第5話 首都ヘンリー
「この辺りはショッピングモールと言って、店が集中している」
周りをきょろきょろしていたら、彼に手を取られた。
「ふぇ!?」
「ここで余所見していたらはぐれる。不快なら俺の服を掴むとかしてくれ」
「そんなこと…」
百八十度逆です。
むしろ。
見た目は一般人でも、手の皮は武人のそれで厚くて硬くて、指も細くて器用そうなのにゴツゴツしてるの、どきどきする。
普段はグローブだから、直接手が触れるのは貴重なのでは…。
ふと彼が私の手を持ち上げて指を見た。
え、なに、緊張します。
「綺麗すぎるな。俺が
「あ、あぅ…」
「そんな顔をするな。今更突き放したりしねぇから。
例えお前が何者であってもだ」
「え?」
思わず彼の顔を見つめる。
さよならと言った先の彼の表情と重なる。
やっぱりプロの彼をごまかせるはずはないのか。
だけどその割には。
野生動物のような彼から警戒心や敵意が見えない。
「ちっ、ど真ん中でイチャイチャしてんじゃねぇよ」
悪態が聞こえた途端に彼が私の手を引いて、さっきまで私が居た場所を身体の大きな男が通り、こちらを睨みつけてから去っていった。
遠慮のない悪意に肩が震える。
やっぱり感情の振り幅が大きいし敏感すぎる。前世の自分は小心者には違いなかったけど、ここまで臆病で打たれ弱くはなかった。
「何処にでもあぁいう手合いは居る。ハインブルの役所でも忠告は受けた。
鳥人が魚人と並ぶ最弱種族には違いない、
「足手まといになってるかな?」
「そんなわけはない、気にするな。
いつかお前が話す気になった時に聞かせて欲しい、お前のことを」
ラルクはじっと私を見つめる。
「お前の名を登録する時、手が俺の言う事を聞かず勝手に動いた。
"リチ"、それ以外の名は許されなかった」
「そんなことが…」
運命めいた、なんて呑気なことを考えてしまった。
リッチェと似ているとは言えそう自然と一致するはずもないよね。
「俺は、大いなるものがお前を連れてきたんだと思っている。
何処からかは知らねぇけどな」
「うん…何処から何処まで話したらいいか、私にも分からなくて。少しずつでもいいかな?」
「あぁ、気長に待っているよ」
そこまでで、ラルクは私の手を引いて歩き出した。
鳥人の身体スペックでも難なく一緒に並んで歩ける。彼は鳥人に慣れているのだなと思い。
私はリッチェであることに何の違和感もないはずで、私はリッチェだと思っているくせに、そんなことに嫉妬する自分に困惑した。
■□
「これください」
「六百リルだよ」
「はい」
目の前でふわふわのスポンジボールを銀のスコップですくって紙カップに入れてくれる。
中にたっぷりバタークリームの入ったミミニャという、メルスンの国民的お菓子だ。
リルはここのお金の単位で四国共通、リル=円と思って差し支えない。
メルスンは事情があって食料だけべらぼうに高いのだそう。
さっきラルクに教わった通りに、銅貨を六枚渡してカップを受け取る。
ここから動かないように言われているので邪魔にならないように脇にどいた。ラルクは飲み物を買いに行ってくれている。
ゆっくり周りを観察する。
ここは中央公園。
よく待ち合わせに使われるらしく、中心に大きな噴水があって、その周りには沢山の人が立っていた。
囲うように露店が立ち並んでいる。
アイスティのサーバーには透明のキューブが浮いていて、その中には虹色のクラゲみたいな生物が泳ぎ、冷気を発してお茶を冷やしている。
飲み物のサーバーはみんなそうで、メルスンでは一般的なのだと思った。
「お待たせ」
「ありがとう」
こんなイケメンが注目を集めないなんて、認識低下、すごいな。
私は人の群れの中から彼が近付いてくるだけで分かるのに。
「ここのベンチでもいいが、この隣に図書館があって、飲食しながら読めるスペースもあるが。
どうする?」
「…あ、図書館は、」
私は言い淀んだ。
「苦手なのか?」
「ううん。…聖女様が居るかもしれない」
「お嬢ちゃん、それは本当かい?」
「いえ、ちょっと風の噂で聞いただけですので」
ミミニャの店主に聞かれてしまい、私は曖昧に笑って誤魔化した。
