第6話 奇跡は明後日

「でも、十五日は明後日じゃないですか。せめてそれまで待ってくれませんか」


「…しかし」


「お願い、お願いです」



 私は祈るように両手を組んだ。



「お願いします。その時に一緒に逃げてください」



 一人で先に逃げるわけにはいかない。

 離れ離れになるのが嫌なのは勿論なのだけど、何よりも、彼の身が危険だから。


 隊長が隊員を逃がすなど、発覚したらどんな処罰を受けるか分からない。

 一思いに殺されるか、もしくは、それよりも残酷な仕打ちを受けるかもしれない。


 それが分からない人ではないのに。

 分かっていて、私を逃がそうとしている。

 私の言葉は信じていなくて、自分は逃げられるなど露とも思っていないくせに。

 甘んじてその罰を受ける気なのだ、この人は。


 皮肉にも、こんな会話ができることが、その証明となっていた。



 沈黙が下りた。

 隊長はじっと考えている。


 考えが纏まらないのか、彼は無言で再び調理ナイフを手に取り、皮むきの続きをする。

 隊長だけにさせるわけにもいかないので、心中はハラハラしながら、私もピーラーもどきを手に取った。



「条件がある」


「はい」



 彼は綺麗に剥かれた野菜を次々と水を張った木製のボウルに放り込む。

 トラキスタには硝子はあるけれどあまり一般的ではなく、食器は器だけでなくカトラリーからコップに至るまで木製であることが普通だ。



「一つ、このことは他の誰にも言わないこと。ハイエにもだ」


「はい」


「一つ、十五日の早朝になっても何も起きなければ、一人でも逃げること」



 返答に迷う。時間の前に早々に追い出されてはたまらない。

 小説通りなら、五時十二分だったはずだ。



「…五時半まで、待ってもらえますか?」



 隊長は頷いた。



「いいだろう。

 最後に、それまでは寮から出ず静かに過ごすこと。いつもと違うことを決してするな」


「でも…みんなの逃げる準備は? 貯金をおろしたり魔導具を買ったりしようと思ってました。荷造りはすでに進めちゃってますし」



 身分証は、貯金を降ろしたりデビットカードのようにその場で決済することもできる、金銭的に重要なキーでもある。

 しかし逃亡後は使えなくなるので、先に全額降ろしておかないと触れなくなってしまう。



「連中は国外の任務を振って外に出す。今晩から船にねじ込めば間に合うだろう。

 任務中の奴には戻ってこないように伝えておく。私財に関しては匂わせておくからそこは任せろ。

 お前に関しては、死亡報告はしているが手続きがまだだったから、貯金を降ろしてもすぐには騒がれないだろうが、俺がやっておく。荷造りは部屋から出なければ構わない。

 だが魔導具はやめておけ、今のお前に、怪しまれずにそれをこなすことはできねぇと思う」


「それなら、隊長のお使いならどうでしょうか? 怪しまれないように指示していただければ」



 それもあっての相談だった。

 私が一人で考えるより、ずっと的確な指示をしてくれると思ったから。


 隊長はまた黙り込む。

 そうしていつの間にか止まっていた手を再び動かす。


 沈黙が下りる間、私も再び下ごしらえにとりかかる。

 お湯が沸いたようなので、お鍋に長葱アスパラもどきを投入する。しっかり下茹でしないと、硬いのにカスカスで木の皮をかじっているようになり美味しくないらしい。


 キッチンのコンロは魔導具である。魔導具は、魔力を導く法則が描かれた魔法陣が刻まれており、魔石を燃料として動く。魔石は殆どが採掘で得られる、魔力結晶のこと。

 火をつけるくらいはお茶を淹れるなりで日常的にしていたのだろう、難なく出来た。


 ちなみに作っているのはカレーもどき。

 スパイスも沢山入れるんだけど、味の決め手はそれ単体だと食べられたものじゃない小粒の味の濃い木の実だそう。

 鍋を埋めるほど大量に投入してしっかり煮込むと深みが出て美味しい料理ができるんだって。カレーのようにインパクトの強い味だから、何かと誤魔化し料理に使われることが多いのだとか。



