4 不束者ですが、よろしくお願いしますっ!

「いいもん。私なんて。私なんて……」


 屋上のへりに向かって指で「の」を描き始めた私を見て、星海君は情けなくおろおろするばかりでした。


「えっと。あ、あの、その。ご、ごめんね? な、泣かないで?」


 もういいもん。きみが謝ることじゃないし。私が勝手に舞い上がって勘違いしただけだし……。

 なあなあのままで隠して付き合わず、嘘を吐かない誠実さを持っているだけ、正しくて、そして残酷ですよね。


 いつになく子供の言い訳みたいな顔をしている星海君は、あわあわしながら精一杯取り繕おうとはしています。

 一応、努力は認めますが。


「あ、あのね? ちゃんと付き合うってわけには、ね。どうしてもいかないんだけどね。で、でもさっ。ほら! 形じゃなくて、君と一生の付き合いになることは変わらないわけでねっ! もちろん、俺の大切な友達だし! ね!」

「ソーデスネ。大事なお友達ですもんね。力ある者の責任と優しさによって、ですよね」

「うぐ……!」


 完璧にKOされ、思い切り凹んでしまった星海君。


「ごめんよ。俺だって。俺だって。身は一つしか……」


 ついに私と一緒になって、へりに「の」を描き始めてしまいました。

 この子を倒した今、私は最強かもしれませんが、ちっとも嬉しくありません。

 ええ。そうですよね。そこに男女の愛はないですもんね。『ただのお友達』、ですもんね……。

 星海君。確かにきみはいい子だ。先生も認めます。

 でもね。その優しさがね、余計傷付くときだってあるんですよ。ぐすん。


 場をどんよりした空気が包みつつあった、そのときでした。

 まるで天を裂くようにして、謎の声が響いたのですっ。


『おい、ユウ。何をいきなりめそめそしているんだ。お前は。気になって繋げたぞ』


 女の人の声。きみに呼びかけてる!?


「声!? どこから!?」

「え。君にも聞こえてるのか!?」


 星海君は、それはもうびっくりしています。どうも本来聞こえてはいけないものみたいです。


「ねえ。これって何なの?」

「念話だよ。心の声で会話するやつって言ったらわかるかい」

「星海君、ナイス説明っ」


 それならよくアニメとかで見るやつですね! 私、わかりますっ。

 でも、どうして私が?


「俺はできるんだけど、君にはまだ繋げてないはず――そうか、体質か!」


 なるほどです。心の会話というのがエスパー的現象だから、私の特殊体質が発動しちゃったみたいですね。

 さっそく大活躍。いきなり不思議遭遇ですっ。というか星海君はちゃっかり普通にできるんですね。


 当人を放ってこんなやりとりをしているわけですから、さすがに声の主も気付きます。


『ん。もしかして、他に誰かいるのか?』


「はい! ここにいま――もごごっ!?」


 いきなり星海君に口を塞がれてしまいました。やっぱりきみって時々大胆ですよねっ。

 そのやった人はと言いますと……魚のように口をパクパクして、それはもう冷や汗だらだらになっていました。

 間違いなく今日、一番の焦り顔をしています。私の体質を見抜いたときよりも、です。

 ものっすごく泣きそうな顔で、星海君は私に懇願してきます。


(まって。お待ち下さい。まず俺に弁解させては頂けないでしょうか)


 なんか敬語になってるしっ!


(弁解? ってことは――)


 もしかして。


(例のお嫁さんですかぁ!?)


 星海君、今にも死にそうな顔でこくこく頷いてます。

 ぷっ。ふふっ。

 ごめんね。

 ふ、吹きそう。人の不幸なのに、超面白いですっ。


 彼にはもう、私を咎める余裕もないようでした。まるでこれから処刑台に登る人みたいにふらふらしてます。


(俺……今からあの人にきちんと説明して、お許しを賜らないといけないんだ……)


 ですよねー。そうなりますよねー。

 一転攻勢。いつものようにいたずらしたい気分が戻ってきた私は、気付けば頬がにやにやと緩んでいました。

 ふっふっふ。わっはっは!

 やっぱり天罰って下るものなんですね。あ、神様斬っちゃったからですかね? だったら仕方ないですねっ!

 そうねえ。さっきねー。きみは悪くないって言ったけど。あれ、やっぱなしです。


 ねーえ星海君? 女の子の純情を弄んで泣かせた罪は、とっても、とーっても重いんですよ?


『さっきから何をこそこそしている?』


 怒気が混じり始めた天の声――とても気の強そうな感じの人です。もう声だけでわかります。

 あーあ、星海君。これは、絶対尻に敷かれてますね。

 鬼嫁ってやつですよね~! お姉さん、わくわくしてきましたよっ。


 そんな、星海家の力関係が垣間見えてきたところですが。


「ぶふっ!」


 ああ、もう、だめ! こんなの耐え切れませんっ!

 普段の生活とか想像したら、ますます可笑しくなってきちゃいましたっ!

 地上最強の男も、鬼嫁には勝てないっ!

 って、あらら。ほしみくーん。そんな縋るような顔で見たって、だーめですよー?

 ほらね。気を付けて、逝ってらっしゃい♡


 それからの有り様といったら、それはもうひどいものでした。

 しどろもどろで、涙目になって今までの経緯を弁解する星海君。黙ってお聞きあそばされる奥様。

 ぴりぴりがどんどん増して、ひしひしと伝わってきます。

 ほんの少しでも彼が言葉に詰まると、「それで?」と冷たい声で続きを促していきます。

 いやあ恐ろしいですね! まったく他人事ですけどねーっ!


