間話2:吉兄、遥姉が好きだってよ。 その二

「んぁ? 掃除当番だろ。俺がやっといてやったから、マジで次は忘れんなよ」


 早くも六月。外は午後四時を回ってもまだ明るい。亮吉は申し訳なさそうな男子の胸を叩きながら、制汗スプレーの缶を振った。


「さよならー亮くん」

「リョウくーん。今度、ウチの片付けも手伝ってよ」

「ああ、時間があったらな」


 さっすが頼れるぅ、という称賛を聞き流しながら、亮吉は一年一組からもっとも遠い、三階の端の教室へと向かっていた。

 この二ヶ月、特筆すべきことはなかった。基本、夏前はチーム戦がメインだ。一年である亮吉では、純然な戦闘能力はともかくとして、連携やその他経験値が足りずベンチをあたためるばかりだった。

 新人戦にいくつかエントリーしてポイントを獲得したが、高校生HSSOランキングはいまだ二十万台と、全国の足がかりは遠い。

 賞金で手近な道場に足を運んでみたものの、芳しい効果はなかった。デバイスを新調しても、右に同じである。


(マジ、日に日に可愛くなっていくからな。焦るぜ)


 男女の仲において、距離と親密さは比例する。諸先生方からは全国を狙える器と称されているが、亮吉に必要なのは可及的速やかな実績だ。落ち着けと息を吐くたび、頭に浮かぶのはセーラー服姿の遥菜の横に並ぶ、空想上の男の姿だった。

 中学から高校への変化というのは、男女問わず大きいものだ。元々際立った目立ちをしていた彼女は、亮吉でも顎が地面につくほど垢抜けていた。

 毎朝、彼女の通学路上のマク○ナルドに入り浸り、一目見てから登校するのはもはや日課(※ストーカーです)になっている。それだけでなく、欠かさずSNSをチェック(※ストーカーです)したり、ポストに自分の名前が載った競技紙を投函したり(※もはや犯罪です)と、その憧れは、もはや崇拝にちかい何かへと昇華されはじめていた。

 あの美しい彼女が、どこぞの鼻持ちならないボンボンに弄ばれていると妄想するだけで頭の中が煮え立ちそうだ。間男を斬り殺したところで、閑散とした一年八組へと足を踏み入れた。

