だったというのに、彼女の鶴の一声で機材車はもぬけの殻になった。
城附の七英傑、人呼んで“登校拒否”の雲林院秋葉。
古賀遥菜もその一人に列せられるが、彼女の名だたる伝説に比べれば平凡もいいところだろう。
たとえば、その聡明さに教師が自信を失ったとか。
たとえば、同級生が進路を買えただとか。
そういった逸話には枚挙にいとまがない。
あまりに無軌道かつ超越的すぎるせいで、もはや学校側がそれとなく登校拒否を認めているとかなんとか。つまりは、方々に名が知れ渡るような天才だ。
そんな彼女は颯爽とその白衣を翻すと、ポケットに手を突っ込みながらパイプ椅子に体重を預けた。
「ああ、前置きは結構。大体理解しているよ。次の試合まで時間がないんだろう? 早く調整に入ろうじゃないか」
「えっ、なんでわかるんですか」
右手をひっくり返しながら指差す彼女に、トオルはおっかなびっくりに尋ねていた。
「簡単な推理だよ。勝ち残っているのはキミだけ。しかし、その見事な黒鞘と使い古された茶色の帯刀ベルトのアンバランスさは実にナンセンスだ。柄の家紋を見るに、そこの彼の貸し出しだろうという推察はたやすい。違ったかな?」
「そ、そのとおりです」
「それはよかった。なに、これだけ鼻高々と講釈を垂れておいて、実はゲン担ぎに一発ヤリたいだけなどと言われては困ってしまうからね」
くくっ、とまるで魔女のように抑揚を見せず「私は処女だからね」と笑って見せる。柴田など、不気味そうに顔を顰めていた。
「俺はこの人が苦手だ。お前も余計なことは言うなよ」
「あ、うん。わかったけど」
「では先輩、説明が必要ないのならすぐにでも――」
「それにしても、相変わらずキミは事前準備が疎かだな。『勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝を求む』と孫子も言うだろう。歴史に学べない愚者は大成しないよ」
「お、俺の話を――」
「だが、なあにこの私は寛大だ。ダメな子ほど可愛いというしね。観音菩薩のような慈愛に恐れ慄きたまえ」
柴田は、自分が相手にされていないことに気付き、ぴしりと顔をこわばらせた。
「時間がないんだ! あんたも先輩なら、少しは――」
「少しは?」
柴田が激昂した瞬間、冷たい目がはじめてそちらをみやった。
彼女は電子タバコを更かしながら、すらりと伸びた脚を色っぽく組み直した。
「消えてくれて構わないよ、案内員くん」
彼女は電子タバコを更かしながら、すらりと伸びた脚を色っぽく組み直した。
「……後で報告しろ」
柴田は苛立ちを混ぜた舌打ちして、雑な足取りで風を切っていった。
あっけなく、トオルは一人取り残される。ひどく心細い。当てもなく視線を彷徨わせる。
猫というよりも、どこか異星人ぽいガラス玉のような眼と見つめあった。
「どうしたんだい? リラックスしてくれたまえ」
「あ、はい」
「ふう、まだ怒っているのか。仕方ないな」
そう言ったかと思うと、彼女はおもむろに立ち上がり、大仰に口元を手のひらで覆った。
「あら嫌だわ。貴方ったら、なんて冷血漢なのかしら。ワタクシ、傷つきましたわ」
「……は、はい? 大丈夫ですか?」
「あら、失礼だこと。ワタクシはいつもこうではありませんか。そんなことばかりいってらっしゃいますと、婚約破棄させていただきますよ。おーほほほほ!」
「え、急にどうしたんですか」
今どき空想の人物でもしないような高飛車系ガールを演じる彼女は、表情、抑揚ともに平坦で実に珍妙だ。困惑を深めていると、大袈裟に首を振って見せた。
「ふう、なんだい。キミを怒らせたかと思って練習してきたのに。それともなんだい、キミは人に理解を求める癖して、自分は認めないのかい?」
「え、えーと」
「……まさかとは思うが、正体にまだ気づいていないなんてないだろうね。キミってやつは、実に釣った魚へ餌をやらないタイプだな。そんなことばっかりしていると、そのうち背中を刺してしまうよ」
そう言った彼女は、白衣のポケットから端末を取り出すと朗々と語り出した。
日記であろうか。客観性がすぎるのか、自分のことなのに実験動物の観察録のようだ。
その延々続く一見無意味な語りに主観的な視点が混じり始める。そんな違和感を抱いたとき、新たな人物が登場した。
「六月十七日、奇妙な人物とパーティー組むことになった。彼は『キリヒト』と名乗っていた。左眼を隠して、そのうえシステム的に最弱の二刀流を使っていた。
極めつきには『スターバースト○トリーム!』と叫びながらスライムに負けていた。リスポーンの言い訳は『死んでもいいゲームなんて俺には温すぎる』だった。天才だ。腹がよじりきれるかと思った」
「六月二十日、また彼と会った。悪質なレッドグループに遭って、逃げ出すところで『悪いな……ここは通行止めだ』と現れた。
私は年甲斐もなく感動した。彼が構えた途端、地面のトラップを踏み抜いて上から土砂が降ってきたんだ。そして、彼の言うとおり本当に通行止めとなった。もちろん、彼はぺしゃんこになった」
