特別な妹

 



「はい、今日のごはん」


 そう言ってフランツが祖父の前に差し出した夕飯は、ケールとにんじんのリゾット、ケールのサラダ、にんじんのステーキ、それからケールのスープににんじんジュースだった。


「フランツ……」

「なにか?」


 じとりとした視線を送ると、にんじんとケールが苦手な祖父は黙った。

 精霊へ祈りの言葉を捧げたあと、気の進まなそうにフォークに手を伸ばす。嫌いでも出された食事を全て食べ切ることは、精霊からの恩恵を保つためにも大切なことだと祖父は信じている。


 そしてそれは精霊に教わった事実らしい。偉大なるカール・フォーサイス――フランツの祖父は、人ならざるものを目にしその声を聞くことができる唯一の人物として、元々精霊士のトップである王宮の筆頭精霊士長を勤めていた。


 あらゆる怪我や病ともいわれた稀代の精霊士でもある彼は、この世で一番精霊に近い存在だとも言われている。


 しかし祖父は、二十年前突然筆頭精霊士長の座を退き、昔馴染みとの関わりも断ち、当時三歳のフランツを連れてこの薬屋を営み始めた。


 といっても完全に繋がりは断ち切れず、定期的に王宮へポーションを納品してはいる。

 そのため定期的に修道院や孤児院に無料でポーションや薬や金などを寄付する程度の余裕はある。生活は楽ではないが。


 その行い自体も、まるで何かに対する贖罪のようだととフランツは思う。


 なんにせよ、祖父は割とすごい人だ。そして彼の行動には全て、何かしら信念の通った理由がある。

 そしてそんな祖父が何より可愛がり、大切に育てていたのがリディアだった。


 だからおそらく、今日リディアが嫁いだことには理由がある。そうわかったからこそ、フランツはあれ以上反対せずに彼女を見送ったのだが。



(反対、するべきだった……)



 リディアの妙に諦めた表情が思い出されて、後悔したフランツは力なくつぶやいた。


「あれはリディアが可哀想だった」


 あの妙に悟ったところがあるリディアは、フランツやカールに多少のわがままを言うことはあれど、自分が愛されているとは思っていない。


 優秀で、有益。そうあろうと努力し続けてきたリディアは、だからこそ家族として側にいてもいいでしょうと、時折そう訴えているように見えることがあった。


「せめて。僕やリディアに……いや、リディアにだけでもおじいちゃんの考えていることを説明して、そして家族で過ごす時間を最後に作るべきだったと僕は思う」


「リディアが普通の精霊士だったら、私はそうしただろう。いや……例え英雄相手でも、あんな求婚は許さなかっただろうね。あれはない」


 そう言うと、祖父は妙に悲しげな瞳で「しかし」と笑った。


「……あの子のポーションが、もう売り物にならないレベルのものになったとわかるだろう?」


 フランツは頷く。

 リディアの前では「質がいいね」などと軽い調子で褒めていたが――実は、質が良いどころではない。

 今では彼女の作るポーションは、祖父にすら不可能な体の欠損や瀕死の重病人も、リスク無しに治せるはずだ。


 あれを世に出せば。おそらく、リディアは有無を言わさず王宮に連れて行かれるだろう。そしてすぐに筆頭精霊士長にまで登り詰めるはずだ。


 しかしついこの間まで。リディアが十六歳を迎えるまでは、彼女が作るポーションは祖父と同等レベルのポーションだった。それだけでも『これはまずいな』と、王都で指折りの精霊士になることすら気の進まなそうな彼女を見ては思っていた。


「十六歳になった日から、リディアの精霊力は凄まじい速さで不安定に強くなっている。精霊士では聞いたこともないが、魔術師で言うところの魔力暴走一歩手前だ。……もうあれは、人間が手にするような力ではない」


 そこで祖父は沈黙し、何かを堪えるように息を吐いたあと、また口を開いた。


「あの子がこのままここにいれば、力に呑み込まれておそらく死ぬ」


 祖父の言葉に息を呑んだ。


「……ラスター・フォン・ヴィルヘルムが、リディアの命を救うってこと?」

「おそらくは。少なくとも彼を前にしたリディアは急に精霊力が安定した」


 奇妙な話だった。魔術師と精霊士はそれぞれ相反する存在で、魔術師が精霊士に影響を与えるなど聞いたことがない。そんなたまたまかもしれない出来事だけで物事を決めるような、祖父はそんな博打を打つ人物ではないはずだ。


「でもほかに、確信があるんだよね?」


 むしろそうあってほしいと思いながら尋ねると、祖父はその質問には答えなかった。


 おそらく、祖父はフランツには何も話す気がないのだろう。知ってしまえば知らなかった頃には戻れない、というのは祖父の口癖だった。


(それでも。それでも知った方が良いと、僕は思う)


 リディア力が強くなった日、フランツがリディアの力の強さについて本人に伝えようというと、祖父は「まだ時期ではない」と言った。


 そして伝える前に彼女は出ていった。おそらく王都に行っても、あのラスター・フォン・ヴィルヘルムが守ってくれるだろうが。


(……それにしても、ものすごい執着心だったな……)


 フランツに敵意を剥き出しにし、切なそうな目でリディアを見ていた英雄。あの隠せない愛情に、もしかして彼が言っていた『前世』というものは本当にあったのではと思う。


 きっと彼は、リディアを大切にしてくれるだろう。言葉選びが悪すぎるが、声がそう言っていた。


(厄介そうな男に好かれたことは兄としてとても心配だけど……)


 そう思いながら、フランツは可愛い妹分に出会ったときのことを思い出す。

 六歳のとき、庭にきらきら光る不思議なものがあると不思議に思ったフランツが、庭の草むらから見つけたのがリディアだった。


 慌てて祖父に伝えると、祖父は目を見張って「なんという」と声を震わせた。恐ろしさに震えたようにも、嬉しさに震えたようにも、どちらにも見えた。


 幼いフランツの目に、その赤子は何かから守られるような力で満たされていると感じた。こんなに美しく、厳かで清らかな精霊力はついぞ見たことがないと、祖父も言っていたのであっていると思う。


 赤子をそっと抱き上げた祖父は、彼女を「リディア」と名付けた。

 それ以来、彼女はフランツとカールの家族になった。


(ずっと兄弟がほしかったから。僕はリディアがうちにきて本当に嬉しかったんだよな)


 だからこそ。いつもの定位置が空いていることが、とても寂しい。


「リディアがいない食事は、さびしいね」

「ああ。本当に」


 それから無言で食事を終え、フランツとカールはいつもよりも長めに祈った。どうかあの特別な妹の人生が、健やかで幸せなものであらんことを。


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