 目的の相手と出会えず、亮吉は携帯のロックを解除した。待ち受けはもちろん、卒業アルバムを引き伸ばしたものだ。


「あ、来てたんだ亮くん。ごめんね、ちょっとお手洗いに行ってて」


 通話ボタンに伸びた指を止めたのは、一人の少年の声だった。

 ガラガラと戸を引いて現れたのは、一年八組の生徒、ポケットにハンカチを戻す新発田薫であった。


「あれ? そういえば部活はいいの?」

「この前の反省会だってよ」


 正確には、反省会を兼ねた気晴らしだ。一年に決定権があるわけもなく、かといって参加する気にもなれず時間を持て余した彼は、無二の親友である新発田をたずねていた。

 男二人で街へ繰り出すとは味気ないが、亮吉は遥菜命である。

 けれど新発田は、ごめんとにこやかに首をふった。


「先約がね」


 この二ヶ月。亮吉には変化がなかったものの、この親友である新発田は、「初彼女できる」という人生のビッグイベントが起きていた。

 お相手は、あの入学式で助けた少女その人だ。

 アプローチは意外にも新発田からで、亮吉自身、何度となくフォローに駆り出されていたため、彼女とも顔見知りの仲であった。

 なお、幼なじみであるらしい男とは七面倒なあれこれがあったのだが、そこは割愛する。


「お熱いこって。あー、その、なんだ。ち、チッスぐらいはしたか?」

「……亮くんってさ、結構ウブだよね」


 タコのように口をすぼめる亮吉を、呆れたような眼差しで新発田はみやった。

 素朴そのものなお下げの彼女はどうでもいいが、一応の好奇心として親友がどこまで進んでいるのか興味はあった。

 ピロンと新発田の端末が音を立てる。凄腕のシーフよろしく端末を強奪した亮吉は、嫌がる彼を押し退けながら愛のメッセージを読み上げた。


「うん、なになに。あん? 体育用具室で待ってますだぁ? なんでまたあんなとこに」

「ちょ、ちょっと亮くん返してよ!」

「続きはねえな。まさかお前ら……」


 ジャンプして携帯を取り返した新発田は、顔を真っ赤にさせた。


「そ、そんなところでするわけないでしょ!」

「そんなとこじゃなきゃいいのか?」

「あっ」


 語るに落ちるというやつである。なお、暴きたてた亮吉にもダメージがあった。

 ひどく顔を赤らめた新発田は、とぼとぼと放課後の廊下を去っていった。


「でも、なんで用具室なんだろ?」


 新発田と別れた亮吉は、あてもなく校内をぶらぶらしたあと、一人虚しくゲーセンに向かうことを決めた。

 すると校門に差し掛かる途中で、一人の上級生に出会した。


 身長百六十に届かない矮躯で、金髪に両耳、鼻ピアスと明らかにそれとわかる風貌だ。彼は、薮岡という入学式で揉めた先輩であった。

 あれ以来、彼は亮吉をみつけるとそっと背中を向けるのが常であったが、今日はなぜか、たいそう慌てた様子で走り抜けてゆく。

 いや、そのTシャツの背にそれは巨大な靴の後をみつけて、亮吉は思わず声をかけていた。


「な、なんだテメェはよ。も、文句でもあんのか」


 振り返った鶴岡は挙動不審で、いつもの傍若無人さは鳴りをひそめていた。キョドキョドと目を伏せ、まるで別人である。

 良い悪いは別にして、この薮岡という男はこの学校で幅を利かせる、いわゆる番長的な存在だ。それが、明らかに蹴り付けられた痕を残したまま、誰も連れずに駆けていくのは異様としかいいようがなかった。


「どうした……じゃなくて、どうしたんすか。なんかあったんすか」


 亮吉が聞き直すと、鼻息荒く薮岡が怒鳴った。


「なんもねえよ! 俺に構うんじゃねえ!」

「っすけど、その背中……」

「うるっせぇ!」


 薮岡の怒りは、亮吉へというよりも、世の不条理のような遠大なものに向けられているようだった。

 その証拠に、彼の目には亮吉など映っていない。崩れ落ちるように膝をつくと、拳を地面に叩きつけた。


「くそ、くそ。なんでまた金剛が。まだあいつの奴隷なのかよ……」


 あっけにとられ、かける言葉を失って立ち尽くす。

 通りがかった顔見知りが、何があったのかたずねてきた。


「いや、マジよくわかんねえ。金剛とか言ってるが、知ってるか?」

「そういえば、ケンカが強いっていう先輩がそんな名前だった気が」

「へえ、俺は聞いたことねえけどなあ。先輩なんだよなあ」

「去年問題を起こして退学になったらしいから。たぶん、会うことないんじゃないかな」


 ふたり話し込んでいると、よろばうようにして薮岡が立ち上がっていた。ぶつぶつと、呪文のように言葉を繰り返している。


「早く戻らなきゃ殺される。チップつきのメロンパン買って、早く“用具室”に戻らないと」


 その背中は、尋常ではなかった。借金取りにでも追われないと、ああはならないだろう。

 亮吉は意味もわからず首を捻っていると、ふと嫌な予感がした。


(そういや新発田も用具室って言ってなかったか)


 滴るような朱色の残光が、世界を緋色に染めてゆく。二ヶ月とはいえ、勝手知ったる聖域だ。部室棟横、競技場横と計三つあるうち二つを回った亮吉は、最後の一つ、体育館裏の古びた納屋へと近づいていった。


 あたりに充満する、やけに鋭い獣のような唸り声が耳についた。

 ひどく、いやな予感がする。

 どくん、どくんと心臓が早鐘を打っている。脚は、沼に取られたように動かない。

 ドアノブを持つと、恐ろしいほどの動悸がする。

 軋ませながらドアを引くと、時代遅れの射影機のようにコマ切れの映像が網膜に叩きこまれた。

 はじめ、それがなんなのかわからなかった。いや、理解したくなかったのだろう。暗がりのなか、納屋の奥の奥で熊のような大きい塊と絡みあうそれが、一体何を意味するかなど。


「むぅぅぅっ!! うぐぅぅぅっ!!」


 鼻をつまみたくなるような淫臭が亮吉を襲った。

 巨大な茶色い物体が蠢くたび、ピンク色の細い棒がびくびくと震える。取り囲むよう屯する何かが囃し立てると、切れ切れな声が漏れ聞こえてきた。

 瞳孔が収縮し、亮吉は暗がりのなかに焦点を合わせる。そして、その正体を直視してしまった。


 巨大な茶色い塊は、人間……それも男の尻だった。さっき見えたピンク色の何かは、脚であろうか。男の左右から、すらりと伸びている。

 そのピンク色の脚の主人は、おそらく女だろう。巨大な塊の下敷きになるような格好で、埃の積もった床に横たわっていた。

 悪夢のようだった。ふわふわとして現実感がまるでない。ラブ・メイクとは程遠い圧倒的多数の男が支配する光景に、息を呑むしかできない。


 それにアクセントを添えるのが、「むぅっ、うぅぅ!」と猿轡を噛まされながらボロボロ悔し涙を流す、全裸で正座する男だ。巨大な石を抱えさせられ、目の下など痛々しく青くなっている。

