第9話 英雄の力

 翌朝、目が覚めたらもう階下ではラルクが動いている気配がする。


 そうだった、彼はいつも早朝から鍛錬するのだ。それから朝食をとる。


 窓の外を眺めると変わらず緑の葉を携えた木々とその向こうに清々しい青い空が見えた。

 思わず窓に寄り、鍵を開けて開放し、新緑がもたらす澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込む。


 前世では目覚めにこんな景色を見られる身分じゃなかったから、心が穏やかに満ち足りた気持ちになった。


 さて、身支度しよう。


 世界樹様がくださった力はどうやらとんでもチートらしい。

 こんな感じ、と思っただけで自然に魔法が発動する。気が付けば手足や羽根を動かすのと同じくらい自然に魔力を使い魔法を使い何かを為している。


 魔力が全身を包み汚れが落ちてすっきりし、更に表情筋あんどボディトレに水分油分補給でお肌はツルツルぷるぷるである。


 今日は色々と作業する予定なので、彼女が持っていた野外用の服に着替えた。

 山や森などに潜入する時用だと思う。防刃、防虫、防水のモンスター素材である繊維が使われた、かなりしっかりした防護服だ。

 これなら寒くもないだろう。



「おはようラルク」


「おはよう………リチ、どうしたそれ?」



 階下に降りると、こちらを見やる彼の姿は鍛錬の後で殊更引き締まり、窓から入り込む朝日を浴びて凛々しく眩しい。



「今日は作業しないとだから。お掃除か庭仕事をするつもりだったの」


「畑仕事をするなら俺もやろうか?」



 ラルクがじっと私を見ている。

 そんなに見られたら焦げてしまう。



「だ、大丈夫、試してみたいこともあるし、やれる気がするの」


「…それなら」



 鳥人に肉体労働が合わないのは百も承知、でも肉体ではなく魔法を使う気だったりする。

 それに彼は何でも出来てしまうので、多少は断らないとみんな彼がやってしまう。彼の傍に居るのにそんな存在になりたくなかった。



 朝食を終え、食費問題解決のために庭に畑を作りに来た。

 共用部はラルクが魔導具で清潔に保っているらしいので、お掃除は今度から任せてもらうことにした。


 髪と瞳の色を変えた時にラルクには魔法を使えるようになったことは少し話したんだけど、改めて夢で守護者に会ったことを伝えた。


 さすがに暫く受け止められなかったようだけど。

 手を離されはしなかった。



 手を翳せば土がどんどん耕され、うねが出来ていく。


 いつの間にやら用意してあった種が袋を破り、勝手にぴょんぴょんと土の上を撥ねて整列し、畝の中に埋まっていき。


 宙からシャワーのようにきめ細かな水が降り注ぐ。

 と思う間に、水を浴びた芽は陽射しを受けてキラキラと光り、ぐんぐんと伸びていく。


 これでも魔力暴走して何かを壊したり、私が魔力枯渇で倒れたりはしないのだ。


 と、背後で扉が開いた。


 さすがにこんなものが窓から見えたら出てくるよね。


 振り返ればラルクが呆れを隠しもせずに私を見て、歩み寄ってくる。



「…えと、これで食費問題解決しそう?」


「あぁ……まさか、種を買った翌日に全く手を付けていなかった庭に畑が出来上がって季節に関係なく多彩な野菜がぐんぐん成長しているとは思わなかったが」



 あ、なんか、すんってなってる。

 新鮮すぎる、こんな表情。て言ってる場合じゃない。


 彼はあまり本心を口にしないから、今、私のことをどう思っているのか分からない。

 これからは静かに暮らそうと思っていただろう彼に、私の存在は重たい鎖になっているに違いない。


 聞いてみたいけれど、さっきまでは芽だったものがどんどん育って実をつけているのを背後にしては、とてもとても口にしづらい。


 その実は瞬く間に膨らみ、色づいて、程よい重さをずっしりと茎にかけて揺れ、そこで成長を止めた。



 ラルクは暫くそれを眺めてから。

 ちょっと待っていろ、と言って、家の中に戻り、図書館から借りた本を持ってきて、庭にある作業台の上に乗せた。汚れや破損防止の魔法がかかっているので屋外で読むことが出来る。



「資料も残っていないような昔の話だから眉唾物ではあるけどな。

 かつての英雄シアノスは、お告げの夢を見て目覚めたその時から、既に特級魔法を使えるようになっていたそうだ」


「…そうなんだ」


「正直なところ、練習っつっても何をやらかすかと思っていたんだが…想像よりずっと平和な使い方で、それでいて理外な力を示すもんだから、お前にそれをどう理解してもらうかに難儀している」


