第14話 死をかけた恋

※三人称(Ralk Side)




『隊長、ずっと探していたんですよ?』



 責める色を隠しもせずに、真っ直ぐ見つめてくるその意志の強い瞳。

 ラルクは懐かしく感じた、あぁこいつはこういう奴だった、と。



『心配をかけたなら悪かったな、リッチェ。捨てた過去は亡霊みたいなもんだ、もともとお前達の前に現れるつもりはなかった』


『私は捨ててない!』



 リッチェは紅の瞳に怒りを滲ませる。


 どうやらこれは夢のようだ。

 その証拠に、ラルクの意思とは別に、彼は勝手に喋っている。



『私はずっと貴方が好きだった、それを惜しげもなく伝えてきた。分からなかったはずはないでしょう?』


『…だがそれは、奴隷魔術のせいで世界が狭かったからだろう』


『勝手に私の気持ちを決めないでください。魔術が消えたって部隊を辞めたって関係なく私は貴方が好きなんです。

 あの後、どれだけ心配したか、どれだけ離れたことを悔いたか、どれだけ貴方を探したか…!』



 今なら分かる。

 心配に思う気持ち、離れたことを悔いる気持ち、慕う気持ちを軽んじられ、環境が変われば忘れたいものだろうと決めつけられることへの、怒りと悲しみ。


 けれどあの時のままの自分なら理解しなかっただろうと、ラルクは思った。

 それは相手を馬鹿にしているのではない、自分にそんな価値があるとは全く思わないから、故だった。


 けれど今なら何故、彼女の気持ちが理解できるのかは、分からない。

 きっと、分かってはいけない。



『なのに、なのに、イオランジの偽善者と一緒に居て、あんなふうに笑ってるなんて!!』


『言いたくなる気持ちは分からんでもない、だがあいつは偽善者なんかじゃない』


『隊長は騙されてるんです!』



 それには同意したくもなる。

 イオランジの偽善者ってことはつまり、次男のムボゼ=ノル=イオランジのことだろう。


 建国より続く古き名門、イオランジ侯爵家の次男。

 であるにも関わらず家を飛び出し、少年の頃から冒険者稼業で名声を得て、身分や人種に差別なく手を差し伸べる、今代の英雄だ。


 魔術の被害者であるラルク達にとっては天敵とも言えた。


 実家は変わらず奴隷魔術で亜人を肉盾にしているからだ。

 帝国貴族に対する亜人の感情を二分させる、厄介で忌々しい存在であることは間違いなかった。


 そんな輩と一緒に居るとは、しかも笑っているとは、ラルクには信じがたい。

 この、自分と同じ姿をしたものは一体何なのだろうか。



『隊長はいつも、私の言葉には向き合ってくれなかった』


『…それはお前も同じだろう、俺はもう隊長じゃないと、何度言えば分かってくれる。

 今はただの冒険者のラルクなんだ』


『私のことも忘れたいってことですか?』



 それまで強気だった彼女が急にしおらしくなる。

 今なら分かる。彼女は傷付いている。



『恨みを忘れたくない気持ちは分かる、だから忘れろとは言わねぇ』



 いや、違うだろう。

 彼女はそんなことを言っているんじゃない。

 決定的に擦れ違っている、それも相手に絶望を与えるほどにだ。


 まるで壁を相手にしているようだ、何を言っても跳ね除けられて言葉も思いもただ表面を滑り落ちていく。


 あぁ、けれど。

 ラルクは今、姿があるなら自嘲の笑みを浮かべていただろう。


 これは間違いなく、かつての自分。

 イオランジの次男との下りだけは理解できないが。



『でも俺はもう憎しみを忘れてやり直したいんだ。かつての罪は忘れない、それは何かの形で償うつもりで、』



 リッチェがラルクに抱き着いた。

 ラルクには訳が分からない。


 憎しみを忘れる?

 確かにあの光のお陰で解放されはしたが、魔術自体がなくなったわけではない。

 悲劇はまた何度でも起こるし、自分がまた狙われないとも限らない、問題は何も解決していないのに、こいつは何を言っているんだ?