 間違うはずもない、親友の新発田薫である。

 となれば、のしかかられているのは考えるまでもなく彼の恋人――佐々木だろう。

 目も覆いたくなるような壮絶な運命が、二人を襲っていた。


「し、締まるぜぇこいつは。ミミズ千匹だ!」


 絶句する亮吉の前で、巨漢は腰を大きく突き出すと、のぶとい雄叫びをあげた。

 劈くような叫びと、下卑た笑い声が渦巻く。

 一仕事終えたと、全身から湯気を立たせた男は、白い一本の糸を引きながら立ち上がった。


「あー、五発目でやっとネンショーボケが治ったぜ。

 んで、お前がイキってるっつう一年か」


 ことここに至っても、亮吉の中にはかすかな反抗心があった。

 しかし、その男と真正面から相対した瞬間、


「…………ッ!?」


 と、全身が凍りついた。

 デカい、デカかった。のそりと立つその男は、身長百九十はゆうに超え、それ以上に横幅があった。まさに肉の壁。眼球を動かすだけでは、盛り上がる大胸筋しか映らない。

 その上に乗っかるのが、残忍としか形容できない凶相だ。首元からなる真っ黒な龍のタトゥーは、何を思うたか黒々とした義眼に繋がっていた。


「選べや。殺されるか、奴隷になるか」


 その男――金剛は、土足で彼女を踏みつけにしながら、そう言った。

 親友とその彼女。

 二人を人質に取られた亮吉は、首を縦に振ることしかできなかった。




 § § §




 不良の世界というのは、腕っぷしの強さが物をいう。そうなると当然、上に立つのはMMA界で揉まれたつわものばかりだ。そういう意味では、金剛という男はこの鶴工のドンといっても過言ではなかった。

 金剛は、亮吉の二つ上の元最上級生だった。二〇一センチ、一三〇キロという尋常ではない肉体に加え、代々続く地元の名家、金剛流道場の次男として生を受けた。当然、一般人ごときが敵うはずもない。中学時代には、関東大会を制覇したほどであるらしい。


 しかしそれはあくまでも、表面的な話にすぎない。だった、という過去形が示すとおり、それとなく尋ねれば、素行の悪さをあげる者は後を立たなかった。

 中学の頃から、気に食わないという理由だけで半殺しにし、暇潰しに万引きを命じたりする。武器である喧嘩にしても、相手の顔が変形するほど殴り続ける。タチの悪いマフィア同然で、通った後はぺんぺん草も生えないといわれるほどだ。

 なまじ競技者階級出身だけあってか、警察もおよび腰だ。さすがに、新卒の教師を強姦したときは問答無用で少年院にぶち込まれたが、それでも一年もせず出てこられる。競技者が上級国民と揶揄されるゆえんだ。

 噂だけならば、人を殺しているとまで囁かれている。家の圧力で新聞には載らなかったらしいが、先輩たちの間では半ば公然の秘密であったそうだ。


「オウ本庄、乗れや。ちょうど今、一狩り行くからよ」


 毒々しいレッドカラーに、鬼キャンしたギラギラのホイール。ガリガリと地面を擦りそうな低車高の型落ちセダンが真横につくと、窓から腕を出した金剛が言った。

 逆らうことは、許されない。

 それを、この八ヶ月で骨の髄まで叩き込まれた亮吉は、抵抗もせず、ただ無言で車へ乗り込んだ。


 暖房の効いた車内で上着を脱ぐ。五人乗りの席は、すべて埋まっていた。助手席で肘をつく眼鏡の男は、金剛の右腕であり、今は同じ高校に所属する別府健介だ。後部座席で脚を広げているのは、いつも一番槍を担う嶽昭雄である。どいつもこいつも、金剛に負けず劣らずの不良だった。


