モデル

 家の近くの公園には、子供が生まれたころからよく行くようになった。


 ある日のこと、公園の脇にあるベンチを前にして、キャンバスに絵を描く男がいた。髪の毛や髭も白く、漫画なんかに出てくるような「おじいさん」的な印象を抱く。


 ベンチを描いているのだろうか……?


 私は芸術というものに疎いので、何を絵に描くかに関してとやかく言うものでは無いのだが、随分それは奇妙に思えた。普通なら公園の噴水や、その周りで遊ぶ子供たちなど、それこそベンチに座って描くものではないのか……。


 とはいえ、私はその老人の描くベンチであろう絵が気になった。かなり失礼な行いだと承知で、遠目にキャンバスを後ろから覗き見る。


 私は目を疑った。髪の長い、可憐な女性。襟元がリボンのようにあしらわれた、白いブラウス。シンプルな黒のロングスカート。ベンチに座り、膝上に置いた文庫本に、そっと手を重ねている。


 彼女はキャンバスだけの中だけにいた。


「お父さーん」


 娘の声が聞こえ、その方向を見る。すると、老人の声が聞こえた。


「お疲れ様です。ありがとう」


 老人は頭を下げた。モデルになってくれたことを、そこに座っているだろう女性に対して。

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池袋奇譚 後藤文章 @tatekawajugemu

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