「六月二十四日、私ははじめて自分からフレンドを申請した。笑ってしまうがこれがはじめてのことだった。オンラインゲームはいい。友達の申請をして、承認を待つ。世の中もっとわかりやすくして欲しいものだ」
トオルの心臓が急速に早まっていく。現実世界でそれを知る者はいないはずなのに。
火を吹くほど恥ずかしい。
それも当然だ。彼女が口にしたのは、わかさゆえの過ちというやつだった。
当時ハマっていた空想のロールプレイが赤裸々に語られていく。ギルドで面と向かって馬鹿にされてから、深淵の彼方へ葬り去ったはずの黒歴史。それを、彼女はまるで見てきたように語った。
「ま、まさか、あなたは……」
「やっとわかったかい。まったく、キミは本当に」
彼女が鷹揚にうなずく。
トオルは信じられないといった顔つきで、まぶたをしばたかせた。
「ミリィ、なんですか」
彼女はずるっと椅子から滑ると、背もたれに後頭部をぶつけた。
「WOODYだよ! キミの相棒の!」
ずれたメガネを直しながら、憤慨した様子で目をサンカクにした。
なるほど、そっちか。
WOODYとは、いうまでもなくオンラインゲーム上のフレンドだ。だが、トオルは相棒のことを男だと思っていたので完全に対象の範囲外だったのだ。
彼女から、冷えた視線が注がれていることに気づく。トオルは慌てて身振り手振り、あからさまに苦しい弁明をはじめた。
「で、でも、女なんて思わなかったし、それにまさか先輩だなんて」
言っていて、これはないなとトオルは思った。
「ふうん、キミには私が男に見えたのかい?」
「ご、ごめんなさい! いやそもそも、なんで僕が
「それこそ簡単さ。君はよく、授業のビデオを垂れ流しにしていただろう。聞こえてくる教師の声で学校は特定済み。かつ、その期間休む生徒を探せばいい」
完全に機嫌を損ねたらしい彼女は、つかつかと歩み寄ると、変化のない表情のままデバイスを奪う。
それを後方の電子パットの上に設置して、ドッキングステーションにキーボードのコードを差し込んだ。
「まったく。それで、胸でも揉んで確かめるかい?」
「あ、いや、勘違いしてたのはそっちじゃなくてですね」
「ああ、そういえば男キャラばっかり使っていたからね。とはいえ、結婚までしたフレンドを間違えるかい?」
暗色のモニターには奇々怪界とした文字が踊っている。
いつの間にだろうか。腕と胴部、それを頭につける測定機材を投げ渡されると、いつも使っているデバイスのデータを送るよう指示してきた。
「ん? なんだこのデータ。出力が跳ね上がっている? 奇妙、で片付けていいのか?」
「あのぉ、間に合いそうですか」
「ああ、悪いね。今日は時間がないし好奇心を満たすのはよしておこう。無知そうな君への講釈もね。あと、気持ち悪いからいつもどおり話したまえ」
そういうと、彼女は無心で画面に没頭し始めた。キーボード上の指は乱舞し、淀みなく流れている。
トオルはそんな姿を、いつも見てもらっている地元の技術屋と無意識に比較していた。
こういったデバイス調整技師は、いわゆるプログラマと同系統の技術者であり、術者に合うアルゴリズムや処理効率を考え実装するのが主な仕事だ。つまり、彼らは一般人が考えるように高速で指を動かしたりはせず、使用者のデータと
しかし、指を走らせるよりも思考が早い場合、あっという間に完成することも示していた。
(こんな人、本当にいるんだ)
恐るべきことに、彼女は一度たりともバックスペースを押していない。全体像を最初に描ききり、一直線にゴールへ向かっているのだろう。
たしかに、これを見てしまえば自信を失うのもやむなしか。三つのモニターを同時進行させていた彼女が、ふと声だけで尋ねてきた。
「で、それだけかい。もう一人、正体のわからないのがいるだろう」
「へ?」
「……まあよしとしようか。このツケはきっかりと取り立てるけどね」
それが終了の合図だったのか。
ターンと中指でエンターキーを弾くと、鍔元を持ってデバイスを捧げてくる。
トオルがそれを恐る恐る握ると、彼女ははじめて涼しげに微笑んだ。
「ああ、そういえば。もうチートは辞めたよ」
不意を突かれ、トオルは反射的に吃ってしまった。
それは、彼女の誘いを断ってしまった一つのきっかけだった。何かから逃げるよう、拒絶してしまったあのときの。
「えっ、なんで」
「思い出したんだ。私は勝ちたいからゲームをやっていたんじゃない。楽しいからゲームをやっていたんだ」
トオルの脳裏に、ひかりの言葉がリフレインしていた。
彼女が言った、中学時代の自分のこと。ずっと延々、詳しくもないひかり相手にMMAのことを語りつづけたこと。
あのときの自分はどんな心境だったのだろうか。
ふと、そんな益体もないことを思い出した。
彼女の表情には、すでにそんな感傷など伺えない。
やりたいからやる。
楽しいから楽しむ。
社会不適合者ゆえに享楽的で。
だからこそ剥き出しの心理をそこに見たのだ。
「勝ってばかりじゃつまらないだろう、相棒?」
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