「えぇ、亮吉のやつも参加するんですか? またヘマしますよ」


 そして、乗り込んだ後部座席の反対側で声を不平の声をあげたのが、親友である新発田である。

 しかし、その見た目は八ヶ月前とは様変わりしていた。逆立てた金髪に、両耳と鼻ピアスと、元の見た目は消え失せている。その上、大きく鼻を鳴らし、明らかにこちらを軽んじていた。


「ま、そういうな。こいつは、パッと見スポーツマンぽいからな。いざって時の盾にもなるしよ」


 金剛がそういうと、ゲラゲラと車内は笑いであふれた。もちろん、新発田も例外ではない。

 亮吉は肩身を狭くしながら笑って見せる。内心の不安を押し殺しながら。

 この錚々たる面々が揃っているのだ。家でコントローラー片手にモンスター○ンターをするわけもない。盗みや詐欺、リンチ……そんなえげつないことを。


「何、するんすか?」

「決まってんだろボケ」


 真横の嶽が、親指と人差し指でつくった輪の中に反対側の指を出し入れする。性行為のハンドサインだ。それも、無理やり。男たちはまたもゲラゲラと笑った。


「今日もまた彼氏持ちがいいですね」

「おー、新発田わかってるじゃねえか。よーし、じゃあ、二番目はお前にしてやんよ」

「うえぇ、まじかよ。おい、新発田、あんま長引かせんじゃねえぞ」


 おぞましい騒音を撒き散らしながら、真昼の公道を物色しながら走っている。そして、やいのやいのと街行く人の根踏みをはじめた。

 胸がデカいだなんだだとか、耳にするだけで胸糞な話だ。今視姦されているのは、白いカーディガンを羽織った女子大生だ。そんなことを続けていく。物寂しい隘路でカップルを見つけると、車を停車させた金剛が顎をしゃくった。


「おい、お前ら。うまいことここまで誘い込んで来い。男のほうもな」


 そうやって送り出された亮吉と新発田は、道の角で歩いてくるカップルを待ち構える。こんなことばかりやっているからか、二人の動きは堂に入っていた。


「ねえ、亮吉。今日は失敗しないでよ」

「あ、ああ」

「はあ、これだから頭が筋肉のやつは。ま、足だけは引っ張らないでね」


 新発田はそういうと、おおげさにかぶりを振った。

 この八ヶ月で、大きく立場が変化したのは亮吉だけではない。この新発田も、紆余曲折あり、この金剛グループの頭脳担当として頭角を現していた。

 端的にいうと、素質があったのだろう。ことあるごと楯突いた亮吉と違い、新発田はグループ内でうまく立ち回った。それは、恋人である佐々木を助けたい一心だったのかもしれない。またたく間に幹部へとのし上がった彼は、目的である恋人を取り返し、今やいじめられっ子だったことなど見る影もなく、堂々肩で風を切る毎日を送っている。


 一方、亮吉のほうは散々だ。少年院を出た金剛は、一つ隣の葛飾高校に復学したが、気風が合わないとことあるごとに鶴工へと顔を出した。そんな彼の傍若無人は、目を覆いたいほどのものだった。

 学校の皆が、亮吉に抱いた期待はいかばかりのものだっただろうか。

 しかし、亮吉が選んだのは裏切りであった。

 鶴工期待の英雄が取った行動は、金剛の先兵として、在校生相手に暴力を振るったのであった。

 築くはながく、壊すはひととき。

 尊敬が侮蔑へ。新発田のためと魂を売ったはずなのに、知らず独り立ちしている。残されたのは、金剛の兵隊という身分だけだ。

 苦悩は腐り落ち、もはや堆肥となって新たな芽を出している。頬は痩け、やさぐれた雰囲気を発しはじめていた。


「ほら、手はずどおりに」


 カップルが近寄ってきたのを合図に、あっちこっちと指を指す。いつもの手だ。適当に道を尋ねて、車の方へ誘導する。男の方は若干嫌な顔をしたが、素朴な感じの女は、善意のままに大通りまで案内してくれようとした。


「オラ、かかれ!」


 金剛の族車に近寄った瞬間、一斉に扉を開いて飛び出してきた。あっと女が驚くのも遅く、口を抑えられたまま後部座席に引き摺り込まれる。

 残された亮吉は、唖然とする恋人の後頭部を叩くと、手を後ろで縛って、トランクに詰め込んだ。


「おい、お前ら。ケータイとかはちゃんと捨てとけよ」

「わかってますって」


 幹部たちは捕らえた女を思い思いにまさぐると、狂ったように高笑いをあげた。遅れて乗り込んだ亮吉の目に、スカートをたくしあげられた太ももが飛び込んでくる。淫靡さよりも、陰惨さだけを強く感じた。