「そ、そうなの?」



 ラルクは本を開き、パラパラとめくって、とあるページを見せた。

 初心者向けのようで、分かりやすい図解がついている。



「まずは基本から。魔法には属性がある」



 光、火、風、土、水、雷、氷、闇。これを基本とし、他にもその下位や派生とされるものや、特殊などというものもあるそう。



「各属性に応じた適正がなければその魔法は使えない。が、適性が多ければ天才ってわけでもない。五級しか使えないようなら生活には便利かもしれねぇがそれだけだ」


「五級?」


「魔法には階級があって、一番下が五級、上は伝説。そこはさして重要じゃねぇ、俺がお前を理外と言うにはちゃんと訳がある」


「あ、はい」


「魔法を覚えるには、その魔法に応じた魔法書を読み、習得しなければならない。門外漢だから詳しくは説明できないが、その魔法書には最後の頁に精霊と契約できる魔法陣があって、それに触れて精霊が現れて契約してくれれば晴れて使えるようになるらしいんだが。

 その魔法陣には、要は、魔法書に記された魔法を具現化するために必要なことが精霊に分かるように記されているそうなんだ」


「ふむふむ」


「つまり、魔法を使う奴は、その魔法陣のお陰で魔法が使える」


「…おや?」


「そう。つまり、全ての魔法は、精霊と契約することにより使えるようになるもので、なおかつ、その契約に基づき、詠唱、成形、効果の全ては固定で決まっているはずなんだ」


「………」


「それをどれだけ素早く、精密に、効果的に出現できるか、は魔法師の腕次第だが。

 そもそも、その法則をまるで無視した魔法というのは存在しない、はずなんだよ、理論上はな」



 あれれ。



「魔法書があるってことは当然、魔法書を書ける奴が居て、そいつは魔法を創造することが出来るということだが。言わずとも分かると思うがそういうのは世界でも有数の超エリートだ」


「…」


「そいつらでも新たな魔法を作るのには膨大な労力がかかる、一つの魔法を生み出すのに何十年と費やされてもおかしくはない。精霊という大いなるものの力を人の身が借りるとはそういうことなんだ」



 物語では、そもそも勇者一行はエリート集団だったから普通がどういうものなのか分からないし。ストーリーを進行させる上で必要な描写しかないから、現実として直面してみると知らないことの方が多いな。



「私はどうしたらいいのかな?」



 ラルクは、本を閉じて机に置き、考え込んだ。

 私も思考が停止、というか放棄、というか、手に負える事態ではなくて。


 そうしている間に私が育てた畑の中の蔓が伸びてきて、私の上に日傘になるように葉を広げ。

 他の蔓が伸びてきて私のポケットに次から次へと手ごろな大きさの果実を放り込んでいく。


 ラルクは顔を挙げてその様を見て、また、すんってなると。



「とりあえず、それ、この家の領域外ではやらないようにな?」



 と、端的に言った。



 世の中の魔法師というのがどういうものなのかを知るためにも、冒険者ランクを上げて町の外に出られるようにすべき、という話になり。

 あ、Gランクっていうのは登録だけで取れるランクで、町の中の依頼のみ受けられる。元々は子供が稼げるように設けられたランクらしい。

 町の外の依頼を受けるには、講習と試験を受けてFランクにならねばならないそうだ。


 もう少しここでの生活に慣れて、人前で見せられる力を相談してよく考えてから、また街へ行くことにした。



 で、張ってあった結界を弄った。


 魔法の練習をする前に、侵入と覗き防止の不可視結界を張っておいたんだけど、なんにも見えないのはおかしいらしい。

 言われてみれば確かに。

 なので、人影は見えるけど何をしているか分からないようにし、畑をメルスンではどこでも見られるお豆とお芋の畑に見えるようにした。


 結界をそういう風にしたと言ったら、ラルクがまたすんってなってた。

 あぁ、うん、やっぱりおかしいんだよね、もうさすがに私だって分かっている。


 だけど、多分、私の魔法はきっと制御不可能だ。

 暴走するという意味ではない。

 使えることがあまりにも自然で、生きているだけで無意識に魔法を使いかねないレベルなのだ。恐らく指摘されて初めて気が付くだろう。

 そんな自分を他の人の感覚に合わせて常に気を張り詰めてコントロールできる自信はなかった。



 一度柵から外へ出て、自分の家がどういう風に見えるか見ようということになり、二人で外に出ると。

 ラルクが新聞受けに号外が入っているのを見て取り出した。


 その表紙にでかでかと勇者ムボゼの顔が転写されているのを見て。

 私は目を見開いた。




■□ ※三人称(Muboze Side)




 冒険者の街ゼオルド。

 ここは英雄の子孫イオランジ侯爵領でもあり。モンスター領域に最も近い最前線の要塞都市でもある。

 同時に、世界中から名声を求める腕自慢の冒険者達が集う場所でもあった。


 当然そこにある冒険者ギルドは、世界中に散らばる支部の頂点に位置し、そのギルドマスターともなれば、サブマスターを四人も持つ、最も権力を持ったハイエストマスターとなる。


