第9話 常識者の矜持



「ベネディクトさん」

 真っ直ぐにカジノ王を見返して、中在地は言った。

「その賭けに乗ることはできません。『受けてもいいし、受けなくてもいい』と仰るのならば、受けないことを選びたく思います」

「ほう。それは、何故かな?」

 ちらとそちらを見た。

 眼下のステージでは対局が進んでいる。テリコと男が、命を賭けて争っている。『太子将棋』という名の変則将棋で。

 会場上部に設置された巨大なディスプレイには現在の盤面が映し出されている。近未来的にデザインされた将棋の駒達が、盤上で所狭しと睨み合い、戦いを始まる時を待っている。

 理解できない、と思う。

 どちらが優勢なのかも――何故、命を賭けてまで戦うのかも。

「私には、あなた方、ギャンブラーのことが分からない。私はギャンブラーではないからです。私のような人間が、彼女の命について何かを賭けるのは……なんと言いますか、そう、」

 無礼な気がする――のだ。

 礼を逸している、と。

 自分の命を張る気概のない者が、安全圏から他人の命に賭け、遊ぶ。それは中在地の持つ常識においては許されざる不道徳。“常識”など、何の意味も持たない世界であると反論されたなら、こう言い返そう。

 それが俺のスタンスだ、と。

 矜持。自負。気概。あるいは――一分。

 呼び方は何でも構わない。

 自分自身が、自分を許せないから。

「……なるほど。興味深い価値観だ。自分はギャンブラーではない。命を賭ける気概がない以上、他人の命を賭けにして遊ぶつもりもない、と」

 互いに端歩を突き、桂馬を跳ねさせる探り合い。

 四十手に近付いた頃、遂に火蓋が落とされた。

 開戦地点は6五――ヴェントが歩を突いた。

「それがお前の在り方か、ナカザイジ」

「ええ。どうやら、そのようです」

「……くくっ。ははは!」

 途端、ベネディクトが噴き出した。

 マフィアの王たる男は、指を鳴らして部下を呼ぶと、ワインとミネラルウォーター、と端的に命ずる。

「何か、おかしなことでも?」

「賭けは俺の負けだったな、と思ってな」

「は?」

「実は、この封書を渡された際、テリコと賭けをしていた。内容はお前について。『お前が賭けに乗るかどうか』――そんな賭けだ。俺は『賭ける』にベットした。テリコは『賭けない』と言った」

 テリコは言っていたらしい。

 目を見れば分かる。あの人は、そんな人ではないから――なんて。

「おっと、勘違いしてくれるなよ? テリコのその物言いは、ナカザイジ、お前に好意を持っているからではない。そういう、勘違いさせやすい言い方をする女なんだ、アイツは」

「……安心してください。そんな勘違いはしていませんから」

 部下からグラスを受け取り、勢い良くワインを注いでいく。マナーなどお構いなしで、けれども、妙に様になった振る舞い。あるいはそれは、外れ者達が美しく見える瞬間があることにも似ていた。

 そうして、ペットボトルの方は中在地に差し出してくる。

「これは俺からのサービスだ。お前の“常識”では、人の生き死にが掛かっている場面で酒を飲むことは不謹慎かもしれないが、喉くらいは潤して良いと思うのだが。どうだ?」

「はい。ありがたく頂きます」

「それと、これも受け取るが良い」

 言って、封筒を机の上に置く。

「……テリコの『太子』が書かれたものですか?」

「そうだ。賭けにならないのなら、俺にはもう、必要ない。俺は俺で、アイツがどんな策を取ったのか考えてみるさ。対戦相手になったつもりでな。それはそれで、面白い」

「なら、私は見ても?」

「構わないぞ」

 次いで葡萄酒を一口飲み、男は呟いた。

 気になるのは、事態は進行している、という一言だな、と。



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