弟子との日常
美味しそうな、スープの香りが鼻をくすぐる。
サラサラの清潔なシーツの中でまどろみながら、ディアナは鼻を動かした。この匂いは、鶏肉のスープだ。
ラスターお手製のこのスープは、食べることに無頓着だったディアナの大のお気に入りになった。
食べたい欲求と布団から離れがたい欲求と、どちらを優先すれば良いのか迷う。しかし答えはすぐに出た。ベッドの上で食べれば良いのである。
もそもそと布団から顔だけ出し、ディアナは弟子に命じた。
「ラスター、スープを持ってきて……」
「却下だ。行儀が悪い。きちんと起きろ、というか……いい加減俺のベッドで寝るのはやめろ!」
弟子である筈のラスターが、額に青筋を立てて言い放つ。
「仕方ないでしょう、子どもは寝ている時が一番暴走しやすいんだから側にいないと。悔しかったら早く大人になることね……って、布団をはぐのはやめて! 寒い! 最悪! 鬼弟子!」
「俺より八歳も上の大人なら、相応の態度があるべきだと思わないか?」
弟子である筈のラスターが鬼の形相で布団を剥ぎ、ディアナはしぶしぶベッドから這い出た。
「まったく、師匠に対して尊敬のかけらもない。いただきます」
ぶつぶつと文句を言いながら席につき、朝食を食べ始める。
「今日の修行はお灸を据えてやるんだから。……あら、このスープ、ネギが美味しい……」
「朝畑で採ってきた。焼き色がつくまで、良い油で焼くのがコツだ」
「……パンも食べたい」
「持ってくる。卵も焼いてやるよ。果物もある」
どことなく誇らしげに胸を張ってキッチンに向かうラスターが弟子になって、もう三年が経つ。
ラスターを引き取ってすぐに国家魔術師を辞めたディアナは、山奥の小さな小屋でラスターと暮らしていた。
あの時ボロボロだった少年は、ディアナの献身によって美しい十一歳の少年となった。それを言うとラスターは、献身しているのは俺だ! と怒るけれど。
本当にこの三年間は大変だったーーと、ディアナはしみじみ思う。なんせこの弟子は口うるさい。かつて子どもだった自分がそうだったように、ラスターもきっと常識がない子どもなのだろうと思っていたのに意外や意外、ディアナよりもはるかに一般良識があった。
おまけに当初は子どもということもあって家事能力はディアナとどっこいどっこいだったのだが、二人で苦戦しつつもこなしている内にラスターだけが腕前を上げ、今ではどこに出しても恥ずかしくない立派な主夫となっている。
いそいそとたくさんのお皿を抱えて戻ってきたラスターにあたたかな眼差しを向け、ディアナは口を開いた。
「あなたがこんなに良い男に育ったのは私のおかげよね」
ふふん、と少々得意げに言ってやると、ラスターはふいっとそっぽを向いた。
「何を言ってるんだばかディア」
「ばかとはなによ。天才美人の師匠と呼びなさい」
冷ややかな目でディアナを見ているラスターは一体弟子の自覚があるのだろうか、とディアナは思う。
「あのね、今の時代家事ができる男はモテるの。顔も良い、魔術もすごい、ご飯作りが上手。どんな素敵な女性もあなたに夢中になるに決まってる。自慢の弟子が結婚する日が楽しみだわ」
「……何言ってるんだよ」
怒らせたようだ。
先ほどとは全然違う怒りのこもった眼差しを投げかけられて、ディアナは「何よ」と憮然とした表情を見せた。
そんなディアナをしばらく腹立たしそうに見つめながら、ラスターが口を開く。
「……ディアは。結婚しないのか?」
「しないわよ。だって私と同じくらいの天才でお金持ちで顔が良くてぐうたらを許してくれる人、いないんだもの」
本当に、全くもってこの世にいない。それに養い子がいるから、お相手を探す気にもならない。
それでもラスターが結婚したら探してみようかな。最悪ぐうたらを許してくれるのならば誰でもいいな……そんなことを思っていると、弟子が口を開いた。
「じゃあこのままでいい。……家族はディアだけでいい」
ラスターがものすごく不満そうに。だけど耳だけをほんのり赤く染めて、ふいっと横を向く。
(ーー全くこの弟子は。生意気だけど可愛いんだから)
「ラスターったら!」
「ばか! やめろ! はなせ!」
思い切って抱きついて頭をわしゃわしゃと撫でると、ラスターは激しく拒否をした。引き取り立ての時は仏頂面ながらも拒否はしなかったのに、ずいぶん大人になってしまった弟子に悲しみを覚えながら、ディアナはそれでもふんふんと鼻歌を歌う。
「可愛い弟子のために紅茶を淹れてあげるわ」
「あれは紅茶風味のお湯というんだ。……茶葉を増やせば、まあ美味しいと思う」
ラスターが文句を言いながら、少し嬉しそうな顔を見せる。
彼は来年十二歳になったら、王宮魔術師を志すと言っている。ディアナを超える大魔術師になってやるのだと語るラスターは、きっと良い大魔術師になるだろう。
そうなったら彼は王都に行くだろうから……この時間も、あとわずか。
残り少ないと思うからこそ、こんなに幸せなのかもしれない。
ポットに適当に茶葉を盛りながら、ディアナはそんなことを考えた。
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