第19話 穢れなき乙女

※三人称




 地球によくある物語では。

 天より愛された乙女は清く純粋で穢れを知らずして、神の命じるままに世のため人のためにその身を捧げ、最後には天に召される。


 しかしながら、人々が当たり前にそんな幻想を抱き、少女に押し付けるには、あまりにも、トラキスタには信仰や宗教というものが浸透していなかった。


 この世界では守護者の二柱、スキルの恩恵を授ける古代龍、魔法の恩恵を授ける世界樹は認識され、敬われているものの。

 それを宗教という形にし、熱心に信仰しているのは、ほんの一部で。


 ましてやこの世界を創造した大いなる存在、神と呼ぶものがあられるなど。

 彼らの大半の概念の中にはなかったのである。


 ゆえに、聖女の誕生と共に教会が名乗りを上げたことに、ラルクが胡散臭さを感じるのは当然のことで。

 リチが、彼女とはなるべく敵対しないでほしい、と伝えたことを、彼がすぐには飲み込めなかったのも仕方のないことだった。


 しかしながら。



「魔族病にご興味がおありなのですか?」



 ここは図書館。

 リチのためにやってきた場所。

 なのに、自分は何故、時の人に捕まっているのだろうか。


 ラルクは表情一つ変えず、手にしていた本を棚へ戻した。


 リチは彼の陰に隠れ、黙って俯いている。

 まるで邪魔をしないようにしているかのようだ。


 時の人――聖女ニコルス=ドルトムントは、笑顔で彼の返事を待っている。


 虹を孕む美しい白銀色の髪。

 真っ白でふさふさした柔らかそうな長い兎耳。

 雪のように白い透き通った肌、琥珀色の零れそうな大きな瞳。

 上から下まで純白なハイネックワンピースに白いレースの手袋、白いブーツ。



(なるほど、広告塔にはちょうどいい)



 これほどの美少女を前にしても、ラルクが考えるのはそんなことだ。



「それが何か?」



 背後でリチがぎょっとしているのが分かる。聖女の後ろに控えた護衛らしき者が表情を変えたのも見えている。

 けれどラルクは平然としている。


 彼が信じるのはリチと、これまで磨き上げてきた己の技量のみ。


 確かに、奇跡を起こした存在が創世の女神であり、その神託と唯一無二の神の力を授かったのがこの少女であると、教会が声明を出してから。

 世界の関心と話題は奇跡と聖女のことでもちきりだ。

 教会が声明を出したのは、あの鳥人ネットワーク社、事実しか報道しないと信頼性の高い新聞社の発行した新聞だったから。


 だがそれがどうしたというのだろう?


 ラルクに言わせれば、リチの方がよほどその存在にふさわしい。

 彼女の身を守るために表沙汰にしていないだけだ。

 彼女はあの光を浴びてから目覚めるまで、ずっと淡く発光していたのだ。

 だからこそ、ハインブルでラルクはあまり疑われず、酷い扱いを受けずに済んだ。そしてかの国は法によって厳しく鳥人が保護されているからこそ、彼女の情報が漏れずに済んでいる。

 実は定期的に彼女の無事を手紙で報告する義務があるくらいである。


 白銀の少女は微笑む。



「私も、ちょうど勉強しているところなのです。よければお話しませんか?」


「…見て分からないのか?」



 ラルクは、背後にいるリチを見て、軽く抱き寄せて見せた。

 リチは仰天して硬直している。

 以前の諜報時代のリッチェとは別人であることは理解しているが、少し我慢してもらいたい。

 今、これほど人目を引く少女と一緒に談話などしたら、目立って仕方がない。認識低下が効かなくなる恐れがある。


 さすがに聖女が怯んだ。

 常識がないと言われているようなものだ。実際、そうである。

 年頃の若い男女が二人でいるところに、何かを尋ねるならともかく、お話しようとは無粋にもほどがあった。



「あ、あの、これにはちゃんとした訳がありまして。弁解の機会をくださいませんか?」


「ちゃんとした訳だと?」


「決して怪しい者ではないのです」



 ラルクは独自に調べたがゆえに彼女が聖女だということは知っているが、まだ世間に顔出しされていない以上、彼が相手でなければ普通に怪しい。

 武装した男が二人、背後にいることから、多少なりとも立場のある者だということは分かっても。

 ここメルスンには身分制度はない、なんら正当な理由なく武力で威圧しているようにさえ見える。

 完全に悪手である。


 どうやら聖女は賢くはなさそうだ。



「図書館を出ないなら、構いません。この中では武力を使うとすぐ警報が鳴りますから」



 このままではらちが明かないと思ったのか、ラルクの腕の中からリチが小さく申し出た。

 彼女が言うなら仕方がない。女神との約束に絡んだ、何かの意図があるのだろう。それを邪魔するわけにもいかない。


 ラルクは彼女から手を離した。



■□ ※リチ視点



 図書館の中には防音魔法が行き届いた勉強部屋なんてものがある。

 学生が友達同士で勉強するのに開放されているのだ。借り切ることもできる。


 その部屋に移り、私は備え付けの魔導ポットを使ってお茶を淹れている。

 ニコルスは、なんと護衛達まで外に出した。彼らは渋ったけれど、確かにこの部屋に窓を破って襲撃するのは難しい。公園の隣にあるので視界が開けていて、ここのバルコニーが丸見えだからだ。


