第4話 変則将棋『太子将棋』
一般に『太子』という言葉を聞き、頭の中で将棋と結び付く人間は少ないだろうが、現代における“将棋”――『本将棋』以外では、最もメジャーな駒の一つであろう。
小将棋においては、『酔象』の成り駒が『太子』であり、王将と同じ性質を持つものだ。
将棋の歴史を遡ると、古代インドのボードゲーム『チャトランガ』に辿り着くことは広く知られたことである。西洋のチェス、中国の象棋(シャンチー)も同様のルーツを持つと言われている。
さて、現代における主流は『本将棋』であるのだが、長い将棋の歴史の中で、様々な将棋のルールが考案され、普及し、廃れていった。
例えば、大将棋、という単語を耳にしたことはあるだろうか。
これは鎌倉時代に指されていたとされる将棋で、十五×十五マスの盤を用い、二十九種類の駒を使用する競技だ。広さは本将棋の約二倍、駒の数は三倍以上。その煩雑さから、現代ではほとんど指されることはない。
世界でも有数に大規模な盤上遊戯、『大局将棋』では、自軍敵軍合わせて八百枚を超える駒を使用する。ここまで来ると、一体何人の人間がルールを把握しているのかさえ疑問に思うことだろう。
このように、現在では廃れた将棋類を総称し、『古将棋』と呼称する。
「博学だな、ナカザイジ」
『太子』とは小将棋におけるそれのことですか?
そう中在地が問うと、ベネディクトは賞賛の拍手を送った。
「もしや、将棋を指す人間か?」
「ええ。麻雀やブラックジャックよりは好んでいます」
「なるほど、一度お手合わせ願いたいものだな。それに、不確定要素が絡むゲームは好きではないと見える。テリコと仲良くなれそうだ」
テリコ、と呼ばれる少女は真剣師らしい。
『真剣師』とは、将棋の裏プロを指す用語だ。金を賭けて将棋を指す人間ということだ。その実力は相当なものであると――少なくとも、こと将棋において『シェオル』内で敵う人間はいないとのことだった。
しかし、今回の勝負はただの将棋ではない。
ベネディクトは子どものような愉し気な笑みを湛え、言う。
「『太子将棋』のルールを話す前に、『いきづまる水槽』の概要を説明しよう。この『いきづまる水槽』では一対一のゲームが行われる。見ろ」
顎で指し示した先。巨大な水槽の中は、二つに分けられている。その二つの部屋に対戦者二人が入るのだろう。
水槽用の強化ガラスで囲まれた部屋の中には、机と椅子が一組ずつあった。どちらもスチール製で、どちらもが床に固定されているようだった。
そして、椅子には足枷のようなものがあった。
否。足枷――なのだろう。
人を溺れ死なせる為の。
「机の上にはタッチパネルとボタンがある。パネルにはゲームの情報が映し出される。今回ならば将棋の盤面だな。ギャンブラーはタッチパネルを押して、駒を動かす」
「傍らにあるボタンは、チェスクロックですか?」
「察しがいいな、その通りだよ」
チェスクロック(対局時計)とは、主に、将棋やチェスで用いられる機械だ。片方がボタンを押すと、他方の時間が進み始め、他方がボタンを押すと、片方の時間が進む。互いの待ち時間を測る為の時計である。
中在地は、競技場の上部に目を遣る。そこには鉄製のパイプが繋がっていた。そして、水槽の壁には、目盛りが記してあった。
……なるほどな。得心する中在地。
分かってしまった。
分かりたくはなかったが、この『いきづまる水槽』がどのように使われるかについて、理解してしまった。
「……時は金なり、という言葉がある。流れる時間は水にも喩えられる。この『いきづまる水槽』では、それを体感できる」
「つまり、こういうことなんでしょう? ―――この水槽では、時間を使うほどに水が注ぎ込まれ、窒息の危険性が高まっていく」
両者は両足首を拘束され、その状況で将棋を指すのだ。そして、使った待ち時間に対応して水槽内の水量は増していき、やがては溺死する。
息詰まる勝負。
息の詰まる戦い。
行き詰まるのは、何方か。
「今回の『太子将棋』の場合、持ち時間は十分だ」
引き取って、ベネディクトは続けた。