 ブロロロと音を立てながら、金剛のドライブで目的地へと向かった。

 辿り着いた先は、古い廃工場跡だった。このあたりは元々治安が悪い密集区の真ん中で、同和地区が近いせいもあってか、警察の巡回路から外されているという。また、非ナンバーズが屯するという噂もあり、ちょっとしたワルぐらいなら間違っても近寄らない無法地帯だ。


「いや、いや! 助けて、ケンちゃん!」

「きぃぃ、そそるねぇ。顔はちょっと微妙だったが、いい声で鳴きやがるぅ」


 金剛は髪を掴んで、女を引き摺り回す。綺麗なニットが、地面の粉塵で汚れていく。

 ふいに女と目があって、亮吉はそっと目を逸らした。それだけでなんとなく、立場というのものがわかるのだろう。女は軽蔑を色濃く浮かべた。


 惨めだ。

 全国を、などと言いながら、気付けばチンピラの下っ端だ。こんな、今にも食われる女にさえ、見下される立場なのだ。

 亮吉は項垂れたまま、渡されたカメラを構える。ニタニタと女を取り囲む金剛たち。すると、ショーのために恋人を引き摺り出そうとしていた新発田が、鈍い音を立てながら転がった。


「くそ、こいつ! こ、金剛さん。こいつ、縛り解いて」

「ゆ、ゆりかっー!!」


 トランクから飛び出した恋人は、顔を真っ赤にして金剛に躍りかかった。

 速い。MMAを多少は齧った動きだ。

 しかし、それを見た金剛は薄ら笑いを浮かべた。


「オラっ、これでどうだ!」


 鳩尾に一発、顎に一発、とどめとばかりに胸ぐらを掴むと、背負い投げをみまった。したたかに背中を打ち付けた恋人は、肺の空気を残らず吐き出す。

 一瞬で白目を剥いたそれを見下ろしながら、金剛は満足そうにパンパンと埃を払った――瞬間だった。


「今の感触……まさかこいつ」


 おもむろに男の懐をまさぐると、黒光する塊をつまみあげた。その表面には通話中の文字が。金剛ははっきりと顔色を変えると、こちらに詰め寄ってきた。


「テメェ、なめてんのか! ケータイは捨てろっつったの聞いてなかったのか!」


 至近距離ですごまれ、全身の筋肉が硬直する。デカい、怖い。そんな思いだけが頭をぐるぐる回った。


「す、すんません! すんません!!」

「何回も何回もミスりやがって。次やりやがったら、テメェの母親まわすぞ!」


 息苦しさも忘れ、必死に誤り倒した。亮吉は一度、思いっきり殴られたことがある。そのときは顔面が陥没して、一週間も入院した。もう、殴られたくはなかった。


「チッ、今パクられるとうぜえな。今日はズラかんぞ」

「マジかよ。オレ、おさまりつかねえんだけど」

「あとでそいつボコってうさ晴らせ」

「へいへーい。って、新発田どうした?」


 殴られた頬を抑えた新発田が、こちらを冷笑しながら頬を歪める。

 ひどく嫌な予感がする。金剛にすごまれる以上の圧迫感だ。

 亮吉が胸を抑えていると、新発田はズボンのポケットから携帯を取り出した。


「金剛さん。俺、ちょうどいい上玉知ってますよ。ほら、これどうですか?」

「お前の知り合いってこたぁ、JKだろ? JDぐらいのほうがいいんだが……って、おいおいマジか。えれぇ、上玉じゃねえか!?」


 目をひん剥いた金剛は、幹部たちを集めると画面に齧り付いた。「おーっ!!」と、大きな歓声があがる。

 遠目に見ていた亮吉にも、一瞬目に入った。栗毛の髪が艶やかに流れる、とても整った顔立ち。スタイルも抜群だ。小顔で、手足も細い。白いコートに身を包み、すらりと伸びる脚はモデルのようだった。

 どきん、と亮吉の胸が痛む。金剛は今まで、しくじった奴の恋人や姉、妹を回してきた過去がある。

 どれだけ悪事に手を染めたとしても、それだけはと願った最後の一線。かつての親友は、そんな思いを嘲笑うように、冷たくこちらを指差した。


「古賀遥菜。こいつの、女ですよ」




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「剣と魔法」競技が発達した現代で、ファン三人の万年一回戦負け野郎は、勇者を憑依させて無双する ~戦国のカムイ~ 原田孝之 @Takayuki-Harada

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