「…分かった、最後の条件は取り消そう」


「本当に?」


「あぁ。だが、なるべく俺の指示に従ってほしい。それを代わりとする」


「…自分のことをないがしろにしないと約束してくれるなら。じゃないと言うことを聞きたくないです」



 彼は苦虫を噛み潰したような顔になった。

 物語ではとかく眉一つ動かさない無表情だった印象、こうして寮の中で部下の前ならこんな顔もするのだと知る。



「…俺は逃げることを考えられねぇようになってる」


「ごめんなさい」



 そうか、無神経だった。

 そんな約束は、今の彼は出来ないんだ。


 自己嫌悪で重たい気持ちに沈み込む。きっと彼が一番傷付くことなのに。私は馬鹿だ。



「申し訳ねぇと思うなら、お前のために動くのを許せ。俺にはそれしか出来ない」


「……はい、ごめんなさい」


「そんな殊勝しゅしょうな反応をされるとやりにくい。飯のことでも考えてろ」


「…隊長は、これ好きですか?」


「俺の話かよ」



 少し雰囲気が和らいだ。

 でも、推しの好物を知りたいのは仕方がないことだと思う。

 なんたって物語においてのラルクは、とにかく情報を与えない、隙を作らないために、好物さえ分からなかったのだ。


 せっかくだからと色々と聞いたら、あと数日でお別れだと思っているのか、今まで教えてくれなかったことをぽつぽつと話してくれた。

 私はこれからもずっと一緒に居るつもりだったから、切なくて苦しくて泣きそうだったけど、彼の方がきっともっと辛いと思って我慢した。



 それから、帰ってきたハイエが手伝っている隊長の姿を見て悲鳴を上げたり。参加してくれて予定よりはかどって、無事に食事の時間に間に合ったり。


 異世界初めてのお料理はなんとか美味しくできて、ほっとして。



 その日の夜は静かに更けた。





■□ ※三人称(Heye Side)





(まさか、隊長に近づくために私を追い出したの?)



 ハイエは、ベッドの中にいても、眠れずにいた。

 心に強く残り、瞼の裏からも離れないのは、仲睦まじく共に調理していた二人の姿だった。


 これまででは考えられない距離感。

 以前のリッチェは空気も読まず相手の気持ちも考えず、とにかくしつこくアプローチをかけていて、所かまわず抱き着いては引き剝がされ。

 挙句に隊長の入浴中に突撃し、堂々と覗きをして下着を持ち去ろうとし成敗された、恥じらいの欠片もない女である。


 当然ながら隊長は塩対応で、部下としては大切にしていても、女としてはまるで相手にしていなかったのに。



(やっぱり、あいつはどんなに様子が変わってもリッチェなんだ)



 苦々しい思いを噛みしめて、身を起こす。

 胸の内に溜まっていく黒々としたものをどうにかしたかった。



(あの猛禽類が)



 汚い罵り言葉が心に浮かび、そんな自分が嫌で首を振る。

 今日、何故か接近してきた虎人の女のせいだろうか。

 人のせいにするのはどうかと思うが、どうも彼女に得体のしれない嫌なものを感じてからというもの、何かと思考が暗く淀んでいく気がする。


 隊長が絡めば簡単に嫉妬に駆られて理性を飛ばす、リッチェのような真似は嫌だった。

 相手の迷惑も顧みずにアプローチを繰り返す身勝手さが嫌いだった。


 ハイエはいつも彼女を軽蔑し、まっとうに動くことに優越感を感じていた。それを自覚していたかはともかくとして。

 自分はあんなふるまいはすまいと澄まして、ラルクに好意を伝える勇気を奮わず、素振りさえ見せなかったのに。

 ラルクとリッチェの距離が縮んだ途端に暗い嫉妬の炎を燃やし、彼女に憎悪を向けている。


 淀む思考を押し流そうと、彼女は水を飲むために部屋を出た。

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