「十分の待ち時間を使い切った後は、十秒で一手を指してもらう。十秒を超過した場合、一秒ごとに一定量の水、一目盛り分のそれが注ぎ込まれる。十一秒なら一目盛り、十二秒掛かれば二目盛り……。一目盛り分は一センチ。つまり、一秒超過するごとに水嵩は一センチ上がるように設定されている」
対戦者の体積によってズレが生じるので、あくまで目安だがな、と付け加える。
もう一つの目安は、座った人間の全高だ。一般男性が椅子に腰掛けた状態の高さは、凡そ百二十センチ程度である。全高は頭長だ。息を吸い込む鼻や口の位置は一メートルほどだろう。
一秒で一センチ上がるならば、たった百秒、時間を超過してしまえば、もう顔まで水に浸かることになる。
「とは言っても、このゲームは立つことが許されている。立ち上がり、精一杯息を吸い、次の一手を指せば良い」
何も良くはなかった。
窒息の危険性があるとはいえ、自分の手番で酸素を取り入れることだけをしているわけにはいかない。次の手を考え、打たねばならないのだ。言わば真綿で首を絞められているような状態で、平静に将棋を指せる人間がどれほど居ようか。
ベネディクトは言った。
「俺は悪党ではあるが、外道ではない。将棋ならではの救済措置も用意してある。パネルの降参ボタンを押せば、即座に負けとなる代わりに、勝負は終わる。水はそれ以上、注入されることはないし、迅速に排出される」
ただし、と続ける。
「それぞれが『シェオル』と『アバドン』の代表として勝負するのだ。ペナルティーなしというわけにはいかない。敗者には、一億の負債を負ってもらう」
降参ボタンを押せば命は助かるが、今後、勝負師として生きていくことはできないであろう。その上で、一億の負債を背負わされる。
待っているのは、息詰まる、行き詰まった人生か。
眉を顰めた中在地に対し、カジノ王は笑った。
「ただし、勝者には賞金として一億が与えられる。どうだ? やりたくなったか?」
「いいえ。失礼ながら、全く」
「だろうな。肝心の『太子将棋』のルールも話していない」
そういうことじゃねえよ、という返答は喉元で留め、先を促す。
今回行われる変則将棋――『太子将棋』は、このようなルールだった。
●対局前、互いに自陣の駒から『太子』とするものを選ぶ。
●どの駒を『太子』に選んだのかは誰にも共有されず、パネルに入力するのみとする。
●通常の将棋と異なり、今回は王将を取るまで勝負を続ける。
●王将を取られた際、『太子』として指定された駒が生きていた場合、『太子』として指定した駒が開示され、今度は『太子』を取るまでの勝負が続く。
●『太子』として指定された駒は、『太子』に成る前に取られた場合、その効力を失う(その場合、王将を取られた時点で負けとなる)。
●『太子』として指定された駒は、王将が取られた時点で場所を問わず『太子』に成り、王将と同じ動きができるようになる。
●イカサマを行った場合、即座に負けとなる。ただし、イカサマは対戦者が指摘しない限り、どれほど明白であっても咎められない。
●水槽内に持ち込めるものは衣服のみ。
●通信機器の使用は禁止とし、また、会場全体に妨害電波を飛ばす。
王将が取られても太子がいる限り勝負が続く、という点は、小将棋と同一だ。しかし、対戦者はどの駒が太子か分からない。
王将を詰ませ、打ち取ったとしても、太子の駒が生きていれば意味がない。返す刀で詰まされる可能性がある。
「……通常の将棋を行いながら、相手の動きから、『相手がどの駒を太子に指定したか?』を推理し、王将と共に太子も追い詰めていく……。とても私にはできなさそうなゲームですね」
正直な感想を述べた中在地に対し、そうだろうな、と同意する男。
「解説は付けるが、観客の大半は状況の一割も理解できないだろう。だが、それで良い。俺が見たいのは、一流のギャンブラーによる至高の勝負であり――観客が望むのは、一流を気取る賭博師達がもがき苦しむ様だからだ」
そうして、ベネディクトは断言するのだ。
このゲームにイカサマはない。
真剣師としての読みとギャンブラーとしての度胸が試される、と。
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