 権威をその身に宿した彼女は執務机に座らず敢えて立ったまま彼らを出迎えた。



「やぁ、忙しいところ悪かったね」


「別に忙しくもないですよ、知ってるでしょうに」



 迎えられた二人組。

 一人は人間の男。

 目の覚めるような艶のある紅の髪。

 透き通るような氷碧の瞳。

 精悍かつすっきりした顔立ち。

 誰もが目にして驚く濃青のアダマンタイトの全身甲冑。

 背中に背負う漆黒の大剣。

 人間にしては高い身長に厚みのある身体、溢れ出るカリスマ。

 多くの人々の目を惹きつける美丈夫だ。


 一人はエルフの女性。

 蜂蜜色の見事な金髪を緩くまとめ、知識を湛えた翠の瞳を逸らさず真っ直ぐ向けてくる。

 きつくも見える顔立ちは彼と並んでも見劣りしない美しさで。

 魔法師の身を守る魔力を孕んだローブを身にまとい、指には魔法を発動する金のシンプルなリングを嵌めている。 


 リチが愛してやまぬ物語”トラキスタに沈む悪夢”。その主人公たる男、勇者ムボゼと、その相棒シェリ。A級パーティ『紅蓮の鼓動』である。



「御挨拶だね。お家事情で帰省していたところを強引に呼び戻したことは謝るよ、そう怒るな。君達にも悪い話じゃないはずだ」


「前置きはいいですよ、用件をどうぞ」


「すっかりご機嫌斜めと見る。ムボゼ君、君はもう少し感情を仕舞った方がいい。さて、まどろっこしいのはそろそろやめにしよう。

 単刀直入に言うよ。メルスン共和国に誕生した聖女ニコルスの調査を頼みたい」



 二人は顔を見合わせた。



「何でですか?」


「彼女が世界中から注目されていることくらい知っているだろう?」


「そりゃ勿論」


「恐らく教会は彼女の護衛を募集するだろう。そこに君達が名乗り出たら、彼らは断ることは出来ないはずだ」


「……まどろっこしいのはやめにするんじゃなかったんですか」


「ハイエス、失礼を承知で申し上げますけど」



 シェリが口を挟んだ。



「あぁ、何だい?」


「ムボゼの立場をご存じの上で仰るのは何故ですか? 彼がイオランジ侯爵家の直系なのは今更言うまでもないことです。

 守護者の加護を賜りし英雄の血を引く彼が、女神の加護を主張する兎人の少女の護衛をする…それが貴族社会で政治的にどういう意味を持つか、分からないはずないですよね?

 ムボゼに対して失礼じゃありません?」



 ハイエスは口角を上げた。



「…だからこそだよ。彼女のインチキを暴いて欲しい。

 世間にどう騒がれようと力の差は歴然なんだ、ムボゼ君が護衛につけば、誰もが牽制と監視だと思うだろうよ」


「インチキって…」


「胡散臭いとは思わないのかい? 冒険者ギルドとしては治安をぐちゃぐちゃにしてくれそうな彼女の正体は早々に明らかにしておきたいんだ。

 本物なのか偽物なのか、要は早く知りたいんだよ」


「彼と彼の家に迷惑ですよ」


「ムボゼ君は先日、直系から外れたそうじゃないか」



 ハイエスは号外の新聞を執務机から取り上げ、わざと表紙を彼らに見せびらかすように振った。

 表紙には彼の兄が襲爵した記事が全面に記されている。


 帝国用の記事は兄が載っているが、実は他国に配られたものに載っている表紙はムボゼであることはこの際口にすることでもないだろう。


 兄が当主となった場合、お家争いを避けるため、貴族の次男以降はみな、ミドルネームを家に返上する風習がある。つまり直系しかミドルネームは名乗れないということだ。


 これまでムボゼ=ノル=イオランジだった彼は、今はムボゼ=イオランジとなっている。

 それもいつかは当主の気分次第で、イオランジさえ名乗れなくなるかもしれない。



「家にとっては、君が直系と扱われなくなったことを知らしめ、なおかつ聖女をすぐ傍で抑えておけるなら、悪い話じゃない。君が正体を暴くならば尚よい。

 そもそも、君達にも悪い話じゃないと言ったろ。君達はモンスターを制圧する力は何よりも優れている、だけど調査能力はいまいち低いっていう評価をされていることは分かっているよね?」



 二人は鼻白む。

 事実である。

 むしろいまいち低い、でもかなり優しい評価だ。



「ここで何か調査において大きな功績をあげないと、S級への壁は超えられないってことさ。

 なぁムボゼ=イオランジ。君の夢はS級になることじゃなかったかな?」



 言われ、ムボゼは深い溜め息を吐いた。



「即答は出来ません。家の意向も聞かないといけないですし、ちょっと考えさせてもらえませんか?」


「……出来得る限り早く頼むよ」



 ハイエスが急に神妙な顔をする。



「何故です?」


「近いうちに、あたし自ら、君達が受ける前に取り下げてしまうかもしれないからさ」


「「は??」」



 ハイエスは苦笑いをするしか出来ない。



「急に物言いが変わったら許しておくれ。だが受けさえすれば、そう簡単にナシには出来ないだろう。話は以上だ」



 怪訝そうな、疑心に満ちた視線を受けながらも、ハイエスはそれ以上話すつもりはなさそうだ。

 彼らも食いつくことはなく、そこで話を切り上げた。


 冒険者ギルドは国家に依存しない独立機関で、世界中に支部を持ち、その強大な力は侮れるものではない。

 ムボゼでさえわざわざ正面から噛みつきたいと思う相手ではなかった。




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