ラルクが軽く断りを入れて私にサインを示した。私は頷いてすぐそこを離れた。
運良くベンチが空いたので座る。
彼がシークレットという、音が漏れず読唇も出来ない魔導具を使ったのを見て、買ってきてくれたフルーツティを飲み、喉を潤した。
甘いもので心を落ち着けるためにミミニャを口にする。
スポンジは少し固めでバタークリームはちょっと甘すぎてバターがしつこく感じる。グルメな元日本人には物足りない味だけれど、それでもないよりはマシだ。
もう一度フルーツティで口の中をすっきりさせた。
あぁまで言ってもらって、話せる限り全て話す心づもりが出来た。
「…あのね、私、他の世界から来たの」
貴方に会いたくて、とは、告白のようで今更ながら恥ずかしくて言えなかった。
「それで、未来を見たと言ったけど。正しくは物語を読んだの」
彼は黙って聞いてくれる。
「それがこの世界に起きる出来事で。奇跡のことも、ラルクのことも載っていた。
正確に言うと奇跡の部分は回想で語られるところで、ラルクが聖女様の護衛を引き受けて、二人が出会うところから物語は始まる」
最初は作者が二人をくっつけるつもりだったのかと、同担達でもやもやしたものである。
「聖女様がとある陰謀のせいで弱っていて…ラルクはそれを見抜いてケアをしてあげて。そこから、」
「待て、俺がそんなことを?」
「え、うん」
彼は複雑そうに眉を寄せた。
「………およそやりそうにねぇな。それは本当に俺か?」
「え、うん」
彼は背もたれに寄りかかって、眉間に皺を刻んだまま考え込んでいる。
私は物語を何度も読み込んで覚えているほどだから、そういうものだと思っていたけど、本人には違和感があるのか。
私達ファンは彼が彼女に同情した理由をなんとなく想像できていたよ。
「あー…そうか」
「ん」
「その時の俺にはお前がいなかったのか」
ふぁ。
ふぁーっ!???
ダメ落ち着くのよリチ、お荷物が居なかったから身が軽かったって意味に決まってるじゃないの!!?
「い、陰謀についてはひっかからないの?」
「教団の設立がほぼ同時な辺りから怪しすぎるからな。聖女本人はともかくその周辺は真っ黒だろう。
お前が目覚めなければ調べるつもりだった」
「…そうなの?」
「あぁ。奇跡から眠っていたんだから女神の関わりを疑いもするさ。
こちらから接触しようのねぇそれに関われそうなのは聖女ぐらいだからな」
「……ありがとう」
現実主義のラルクがそこまで手を尽くそうとしてくれたなんて。
「遮っちまったな。それで?」
「えと、それで、聖女様はラルクに懐いてお友達になってほしいって」
あ、ラルクの眉間の皺が深くなった。
「それで文通を始め、」
「待て待て待て待て、冗談が過ぎるぞ」
「ホントだよ!?」
わっと歓声が上がって。
反射的にそちらを向くと、観光客らしき一団が噴水を見ていて。
私もその視線の先へ、私達の背後へ目を向けると。
「わぁ…」
大量の水が噴き上げられ、巨大な龍が翼を広げ、大口を開けて威嚇している姿が
それがまるで繊細な細工のようで、前世の技術では不可能に思えた。
見とれていると、幾度もその翼を羽ばたかせる形に姿を変えた後に、弾けて美しい乙女の姿になる。
乙女は胸の前で手を重ねてから顔を上げて天へ向けて両腕を広げる。
長い髪がなびいて伸びて膨らんでその姿を
これ、きっと魔導具なんだろうな。
ついつい暫く見惚れてしまってから、はっと隣を見ると、付き合って観てくれていたらしき彼が私を見た。
「ごめん、見惚れちゃって」
「そんな他愛ないことで謝らなくていいんだぞ?」
「そ、そうかな?」
これがよく言われる日本人気質ってやつだろうか。
「…私の故郷の国民性みたいなものかな」
「そうなのか?」
「うん。争い事を好まない民族で、治安とマナーは世界に誇るほど良かった。観光客が落とした財布が返ってくるって感動してたくらい」
「……信じがたい。何故そんな楽園のような場所から、いや、無粋だったな」
私は思わず口をつぐんだ。
故郷には故郷で、苦しいことも沢山あったけど。彼の国は確かに見る人によっては楽園だっただろう。
それでも私は、貴方の傍に来たかったんだ。
「女神のせいなのか?」
