第7話 一手目



 ディーラー姿の女が、高らかに宣言する。

『―――お集りの皆様! 誠にお待たせ致しました。それでは、本日のメインディッシュ――「太子将棋」に挑むプレイヤーの入場です!!』

 流暢な日本語に続いて、アメリカン・イングリッシュで開催のコールが行われる。スピーカーを通し、派手なBGMが会場中に掻き鳴らされる。さながら地獄が揺れているかのようだ。

 そして、二人のギャンブラーが戦場に足を踏み入れた。

『それでは、改めてご紹介致しましょう――我がシェオルを代表し戦うのは、「白昼の棋士」テリコ! 対するは、あのアバドングループの刺客、「針金の蛇」ヴェント!!』

 一方を見て、観客は僅かにどよめいた。

 当然か。シンガポール・マフィア『シェオル』屈指の代打ちが、あのような少女であるとは知らない者が多数だっただろうし、知っている者であっても、スクール水着に海水浴用のジャケット姿という場違いな恰好を見れば、動揺はするだろう。

 他方。入場してきたのは、斑模様の髪の男だった。

 金と黒が入り混じった頭髪に、派手な服装。異様に長い四肢。無数の針金が少女の四肢に絡み付き、縊り殺す様を幻視したのは、中在地だけではないだろう。そういった、独特のプレッシャーを持つ青年だった。

『皆様は幸運です! このような好カードを見られるとは!』

 茶髪の女は愛想を振り撒きながら、会場のボルテージを上げていく。

『こちらのテリコは、ティーンエイジャーながら、五十戦無敗というシェオル最強の代打ちです! そして、対するヴェントは、これまでにデスゲームで四人の人間を死に至らしめた、屈指のギャンブラーです!!』

 何処からともなく拍手が巻き起こる。それは渦となり、この異常な空間を飲み込んでいく。

 口火を切ったのは、アバドンの代打ち――ヴェントだった。

「お前サ、その恰好は俺へのサービスでやってくれてるわけ?」

「……?」

「あまり若い女は好みじゃないが、その胸も、脚も、俺好みだ。今の内に飼っておくのも悪くない」

 下卑た視線を頭長部から爪先へと向け、最後に豊満な胸部を見ながら、ヴェントは愉し気に笑ってみせる。

 ……下衆め。応接室からやり取りを見ていた中在地は、心の中で吐き捨てる。ああいった言葉は傍で聞いているだけでも良い気分はしない。況してや、うら若き乙女が直に告げられれば気分を害するに違いない。

「そう」

 しかし、テリコの反応は冷淡だった。

 ただただ面倒そうに、平然と、こう応じてみせる。

「……くだらないトラッシュ・トークはポーズだね。勝負師としてのあなたは、もっとクレバーな人。小悪党を演じた方が油断してもらえると知ってるから、下品なことを言ってみせてるだけ」

 ヴェントは口の端を歪めて、問うた。

「どうしてそう思う?」

「油断ならない目をしてるから。獲物を刈る蛇みたいな目」

 あるいは。

 人を針金で縊り殺そうとしている眼――だっただろうか。

『さあ、両者の交友が深まったところで、ルール紹介と参りましょう!』



 ●対局前、互いに自陣の駒から『太子』とするものを選ぶ。

 ●どの駒を『太子』に選んだのかは誰にも共有されず、パネルに入力するのみとする。

 ●通常の将棋と異なり、今回は王将を取るまで勝負を続ける。

 ●王将を取られた際、『太子』として指定された駒が生きていた場合、『太子』として指定した駒が開示され、今度は『太子』を取るまでの勝負が続く。

 ●『太子』として指定された駒は、『太子』に成る前に取られた場合、その効力を失う(その場合、王将を取られた時点で負けとなる)。

 ●『太子』として指定された駒は、王将が取られた時点で場所を問わず『太子』に成り、王将と同じ動きができるようになる。

 ●イカサマを行った場合、即座に負けとなる。ただし、イカサマは対戦者が指摘しない限り、どれほど明白であっても咎められない。

 ●水槽内に持ち込めるものは衣服のみ。

 ●通信機器の使用は禁止とし、また、会場全体に妨害電波を飛ばす。



『勝者には一億の賞金が! そして、むざむざと降参してしまった敗者には、一億の負債がプレゼントされます!』

 中在地が事前に聞いていた内容が、再度、繰り返される。

 予想通り、観客のほとんどは細かなルールなど、聞く気がないようだった。

 ボクシングで例えるならば、彼等彼女等は、正確無比なストレートや巧みなディフェンス、織り交ぜられるフェイントといったゲーム内の戦略を見に来ているわけではない。ただ、一方が一方に殴り殺される様を、見たいだけなのだから。

 いや、どうやらそれだけではないらしい。

 近くの席の客同士で、何やら話し合い、紙に記入をしている。なるほど。賭けの対象とするという楽しみ方もあるようだ。

『皆様、賭け終わりましたでしょうか? 大切なルールなので、もう一度だけ、お聞きください!』

 ディーラーの女がマイクに叫ぶ。

『互いの持ち時間は十分です! 十分の持ち時間を使い切った後は、十秒で一手を指していただきます! 一秒でも超えてしまった場合、水槽一目盛り分の水――約一センチ分の水が注入されます!』

 両者が水槽の中へと入る。

 黒服の男によって足首を拘束された。

 これでもう、逃げられない。

『勝利条件は次の何れかです! 一つ、王将・太子を共に取る。二つ、太子が効力を失った後に王将を取る。三つ、相手が降参する。そして最後に――相手が溺れ死んだ場合です!』

 ここでの“溺死”は、「運営側の呼び掛けに十秒以上、無反応であること」。そんな補足が加えられた。

 あとは勝つか、負けるか。

 負けて死ぬか、負けて巨額の負債を背負うか―――。

 いきづまる将棋が、始まった。



 振り駒により、先手はテリコ。

 少女は躊躇いなく駒を打つ。


 テリコの初手は9六歩――端歩突きだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る