ラスター・フォン・ヴィルヘルム

 



 記憶を取り戻してすぐにラスターを見る機会に恵まれたのは、きっと日頃悪いことをせず生きているからだろう。

 自分の日頃の行いを褒めながら、こうしてラスターのパレードに来たわけなのだが。


(あまりに人がっ! 多すぎる!)


 歓声がどんどん大きくなり、きっと近くを通っているのだ。周りの人からもみくちゃに押されながら、ふくらはぎが攣りそうなほど爪先立ちをして――ようやく、一人の男性の姿が見えた。


 さらりと流れる黒髪に、日差しが降り注いでいる。

 馬に乗ったその人は驚くほど綺麗な顔立ちをした、大人の男だった。

 怜悧な美貌というのだろうか。研ぎ澄まされた刃のような端正な顔立ちに、威厳と昏い冷たさが漂っている。


(……ラスターはどこかしら?)


 キョロキョロと探してみるが、今日の主役といった風情の人物は彼しかいない。

 そうなると彼がラスターということになるのだが……。


(え? あれが本当にラスターなの?)


 昏い美貌を持つ男が、あの天使のような生意気で料理上手のラスターだとは、とても思えない。

 そう戸惑ったリディアだったが、よくよく見ると意思の強そうな眉や、切れ長の目元のあたりに面影が、ほんの僅かに見えた。


 随分変わったが、彼は確かにラスターのようだ。

 胸がぐっと熱くなる。


(……良かった。本当に良かった)


 思わず涙ぐみそうになったリディアは、ゆるく舌を噛んで涙をこらえた。


「リディアが有名人を見て涙ぐむなんて……意外だな」


 驚いた顔をしたフランツが、「リディアも普通の女の子なんだねえ」とちょっと引っかかるような事を言う。


「なにそれ、どういう意味?」

「悪い意味じゃないよ。仕事と寝ること以外に興味を持つことがあるんだなって……あれ、なんか、こっちの方見てない……?」


 咎めるような視線を送ると、苦笑していたフランツが驚いたようにパレードの中心に目を向ける。

 釣られてそちらを見ると、ラスターの射抜くような眼差しと目が合った。


 水中から見る水面のような、懐かしい青の色たち。

 切れ長の瞳がゆっくりと見開かれるのを見て、リディアは咄嗟に背伸びをやめ、人混みに紛れた。


「……ごめん、フランツ! 先に帰る」

「えっ? リディア、」


 驚くフランツを置き去りにして全力で走った。普段はのろのろ登る石階段を全力で駆け上がり、住居兼職場である薬屋に入る。


「おやまあ、どうしたんだい」


 養い親のカールが目を丸くしてリディアを見て、リディアは「運動!」と誤魔化し、自室へ戻った。


 人いきれと全力疾走で火照った体は、驚きで指先だけが妙に冷たい。


「まさかあの人混みの中、目が合うなんて……びっくりしたわ」


 ほんの一瞬、僅か数秒の間だけれど、間違いなく目が合った。


「何かを勘づかれたかしら……まさかね」


 中身が一緒だからか、ディアナなリディアは雰囲気や顔立ちが前と似ている。


 しかし髪の色が違うから、ぱっと見の印象は別人の筈だ。

 今のリディアは銀髪に単色の紫色の瞳だ。黒髪に五色の瞳を持つディアナとは全く違う。

 一般的に精霊士は明るい髪色を持ち、魔術師の髪色は暗色が多い。


「あの子は超現実主義者だったし、まさか私がディアナだとは思わないだろうけど……でもやたらと勘が良かったから、逃げて正解だった……わよね?」


 本当に、あの子は勘が良かった。

 隠したいと思ってたことは何から何までバレたものだ。実は心が読めるのかもしれないと思ったことが何度もある。


 そう考えると保護膜やら何やらを、ディアナが最期まで隠し通せたのは奇跡ではないだろうか。彼にあれを教えたのが最後の最後で本当によかった。


「まあなんにせよ……顔が見られてよかった!」


 別人のようだった。まるで知らない男の人のようだった。

 立派な魔術師に成長した彼を見て、ディアナしか頼る人のいなかった小さかったラスターはもういないのだと理解した。


 少々根暗そうだったのが気になるが、大衆の前で練り歩く緊張感に無表情だったせいもあるのだろう。

 馬に乗って凛々しく前を向いていたのは、一人の勇敢な魔術師だった。もう彼には師も保護者もいらない。


 何せもう二十七歳。彼は今や、当時十九歳だったディアナよりもずっと年上なのだから。


「大きくなってくラスターを見れなかったのはものすごく寂しいけれど……安心したわ」


 寂しさと安堵がこもったため息を吐いて、リディアはほんの少し微笑んだ。



 ◇



「リディアももう少し残れば良かったのに。あの後面白いものが見えたよ」


 ポーション作りに勤しむリディアに向かって、フランツが腹痛に効く丸薬を作りながら言った。


「面白いもの?」

「リディアが帰ったあと、馬や他の人間を残してラスター・フォン・ヴィルヘルムが消えてしまったんだ。なんか急な指令が来たとかで転移したって、お付きの人が叫んでた」

「へえ……よっぽど火急だったのね」

「そうだろうねえ」


 リディアの言葉に、フランツは頷いてやや気の毒そうな顔をした。


「プロポーズもままならないなんて、大魔術師って大変なんだね」

「本当ね」


 確かに大魔術師ともなると、急に厄介な依頼が飛び込んできたりするものだ。リディアにも覚えがある。


(大魔術師になった途端、来る依頼が面倒だし重いのなんのって)


 本当に大変だった。思い出すと憂鬱だ。

 なので今世は、出世や大金持ちなど考えずにのんびりと慎ましやかに暮らしていこうと決めている。


 優秀な精霊士である自分の才能が表に出ないのは人類の損失かな……と思う気持ちがないでもないが、その代わりポーション作りは頑張っている。


「まあ僕たちはのんびりやろう。そろそろ休憩にしようか」


 そう言ってフランツが伸びをし、リディアも頷いて手を止める。

 窓から差し込む日差しに釣られて外を見れば、空にはディアナが織り上げた結界が今日も輝いていた。



 そこからまた自画自賛をしたあと、一人の男の客が入ってきて。



「俺を欺いた罪を、その身で贖ってもらう」


 青色の瞳に怒りを灯して。

 かつての弟子であるラスターは、そう言い放ったのだった。





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