 そうしてすべてを聞いた奥様は、呆れたように深く溜息を吐きました。


『ユウ……。わたしが何を言いたいか。わかるな?』


 肩を小さくして震えるきみに向かって、すーっと溜める息遣いが聞こえてきました。

 そして――。


『バカか! おまえはっ!』


 ひいいっ!

 隣で聞いているだけでも、ものっすごい迫力ですっ。ざまあ。


『まったくいつもいつも。お前ときたら! どれだけ人をたらし込めば気が済むのだ! この大馬鹿者めっ!』

「す、すみませんでしたぁっ!」


 うむうむ。そうですぞ星海君。きみはもっと自分の魅力を自覚しなくっちゃダメですよ?


『まだだ。反省が足りん! お前は、昔からそうだ。そうやってどこにいっても、老若男女誰でも構わず優しくして。それはお前のいいところでもあるのだが……いちいち度が過ぎる! ふらふらと人の好意に甘え、どこまでも人を甘やかし……。いつもいつも誰かに好かれて……それで、フラれる立場の子はどうなる!? それにお前のためを想い、遠くで健気に働くわたしの気持ちはどうしてくれるのだ!」

「はい。はい……。本当に、ええ。おっしゃる通りです……」


 あまりの始末の悪さからか、星海君はとうとうつらつらと涙を流し、地に手をつけ盛大に頭を下げました。


「誠に、誠に申し訳ございませんでしたぁーーーー!」


 あはははは! ほしゅ! ほしっ! あははっ! あの! まって! あの、ほしみくんがっ! 土下座しちゃってるよーーー!

 あはははははははっ!


 もう、さいっこう! 傍から見たらお嫁さんなんかどこにもいないし、一人芝居みたいになってるのが、余計に面白いですっ! 傑作ですね!

 そうだ。写真撮っちゃいましょうか。永久保存版ですっ!

 ちゃっかりスマホでぱしゃりとしました、私。にまにまが止まりません。

 えへへ。後で星海君にしっかり送りつけてあげましょう。お犬さんの耳でもデコっちゃいましょうか。いいですねっ。


 正義の裁きが終わったところで、がっくり項垂れる星海君を尻目に、今度は私に話が向けられました。


『して。アキハさん、だったな? 今、お前だけに話しかけている。聞こえているか?』


 一転して、余裕のあるお姉さんのような、優しい声色です。


「はい。聞こえてます。新藤 アキハです。はじめまして!」

『はじめまして。わたしはリルナ。あそこでくたばってる奴の……まあ、正妻だな』


 正のところをちょっとだけ強調したのを、私は聞き逃しませんでした。

 リルナさんは、呆れたような声で続けます。


『お前もよく知っての通りだ。こいつはな。誰にでも優しくしてしまうのが最大の美徳で、最大の欠点でもある』

「ほんとにそうですね。まったくです」


 いつもいつも、当たり前のように優しくして。私の心を揺さぶってくれちゃって。もう。


『事情については概ね理解した。安心しろ。わたしはお前の好きを妨げるようなことはしない』

「え……いいんですか?」

『フフ。こんなことで一々嫉妬していては、あいつの嫁は務まらないからな』


 か、かっこいいっ。星海君なんかより、よっぽどかっこいいかもです!

 でも、すごいなあ。ほんとに一切、嫉妬なんてしないんですね。

 きっと、よほど固い絆で結ばれているのでしょう。

 ……いいなあ。やっぱり、羨ましいです。


『あんな奴だが、強さと優しさは本物だ。精々頼りにしてやってくれ』

「は、はいっ!」


 すごく優しくて、すごくしっかり者のお姉さんで。

 私、もう感激して泣きそうですっ!


『それにな』


 やや間があって、リルナさんは照れ臭そうに言いました。


『元々、わたしもあいつのそういうところが好きになったんだ』


 きゃあああああああああーーーーーっ!

 惚気、頂きましたっ!

 うんうん。そうですよね。わかりますよ。だって。


 私だって――きっと、そうだもん。

 まだこの気持ちは、つぼみだけれど。きっと。そうだもん。


『ユウもな、あれでか弱いところもあるし、結構寂しがり屋だったりするからな。これからも仲良くしてやってほしい』

「がってん承知ですっ。任せて下さい」


 そこのとこはね。よーくわかってますよ。ずっと隣で見て来ましたからねっ。


『あとは……そうだな。いつか高校を出たら、いつでもうちに来い。みんなで歓迎してやろう』

「わああっ! ほんとですか! ありがとうございますっ!」


 高校出たら、かぁ。えへへ。また一つ将来が楽しみになっちゃいました。


『うむ。それではな。あいつにもよろしく言っておいてくれ。また会おう』

「はい。ありがとうございました。さようなら~」


 また空が静かになりました。私の気分もすっかり晴れ晴れとしています。


 ――リルナさん。とってもいい人だったなぁ。


 私もあんな風に――素敵なお姉さんに、なれるかな。



 ***



 まだがっくりしているきみのところに行って、私は肩をトントンしました。


「……終わった?」

「うん。終わったよ。きみによろしくって。あと、私のことちゃんと守ってあげてって」

「そっか。他にはなんて?」

「それはね――内緒」


 私も指をしーっと口元に当てました。いつかのお返しです。


「あのね。ユウ君」

「え。いま、名前で」


 きみが生きる勇気をくれたから。リルナさんが背中を押してくれたから。

 だから私も、一歩だけ。前に進んでみることにします。


「私ね、きっとね。これから、いっぱいいっぱい迷惑かけちゃうと思うけど」


 大きく息を吸って。温かな気持ちを整えて。


「これからはアキハって呼んで下さい! 不束者ですが、よろしくお願いしますっ!」


 そしてここから、本当の意味での新生活が始まったのでした。

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