教育は大切
「ここがお前の部屋だ」
まだ腹立たしそうに顔を赤らめたままのラスターが案内してくれたのは、大きな窓から日がたっぷりと差し込む立派な部屋だった。
窓の近くには大きなベッドがある。ふかふかで、見るからに寝心地がよさそうだ。しかも以前ディアナが「あれがなくては眠れない」と愛用していた枕と同じものまで用意されている。
置かれている家具の一つ一つも、丁寧に作られた高級品だろう。
ソファに置かれた手触りの良いブランケット一つとっても、リディア好みの部屋である。
「ねえ、ラスター。部屋を間違えてない?」
困惑したリディアがラスターの方を見ると、彼の瞳が揺れた。
「不満があればすぐに変える。……どこか気に入らないところがあるか?」
「まさか! 素敵なお部屋よ。誰が整えてくれたの? 私と趣味があいそう!」
「……整えたのは俺だ」
「ラスターが?」
ラスターの言葉に、本当に自分の部屋なのかと驚いた。
ずいぶんと住みやすそうな部屋をリディアにあてるものだ。地下牢がなく、一番狭い部屋がここなのだろうか。それとも部屋くらいはと、整えてくれたのだろうか。気遣いを感じるので後者だろう。
「ありがとう、ラスター! 本当に素敵で驚いちゃった」
「気に入ったならいい。……ゆっくり休め」
そう言ってラスターがリディアから顔を逸らし、部屋から出て行った。
手持無沙汰になって新しい自室を見回す。ベッドの脇に備えられた大きな本棚に目をやると、そこにはかつてのリディアが大切にしていた魔術の本があった。
糸綴じの本がバラバラになるまで、ラスターと二人で読んでは勉強しあった思い出の本たちだ。
最期まで大切にしていた本は、一冊も欠けることなく本棚に納められている。
(……ラスター、まだ持ってたんだ……)
その本を手に取り中を開くと、ほどけていた系が修理されている。ラスターが書き込んだ文字も、「ここ大事」とディアナが描いた吹き出し付きの猫も、色褪せることなく残っていた。
あれから十六年も経ち、中の知識も古くなっているはずだ。多分ラスターには必要ないだろう本なのに、捨ててないなんて。
わざわざこれをリディアの部屋に置いたのは、きっとディアナがラスターの次に大切にしていたものだったからだろう。
(……私の弟子は、優しすぎて多分復讐に向いてない)
そう思いながらリディアは、嬉しいような泣きたいような気持ちで、その本を眺めていた。
◇
自分の弟子は本当に復讐に向いていないようだ。いや、復讐についての概念がないのかもしれない。
この屋敷に来てはや三日。リディアはラスターの常識を疑い始めていた。
日々が快適すぎるのである。
きっと食事は日に一度、かびたパンと具なし味なしのスープを渡されるのだろうと思っていたのに、食事はきっちり一日三回、おやつ付きである。それも全てリディアの好物ばかりで、若干面倒な食事が最近はやや楽しみだ。
エイベルを始めとする非常に少ない使用人も、リディアを『主人に詐欺を働いた不届き者』扱いはせず、公爵夫人に対するように恭しく接してくれている。初めて会う人は皆、リディアの顔を見ては幽霊を見たかのように驚くのだけれど。
用意された洋服も何もかも、肌触りの良い一級品ばかりで。
単純に言って、至れり尽くせりの毎日なのである。
朝など毎朝ラスター自ら起こしに来て、「今日はお前の好きな鶏肉のスープだ」「果物もある」「早く起きろ」と言いにくる。まるであの山小屋に戻ってきたみたいだ。といっても大人ラスターにはまだ慣れず、いつも驚いてしまうのだけれど。
「……これはおかしくないかしら」
いつ復讐が始まるのだろうか。
ラスターは『絶望に突き落とされるのを待つのも地獄のうち派』なのかもしれないけれど、それにしても至れり尽くせりすぎしないか。
(多分ラスターは……復讐というものが、よくわかっていないんだわ)
まさか自分よりもはるかに一般良識があったラスターに常識が抜けているとは思わなかった。
この調子ではこの十六年間、苦労してきたのではないだろうか。
(だからこの十六年間の話を聞こうとすると、急に黙ってしまうのね……なるほど、そこにもきっと怒ってるんだわ)
常識を教えていないなど申し訳ないことをしたと、リディアは後悔した。
(だけど前みたいにラスターと暮らせて毎日ごろごろ自由に暮らせるこの生活は私的には最高……。いやいや、だめよリディア。あの子の気持ちも考えてあげないと)
将来彼が友人たちに「憎い奴に復讐してやったことがあるんだ」「え?どんな復讐?」「三食昼寝付きの生活を送らせてやったよ」みたいな会話をしたら、きっと爆笑されて生ぬるい目で見られるに違いない。
それに彼がリディアを恨んでいるというのなら、それを受け止めてあげるのが家族というものだ。嫌だけど。
(仕方ないわ。……ラスターに復讐というものを教えてあげなければ)
もしかしたらラスターも、そんなリディアの正直な心根を評価して許してくれるかもしれない。そんな打算百%で、リディアはラスターに常識を教えることを決意した。この分では結婚が何かもわかっていないかもしれない。困った子だ。
そんなことを思いつつも。
もしかしたらラスターは常識を備えていて、実はそんなに怒っていないという可能性もあるのではと、リディアはほんのちょっと期待している。
彼はよく顔を背けるが、それは彼が小さいころからの癖である。照れると顔を背けるのだ。
もともとツンツンとして素直になれない子だった。久しぶりにリディアに再会して、嬉しさのあまり『一人にさせるなんて! 罪を贖え!』というテンションになったのかもしれないな……と思うのは、些か楽観的がすぎるだろうか。
しかし可能性としては五分五分じゃないかなと、リディアはちょっと思い始めている。
しかしながらその希望的観測は、次の日にやってきた来客の言葉で打ち砕かれた。
「……その顔!」
ラスターの部下らしいロードリックと名乗った男がリディアを見て青ざめる。
「ラ、ラスター様にい、いじめられていませんか!? ラスター様がものすごく憎んでいらっしゃる、ディアナ・フィオリアル様のお顔と、生写しのようにそっくりなのですが……!」
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