 


『言葉ではもう貴方を止められないんですね』


『止める必要がどこに、』



 ラルクの姿をしたものが、息を止めた。

 離れた彼女の手に握られたナイフに血が滴り落ちている。


 あんなものも避けられなかったのか?

 いや、彼女の激情の全てを受け止めるつもりだったのだろう。

 かつての自分ならそんな思考をしていただろうことは容易に想像できた。


 愚かだ。

 ラルクの感情は冷めきった。

 自分本位に過ぎる。


 思った通り、彼女は泣きながらそのナイフで自分の首を切った。


 そう、こうなることが予想できた。


 だから何が何でも止めるべきだったのだ。

 リッチェを大切に思うのならば。



 重なるように崩れ落ちる姿に、ラルクはただ醒めた視線を向けた。


 これは間違いなく、かつての自分だ。


 あのままであったなら、未来はこうなったのかと、信じてしまうほどに。


 叶うならばと、ラルクは膝を着いて、リッチェの頭を撫でた。



 リッチェは薄れゆく意識の中でか、彼を見た。自分はそこに居ないはずであったのに。



『隊長…』



 彼女は泣いている。

 けれど少しだけ微笑んだ。



朴念仁ぼくねんじんで本当に済まなかった」



 彼女は驚いたようだった。



「こんな形でしか幕引きさせてやれなくてすまない。

 どうか来世では、もっとまともな男を愛して、幸せになってくれ」



 リッチェは、苦笑してから、微笑んだ。



『それでもフるなんて酷い。でも、やっとちゃんと答えをもらえた』


「…向き合わなくて、すまなかった」


「いいえ。愛していました、私の全てで」


「あぁ…やっと分かったよ」



 リッチェは嬉しそうに微笑み、事切れた。

 彼女の透き通るような白い髪が血の紅に染まっていく。


 ラルクは、涙が勝手に溢れてきた。


 リッチェは生きているはずなのに。


 涙は、止まらなかった。


 これは弔いだと、思った。




■□




 目覚めると、自室のベッドの上だった。

 見慣れた板張いたばりの天井を見上げる。


 ここはメルスン共和国の首都ヘンリー。の、郊外、森の中にあるラルク所有の小屋である。


 小屋と言っても、外壁は全て植物モンスター素材の角材を組み合わせて造られたもので、多少のモンスターの攻撃程度では壊れない頑丈さを誇る。


 ラルクのユニークスキル、"アイテムボックス"に収納されていた、彼の緊急避難用であった。


 メルスン共和国は常に冒険者が不足しており、現在とある理由によってそれが加速していて。

 ラルクのような腕の立つ者が長期滞在することには寛容だ。ゆえに国有の森の中ということで簡単に許可が取れ、彼はリチを休ませるための拠点を得るために惜しまず小屋を出したというわけだ。


 首都と言っても郊外の森となれば侮れない程度には深く、猪型モンスターなどは出る上に、西に進めば国境となる山脈がある。人が来ることはそうない。


 ラルクは起き上がると、流れ落ちた涙を拭いた。


 何故あんな夢を見たのかは分からない。

 リッチェは隣の部屋で眠り続けているというのに。


 ラルクは手の中に水筒を出すと水を飲む。水の魔石が仕込まれた魔導具で、常に水が補充されるようになっている。

 それをボックスにしまうとベッドから降り、身支度を始めた。



 不意に隣から小さな物音がして、ラルクは部屋を飛び出した。

 扉を開けると、ベッドにリッチェが起き上がっていた。


 思わず駆け寄る。

 リッチェはおろおろとしているが、ラルクと視線を合わせてくれる。

 どうやら意識ははっきりしているようだった。ラルクは内心で安堵する。



「具合はどうだ? どこかおかしなところはないか」


「ちょっとだるいくらいです。寝すぎたかも?」


「寝すぎどころじゃねぇよ」



 ラルクは苦笑を漏らした。



「まる一月、目を覚まさなかった」



 リッチェは目を丸くした。



「えぇぇぇぇぇ!??」

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