第3話 リッチェという人

「…言っておくけど、人身売買と奴隷化は本来は世界協定で禁止されている犯罪だから。奴隷なんて身分は世界的には存在しないんだよ。人種差別も非人道的だと他国からは非難されている。

 こんなことを犯罪者の懲役制度だとか嘘八百、口先と武力による威圧で他国を黙らせて堂々とやっているのは帝国くらいだ。

 改めて口にするのはなかなか不快だけど、さっぱり忘れて外をふらふらしたら危険なのはあんただからね」


「ありがとう」


「はぁ…別人みたい。調子が狂う。

 ジスター帝国は皇帝が治めているの。皇族貴族などの特権階級は人間が占めている。あぁ、皇帝とかは分かるね? さっき、新聞は読めたし、言葉の意味は分かるって言ってたから」


「はい、そのあたりは大丈夫です」



 文字が読めたのは女神様の計らいだと思う、私自身も安堵したところ。

 本当は帝国のことや亜人差別や十三部隊のことも知っているんだけど、知っていることと知らないことの区別が不自然になるし、小説の知識と万が一異なると困るので、確認のためにも忘れてしまったことにした。



「敬語は要らない。私のこともハイエでいい。

 それで、私達は皇帝の所有ということになってる。

 直属の部隊は表向きは十二まで、それらは全部近衛騎士。私達は存在しないはずの十三番目の部隊に属した、影と言われる諜報員。存在を知っているのは皇族くらい。

 諜報や暗殺に向いているスキルを持つのは亜人が多いからね、高い地位を与えるわけにはいかず、奴隷化して所有物として扱うことになったと聞いてる。

 だからこの寮は、城の敷地の中でも特別な、皇族しか入れない奥地にある。私達の行き来は人目を忍び、門を抜ける時は表向きの身分証で通る。


 で、この国以外にも代表的な国は三つあって…」



 そこまで説明してから、彼女は私の顔色に気づいたようだ。

 地図を畳んでサイドテーブルに置き、私に横になるように言って布団をかけた。



「目覚めたばかりで飛ばしすぎた。ひとまず休むといいよ。後のことは、落ち着いたら追々、隊長から説明があるだろうから」



 頷いて、食器を下げて去っていく背を見送ってから私は目を閉じた。

 具合が悪くなったのは、無理をしたのもあるんだろうけれど。


 一番は、私が形式的にだけでなく、物理的な距離としても皇帝の膝元にいるという事実を知ったからだった。



 ジスター帝国、第百五代皇帝。

 その名を、ファルム=ドグ=ジスター。



 その男こそが、太古よりある魔族の王で、この物語においての真なる敵であり、最凶の名を欲しいままにした、存在自体がチートな反則野郎ラスボスなのである。


 後に”女神の奇跡”と呼ばれる現象、世界中の龍穴から神力が噴き出し世界を浄化して、魔王とその幹部を弱体化し、最下級魔族を消し去り、不死族アンデッドを成仏させ、魔族の被害にあった人々を目覚めさせ、奴隷魔術を消し去り奴隷を解放した、創世の女神の恩寵。


 それによってやっと世界の住人でも倒せる程に弱くなり、それでもある人の力を借りて勇者達がやっと倒せた相手だった。


 その奇跡によって私達は解放され、逃げ出すさなかに隊長は私達をかばっておとりになり、離れ離れになる。



 さっき新聞を見た時に日付を確認したところ、帝国歴三千百五十一年の三月に入ったばかりだった。

 奇跡は同年三月十五日の早朝。あと二週間もない。奇跡が起こるまでになんとかしなくては。


 考えていても意識が奥底に引きずり込まれる。

 どうやら体力が限界のようだ。




■□ ※三人称(Ralk Side)




「で、どうだった」


 彼の人柄を表すかのように、シンプルで家具の少ない部屋だ。

 全てが木製で、塗料を使っていない。


 たとえ味方しかおらず、ごく限られた者しか入ることのできない、厳重な警備の奥にあるこの寮の中でさえ、彼は誰も信じていないかの如く、わずかな異変でも気づけるように、この部屋では全ての無駄を排している。


 ラルクは先程までリッチェに見せていた感情が跡形もなく消え失せたかのように、淡々と目の前にいる部下に問う。

 ハイエは彼の前に立ったまま、報告を述べた。



「健康状態はお話しした通り、問題はありません。栄養を取らせて休ませればよくなるでしょう。ですけど」



 彼女は初めて顔を歪めた。



「かなり、厄介なことになってますね」


「簡潔に言ってみろ」


「毒が強力だったせいでしょう、脳がダメージを受けたのかもしれません。

 記憶障害を残してます。殆どのことを忘れている。それどころか、性格がまるで違って、別人のようです」



 ラルクは沈黙した。



「…俺と話した時は」


「ストーカーも極まれりってとこでしょ、隊長のことだけは分かるみたいなんですよ。記憶を失くしたっていうのに解放されないなんてお気の毒なことです」


「皮肉はよせ」


「失礼しました。

 記憶の落ち方なんですが、いびつですね。知らないと言いながら初めて聞いた反応でもなかったり、なのにそこは知らないのかということは本当に知らない風だったり。

 子供に教育するのと同等の手間が要るでしょう。

 性格も……なんていうか、前のあいつを知っていると違和感が凄いだけじゃなくて、素直で大人しいし、いつも通りに接するとこっちがイジメているみたいでやりにくい。対処に困ります」


「そんなことが?」


「えぇ。演技じゃなければ。まぁそんな演技をする意味も分かりませんけど」


「間諜の可能性は?」


「有り得ません。なぜなら、食べる時の食器の持ち方だとか、無意識に出る癖だとかは、まるっと同じだからです。それを完全に写し取れるのにあんな振る舞いをするのは理屈が通りませんよ。

 大体、遺体を取り返したのは隊長でしょうに。私には分からない匂いだって貴方なら分かるでしょう」


「あぁ。分かっている」



 ラルクは肯定するかのように溜息を吐いた。



「そうなると、復帰は難しいだろうな。どうにかここに置いてやれねぇものか」



 事態は失業レベルの話ではない。

 諜報は知ってはならないことの多くを知っているがために、除隊となれば処分も有り得る。皮肉にものお陰で配置先があれば助かることもあるが。

 権力者達が亜人の生命を重んじてくれるとは思わない方がいい。



「寮の雑用でもさせたらどうです? 当番制にしてたものをしてくれるだけでも助かるでしょう」


「そうしたいが、俺の采配で決まることじゃない。……交渉材料を考えるしかないな。

 ご苦労、下がっていいぞ。引き続き、世話をよろしく頼む」



 ラルクが頷くと、ハイエもまた頷いて部屋を出た。

 彼は考えにふけるかのようにじっと一点を見つめている。表情に出さない彼の思考は、誰にも分からない。

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