「え?」
「女神に無理やり連れてこられたのか」
ラルクの表情が不穏だ。
私は慌てて首を振った。
「違うよ。私はただ…」
彼の顔を改めて見て、顔から火が出そうになった。やっぱり言えない。
「向こうでは病気で死んじゃったの。女神様のお願いを聞く代わりに、この世界に転生させてもらった。
それについては今はここまで。
物語についてはある程度なら話せるよ」
「…リッチェは死ぬ運命だったのか?」
これには困った。
だって作中では無理心中をしかけても二人共生き延びた。
「それについては私にも分からない…」
「あいつの死をお前のせいにしたりしねぇからそんな顔すんな。
任務に失敗して死んだ。よくあることだ」
ラルクは自嘲気味に、そして悲しみを含んだ皮肉な笑みを浮かべた。
女神様との約束。
魔王を倒さなくてはならない。
やっぱり言えないな、と、その顔を見て改めて思った。
幼少からの二十年は大きい。
それだけ縛られ、自由を奪われ、望まず就いた仕事で、彼は多くのものを失い、手を汚させられ、たくさん傷付いてきた。
こうして解放されても、奴隷魔術はかけられる以前の過去を忘れさせるため、彼は帰る場所も、彼を案じてくれているかもしれない人のことも知らないのだ。
それでも生きていられたのはひとえに、諜報の仕事が民の安寧のためのものだったからだ。
それなのに、その
生きる希望の全てを失うどころか、きっと彼の心を壊してしまう。
現に、物語において、女神のお告げでは、仲間を集め約束の地へむかえというだけで、魔王のことは教えなかった。
長い旅の中で少しずつ情報が集まり、それぞれが察していき、パーツがそろうような形で最後に真実が分かる。そうでもしないと受け止められないと女神様がお考えになったからだろう。
それでもそれを知った時のラルクの反応たるや。
それを物語が始まってもいないこんな序盤で、勝手に話すわけにはいかない。
それに、彼は、元部下だったリッチェが亡くなったことを悟って、その死を悼んでいるように見える。
彼には、時間が必要だ。
急な環境の変化と、部下の急逝と、未知の存在の私を懐に抱えてくれたこと。
これらをゆっくり消化するために。
聖女のことはまだ焦らなくていい。
発表されたばかりなら、まだ巡業の旅に出られるような段階じゃないはず。
それに、物語では半袖を着ていて、暑さを訴える様子がなかったので、きっとあれは夏に差し掛かる頃だ。
「食い終わったか?」
「うん」
私は空になったアイスティとミミニャのカップを折りたたんだ。
日本のスイーツには到底届かなくても、甘いものは安らぐ。
「なら図書館へ行ってみよう」
彼は立ち上がった。
春の柔らかな陽射しが彼の姿を浮かび上がらせる。
「え? ま、待って。
聖女様は息抜きに図書館への外出は認められているの。だから会ってしまうかも」
まだダメ。
消化しきれていない今は、聖女の複雑な事情まで貴方に抱えさせるわけにはいかない。
「お前が嘘をついているとは思っちゃいない。だが、今の俺は聖女に興味はないし、自ら積極的に関わる理由もない。
それより大事なことがある。
お前の記憶が歪な理由がやっと分かったんだ。なら何を埋めればいいのかを調べる段階に進める。
それには多少なりとも行儀の良い連中しかいない場所で、知識を入れたほうがいい」
「…ありがたいけど、大丈夫かな? 巻き込まれないか心配で」
「今の段階ではまだ外出できる状況は整っていないだろう。会う可能性は低いし、居たとしても当然護衛がついていて近づきがたいはずだ。
心配しなくとも接触する可能性は低い」
そう言い切れないから怖いのに。
だって貴方は女神の戦士なのだ。私も。
運命の糸が結ばれていないとどうして言えよう。
けれど、確かに、図書館をずっと避けていては、私が身動きが取れなくなる。物語の知識程度では現実となった今を生きるには遥かに及ばないからだ。
後になればなるほど遭遇の可能性が高くなるのなら、早いほうがいいのかもしれない。
考えた末、私は頷いた。
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