 湯気のたつお茶のカップを配ると、ニコルスにはお礼を言われた。

 正直、こんなに早く会うと思わなかったけど、女神の戦士同士が引き合ったとしても不思議はなかったし、なんとなくそんな予感もしていた。


 私より、ラルクのほうが心配だ。

 なんたって警戒心の強さは折り紙付きなのだから。


 ニコルスは慎重な面持ちで口を開いた。



「魔族病は解決の兆しが見えず深刻な問題であるのにも関わらず、患者数が少なくてマイナーなために、世間の関心が低くて。

 女神の奇跡のおかげで少しは知れ渡ったんですけど、それよりも奴隷魔術の解放の方がインパクトが強くて、おざなりにされがちなんです」



 そもそも、この世界で認識されている魔族の姿は、真っ黒な粘液状の見た目をしていて、知能はなく意思の疎通は不可能、本能のまま動く。

 物理攻撃は全く通用せず、火魔法は通じるけど威力が減衰する。

 始めはスライムの亜種と思われていたけど、アンデッドの出没する付近に出ることから、そちらの系統であると分類された。

 襲われれば精神を病み、重症だと意識を失い悪夢を見続け目覚めなくなり、衰弱して死に至る。最悪はその後、その犠牲者はアンデッドとなってしまう。


 魔族病とは、魔族の攻撃により患った、その精神疾患のことをいう。


 神出鬼没な魔族の出現率がかなり低いことから他人事のように思われがちだけれど、対処法がなく、被害者達の人生を大きく狂わせ、悲劇を生んでいた。


 ラルクがその書籍に手を伸ばしたのは、私達に関わりの深い女神の奇跡について、少しでも知識を得るためだった。



「だから、声をかけたと?」


「女神の奇跡は、奴隷魔術の解放、魔族病の根治、アンデッドの完全浄化を可能にしました。

 そして私は、そのお力の一端を、女神様より授かっています。

 聖女ニコルス=ドルトムントと申します」



 表情を変えたのは、ニコルスの方だった。何故なら、ラルクのそれはぴくりとも動かなかったから。

 何かしらの反応があると思っていたのだろう、ごく普通の温かい家庭で育てられた彼女は、彼が理解できないでいる。

 助けを求めるようにその視線が私に向く。



「どうぞ、続けてください。私は冒険者パーティ”明けの明星”のリチと申します。彼はリーダーのラルクです」



 私が微笑んで頷くと、彼女は少し安堵したようで力を抜いた。



「単刀直入の方がお好みのようなので、全部話しますね。

 今のは本当でもあるけど建前でもあります。

 私には、貴方達が必要に思えるのです。女神様にえにしを繋がれているように感じています。ですので、私の騎士になっていただけませんか?」


「…は?」


「頭がおかしいと思われると思ったから、私なりにさっきの建前を考えたんです。

 でも、貴方は超感覚で嘘くささを嗅ぎ取るような気がしました。だから、本当のことを言うことにしました。

 お二人を見た瞬間にびびっときたんです、間違いありません」



 沈黙が訪れた。

 だけど、私は内心、ニコルスに感心していた。まったくもってその通りだ、例えもっともらしい理由を作れたとしても、それが建前ならラルクは間違いなく勘付き、そして跳ね除けるだろう。



「…それで俺達が頷くと?」



 その証拠に、ラルクの雰囲気が僅かに和らいだ。呆れを含んだものではあるけれど、ニコルスの選択肢が正解だったということだと思う。



「はい」


「生憎だが、冒険者稼業をしばらく続けるつもりでな。飼われるのは好きじゃない」


「なら、期間を定めて合意の上で更新するということで、護衛の指名依頼はどうでしょうか? 実際今、人手が足りていないんです」


「冒険者ギルドの規則を受付で教われば分かることだが、Eランクパーティを指名することは出来ない」


「え、Eランク? そんな、え? そんなに強そうなのに? ……冗談ですよね?」


「…あの、冗談じゃなくて、本当です」



 ごめん。

 主に私のせい。



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